歳の頃、10代中盤ほどの少女が、重そうな足取りで歩いていた。
何も無い場所である。見渡す限り、山と田んぼ。足元の地面は踏みなれたアスファルトではなく、踏み固められた土の地面だ。
そこかしこでは狂ったように蝉が大合唱をしており、ここが住み慣れた東京ではないのだということを、嫌でも実感させてくれる。
「はぁ……暑い」
長い髪をポニーテールにした少女、五十嵐凛は俯きながら呟いた。
湿気が少ない分カラっとしている分、すごし易い暑さではある。だがそれでも、暑いものは暑いのだ。
ノースリーブのワンピースという薄着ではあるが、それでもこの暑さの前では大した意味を成していない。
東京であればコンビニで涼を取るということもできるが、ここにはそんな上等なものは存在しないようだ。喉の渇きを癒そうにも、視界には自販機という存在は映らない。
「ここは本当に日本なのか?」
コンビニや自販機が無いのは当然、家と家との距離が軽く200メートルは空いている。過密住宅という単語は、ここには存在していないようだ。
「こんなことなら、素直に父さん母さんと一緒に行くべきだったな」
事の発端は、凛の父親が仕事の都合で、この村に引っ越すと決まったことによる。
引越しの作業自体はスムーズに済んだ。問題は、凛がこの村に引っ越すことに乗り気ではなかったということだ。
物が溢れて生活に不自由しない都会を離れて、何も無い田舎で暮らすというのは、子供からしてみれば苦行以外の何物でもない。かといって、一人残りたいと言ってもそれは無理な話だ。
住んでいたマンションは既に解約手続きをしていたし、1人で生活できるほど凛は大人ではない。最後の抵抗とばかりに、村へは両親と一緒に行かず、1人で行くことにしたのだ。どういう意味があるのか? と問われれば、実行した凛本人にも納得のいく説明はできない。強いて言うなら、子供の意地というヤツだ。
「うぅ……我ながら馬鹿なことをした……」
引越し先の住所はわかるが、そこにどう行けばいいのか、そもそも今自分のいる場所すら覚束ないという有様。ちなみに、迷子になっときの頼もしい味方である携帯は、バッテリー切れで完全に沈黙。GPS機能も、通話で両親に助けを求めることもできない。
「どうしよう……」
ここは恥を忍んで、民家にでも駆け込んで道を聞くべきだろうか。見知らぬ家の呼び鈴を押して道を聞くのは恥ずかしいが、この際文句は言っていられない。
凛は前方約100メートル程先にある昔ながらの木造家屋を見て、決心を固めた。
「ん? アレは……」
視界に、『喫茶 涼風』と書かれた看板が飛び込んできた。民家を改造して経営しているのだろう。最近流行りのチェーン店のようなものではなく、個人経営の小さな店だ。
「喫茶店か」
丁度いい。喉も乾いたし、道を聞くついでに一休みしよう。
チリン、と小気味よい鈴の音が、来客を告げる。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中から、女性店員が優しげな声で来客者を迎えた。腰まで伸びる長く艶のある黒髪を持つ、妙齢という言葉が似合う女性だ。ぱっと見の歳は、20代後半ぐらいだろうが、雰囲気はそれよりも上の年齢が見る者に感じさせる。
凛はカウンター席に座り、
「アイスコーヒー」
と、注文する。
「はい。アイスコーヒーですね」
慣れた手つきで、女性は手動式のコーヒーミルで豆を挽き始める。
(本格的だな)
ドがつくほどの田舎で、本格的なコーヒーを飲めるとは思わなかった。
「んじゃあ、あたしはスパークマンでダイレクトアタック!」
「くっそ! また負けかよ!」
「竜、これで3連敗やな。ちょい代わり、次はうちの番やで。あと、勇愛。ちょい静かにしとき。お客さん入ってきたで」
見ると、店の端のテーブル席で、3人の男女がわいわいと騒いでいた。2人の少女はセーラー服、少年は学ランを着ている。
「ごめんなさいね、騒々しくて」
妙齢の女性が、申し訳なさそうに苦笑する。
「大丈夫! もう静かにするから!」
と、三人の中で一番小柄で騒々しい少女が、元気よく言った。くせのあるショートヘアが、少女の元気さを表しているようだ。
「だからそれがウルサイっちゅーねん。ごめんな~すぐ静かにするから」
と言ったのは、金髪碧眼の外人である。少しウェーブのかかったロングの髪、出るところは出て、締まるところは締まった理想的な体型をしている。セーラー服を着ていなければ、大人と見間違えても不思議ではない。
「見ねー顔だな。外から来たんか?」
唯一の男である少年は、目つきの悪い三白眼をしていた。言葉遣いも荒いし、夜道で出会いたくないタイプの人間である。
余所者が珍しいのか、三人の男女はチラチラとこちらを見てくる。視線が突き刺さり、居心地が悪い。
「はい。アイスコーヒーお待たせしました」
「あ、どうも」
シロップとミルクを入れて、アイスコーヒーを口に流し込む。芳醇な豆の香りが鼻を駆け抜け、コクのある味が舌を楽しませてくれる。良いコーヒーだ。
「すいません、この住所って、どの辺りになるかわかりますか?」
少し気分も落ち着いたところで、凛は当初の目的を果たすために住所が書かれた紙を見せる。
「ん? ああ、ここはね」
女性の話によると、目的の場所はすぐ近くだった。
「ありがとうございます。ごちそうさまでした」
代金を置いて、退店しようとする。
「ねーねー!」
そこに、小柄な少女が声をかけてきた。確か仲間内で『ユメ』と呼ばれていた少女だったか。
「あなた高校生?」
「あ、ああ。そうだが?」
「ほら当たった! 何年?」
勇愛はガッツポーズをして、他の二人に勝ち誇る。
「二年生だ」
「同じだ! あたし達もね、二年生なんだ。旅行とか、爺ちゃん婆ちゃんの家に来たの?」
「いや、引っ越しだ」
「へ~それじゃあ学校一緒かな?」
「確か硯谷高校だったかな。分校の」
「じゃああたし達といっしょだ! クラスメイトだね」
「いや、クラスが分かれる可能性もあるだろ」
「クラス1つしかないから」
「そ、そうか……」
高校でクラスが一つとは、廃校寸前ではなかろうか?
