八神家の養父切嗣   作:トマトルテ

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十七話:覚悟と理想

「はやてちゃんが入院?」

 

 朝の会までの、友達との触れ合いを楽しむ自由時間。

 なのははすずかから告げられた予想外の事実に思わずオウム返しをしてしまう。

 なのはとフェイトは、しばらくは捜索がメインになることもあって静かに有事に備えている。

 尤も、今この町に居ることが一番危険だということは知らないが。

 

「うん、昨日連絡があったの。そんなに具合は悪くないらしいんだけど、念のために入院したって……」

 

 すずかは昨日、シャマルから送られてきたメールの内容を告げる。

 友人の不幸に自然と表情が暗くなり、声もぼそぼそとしたものに変わる。

 そんな彼女の様子に見かねたもう一人の友人である、アリサ・バニングスがあることを即決して提案する。

 

「じゃあ、放課後にでもお見舞いに行きましょ」

「アリサちゃん、いいの!?」

「前から会ってみたかったし、大勢の方が賑やかでいいでしょ?」

 

 軽くウィンクをしてみせる、アリサ。

 その様子に気を使われたと思いながらも喜ぶ、すずか。

 そして、お見舞いが賑やかなのはどうなのだろうかと苦笑する、なのは。

 フェイトは断る理由などないので自分も行くと即答する。

 

「それじゃあ、何かお見舞いの品を持っていかないとね」

「あ、じゃあ私は家のケーキを持っていこうかな」

「いいね。はやてちゃん、翠屋のケーキ好きみたいだから」

「ホント?」

 

 実家のケーキが褒められてはにかむ、なのは。

 名前も知らない人に褒められるだけでも嬉しいが、自分の知る人物に褒められるのはまた格別だ。故に、今日はパティシエである母親に頼んで少し豪華なものを持っていこうかと考えるのも無理はない。

 

「それじゃあ、放課後はお見舞いで決定ね」

「あ、でも、はやてちゃんの用事も聞かないと」

「それもそっか、入院って色々と大変だろうしね。すずかが連絡してくれる?」

「うん」

 

 相手の用事を聞いておいた方がいいだろうとなのはが提案し、アリサがすずかに連絡を頼む。

 快く、それを受け入れたすずかは恐らくは家にいるだろうシャマルにメッセージを書く。

 途中で、都合が悪かった場合も考えて応援写真を撮ることを提案すると三人とも笑顔で了承する。

 

「折角だし、メッセージも書こっか」

「いいね!」

「やっぱり、早く良くなって…かな」

 

 ワイワイと楽しそうに計画を練っていく少女達。

 しかし、少女達は知らない。

 自分達が撮った写真が受け取り主を気絶させんばかり驚かせることを。

 無邪気な彼女達は知る故もないのだった。

 

 

 

 

 

「お父さん、どうしましょう!」

「まずは落ち着こうか、シャマル」

 

 不安そうな顔で駆け寄って来たシャマルに落ち着くように促す切嗣。

 大分、彼女が落ち着いたところで訳を聞いてみると高町なのはとフェイト・テスタロッサは月村すずかの友人で、その縁で今日はやての元に尋ねてくるというものだった。

 元々すずかの友人というのは知っていたのでその情報自体は驚くことではない。

 問題なのはヴォルケンリッター達とあの二人が出会わないかどうかだ。

 因みに連絡係がシャマルになったのは切嗣では少女相手のメールは荷が重いからである。

 

「取りあえず、はやては精密検査をしない限りはリンカーコアを持っているとは分からない」

「でも、私達はあの子達と会っていますし……」

「シャマルは姿は見られていないだろう? いや、サーチャーに引っかかっていないとも限らないか……」

「どうしましょう、どうしましょう!」

 

 再びオロオロと首を振りだすシャマルをあやしながら思考する。

 フェイト・テスタロッサは未だに蒐集できていない。

 見舞いに来たところに騙し討ちをして奪ってしまうという考えもある。

 強力な睡眠薬の準備なども整ってはいる。

 だが、残りページ数を考えればここで奪っても完成する可能性は低い。

 いたずらに相手にこちらの秘密を明かすヒントを与える必要もないだろう。

 

