とある老害の偏屈短編集 作:謎の老害
突然だが、私には数ヵ月前まで夫が居た。今まで私が付き合ったどの男よりも遥かに誠実で、優しくて、そして不気味な夫だった。
馴れ初めは合コンだった。
当時から私は結婚相手の条件を年収と貯蓄に絞っており、そのことを公言して憚らなかった。少なくとも年収1000万以上は最低条件で、無茶苦茶なことは自覚しても諦めたくはなかった。
そんな私の目の前に現れたのは、某大企業のやり手の男。既に年収は1500万を超え、将来を見越して貯蓄を始めていた。聞けば彼は家族や親戚が相次いで他界し、若くして独り身を強いられていたという。
話を聞いた直後から、私はこの男の虜だった。年収も貯蓄も申し分なく、姑等の心配も一切要らない。更に彼は合コンの後、酔い潰れた私の為にわざわざ世話をしてくれた。曰く「あなたは自分が居ないとマズイ」との話であった。つまり、性格も完璧である。
それから結婚に至るまでさほど時間は掛からなかった。と言うのも、私もまた親を失い、結婚への障害が皆無の状態だったからだ。
めでたくゴールインした私達だが、この時点で彼の妙な部分が顔を覗かせた。
神父
「それでは、新郎に誓いの文を…」
夫
「すみません、それではなくてこの文を…」
神父
「…すみませんが、ここで口にして良いものではありません。お断りさせていただきます」
夫
「そうですか、失敬しました」
私はその時、何が起きたのか分からなかった。式が終わって新婚旅行に行く直前、神父からこっそり受け取った夫の手記を見た時…
「あなたはこの女性の奴隷になろうとしています」
…何かはその時には分からなかったが、少し不安になった。
結婚後の彼は本当に優しい人であった。私の欲しいものは何でも買い与えるし、自由な時間も資金もくれた。家に一緒に居るときは、家事の一切を引き受けてくれた。
しかし、またしても不安が過る。彼は、当時の女友達にとっても不気味な謎の行動を取る。夜、彼からは決して性交渉を持ちかけない。子供を欲しいと思わなかった私はそれで良かったが、女としての魅力を欠いている様な空気は耐えられなかった。それとなく誘えば応じてくれたが、私を悦ばせることにばかり執着し、彼自身はひたすら奉仕の姿勢を変えなかった。
完璧と言える夫婦生活ではあったが、肝心の処女はついに彼に捧げることは出来なかった。
巷でそう言われるように、私も次第に生活全般のマンネリで夫をATMとして見るようになる。十二分に好きに出来る金と、身体に変調をきたす程の欲求不満が重なったので、すぐに不倫を始めた。相手の男は彼と違って若く、欲望にも忠実であった。"初めての男"も不倫相手である。
同時に、彼を上手く自宅から追い出す方法も探し始めた。浮気をしていないか調べたり、風俗に行っている可能性も考えた。しかし、その全てがことごとく外れであった。
ある夜、自宅の寝室で不倫相手と色事に興じているところを夫が見てしまった。慌てた私達だが、彼はすぐさま寝室を出てドア越しに話しかけた。
夫
「頼む、彼女を満足させてやってくれ!僕じゃ体質的に無理なんだ!」
不倫相手
「えっ?でも…」
夫
「僕には君達を金銭的にサポートする位しか、出来ることが無いんだよ!こんな不甲斐ない夫を許してくれ!」
不倫を追及するどころか、逆に猛省する夫に私達は唖然とした。
その後も、彼の行動には謎があった。
不倫相手との外出を奨励したし、私の怒りのせいで彼を追い出した時も給料は私のもとに送金してくれた。結局不倫相手から咎められて夫を家に戻したものの、こうした出来事について文句や不満を口にすることは無く、むしろ不倫相手を「僕よりも彼女に相応しい男」と褒め称えた。
