とある老害の偏屈短編集   作:謎の老害

2 / 2
 数年前、ヴァイスシュヴァルツのゲーム版「ヴァイスシュヴァルツ ポータブル」がロールアウトされ、自分も少しだけプレイしました。とは言え、そもそもカードゲーム全般が下手なので「誰の好感度も上げず、1戦もしないでED」なる挑戦を試みて、途中で飽きてソフトを友人に渡したままにしています。
 今回はその舞台「白黒学園」を取り上げます。捏造である上に複数作品からの引用も行っていますが、これであの世界観は説明できるでしょう。


とある教材の開発史

 白黒学園の存在は、日本の教育業界における施策の集大成と言ってよいものだろう。設立時期が明言されず、そもそも公立なのか私立なのかすら不明なこの学園は、西暦2050年には存在していたとされている。

 この学園の基本理念は「政治・経済・科学をはじめとした多方面のエキスパートを養成し、世に送り出す」こと。これだけでも突拍子もない話だが、その後に「その為に最先端の技術を結集し、その代表例がカードゲームのヴァイスシュヴァルツ」と続くのだ。

 聞けば誰もが度肝を抜かれるこの学園の最大の謎は「教材にカードゲームを使う」ことにある。この謎を説明するには、その当時の日本社会の状況から説明しなければならない。

 

 

 

 

 2000年代から表面化を始めた少子高齢化問題は、2020年に入る前から具体的な形で日本の存在を脅かし始めていた。

 高齢者の増加に伴って労働人口が減る一方、介護要員の不足はどの施設でも悩みの種となった。政府はこの対策に一時は外国人労働者を充てたものの、彼らの存在が近隣にいる日本人の住環境や治安を脅かした為に代案を求められた。

 苦悩した政府は最終的に「政府が出資してニートを雇い、施設の労働者としてねじ込む」方法で解決させようとした。通称「ヘルパー公務員」「ニート公務員」とも呼ばれたシステムにより一時は雇用状況が回復し、経済の活性化が図られたものの、同時に別の問題も浮上した。その内容は大別して「労働意欲の低下」「事実上の共産主義化」「企業の人手不足」「日本人の経済主権喪失」である。

 

 

 「労働意欲の低下」は問題の源泉と言って良いだろう。ニートを政府が雇った時点で、彼らは収入をある程度約束された公務員となる。事実上、ニートであっても就職が政府によって約束される為、雇われた人々は始めの頃こそ真面目に働くものの、時期を追うとすぐに労働意欲を失った。同様に通常の企業で働いていた職員もまた、リストラによってアルバイトか「ヘルパー公務員」に落とされた。

 同時に待遇も巷のアルバイトに比べて良好であった。たとえ欠勤ばかりしたり、不祥事を起こしてクビになっても、その直後にニートとして再び政府に雇われるので食い扶持には困らない。また彼らは事実上の公務員である為、賃金や社会保障もパートタイム労働者を上回る。これが災いして「金を稼ぐ為にニートへ落ちる」労働者が続出した。しかし相変わらず彼らの仕事の質は低かったので、介護施設は一度に膨大な数の老人と「お荷物ヘルパー公務員」を受け入れることになってしまった。

 

 

 「事実上の共産主義化」は、先の問題の副産物と位置付けされる。「ヘルパー公務員」は業務時間に関わらず給与が一定で、労働意欲に乏しい彼らと"成果"を問われない職場ではボーナスにも個人差が出ない。更に給与の財源が税金である為、パートタイム労働者以上とは言っても大した額は出せない。つまり彼らの生活レベルは中流の部分で限定されるのだ。

 遠方から来た「ヘルパー公務員」の受け皿としてアパートを建てる地権者や資本家が国内外を問わず現れたが、出来上がったアパートはどれも地上デジタル放送や光インターネット回線を完備しており、当時の日本人が最低限必要とする環境を揃えてあった。申し合わせがあったのではなく単純な偶然だったが、これが「ヘルパー公務員」達にウケて続々と入居することになり、アパートはニートの数だけ増加する形になった。