「大丈夫だ。僕は変身魔法を使っているから顔を見られても問題はない。ただ、リンカーコアから魔導士であることがばれる可能性はあるから出来るだけ局員の二人には会わないようにするよ」

 

 通常であればそこまで問題ではないのだがこの危険な時期に襲われてもいない魔導士が海鳴市にいるのは不自然である。

 闇の書の主だと睨まれる可能性も決して低いわけではないのだ。

 

「それじゃあ、お見舞いはお父さんだけが行けることになりそうですね」

「いや、友達が来ていないときは問題はないだろう。はやては気にしなくていいって言うだろうけど、やっぱり寂しいだろうから出来るだけ顔を見せてやってほしい」

 

 ―――それにそっちの方が僕も監視がしやすいからね。

 

 声に出さずにそう続けて偽りの笑顔をシャマルに向ける。

 時が近づくにつれて体は心とは反対に昔の感覚を取り戻し始めている。

 心と体は切り離されて動き、心がいくら拒絶しようとも標的の息の根が止まるまで引き金を引くのをやめる事は無い。

 

 本来、それは殺し屋が数年がかりで身に着けざるを得なくなる覚悟。

 だというのに、切嗣は生まれながらにしてそれを当然のように持っていた。

 己の意思や感情に関わらず人生を決めてしまう“度を過ぎた”才能。

 彼はその優しさに反して―――人殺し(正義の味方)になるために生まれて来たようなものなのだ。

 

「そう……ですね。分かりました。はやてちゃんをお願いします」

「任せておいてくれ。何と言っても、僕ははやての父親(・・・・・・)だからね」

「はい、信頼してますよ、お父さん」

 

 人を安心させる笑みに自嘲の言葉を乗せて届ける。

 応えるようにシャマルも心の奥底からの信頼の笑みを向ける。

 そんな笑みを向けられる資格はないのだと心は悲鳴を上げ、罪の意識から逃れようともがく。

 全てを洗いざらいに吐いて楽になりたいと叫ぶ。

 今すぐ喉を掻き切ってこの命を絶てと願いを告げる。

 だが、それでも―――

 

 

「ああ、勿論だよ。君達は蒐集を頑張ってね」

 

 

 ―――シャマルが切嗣の笑顔が酷く歪んでいることに気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 四人の少女達による見舞いも終わり、先程までの賑やかさが嘘のようになくなった病室。

 はやては一人、余韻に浸るように本の表紙を見つめていた。

 そこへ、どこかに行っていた切嗣が戻って来る。

 

「どうだい、友達のお見舞いは?」

「うん、楽しかったよ。みんなええ子で、私みたいなのが友達でええんかって思うぐらいやった」

「大丈夫、はやては他の誰よりも優しい子だから」

「それって親馬鹿って言うやつやないん?」

「あはは、かもしれないね」

 

 軽く笑い合いながら、椅子を取り出して座る切嗣。

 しばしの間沈黙が場を支配するが不思議と嫌な感覚はない。

 切嗣は不意にはやてを抱き寄せてポンポンと背中を叩く。

 

「ど、どうしたん、おとん?」

「友達もいないし、あの子達もいない。だから……無理して我慢しなくていいんだよ」

 

 その言葉がはやてのやせ我慢を打ち砕く。

 自身の胸を抑えて苦しそうに呻き始めるはやてを切嗣はさらに強く抱きしめる。

 彼女は誰にも心配をかけないように感情を押し殺す癖がある。

 皮肉にも育ての親に似たのか表情をごまかすのが上手いのだ。

 

「痛い…痛い…痛いよ……おとん」

「大丈夫、父さんが付いているから……大丈夫だよ」

 

 もしも、はやてが誰にも引き取られることなく一人で生きていたのなら誰にも弱みを見せなかっただろう。

 しかし、父親という最も信用できる人物が居た為に切嗣にだけはその我慢も脆くなる。

 他でもない、その父親が自身を永遠の眠りへと誘う存在だとも知らずに。ただ、甘え続ける。

 