「愛する女を守る」という、夫として大変重要な心を欠いた彼は、幼い彼を残して他界したという身内よりも(最終的に)長く夫を見た私にしても"優しい"を超越して不可解ですらあった。
そんなある日、執行役員に就任した彼は突然会社で倒れた。驚いた私は慌てて夫の元に向かったが、着いた先に居た夫は何故か笑顔だった。
訳を尋ねる私だが、彼はなかなか質問に応えてくれない。それどころか…
夫
「どうしたの?僕なんかに構っていたら、君の時間が無くなるよ?」
私
「何を言ってるの!?急に倒れたなんて聞いたら驚くに決まってるでしょ!」
夫
「大袈裟だな。それに、あの若造は?放っておいて良いのかい?」
…彼は病床に居る我が身よりも私と不倫相手を心配した。
事情を聞いた不倫相手は夫の元に急ぎ、まるで夫の息子になったかの様に彼を気遣った。不倫が原因で歪んだ家族の形が出来た事実を、夫の急病と共に見せつけられた衝撃は、今も忘れることができない。
数ヵ月後、私は子供を持った。夫ではなく不倫相手が父親だが、その事にすら夫は嫌な顔一つせずに喜んだ。
夫
「ようやく君にも子供が生まれたのか!僕の子じゃないから尚更嬉しい!」
不倫相手
「あなたの子じゃないのに喜ぶんですか?」
夫
「良いんだよ、理由は言えないけど…とにかく僕の血が混ざっていたらマズイんだ」
困惑する私達だったが、夫のたっての希望で私達は共に子育てを始めた。
今思えば、それは彼ではなく私の希望だったのかもしれないが…。
生まれたのは娘で、実に優しくて誠実かつ頭脳明晰な…血が繋がらない夫に恐ろしく良く似た女だった。
そして私に似ず、男を求めないところがあった。その傾向がはっきり出てきたのは大学卒業間際。思えば娘こそ、この時点で夫の心理を見抜いていたのかもしれない。
娘
「今時の男って、結婚する価値無いよね。稼げないし弱いし…」
夫
「珍しいことを言うじゃないか。男が嫌いなのか?」
娘
「いや、人間としては好きなんだけど…お父さんみたいに金銭面で女性を支えられる訳じゃないし、お兄さんみたいに私達が満足する様な頼もしさも無いんだよね。イイ人以上にはなれないんだよ」
不倫相手
「そうかもなぁ…俺達は、たまたまそれが上手く行っている仲だからな」
夫
「ま、それでも力強く生きてくれるって言うなら、家族としてこんなに嬉しいことは無いぞ」
…母親としては嬉しい。だが同時に、女である自分を娘に否定されるような気分になった。男に頼らない生き方が、捨てられる側の男から「頼もしい」と称賛されるのだ。見ていて気分の良いものではない。
そして娘は、父と同じ会社に勤めることとなった。だが独立を見越した彼女は独り暮らしを選択し、私達は再び3人に戻った。
その後、私は前の夫と死別し、不倫相手を新たな夫とした。生前、前夫は悲しんだり怒ったりするどころか、私達を祝福してくれた。「娘にとって本当に必要な家族でもある」とすら言った。
彼はあくまで死別にこだわり、離婚を拒んだ。その理由が再び、私に不安を与えた。
前夫
「多分、退職金を貰うと同時に死ぬんじゃないかと思ってる」
私
「何よそれ、ジョークにしては笑えないんだけど」
前夫
「ジョークならそれで良いけど、もし死んだら遺産は全部君のものさ。僕には血縁の子供が居ないからね」
私
「うーん…」
老後を考えると、遺産は捨てがたい。しかし、だからと言っても私は夫の死を望むような鬼ではない。確かにATMとして扱っていた過去はあったが、そこには「自分に一切頼ってくれない」夫への不満があったからだ。しかも私に頼らずに家事も仕事も完璧にこなすことが、更に不満の材料となっていた。
