あれからどれだけの地獄を見てきただろうか。
少しでも世界に平和が訪れることを祈って地獄を回って来た。
そこで行ったことはいつも同じ―――人殺しだけ。
苦しむ人達にただの一度も手を差し伸べることも、目を向けることもなく走り続けた。
その結果が今もなお間違えを犯し続ける愚か者の誕生だ。
「そう言えば、海に行くと約束していたな……」
切嗣は遠い記憶を思い出す様に目を細めて海を眺める。
平素であれば穏やかで美しい海だが、今はそこかしこに死体が打ち上げられ、鳥が死肉を漁っている。
近くで海戦があったのか、それとも空母でも沈められたのか。
そこまで考えて彼は皮肉気に笑う。自分がこの世界でするべきことは既に終えた。
何もできることはない。後はいつものようにここから去り、別の世界で殺しをするだけだ。
そんな事を考えていた時だった。ウーノから連絡が入る。
『衛宮切嗣、連絡があります』
「なんだい? そっちは僕の仕事とは関係がないはずだろう」
『今回は私情のようなものです。リインフォースがそちらに向かわれました』
「……何だって?」
若干苛立っていた表情はすぐに緊張した面持ちに変わる。
リインフォースが体を得てから数ヶ月が経過していた。
しかし、その間も切嗣は頑なに彼女を戦場には連れて行かなかった。
何度か彼女が連れて行ってくれと頼んできた時はすべて無視をしていた。
何が彼女を駆り立てているかなど分かりはしなかったが、それでいいと思っていた。
自分と彼女はすぐに無関係の他人になるのだからと。
「なんで許可を……いや、今どこにいるか分かるかい?」
『こちらではそこまでは分かりかねます。しかし、彼女は―――』
「やっと見つけたぞ、切嗣」
『―――あなたを探していましたので』
聞き慣れた声に切嗣は即座に振り返る。
案の定そこには悪戯が成功したように笑うリインフォースが居た。
―――何故、こんな危険な場所に来た。
そう口にする前に無事で良かったとホッとする自身の心に気づき唇をかみしめる切嗣。
感情を優先するなどあの時の二の舞になるだけだ。
『どうやら、見つかったようなので私はこれで失礼させていただきます』
通信を勝手に切り、消えるウーノに文句を言ってやりたい気分であったがそれを抑えリインフォースに集中する。
ここまで来たということは何か余程のことがあったのかもしれない。
何もなかったのだとしても今後はこのようなことはしないように言わなければならない。
切嗣は一度大きく息を吸い込み、口を開く。
「危険だから来ないように言っておいたはずだよ」
「私は人間だ。お前に行動の制限をされるいわれはない」
「だとしても、自らを危険に陥れる真似をするのは自衛の観点から見れば最低だということぐらい分かるだろう。君だって死にたくないはずだ」
傍から見れば戦場に、しかも激戦区に単身で身を放り込む自滅的な行動原理。
それを行う男が逃げることこそが最善だと言うのは余りにも滑稽であった。
しかし、切嗣はそのおかしさに目を背け、彼女を遠ざけるためだけに一心に言葉を紡ぐ。
だが、彼女は口先三寸であっさりと意見を翻すような女性ではない。
「確かに、死にたくはないな。だが、私は知っている。例えこの身が亡びるのだとしても貫きたい想いがあることを」
真っすぐに、心の底を見透かすように切嗣を見つめるリインフォース。
その余りの純粋さに、自身の汚れた部分が照らし出されるようで目を落とす切嗣。
しかしながら、ここで引いてしまえばもう押し返せないだろうと感じ、気持ちを入れなおして目を合わせる。
「それは君がデバイスだった時だからだろう。今の君にそうまでして貫き通したい使命があるか? 生きることに喜びと誇りを見出しているのならこんなくだらないことは即刻止めるべきだ」
命はとんでもなく安いものだと衛宮切嗣は知っている。
世界によれば先進世界の子どものお小遣い程度の値段で買えてしまう程に。
ちょっと痛めつけてやれば風に吹かれた蝋燭のように消えてしまうことも。
だが、しかし。如何に安くとも死んでしまえばそれで終わりだ。
たった一つしかない。だからこそ、光り輝いている。
そんな命を、ろくでなしに会いに来るためだけに危険にさらすなど言語道断だ。