「おおきにな。大分楽になったよ」

「無理はしたらダメだよ。はやては我慢なんてしなくてもいいんだ」

「そんなこと言ったって―――おとんだって無理しとるやろ」

 

 自身が無理をしていると返されて思わず背筋が凍りつくような感覚に襲われる。

 完璧に偽っていたはずだ。この体は何が起きようとも動じぬはずだった。

 それなのにどうして。切嗣は乾ききった唇を湿らせてから尋ねる。

 どうしてそう思うのかと。

 

 

「だって、おとん―――最近、笑ってないやろ」

 

 

 真っ直ぐに目を見て言われた言葉に頭が真っ白になる。

 言葉を探すが何も出てこない。言い訳をすることすらできない。

 まるで、エラーを起こした機械のように―――当たり前の人間のように固まってしまった。

 

「今月ぐらいから、おとんが心の底から笑ってる姿を私は見てないんよ」

「そ、そうかな? 気のせいじゃないのかい」

「気のせいなわけないやん。だって私は―――おとんの娘やよ」

 

 ごく自然に、しかし、天使のような明るい笑みが切嗣に向けられる。

 男の体は機械として動いていた。

 血潮は氷で、心は人間なれど表に出すことは許されない。

 幾度の救いを行おうとも犠牲が絶える事はなく。

 

 涙は枯れ果て、僅かな希望すら抱かない。

 ただの一度も、真に彼の願いを理解する者など居なかった。

 彼の者は一人、死体の丘で正義に酔いしれ、朽ち果てるのみ。

 故に自身すら、心の内を知ることはない。

 だというのに―――

 

 

「私を見るおとんは特にぎこちなかったんよ。つまり、私は―――もう長くないんやろ?」

 

 

 ―――この娘は父の本当の心の苦しみを理解した。

 必死に目を背け続けて来た自身の感情。娘の死を認めたくないという想い。

 何度も口に出してそれを自身に納得させようとした。

 嘘だからと、騙すためだと甘えて声に出して伝えてきた。

 それこそが本心だということから目を逸らして。

 

 殺すために近づいたのにもかかわらず、殺す準備を整えているにもかかわらず。

 切嗣の心ははやての死を欠片たりとも認めようとしていない。

 それを本人からまざまざと突き付けられた彼は、糸が切れたように椅子の上に崩れ落ちる。

 一度直視してしまえばもう目を逸らせない。人間としての願望は彼を捕えて離さない。

 

「よう考えたら、検査とかだけで入院ってのも変やしな」

「はやて……君は今、麻痺が全身に回っている途中だ」

「そっか……迷惑かけてごめんなぁ」

 

 寂しそうに笑うはやてにそんなはずはないと言ってやりたかった。

 泣きながら再び抱きしめてやりたかった。

 だが、それをすれば自分はもう、“正義の味方”にはなれない。

 ただ、己の在り方を呪う以外に彼にできることはなかった。

 

「死ぬのは……何と言うかそんなに怖ないんよ。でも、みんなと会えなくなるんわ、怖い」

「きっと……それが死ぬってことなんだと思うよ」

「お父さんとお母さんはお星様になってもーたけど、私もお星様になったらおとんとみんなのこと見守っとくよ。特におとんはだらしないしなー。それに、私がおらんかったら美味しいご飯が食べられんし」

 

 自分が死ぬという会話をしているにも関わらず、切嗣達の心配をするはやて。

 利己というものが存在しないわけではないだろうが明らかに薄い。

 そんな姿にどこか既視感を抱いた切嗣だったがすぐにそれが何かを理解する。

 ―――この子は自分に似てしまったのだと。

 

「はやて、少し……昔話をしようか」

「なんや、急に改まって」

 

 娘の姿に少しだけかつての自分を思い出した切嗣は昔の話を切り出す。

 それは、もはやどうすればいいのか分からなくなってしまった自分を奮い立たせるためでもあり。もしかすると誰かに背中を押して欲しかったのかもしれない。

 