 だが住環境が似て収入も皆同じとなれば、かつての共産主義圏の様にヘルパー公務員とそれ以外の労働者の格差が鮮明化した。具体的には、生活保護とはまた違う形で"贅沢品"の概念が定着したのだ。

 例えば軽自動車は安いので誰でも買えたが、税制上は軽自動車より不利な普通車を保有するだけで車のオーナーは「立派な企業戦士」として注目を浴びた。自家用車としてワンボックスを買う者が出れば、その転売を狙って盗難事件を起こすヘルパー公務員も出た。「自家用車が軽じゃない」というだけで、ヘルパー公務員にとっては大きなステータスだったのだ。

 他にも副業があれば、それもステータスである。同人作家としてCG集を作って売り出せば、副業として同業者から拍手を貰えた。1日3万近く稼ぐ売春婦ともなれば、ヘルパー公務員は彼女に畏敬の念を表した。もちろん政府の庇護を離れて起業する者も現れ、例えば真面目に働く自営業の人間は敬愛の対象にすらなった。

 

 

 一方、ヘルパー公務員の待遇が原因で「企業の人手不足」も発生する。元々ニートであるはずの彼らに与えられた待遇がそれまでのパートタイム労働者を超越する為、特に小売業はアルバイトの確保が困難になった。ヘルパー公務員以上の厚待遇をアルバイトに与えなければ人員を増やせないので、必然的に人件費がかさんで企業の財政を圧迫した。

 中にはニートとしてカウントされない労働者である学生アルバイトや外国人労働者を、ヘルパー公務員より低待遇で働かせるところもあった。しかし求職意欲が著しく低い学生アルバイトは卒業後にヘルパー公務員となる者が多く、空いた穴を外国人労働者で再び埋めることになった。

 他方は更に酷く、人手不足を日本人だけで補おうとした中小企業は続々と財政破綻をきたして倒産した。力尽きた労働者達は、ここでも政府の力で介護施設にねじ込まれることとなったのだ。それまで企業に誇りを持っていた彼らにヘルパー公務員の座は屈辱であり、先の起業した者達は皆かつて企業の正社員として真面目に働いてきた人間だった。彼らは口々に「ニートと同じ職場は御免だ」と語ったという。

 

 

 外国人労働者が増加する一方で、生き残った企業の社員もまた外国人の割合が増えていく。人件費削減でリストラした結果空いた席を、より有能な外国人で埋めた為だ。これが「日本人の経済主権喪失」になっている。形としては日本経済の在り方を、国内の外国人労働者に操られているのだ。

 企業に勤める日本人の割合が減れば、経済界における日本人の発言力が弱まるのは当然の話。生き残った企業の大半も、海外資本の流入や海外企業による買収で日本人は経営権を失った。

 同時に日本の誇りとされていた職人技も継承希望者がおらず、たまに現れても日本人はまず居なかった。日本人の大半は生活の安定を求めてヘルパー公務員の道を選び、それ以外も更に稼げる企業戦士の道を進むからだ。この為、日本の技術もまた意欲ある外国人に奪われてしまうのだった。

 結局、このシステムは人員の派遣先に一般企業を加えることで政府の解決案としたが、施行された後は企業の代わりに国の財政が圧迫された。一方で日本人労働者の労働意欲は一向に改善せず、かえって外国人労働者の発言力を間接的に強めるだけだった。皮肉めいた「ヘルパー公務員」の呼称も、更に皮肉の強い「ニート公務員」へと変質した。

 

 

 

 

 しかし、かつての日本を知る各国の人間は「日本人の国こそ我々に必要な存在」と口々に語った。彼らは外国人の"経済侵略"で日本が日本人の国でなくなることを恐れ、同時に元凶である政府のこうした失策に頭を抱えていた。食品や大型機械の輸出相手を日本とする企業が多かった為だ。

 日本政府がこうした問題の根本的解決に乗り出さなかった理由は「国内で最も頭数の多い有権者である後期高齢者を一番に考えるのが精一杯で、他に打てる手が無かった」ことにあり、海外もその点は理解している。特に諸外国…先進国では日本を「高齢化社会に対応できなかったモデルケース」として注目するところが多かった。

