艦隊これくしょん奇想戦記 ~それが世界の闇ならば~ 作:西向く侍
~プロローグ~
ホルマリン漬けの生物標本や分厚いファイルなどが雑然と詰め込まれた棚が立ち並ぶ、薄暗い研究室の片隅で……漆黒のセーラー服を着た少女は、苦悩の表情を浮かべながら試験管の中に浮かぶ豆粒大の小さな胎児の姿を見つめていた。
「…これで本当に良かったのかな?」
人の気配に気付いた彼女が後ろを振り返ると、そこには白衣を着た“研究員”といった風情の男性と艦娘の大鯨が室内に入ってくる姿があった。
内心の苦悩を隠して笑顔を浮かべた少女が卓上ライトを点灯させると、すぐそばまで近づいて来た“研究員”が試験管の中身を覗き込みながら彼女に話しかけてくる。
「龍鯨、培養はうまくいってるかい?」
「順調よ。ヤン鯨因子もうまく発現しているし、因子の定着率も安定してる、この調子なら予定よりも早く大量生産に移行できるでしょうね」
「そうか!! これで我らの“戦争”が始められるんだね!!」
"龍鯨"と呼びかけられた少女は作業台の隣にある棚に並べられたガラスの小瓶の一つを取り出すと、嬉しそうな様子ではしゃいでいる“研究員”に投げ渡した。
蛍光灯の明かりに小瓶をかざして中身を透かし見た“研究員”は、なんの変哲もない白い粉末が入っているのを確認して怪訝な表情を浮かべる。
「……これは?」
「培養研究の副産物、この粒子を鎮守府の建造ドックに放り込んだら……面白い事になるわよ~♪」
彼女はパソコンの画面に試験データを表示して説明を続ける、映し出された映像を見た“研究員”は小躍りしながら説明の続きを催促し、彼女はより詳しい補足説明を付け加えながら自分の考えた作戦の概要を提案……二人は邪悪な笑みを浮かべながら会話に没頭していた。
「!? これを使えば初期の作戦は簡単に実行できるんだね!!」
「そういう事♪ あまり役には立たないでしょうけど、使い方しだいでは奴らに一泡吹かせる程度には厄介な事になると思うわ♪」
邪悪な笑みを浮かべる龍鯨の姿を満足げに眺めた“研究員”は、棚に並ぶ小瓶をかき集めてアタッシュケースに詰め込んでいく。
「ありがたい、これで初期の作戦を成功させる目途が付いたよ」
「まあ…これを使えば中将さんの仕事もやり易くなるでしょうね」
「中将はあれでも優秀なエリート士官殿だから心配いらないよ?」
“研究員”の無造作な発言に疑問を感じた龍鯨は、眉間にしわを寄せて懸念に感じている事柄を問いただそうとする、完璧主義者である彼女は行き当たりばったりの不確定要素を極力排除したいと考えていたのだ。
「問題はちょっと“アレ”な凸凹コンビの方よ? 大ポカをやらかしそうで恐いわ」
「手下の方かい? 心配ない、あの2人は使い捨ての駒だからリスクも織り込み済みだよ」
肩をすくめて気楽に笑う“研究員”に対し、龍鯨は不機嫌そうな様子で言い返そうとしたが……大鯨に耳打ちされた「あちらが失敗しても我らの計画には支障はありません」というささやき声で少しだけ機嫌を直し、言葉を継ぐのを止めてそっと溜息をついた。
小瓶を目一杯詰め込んだアタッシュケースの蓋を閉めた“研究員”は、龍鯨に一言の断りもなくコーヒーメーカーに手をかける。
目の前に置いてある備え付けのマグカップを使わずに、わざわざ戸棚を開けて龍鯨の愛用品の中から一番高級なブランド品のコーヒーカップを取り出す“研究員”の身勝手な態度を目にしても、龍鯨は何も言わない。
自分の能力に絶対の自信を持っている権力者によくある馴れ馴れしい言動、龍鯨がよく知っている“あの人”とは正反対の嫌らしい態度でありながらも、“あの人”とよく似たフレンドリーで親しみやすい部分も併せ持っている……この男のそういう性格が余計に龍鯨を苛立たせると同時に、彼女は無意識のうちに“あの人”の面影を追い求めて奇妙な安らぎを感じていたのだ。
「……ご馳走さま。僕は本土に戻って中将に報告してくるよ、決行は予定どおりでいいかな?」
「私の方は大丈夫よ、中将さんがそれを上手く使えるようにフォローしてあげてね♪」
アタッシュケースを手に研究室から出ていく“研究員”を見送った龍鯨は、疲れ果てた様子で椅子に座り込んでしまった。
憔悴しきった苦し気な表情を浮かべる彼女の様子に慌てた大鯨が、冷蔵庫から『高速修復剤』と書かれたペットボトルを取り出して龍鯨のもとに走り寄ってくる。
倒れこみそうになる龍鯨の体を支えながら彼女がボトルの液体を飲むのを手伝う大鯨……卓上ライトに照らし出された二人の顔立ちは、まるで一卵性双生児のように瓜二つだった。
「…龍鯨さま、そろそろ休まれてはどうですか?」
「大丈夫よNo.6、あとは“この子”たちを育成カプセルにセットするだけだから心配いらないわ」
「建造は私にお任せ下さい、育成システムは私一人でも動かせますから大丈夫です!!」
「そう…なら少しだけ、休ませてもらうわね……」
胎児の入った試験管の束を抱えて大鯨が退出するのを見届けると、研究室に一人残された龍鯨は椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げながら思い悩む。
「…本当にこれで良かったの?……何か別の方法は無かったの?」
身を起こした龍鯨の視線の先にある古びた写真立ての中で、少し色褪せた写真に写る青年士官が照れ臭そうな笑顔で敬礼をしていた。
「……そうよ!! もう賽は投げられたのだから後戻りなんてできない!! これでいいの!! あとは烽火を上げるだけ!!」
立ち上がった龍鯨の表情からは先ほどまでの理知的な雰囲気は全く感じられない、まるで別人のように狂気じみた表情を浮かべて狂ったように笑い続けている。
…狂人のように歪んだ笑顔を浮かべる彼女の高笑いを、ホルマリン漬けになった不気味な生物標本たちが静かに見つめていた…