「子供の頃、僕は正義の味方になりたかった」

「なんや、それ。なんで過去形なんや? 諦めたんか」

 

 不服そうに唇を尖らせるはやてに苦笑しながら思い出す。

 誰もが幸福な世界を探した。誰も傷つけずに済む方法を探した。

 だが、そんなものはこの世のどこにも存在しなかった。

 見つかったのは優しい正義などこの世のどこにも存在しないという現実のみ。

 手に入れたのは絶望への片道切符のみ。

 失った者は手に入れたものとは比べるまでもない程に大切な者達。

 

「うん。残念ながらね。ヒーローは期間限定で、大人になると名乗るのが難しくなるんだ」

「そうなん?」

「うん。そうなんだよ。でも、やっぱり……今でもヒーローには憧れるかな」

 

 子どもの頃の理想は今もなおこの身に宿り続けている。

 だが、しかし。かつてのような輝きを放っているとは限らない。

 薄汚れて、砕けて、ゴミのように打ち捨てられている。

 だというのに、かつて夢見た光は瞼に焼き付いて離れてくれない。

 いつまでも子供の夢を捨てきれない。そんな愚かな自分に笑いが零れる。

 

「なぁ、おとん」

「なんだい、はやて?」

「大丈夫やよ。おとんは―――正義の味方になれるよ」

 

 予想だにしなかった言葉に、電流が体を駆け巡る。

 今、この子は何と言った。正義の味方になれる。自分が。正義を名乗る資格すらない自分が。

 夢を叶えられると、言ってくれたのだ。

 

「ほら、夢は諦めなければ叶うって言うやん」

「それは、そうだけどね……」

「まあ、私には正義なんて難しものは分からんから、おとんが正義だと思うことをやったらええんやない」

 

 はやての言葉に深く考え込む切嗣。

 自身が正義だと思う事をやればいい。何とも単純で、難しいことだ。

 しかし、それ故に真理をついていると言えるかもしれない。

 悩む必要などなく、今までのように自身の信じる正義を行えばいい。

 それが答えなのだと分かりながらも不安そうに尋ねる。

 

「父さんにできるかな?」

「何言っとるん。できるよ、なんと言っても―――私のおとんなんやから」

 

 満面の笑みで言われた言葉。その言葉は切嗣の目に燃え盛る炎をたぎらせる。

 どんな悲惨な結末が待っていようとも、希望のない未来であっても。

 “自身の信じる正義”を今までと同じように行っていくだけだ。

 例え、その業火がこの身を焼き尽くす炎であったとしても、もう彼は迷わないだろう。

 ―――その役目を果たす時までは。

 

「そっか。ありがとう、少し元気が出て来たよ」

「それなら良かったわ。あ、そろそろ帰らんといけん時間やろ」

「本当だね。それじゃあ、明日はヴィータちゃんも連れてくるよ」

「楽しみにしとるよ。じゃあ、また明日な」

「うん、また明日」

 

 必ず明日が来ることを祈って最後の言葉を交わす二人。

 切嗣はコートをはおり、病院から出ていく。

 しばらく歩いていき、病院から大分離れたところでタバコを取り出して火をつける。

 火は小さい、しかし、決して弱々しいものではない。

 天に舞い上がり消えていく煙を追うように、切嗣は月の無い星空を見上げる。

 

 

「もう、僕は迷わない。後悔するのは全てが終わった後で十分だ。

 全てを背負って進もう。例え―――この世全ての悪を担おうとも」

 

 

 男の覚悟は消えることなく夜空に昇っていく。

 全てを終えた時、彼がどうなっているかは彼自身にすら分からない。

 だが、それでも彼は止まることなく修羅の道を歩き続けるのだ。

 例え、辿り着く場所が―――絶望の底であったとしても。

 




実は結構久しぶりなはやてとの対話。
まあ、美味しいものは最後にとって置くものだからね。

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