 海外の人間達は「全てを解決させるには、その問題を受けて立てる若者を多く育てるべきだ」と主張。当時訪日したドイツ政府高官も、第二次世界大戦時の自国の有り様を日本人高官に説明してから同じ主張を口にしたという。ドイツをはじめとした旧共産主義圏の国々にも、次世代の育成を忘れて国を追い詰めた過去を持つところがあるのだ。

 

 

 

 この言葉を受けて、日本政府の方針は「既に十分な介護を受けている老人の保護」から「未来を担う若者達を育てること」に変わった。政府高官の顔触れを刷新する必要性は日本人も認知しており、わざわざ大学で論文が出されるほどだった。

 しかし、そうは言っても国を変える為の道程はあまりに過酷である。政府をはじめとした政治家は全般的に労働意欲が低く、国を変える意志があっても本人が老いぼれていた為に相手にされず、何かしらのマニフェストを掲げたところでニート公務員政策故に愚民と化した日本人には関心すら示されなかった。ただでさえ政治に対する関心が薄い日本人に"共産主義化"まで加わり、更に政府の失策も重なった為、国民が日本人による自治を諦めていたのだ。更に政権を変える為の対抗馬も代わり映えが無く、たまに活気に満ちた若者が政治家になっても無気力な国民に押されてすぐ力を失った。

 

 また、肝心の若者も問題を抱えていた。少子化の影響でそもそも頭数が少なく、先の労働環境を理由に子供への期待度が二分化した親も合間って、無事に独り立ちする若者は更に少ない。兄弟姉妹はおらず、一人っ子が多く、また産み分け技術が原因で「男より比較的育てやすい」とされる女児が毎年計上される新生児の7割を占めた。

 親もまた親だ。趣味を最優先とするニート公務員はそもそも所帯を持つことを嫌い、たまに結婚しても「生まれる子供が苦労するから」という理由で子作りを敬遠し、ようやく子供が生まれると「子育てはよく分からないから」という理由で育児の一切を保育所や学校に投げた。

 逆に企業戦士は業績を挙げたり社会で活躍することを優先して、気付けば男女問わず結婚適齢期を過ぎることが多かった。時間にも資金にも余裕が無い彼らはそもそも恋愛をすることが出来ず、仮に恋愛をしても職務が原因で破局し、めでたく結婚しても復職できない社風への恐怖から寿退社は無く、それを乗り越えて子供が出来ても教育資金の問題で親は仕事を捨てられない。彼らの子供もまた、育成は教育機関に一任されてしまうのだ。

 親との関わりが比較的薄い子供達は親よりも教師を信用するが、教職もまた過酷な労働環境の世界。ニート公務員が多くねじ込まれる様になると、彼らの無気力さに触れた子供達も活力を失った。教える意欲に乏しいニート公務員教師がついてしまうと、子供達の学力も必然的に落ち込んだ。同時に親から受ける愛も少なく、親から人生のいろはを教わったり叱られたり躾られたりすることも無い子供達の中からは、思考やコミュニケーション能力に重篤な問題を抱える者が以前より多く現れた。これらに対応する能力も余裕も、学校には無かった。

 国家の存亡を担う若者すら、愛の渇望と無気力の"泥沼"にはまっている…しかし、この問題を認識できたのは外国人と活気を持つ日本人、そして文部科学省だけだった。

 

 

 

 

 実はこうなる以前から、若者達の無気力と学力の二極化は多方面から指摘されていた問題であり、その解決策も官民を問わず模索が行われていた。

 例えば各自治体が行う学力テストは子供の実力を点数化して低得点の子供達に危機感を持たせることが目的の一つである。ところが学校と教育業界は定期テストへの対策として授業や教材の内容を変質させた為、「定期テストにだけ強く、より簡単なはずの実力テストでコケる」子供と「定期テストはボロボロなのに実力テストで県内の高偏差値を取る」子供が際立った。実力テストは定期テストと違って出題範囲の指定が無く、生徒は的を絞ったテスト対策が出来ない為、テスト対策で点数を稼いでいた生徒がこぞってコケたのだ。その為、学力向上への貢献度については今も尚議論が続いている。

