昨晩、吹き荒れていた吹雪は、高く積もった積雪だけを周囲に残して朝には止んでいた。
彼らの暮らす『赤沙』の屋敷は雪が積もらない様に数時間に一度だけ、熱のエーテルが屋根を熱して、雪を溶かしており、積雪で潰れる事の無い様に考慮されている。
すると、溶けて滑りおちた雪が、屋根の近くで雪かきをしている『鷹』のクレアの片翼に落ちて来た。
「うぉ!? 冷たっ!?」
「上から溶けた雪が落ちて来るからねぇ」
思わず身をこわばらせるクレアの様子を、裏口周りの除雪作業を行っていた『ラミア』のシャルルは同情する。
屋敷の裏口からすぐ行ける場所――ドノフの工房とノワールの馬小屋は、積雪で雪に埋もれてしまう事から、最優先に除雪が行われる。
「っと――」
クレアは片翼を器用に一度羽ばたかせると、対して高さの無い工房の屋根に飛び上がる。高く、長時間の飛行は出来ないが、ある程度な高さなら日々の訓練によって片翼でも可能になっていた。
「晴れないねー『匈奴』」
シャルルはスコップを突き立て、柄にもたれるような態勢で厚い灰色の雲に覆われた空を見上げる。
「そうだな。【魔王】の仕業なのだろう」
『匈奴』の異常なまでの極寒環境は、異常気象などではなく二代目【魔王】によって引き起こされた呪いであるのだ。
灰色の雲に覆われた二度と晴れぬ空。
ユーリでさえ、上空を覆う雲の向こう側を直接見た事は無く、絵で一度だけ見ただけらしい。
「クラリス先生の所で、雪の無い頃の絵を見たけど凄かったなぁ。なんて言うか、細胞が感動するって感じ? 鳥肌が止まらなかったよ」
『赤沙』の屋敷には、雲に覆われなかった頃の『匈奴』の写真も絵も一枚も無かった。単于がすべて処分したとユーリから聞いている。
「何があったのかを私たちが詮索するべきではないさ。いずれ、単于殿から話してくれる時を待とう」
「単于さんの性格だと、死ぬまで言いそうにないけどね」
二人は何故、単于が自分たちを助けたのかを説明されていなかった。
ただ、共に来るかどうかだけを聞かれ、その言葉が今まで知っている『人間』とは違う……偽りの無い雰囲気を確信したから『匈奴』に来たのである。
この世界の何処にも行き場を無くした彼女たちは、差し伸べられる手以外には何も求めなかった。単于が居なければ、自分たちは間違いなく、今この世に居なかったのだから――
「それにしても、『人間』って凄いよねぇ。『熱のエーテル』を使いまわすなんて技術は『魔の大陸』でも聞いたこと無かったよ」
屋敷内は機械的な暖房器具が無いにもかかわらず、それほど寒さは感じないのは、それらの設備を設置している事にある。出来るだけ過ごしやすい様に、屋敷内は20℃前後を維持している。外は常にマイナスを下回っているのだが、少なくとも凍える事は無い。
『竜古族』、『獣牙族』、『戦鬼族』は寒さに強い一族なのだが、『吸血鬼』、『鳥爪族』、『ラミア』の一族は、寒気は苦手だった。例外として『魔道戦機』と『スキュラ』は温度に関する体感は特に問題ではない。
「ハザード殿がラインを引いたそうだ。見えない様になっているようだが」
屋敷内が暖かい理由として、熱のエーテルが停滞している事にある。
彼女たちを迎え入れる前に、単于の提案と彼の知り合いのエーテル操作によって、住みやすいように、不可視のエーテルのパイプラインを構成したとユーリから聞かされていた。
「昔、一緒に旅をした仲間だと言っていたな」
「ハザさんが……あれ? 単于さんって、そう言う事って全然言わないじゃん。いつ聞いた?」
「ユーリ殿から聞いた。丁度、彼女がアルバムを整理しているときにな」
「ふーん。じゃあ、私も聞こうかな」
「あまりそう言うのは知られたくないと思うぞ。私は不可抗力だったが……」
「単于さんの事を聞きたいのは、皆同じだと思うよ? 私も例外じゃないし」
単于の事を知るのは、医者のシーザーと、側近を務めているユーリくらいだった。
『赤沙』の屋敷にいる者達全てが、単于によって連れてこられた者達であり、全員が彼に恩を感じている。
無論、クレアとシャルルも例外ではないのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『鳥爪族』は、高所の崖に集落を設け、翼を使って渡り鳥となり世界中を回る空の民であった。