結局、前の夫は退職金を受領した後に、事故に巻き込まれて死亡した。保険金と遺産はそっくり私の元に転がって来た。
ところがそのすぐ後、新しい夫がガンを抱えた。彼は最低限の治療を受ける一方で、延命は拒否した。そして彼もまた、命の終わりを予言した。
新夫
「ごめんよ…俺、完璧な夫になる前に死んでしまうみたいだ」
私
「そんなこと言わないで!私と一緒に添い遂げてよ!」
新夫
「どうかな…娘のこともあるし、頑張ってみるよ。でも多分、このガンはたとえ全力を尽くしても治らないんじゃないかな。」
そして予言通り、彼は逝ってしまった。解剖の結果、ただのガンではなく"不治の病"であったというおまけ付きだ。
娘は度々私の元に来てくれたが、短期間に夫を2人も亡くしたショックは癒えなかった。
ある日、娘は私に一枚の紙を見せた。生前、最初の夫が書いていたメモを、彼のパソコンからデータとして取り出し印刷したのだ。
娘
「…読むね。"女は基本的に伴侶を金で選ぶ。女の愛欲は遊び相手の男で満たされる"」
私
「えっ!?」
娘
「静かに聞いて。"伴侶に選ばれた男の使命は、妻を愛することよりも妻の障害を取り除くことに重点が置かれる"」
私
「…」
娘
「"夫婦円満と女の幸せの為に、妻の要求は人道に外れない範囲で受け入れよ。夫は決して自らの意志を押し出してはならない"…終わったよ」
私
「そんな…」
娘
「お父さんもお兄さんも、結局はこの通りになってしまったんだね」
年老いた私は、ここに来て夫達の取っていた行動の真意を理解した。同時に結婚式における"前夫が出した"誓いの言葉がフラッシュバックする。
「あなたはこの女性の奴隷になろうとしています」
彼らは私の奴隷になることを選び、私は結局その関係を受け入れてしまったのだ。不気味な感覚の正体が分かると同時に、涙が溢れてくる。
そんな哲学の為に死んだ夫達に対して、私は何をしてやれたのか?
娘
「…私が以前"結婚相手が居ない"って言ったのは、自分を犠牲にしてまで女性に尽くす男が居ないからなんだよ。お父さんとお兄さんが、あまりにも出来すぎていたんだ」
私
「…」
娘
「…だから私、もう普通の家庭は持てないよ。結婚なんかしたら、お母さんみたいに男の人を殺しちゃう」
私
「私が殺したの…?」
娘
「少なくとも私にはそう見えたよ。だからせめて結婚しないで、生涯独身を貫いた方が…男の人を苦しめなくて済むと思ったんだ」
私
「そんな…酷い…」
何が酷いのか、自分でも全部は分からない。だが少なくとも、実際に男2人を自分の欲の為に殺した私自身は、"酷い"を通り越して"醜い"と思えた。
…そして、今に至る。私が殺した2人の夫と、それを見て生涯独身を決めた娘は、それ自体が私にとって重い枷である。
あれから1週間経った今も尚、私は何も出来ずに立ち尽くしている…。
いかがでしたか?「何が言いたいのか分からない」という声もあるでしょうが、その辺は自分でも分かっていません。
元々は巷で言われる「結婚は人生の墓場」「夫は妻のATM代わり」といった言葉に、二次元特有の「男より強い女」の概念を加えた思考実験の一環でした。当時は特にインフィニット・ストラトスを例として「女が男より強く、男の存在価値を過小評価する一方で、何故一夏に女子生徒が群がるのか?」といった疑問を"製作の都合抜きで"追究していた時期でもあります。今回はその"遺産のかけら"と言えるでしょう。
同時に、これは音信不通になった女友達に宛てる「具象化された女性不信」でもあります。この辺りは皆さんが気にすることではありませんので、お構い無く…。