 民間企業は主にゲームと勉強を結び付けることで解決を図ろうとした。簿記や外国語教材のプラットフォームに携帯ゲーム機用ソフトを使う様になってから本格化したが、こうした実用ソフトの購入者層は求職者や親に限られた。子供が欲しいソフトはあくまでゲームであって教材ではなく、買ったとしても内容は学校の授業と差が無く斬新さを欠いたからだ。ここについては電脳化技術の進歩で更なる変化を見せるが、その詳細はナーヴギアと対応ソフト「ソードアート・オンライン」の事件終結、及びサイボーグや意識の複製技術の完成まで待つことになる。

 

 ただし教育現場である学校については、面白い試みがあった。生徒同士に戦う動機付けを行い、その道具として学力を使う方法だ。

 最初に「生徒同士に切磋琢磨をさせる」方法の確立が行われ、川神学園はいち早く完成形を提示した。すなわち経営者である川神財閥が日本政府・国会・最高裁それぞれに賄賂を行って学園の治外法権を認めさせ、その中で生徒同士に武器を持たせて戦わせたのだ。"戦争と無縁の日本人は平和ボケをしている"という外国からの偏見を払拭する為のシステムだったが、「決闘で生徒が命を落とす」と危惧した人権団体や「子供の権利条約に違反する」と抗議する国連を軸に多方面から批判を浴びた。

 更に武力と熟練度で最も期待された川神学園のOBだったが、戦う道を志した者達は自衛隊ではなくフランス外人部隊や民間軍事企業へと身を移した。捨て台詞として「めったに戦わない自衛隊にいたら身体が鈍る」と言ったという。それ以外の道に進んだ者も穏便を宗とする一般的な日本人とは性格が合わず、海外に活路を求めたり、それが出来ないと精神障害をきたすこともあった。

 結果的に「武力による切磋琢磨は現在の日本人の得にならない」という見解が財閥でも決まった為、学園創立50年を待たずに決闘制度は廃止となった。

 

 川神学園の決闘制度が過激であった点を反省した各学校法人の中には、より人的被害の少ない方面へと改善を図ったところも存在した。その一例が「試験召喚獣バトル」システムを導入した文部学園である。彼らはカリキュラムを文部科学省に指定されている小中学校ではなく、指導内容や教材に比較的自由な裁量が認められている高校…高等部にシステムを施行、実験を行った。ここに限らず、どこでもシステムの施行には自由度の高い高等部を選び、義務教育である小中学校や指導内容が多様すぎる大学は避けていた。

 肝心の「試験召喚獣バトル」システムは、生徒それぞれに召喚獣というアバターを割り当て、実体化させてアバター同士を戦わせるものである。同時期に存在した他のシステムと比べて画期的なポイントは、アバターのパラメーターを生徒の学力…テストの点数で決定するというところであった。また生徒同士の競争意識に火を着ける目的で敢えて前時代的な成績階級制度を導入し、低成績者にあからさまな差別を行わせた。

 果たして、結果は見事に二分された。彼らは確実に学力を身に付けたものの、高階級クラスの生徒だけだった。低階級生徒は反エリート思考が強まり、実力に反して校内の学力評価も芳しくなかった為に、卒業後の進路選択で大変な苦労を強いられた。エリートも低学歴の人間に高圧的に接する習慣が学園生活で身に付いた為、大学でも企業でも人間性には疑問を持たれた。また両者共に学力向上の目的が「ライバルを打倒する」ことにあった弊害で、学力を活かす為のキャリアデザイン構築が疎かになるという問題は放置されたままだった。

 学園も生徒の召喚獣バトルによる施設の破壊が後を絶たず、修復工事が間に合わない上にそれまで出資していたスポンサーも撤退を始めてしまった。不祥事を表沙汰に出来ない学園は、設立時に生徒を奪ってきた周辺学校の告発に怯えながら、人知れずシステムの仕様変更を迫られているという。

 

 他方で少子化問題の解決策も同時に模索され、法整備が進む一方で教育機関による支援体制の研究も行われた。その一環として一番の正攻法を提示したのが私立愛嬌学園、自慢の"恋愛授業"システム施行直前に共学となった元女学園である。

