「…………」
単于は裏口からノワールを屋敷内に連れて迎え入れていた。
今日のような吹雪は馬小屋が倒壊する可能性が高いため、万が一の場合に備えて避難させていたのである。とは言っても、屋敷と同じようにドノフが補強した馬小屋なので、そう簡単には崩れないが。
「まだ起きていらしたんですか?」
『天使』のユーリは、寝間着姿でランプを片手に戸締りを確認していた。
「明日、風は止む。空は晴れないだろうが……」
単于とノワールには、肩や頭に雪が積もっていた。ただノワールを移動させた訳ではなく、彼に跨って少し外を走ったようである。
「ヴォーグ村ですか?」
「こんな風と雪では、まっすぐ進む自身は無い」
ユーリの質問に否定で返す。単于は、アリスから聞いたヴォーグ村の事で少し疑問に思ったことがあったので、隣国の支援者に手紙を送れる距離まで馬で走ったのである。
「仰っていただければ、私が行きました」
「遭難されても面倒だ。お前は屋敷に居て、奴らを見張ってろ」
素気なく言うと、単于はノワールを一度撫でてから、誰も居ない大浴場に向かった。
「今のは単于殿か?」
困ったように単于へ微笑むユーリの背中に声をかけたシーザーと、その肩に乗って眼を赤くしたアリスが現れる。
シーザーは食堂で朝食の準備をしているクレールに、気分よく眠れる飲み物でも作ってもらおうと思って部屋から出たのである。
「シーザーさん。彼女をあまり虐めないでください」
「違うぞ? 少し身の上話をな。ここまで感賞させてしまうとは思わなかった」
シーザーは少し困ったように、アリスを見る。
「わたし……わたしなんて、シーザーさんに比べれば―――」
再び、ぽろぽろ泣き出したアリスにユーリは微笑む。
「そんな事はありません。貴女にとっての辛い出来事は、他と比べる事ではないのです。貴女も辛い事を経験しました。ですから、他と比べて軽視することはありませんよ」
辛い出来事は人それぞれである。
この大地『匈奴』は、そんな者達が集まる“場所”であり、『赤沙』の屋敷は、そんな者達が暮らす“家”であった。
「おや? 単于殿」
大浴場に入ると、『白竜族』のクレールが先に入浴していた。浴槽に肩から上を出し、温かい湯を堪能している。
僅かな足音を聞き取り、単于が来たのだと認識していた。
「クレールか。ロットは寝たのか?」
「彼女は献立を考えている最中で転寝を始めたので、私の部屋に寝かせました」
「起こして割り当てた部屋で寝かせろ。特別扱いはするな」
「解りました。次からはそういたします」
棘のある発言をクレールは柔軟に受け答えする。クレールとは4年の付き合いであり、彼もまた単于に救われた存在であるのだ。
「単于殿。本日は本当にありがとうございます」
「何の話だ?」
「ロットの事です。彼女は特に貴方の事を気にしていました。いつも少しでも力になりたいと」
「別に特別な事をしたつもりはない。勝手に喜んでるだけだろ」
「それでも嬉しいのです」
「……オレは
躊躇いなく言い切る単于だったが、それでもクレールは悟っている。彼が私利私欲の為に命を軽視する事は無いのだと。
「彼女の
クレールとロットは同じ『白竜族』なのだが、生い立ちは全く違う。
しかし、
「本当に感謝してます。私も貴方が居なければ、『同胞』に殺されていたのですから」
そして、クレールもこの世界から、“はじき出された存在”であった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
【霊峰】を出て、多くを学ぶために世界各地を旅していたクレールは、二代目【魔王】が引き起こした戦争に、知れずと巻き込まれ、その配下として戦った。
数年間続いた戦いで、二代目【魔王】が二代目【勇者】に討ち取られ、戦争は終結。己の役目は終わりとして一度【霊峰】に帰ろうとした時である。
その帰り道中で、ある『人間』の家族を助けたのだ。【魔王】軍の残党から助けられた家族は、クレールに感謝し自分たちの家族として迎え入れ、彼もそれを承諾した。
クレールは親身になる以上、隠しきれないと悟っており『白竜族』であることを明かす。自分が『人間』の恐れる『魔族』であると知ってもらおうと思ったのである。しかし、その家族は彼を奇異な目では、見なかった。