「勇愛ちゃん? お客様に失礼でしょ?」
優しげな声だが、有無を言わせぬ迫力を感じる。口調からして、親子だろうか? 顔もどこかしら、似ている気がする。
「うぅ……あ、あと一つ! デュエルやってる?」
「デュエル? あ、ああ。一応は」
デュエルモンスターズ。世界的規模でプレイされているカードゲームだ。数十年もの歴史を誇り、各国ではプロリーグが存在し、世界大会も開催されている。カードゲームと言うと子供の遊戯と思われがちだが、デュエルモンスターズというカードゲームはサッカーや野球等のメジャースポーツと同等以上の地位を確立している。
「じゃあ、今から1回勝負しよう! クラスメイトになるんだから、しんぼく? を深める感じで!」
「勝負……か」
それもいいかもしれない。このまま家に帰っても、することもない。デュエルをして、気晴らしをするのもいいだろう。
「いいぞ。時間もあるし、一度だけ勝負しよう。えっと……」
「あたし? あたしは八神勇愛」
「私は五十嵐凛だ」
「じゃあ、凛だね。じゃあこっち来て。マットあるから」
「……マット?」
テーブル席には、プレイマットが敷かれていた。
「デュエルディスクは使わないのか?」
「そんなんここら辺にはないよ」
衝撃であった。デュエルと言えば、モンスターや魔法を実物のように見せてくれるソリッドビジョンシステムを搭載したデュエルディスクを使ってプレイするのが、凛の常識であった。プレイマットなんて前時代的な物は、コレクター商品的な価値しかないと思っていたが、実用している人間がいるとは。
「ごめんなあ。勇愛が無茶言ったみたいで」
金髪の少女が、ペコリと頭を下げる。なんだか謝り慣れている風格すら感じる。おそらく、いつも勇愛の尻ぬぐいをさせられているのだろう。
「うちはリアトレス・ワイズミュラー言うねん。ながったらしいから、リアでええで」
「わかった。よろしく、リア」
「俺は刑部竜兵。よろしく」
「ああ。よろしく、刑部」
相手が男だからだろうか。どうにも名前で呼びづらく、苗字で呼んでしまう凛であった。
「じゃあ、凛。さっそくやろう!」
「ん。それでは……」
「「決闘!」」
二人の掛け声と同時に、デュエルが始まる。
「あたしのターン! まずは融合を発動。手札のバーストレディとフェザーマンを融合して、エクストラデッキからフレイム・ウィングマンを特殊召喚!」
「E・HEROか」
「ふっふーん。カッコイイでしょ! あ、あたしはカードを一枚伏せてターン終了」
「では私のターンだな。ドロー……ふむ。ここはこれでいくか」
凛は迷わずにカードを選択する。
「私は手札から神の居城ヴァルハラを発動。その効果で、手札の天使族モンスターを一体特殊召喚する。大天使クリスティアを特殊召喚!」
「うぇ!?」
「あちゃーこりゃ勇愛終わってもうたな」
「特殊召喚封じは、HEROにとって天敵だかんな」
観客二人からも無常な言葉が飛ぶ。
「ま、まだ負けてないもん!」
「ではいくぞ。クリスティアで攻撃」
「トラップカード発動! ヒーローバリア。クリスティアの攻撃を無効に」
「防がれたか。私はこれでターンエンドだ」
「うぅ~ドロー……う~……」
勇愛は眉間に皺を寄せて、手札のカードに視線を彷徨わせはじめた。
「モンスターを除去する魔法罠カードは勇愛のデッキにないから、事実上詰みやな」
リアの言葉通り、デュエルは凛のワンサイドゲームになった。
勇愛も最後の抵抗とばかりに二枚目のヒーローバリアや、ヒーロースピリッツ、攻撃の無力化などの防御系カードを使い戦線を維持するが、それがいつまでも続くわけが無い。
防御系のカードが尽きたターンに、クリスティアと新たに召喚された下級天使族モンスターの総攻撃を受け、勇愛のライフはあっさりと4000から0になった。
・ ・ ・ ・ ・ ・
凛が新しい自宅に着いたのは、日が沈みかけてからだった。
「ふぅ……疲れた」
あれから20回も「もう1回!」と勇愛にせがまれて、律儀に付き合っていたらこんな時間になってしまった。
「変な子だったな」
何度負けても、決して諦めなかった。デッキの相性が最悪なのに、それでも挑んできた。負けることを全く恐れていない。デュエルをするのが楽しくて楽しくて仕方ないという感じだった。負けて悔しがっても、笑顔が曇ることはなかった。
「でも、面白い子だったな」
思わず、凛の顔にも微笑みが生まれる。
楽しくデュエル出来たのは、いつ以来だろう。東京に居た頃は、デュエルを楽しむ余裕なんて無かった。あそこでのデュエルは、辛く、過酷で、ただ上を目指すことしか考えられなくて……
「また、したいな」
気持ちの良い微睡に身を任せ、凛は眼を閉じた。