「そうでもないだろう。お前が見せてくれた映画や小説の中にもいたぞ。家族に会いに行くために己の命をかける者はな」
「……それは創作だろう」
「いいや、現に私はこうして命を危機に晒しながらもお前の元にたどり着いた。そのことで確かな喜びを感じ取れている」
悪びれることもなく話すリインフォースに切嗣は頭を抱える。
それに、何よりも彼の頭を痛めさせているのは彼女が切嗣を家族と言ったことだ。
彼の方も心の奥底では今でも家族だと思っている。
しかし、これから未来を生きていかなければならない彼女達には衛宮切嗣は足枷でしかない。
故に彼は彼女と家族であることを認めようとはしないのだ。
「ハッキリと言っておこうか。僕は君の家族には
「なぜ、そうも否定する。確かに私達に血の繋がりはない。だが、かつてのお前自身が血の繋がりよりも強い絆を主との間に築いていたはずだ」
「あれは……紛い物だよ。人殺しが本当の意味で絆を作れるはずがない」
リインフォースの言葉に耐え切れずに血を吐くように嘘をつこうとする切嗣。
しかしながら、彼女にそんな嘘など通用するはずもない。
「それこそ嘘だろう。あれだけの涙を流せた絆が偽物のはずがない。何よりも主はお前の愛で目を覚ましたのだ。それは揺るぎのない事実だ。これでもまだ嘘だと言うのか?」
ゆっくりと近づいてくる彼女に切嗣は血が出る程に唇を噛む。
家族を愛していた。それは彼女も、彼自身も分かっている事実だ。
だが、認めるのが怖かった。認めてしまえば以前の機械に戻れない。
全てが無駄だと分かった以上は以前よりも心を殺さなければ為すべきことを為せない。
もう、自分を騙す大義名分など存在しないのだ。
それでも、犠牲にしてきた者を価値あるものにするために止まれない。
故に今この瞬間も孤独にならなければならない。誰かに親愛を抱くわけにはいかない。
抱いてしまえば、また苦しみの果てに殺さなければならない。もう、耐えられない。
それほどまでに衛宮切嗣は弱くなってしまっていた。
「……仮に嘘でないとしても、それがどうしたと言うんだ。初めから僕にははやての家族になる資格などなかった」
「家族になるのに資格がいるのか? 資格などなくとも家族は家族だ」
「これは僕自身の問題だ。例え、この世全ての人間が僕を許したのだとしても僕だけはそれを許せない!」
声を荒げて、何かを振り払うように手を振る切嗣。
その姿はまるで、自身に触れようとする全ての者に怯えているように見えた。
彼はそのまま辺り一面に広がる死体の山を無造作に指さす。
「見てごらん。これが僕が今までの人生で行ってきたことの積み重ねの結果だ。ただの殺人鬼なんか目じゃない程の死体を築き上げてきた。死肉を漁る疫病神だ。こんな人間が優しいはやての傍に五年もいたなんておぞましくて身の毛がよだつよ」
どこまでも自嘲と憎しみを込めたセリフにリインフォースは返す言葉がなかった。
人には皆、自分自身を愛する自己愛が存在する。
もしも存在しないものがいるのならばそれはロボットだろう。
かつての衛宮切嗣ですら自分自身を愛する心が残っていた。
しかし、今の彼は愛が憎しみへと豹変してしまっている。
自分自身を終わらせるために破滅の道へと突き進み続けている。
だというのに、犠牲にしてきた者達の為に生き続けなければならない。
破滅してしまいたいという願いを生きなければならないという義務だけで抑えている。
いつの日か、この身が破滅できるその日だけを夢見て望まぬ
それは、おおよそ人間が、否、生物がするべき生き方ではないだろう。
「彼らを本当の意味で救える奇跡だって起こすことができたんだ。でも、僕はそれを選ばずに殺す道を選んだ。妥協した…諦めた…ッ! 自分可愛さに救われるべき人達を見殺しにしているッ!!」
まるで呪いの呪詛を吐くように叫びながら近くに無造作に転がる骸に近づく。
全てに怒りを向けているかのような形相とは反対に優しく仰向けに転がす。
ところどころ痛み、食い散らかされているがその顔だけは綺麗なままだった。
少年と青年に中間のようなあどけなさが残る少年だった。
「僕はね。幼い頃はこういう人達を助けたかったんだ。生きたくても生きられない、そんな弱い人達を」
「……切嗣」
死への恐怖からか開き続けていた瞼を閉じてやり、切嗣は少年の骸から離れる。