その飛行能力は人の生活でも重宝されており、比較的『人間』とは友好的な『魔族』である。
クレアも多くの同胞と同じように、『人間』と関わって生きていた『鳥爪族』であり、彼女の種族は『鷹』であった。
嵐の中でも飛ぶことのできる強靭さ。人を超越する視力。『擬人』の特徴として、翼だけは残ってしまうが、それ以外は『人間』と変わらない外見となる。
心身共に人の生活に溶け込んでいたクレアが、事故に見舞われたのは今から4年前。
その事故によって大けがを負い、何とか一命は取り留めたが、片翼を失ってしまったのだ。
そして、彼女を誰もが見なくなった。
笑って言葉を返してくれた『人間』たち全てが、飛ぶことの出来なくなった彼女を、ただの欠陥品としか対応しなくなったのである。
飛ぶことだけが周囲に求められていたと、彼女が認識した時には何も残っていなかった。後に、その事故は彼女を陥れる為の策謀であったと解ったが、そんな事はどうでもよくなっていたのだ。
『人間』と『魔族』を越えた絆で繋がっていると思っていた。しかし、ソレは自分だけが、そう思っていただけの……ただの夢物語だと悟り、理解した時には本当に惨めな気持ちに押しつぶされそうな程に追い詰められていた。
そして、“飛ぶ”ことが出来なければ『鳥爪族』としても生活は出来ない。彼女は誰からも求められず、帰る場所を全て失っていた。
疲れて、道で蹲っていた所に、一人の『人間』に声をかけられる。ソレが単于だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「単于殿は、本当に命の恩人だ。彼が居なければ、私は自害していただろう」
クレアは、単于と出会った時の言葉に救われたのだ。
“一緒に来るか?”
その一言を誰からも言われず、それどころか突き放されて孤独になった。皆去って行った。もう何もないと思っていた所に、彼は手を差し伸べてくれたのである。
「結構、それって大袈裟じゃないからねぇ。特に私たちは……皆、単于さんに救われてるし」
クレアの気持ちはシャルルも解る。解るからこそ、大袈裟ではないのだ。
一生をかかっても返しきれないほどの恩。自分たちの居てもいい場所を――彼は帰って来ても良い場所だと説明してくれたのである。
「おっと?」
シャルルは周囲のエーテルが少しだけ変わった様子に、屋敷に誰か来たと感じ取った。
屋敷への裏口から戻る。皆、他の場所の除雪作業を行っている為、迎える人が居ないのだ。
クレアも工房の屋根の除雪を終えると、シャルルの隣にふわりと着地する。そして、裏口からエントランスに戻ると、4人の『人間』が警戒するような様子のノワールと対面していた。
防寒用のフードに身を包み、3人の付添いを連れて歩いて来る人物。雪道での乗馬は危険であるため、わざわざ歩いてきたのだろう。
よく知る人間の一人で、友達でもある人物だった。側近の3人の内の1人は、ノワールに睨まれて驚いている。
「おはようございますわ。単于殿はいらっしゃる?」
フードを取ったのは、頭に王族としてのティアラを着け、品のある面持ちを持つ女。どこか幼さも感じる顔つきだが、凛とした意志の強さも内包していた。
『匈奴』を領地に持つ大国――『アウローラ』の王位継承者、ウィオラ・サンタリアン王女だった。
「送ったのは昨日の夜だ。吹雪が止んでいたとは言え、よく半日で着いたものだな」
「『魔道機関』は日々進化していますの。ハザード殿より雪原を走るモノを提供され、試運転を行ったのですわ」
上品で、上に立つ者として優雅な雰囲気を纏いつつあるウィオラは、出された温かいココアを飲みながら満足そうにしている。
「別に手紙を返せばよかっただろ。こんなところに、わざわざ来る必要はない」
「それが、そうもいかないのですわ。ここは情報が憤ると思っていまして、直接わたくしが出向いたのです」
感謝しなさい! おーほっほっほ。と笑う彼女に呆れながらも、単于は本題を切り出す。
「手紙通りか?」
「そうね。恐ろしいほどの読みですわ。貴方の手紙は、わたくしたちが半年かけて集めた情報(もの)と殆ど変らなかったのですから」
ウィオラの言葉に、予想していた懸念が確定する。ソレはある意味待ち望んだ事柄だったのだ。
「そうか……やはり【勇者】が引き起こしているのだな? 『魔族殲滅宣言』は」
王女さま来日。やっぱり剣と魔法の世界には、姫様だよね!