『竜古族』として、5000年近くの時を生きる彼と、永くても100年ほどの寿命の『人間』の家族。最後まで共には居られないと互いに知っていても、クレールは少しだけ寄り道するつもりで、彼らと共に生きる事を選んだ。
そして、その人の家族は『人間』に殺された。
どこから聞きつけたのか解らないが、クレールが『竜古族』である事と、彼が二代目【魔王】の軍に関わっていたことから、その怨嗟を持つ人たちによって襲撃されたのである。
その過程で、クレールは両眼から光を失い、大切な
今まで、どんなことがあっても感情に任せて行動する事は避けていたクレールだったが、大切な者達を殺された事で、怒りに感情が支配され『擬人』の術を解き、『白竜』に戻ろうとした。
しかし、いくら『擬人』の術を解いても『白竜』に戻る事はできなかった。
理由は解らなかった。その後は何とか窮地を脱し、盲目ながらも全能力を駆使して討伐隊の襲撃を躱しつづけた。そして、何とか『魔の大陸』まで帰ることが出来たのである。
故郷の【霊峰】へ連絡を取り、自由に動けるようになるまでは療養するつもりだった。しかし、【霊峰】から来た返事は、
“『白竜』に戻れぬなら、もはや『白竜』ではない。貴様は同胞ではない”
そう同胞から言われた。
もはや“人”でもなければ“白竜”でもないクレールは、自分の生きる意味を完全に失ってしまったのだ。
そのまま死を望み、自分を家族として受け入れてくれる者達に会いに行けると……ソレが執行される数瞬――その場に居合わせた単于によって、命を救われたのである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「丁度、料理人が居なかっただけだ。オレも死にたくなかったからな」
クレールが来るまでは食事は当番制であった。
皆、そこそこの食事を用意する中、ユーリの料理だけは食べた者を殺しにかかっていたのである。
「最初に食べた時は、食事の後でシーザーは泡を吹いて倒れたし、ドノフも便所に突撃した。サベットに調べさせたときは、劇薬と同じ成分を検知していたそうだ」
「それはそれは……」
その有様を思い浮かべながら、同時に慌てる単于の姿も見て見たかったと考える。
「ユーリには言うな。顔には出さないが、結構気にする奴だ」
「解りました。ですが、私が食べられると判断した時は、お出ししても?」
クレールは『人間』の家族の元で、旅をしていた頃の知識を用いて料理を振る舞っていたのだ。元々、自分の作った物で誰かが笑顔になる様子は、嬉しいと感じる性格であった事もあり、次々に料理に関する勉強をしていったのだ。
今となっては“視る”ことは叶わないが、皆が幸せそうな様子で食事を楽しんでくれる様は眼に浮かぶようでもある。
「食った後に死人が出ないなら、それでいい」
ため息をつきながら、身体を洗った単于は浴槽に入る。逆にクレールは十分に温まったので浴槽から上がった。
「そう言えば単于さん。シーザーさんから、貴方の食事制限をするように、言を預かっています。体調が悪いのですか?」
個人的な疑問から単于に問う。彼の事に関する事柄は、特に気になってしまうのだ。
「…………お前が気にする事じゃない。余計な事は考えるな」
「すみません。それでは、お先に失礼します」
クレールは出ていくと、単于はその場に一人だけ残される。そして、天井を見上げると、ため息を吐いた。
「日々……ひどくなるか……」
溢れるばかりの素質。それが年々止まる事無く今も膨れ上がり、近い内に限界を迎えるのだ。それと同時に命も吹き消されるように、消え去ると察している。
「…………」
死を間近に迫っていたとしても、その感覚だけは5年前から同じだった。
消えない……ずっと……ずっとだ―――
最悪の悪夢。ただ信じていたのだ。あの時の歩みが―――
『匈奴』を救うと……
彼女を救うと……
「早く来い……」
5年間……ずっと平坦な日常の繰り返しだ。多少は、はねっかえりを仲裁することはあっても結局は何も変わらない。
狂いそうなほどに、心を締め付けるソレを解消するには、ただ……“その時”が来るまで待つしかないと単于は悟っている。
夜は更け、外の吹雪は彼の意志を肯定するかのように吹き荒れていた。