 思春期の青年達は頭こそ子供なので日本の社会状況に理解が及ばない一方、身体は大人なので恋愛沙汰は肉体関係と無縁ではいられない。特に高校生の肉体関係は表沙汰にこそならないものの親や学校の悩みの種で、産婦人科では「出産する妊婦と中絶に来る高校生が同数になりかけている」等とまことしやかに囁かれた。それでいながら結婚件数の低下の原因が「異性に興味を持てない、結婚にポジティブなイメージを持てない」ことである点も以前から指摘にあった為、これらの包括的な解決法が求められるのは自然な流れであった。恋愛禁止の学校から離れた途端に恋愛を急かされるのは、当人達の苦痛である…この点は既に事実として誰の頭にも残っていた。

 愛嬌学園は恋愛の在り方を独自のカリキュラム「恋愛授業」で規定し、その通りに生徒を動かすことで解決を図ろうとした。これによって健全な恋愛を生徒に教えるだけでなく、肉体関係絡みの問題で生徒が中退する事態も避けられたのだ。「余計なお世話」「バカップル学園」と批判を浴びながらも大した問題が無かった恋愛授業は、成功例として時の少子化対策担当大臣から大々的に取り上げられた。

 

 

 

 

 こうして企業や子供達を巻き込みながらも多方面からの模索を続けた教育システムは、ここでようやく白黒学園へと辿り着く。

 まず基本概念としては川神学園から受け継がれた「生徒同士の競争」を使い、その為の方法を生身での決闘からカードゲームに変更。教材として使うカードのフォーマットは、設立時に出資した会社の商品"ヴァイスシュヴァルツ"となった。また文部学園と同様に学力に応じた動機付けも行われたが、「あくまで能力の指標であるはずの成績を消耗品とする」部分を反省して「成績に応じて強力なカードを渡す」ルールに変更した。

 少子化対策の一助として少子化対策担当大臣が恋愛授業の導入を求めたが、白黒学園は既に資金源をカードゲーム会社が握っていた為、恋愛授業の教材までは出資が許されなかった。代わりに会社はカードゲームのシステムに「ナイト&クイーン」の概念を組み込むことで大臣に代案と認めさせた。内容は「任意の男子プレイヤー(ナイト)と女子サポーター(クイーン)をバトル毎に組にし、クイーンからの要望にナイトが応える」もので、恋愛授業とは違って"通常の授業時間を削って恋愛授業に充てなくても"男女の仲を深めるシステムと銘打たれた。この点では愛嬌学園より実用性とカップル発生率を増した構造と言える。

 

 しかし、運用が始まってしばらくした現在は新たな問題が浮上している。教材としてのカードはヴァイスシュヴァルツからまだ1度も変わっておらず、既に他のカードゲームを推している会社とは対照的に古臭い雰囲気が漂っている。

 またナイト&クイーンのシステムも「男が必ず女を守るのは男尊女卑だ」「ナイトとクイーンは逆転させてはいけないのか」という意見が生徒から何度となく噴出し、"女はさして男を必要としていない"という新たな風潮を表出させた。少子化対策担当大臣はナイトとクイーンの逆転を容認し学園もそれに対応させたが、その後はソロプレイヤーが増えるだけだった。わざわざ異性の要望を聞きながらカードバトルをするのはゲームにおいて不利でしか無かったのだ。

 結局、その後に現れたソロプレイヤーはナイトでもクイーンでもなく「ジョーカー」と呼ばれ、少子化対策担当大臣が求めた恋愛とは無縁の世界で生きているという。

 

 

 

 

 かくして白黒学園を一つの通過点とする教育システム開発は、これを境にゲームをプラットフォームとした学力向上(と副次的に少子化対策)へとシフトすることになる。




 今回は思い付いた範囲がここまでだったので、白黒学園までの歴史捏造で終了です。
 3作品以上の設定を使った、ある意味で無茶苦茶な話ではあります。とは言っても、こうでもしなければ「白黒学園がヴァイスシュヴァルツを教材にした」理由を説明できないと考えるのも事実です。より合理的な説明が出来る方は、是非とも内容をしたためて私にお教えください。

 次回の予定は今のところありません。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。