もしも、切嗣が子どもの頃に抱いた理想を持ち続けていれば、彼ははやてを助けようとしたはずだ。
日陰に暮らすしかない、死に行く運命を定められた弱者を。
だが、いつの間にか変わっていた彼は彼らに全ての代償を押し付けて殺そうとしていた。
どうせ死ぬのだからどれだけ残虐な行為をしても問題はないとでもいう様に。
既に光を得ている救う必要などない者達の利潤を守るために。
「でも、結局誰も助けようとしていない。人を救うと言いながら、守ったのは人ではなく自分の
「…………」
「当然と言えば当然の報いなんだろうね。今、こうして生きながらえているのも。いや、こんなことを言うのは彼らに失礼か……」
まるで生きることそのものが罰だとでもいう様に寂しげに笑う切嗣。
その笑みがどうしようもなくリインフォースの胸を締め付ける。
どうしてこの男は心からの笑みを浮かべられないのだろうと悲しくなる。
「分かっただろう。こんな僕が君達の家族を名乗るなんておこがましいことが」
「……では、私達はどうすればいいのだ? お前を家族だと思っている
心の底から悲しそうに、捨てられた子犬のように寂しげに切嗣に問いかけるリインフォース。
切嗣が誰かの家族になどなれないと思うのは個人の自由だろう。
しかし、そうなってくると未だに彼を家族と慕うはやて達の気持ちはどうなるのか。
何よりも、彼と傍にいることで心に温もりを感じる彼女の気持ちはどうなるのか。
その問いかけに一瞬、意外そうな顔をする切嗣だったが、すぐに無表情に戻り吐き捨てる。
「忘れてくれ」
短く、たった五文字の言葉。
だというのに、リインフォースの心は引き裂かれたかのような痛みに襲われた。
そして同時に、余りにも身勝手な切嗣に怒りを抱きさえした。
何故、自分がこのような感情を抱くのかすら分からない。
しかし、何か大切なものが傷つけられたのは理解できた。
「悪いがそれはできない。私は一度記憶したことは忘れないんだ」
「僕みたいなろくでなしと過ごした嫌な記憶なんて早く忘れるに限るよ」
「……お前は時に私よりも余程機械らしくなるな」
「リイン…フォース? 怒っているのかい?」
ここに来てリインフォースが怒りを表していることに気づき戸惑う切嗣。
怒りを抱くということは自分自身に関心を持ち、人生に喜びを感じ。
そしてそれを損なう出来事が起こったことに他ならないと切嗣は理解していた。
だが、その損なう出来事がなんであるかが理解できずに困惑しているのだ。
「私にも理解できない感情がお前によって傷つけられた。それ故に私は怒りを抱いているのだろう」
「そうなのか……」
「そして、この傷つけられた感情こそが私の幸せに繋がるのではないかとも感じている」
今の今まで怒りなど見せたことのない彼女の怒りに若干驚いていた切嗣だがそれを聞くと笑顔を浮かべる。
彼女が人としての幸せを見つけたのなら、それは喜ばしいことだ。
「そうか、それならもうすぐ君をはやて達の元に帰せそうだ」
「……ッ」
笑顔で告げられたその言葉にリインフォースの胸がチクリと痛む。
同時にもやもやとした感情が胸を占めていく。
彼女はそれに耐え切れなくなり、切嗣に背を向けて歩き出す。
「リインフォース? リインフォース! 一人で行くな、危険だ!」
後ろから慌てて切嗣が追ってくる気配がする。
その動揺に少しばかり胸が軽くなったように感じ彼女はクスリと笑う。
そして、彼が隣に立った時に今まで感じられていた苛立ちがスッと消えたことに気づく。
「何をしているんだ。いくら守ろうにも君が傍にいないんじゃ守りようがないだろう」
「ふふふ。なら、お前は常に私の隣にいればいい」
「……急にご機嫌になったね」
「さてね。私にもさっぱりだよ」
困惑したようにこちらの表情を窺う切嗣にまたしてもリインフォースは笑う。
その様子に考えても無駄だと悟り、切嗣はため息をつき彼女の肩に手を置く。
するとトクンと小さくリインフォースの胸が跳ねる。
「いいから、帰ろう。この世界は危険だ」
「ああ……そうだな」
その言葉に頷き、同時に不思議なことにリインフォースは首を傾げる。
切嗣に触れられた肩がやけに熱く感じられるのは一体どうしてなのだろうかと。
シリアスとかあんまり入れずにアインスの魅力を引き出せる回を書きたい。