八神家の養父切嗣   作:トマトルテ

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十九話:憧れ

 ―――助かった。

 その安堵に包まれて、切嗣に抱きかかえられた少女は目を細める。

 ホッとした影響で気が抜けてしまったのか今にも眠ってしまいそうだ。

 しかし、何故だか目は瞑れなかった。

 

 いや、ただ男の笑顔をずっと眺めていたかったのだ。

 体は煤だらけで傷だらけ、それは酷い状態だというのに少女は欠片も気にならなかった。

 一人でも助けられてよかったと涙ながらに言う男に憧憬を抱いた。

 死にかけた自分ですら羨ましく思ったのだ―――男の笑顔を。

 

「さあ、もう安心だよ。後は僕に任せてくれ」

 

 そう言って男は少女の頭を優しく撫でる。

 その手が余りにも優しくて、温かいから、少女は男に身をゆだねる。

 閉じまいとしていた瞼も自然と落ちてくる。

 次に目を覚ました時には、男の姿は何処にも居なくなっていることも知らずに眠りに落ちる。

 男の笑顔を心の奥底に焼き付け、忘れぬようにしまいながら。

 

「……ぐっ!」

 

 少女が眠りに落ちたのを確認したと同時に切嗣は抑えていた呻き声を上げる。

 四倍速で動いた影響は大きく、既に体はズタズタだった。

 口の端から濁った血が溢れ出てくるが、そのことに後悔はない。

 彼女を救えたのだから何の問題もない。

 問題が一つあるとすればそれは動くに動けないことだろう。

 

 幾ら、救ったとはいえこのままここに居れば二人とも焼け死んでしまうことには変わりない。

 何とかギリギリまで回復を行い、それから脱出を行うしかない。

 治療魔法が使えればいいのだが切嗣には人体を治すような緻密な魔法の素質がない。

 しかしながら、例え自分が死のうともこの少女だけは助けなければならない。

 改めてそう覚悟をし、痛みで他の感覚がない足を無理矢理に動かし、立ち上がる。

 だが、すぐによろめいて座り込んでしまう。

 

(ダメだ、体が思い通りに動かない。これじゃあ飛んで逃げるのも難しいな)

 

 やはり回復を待つ以外に現状打つ手はないかと、自分の弱さを悔いたところで異変が起きる。

 何かが軋む音が辺りに響き渡り、頭上から煤とコンクリートが混ざった粉が降って来る。

 まさかと思い、かろうじて動く上半身を上に向ける。

 そして、血と共に乾いた笑いを零す。

 彼の目の前には大きくひび割れ、今にも崩れ落ちてきそうな天井があったのだ。

 

「ははは……僕なんかには誰も救わせないとでも言うのかい、神様?」

 

 思わず、信じてもいない神に悪態をついてしまう。

 何と運が悪いのだろうか。否、元々このために少女を彼の前に置いたかのようだ。

 自分に希望をちらつかせ、いざ掴もうとしたところでそれを奪い取る。

 何とも悪辣で趣味の悪い采配だ。まるで普段の自分のようではないか。

 自嘲気に笑いながらも必死に落ちてくるであろう巨大な瓦礫から逃れようともがく。

 だが、あれほどまでに軽かった足は今やピクリとも動いてくれない。

 それでも、彼は諦めることだけはしたくなかった。少女だけでも守ろうとした。

 

 遂に限界を超え、巨大な音と共に降り注いでくる巨大な瓦礫を防ぐためにシールドを張る。

 しかし、加速の反動の為に魔力は余っていても魔法回路が傷つき、制御ができない。

 その為に普段の十分の一程度しか魔力が注げず、見る見るうちに削り取られてしまう。

 それでもなお必死に足掻き続けて、彼はシールドを維持し続ける。

 

 だというのに、神は彼を嘲笑うかのように横合いから強烈な爆発をも引き起こした。

 想定外の範囲からの攻撃に遂に限界を超え、砕け散るシールド。

 そして、止めとばかりに完璧な位置で二人を押しつぶしに来る瓦礫。

 ここまでかと思い、少女を守るように覆い被さり目を瞑る切嗣。

 そんな時だった。聞こえていいはずのない声が聞こえたのは。

 

 

「切嗣ッ!」

 

 

 聞き覚えの有りすぎる声の主に体が突き飛ばされる。

 続いて聞こえたのは重い物体が人体を潰す鈍い音。

 そして、皮膚に感じたのはぬるりと生暖かい鮮血。

 最後に驚愕に見開いた目に飛び込んできたのは赤く染まった雪のような白い肌。

 頭の中が真っ白になる。どうしてという気持ちが沸き上がり、ついで悲鳴を上げる。

 こんなところに居るはずのない最愛の女性の名を。

 

 

「―――アインスッ!!」

 

 

 切嗣と少女を庇い、瓦礫に押しつぶされた状態に関わらずアインスは弱々しく微笑む。

 反対に切嗣の顔は蒼白になり、少女を抱えたまま体を引きずるように彼女の元に向かう。

 そして、生存者を探している間中、彼女が必死に自分に呼びかけていたことを思い出す。

 続いて、自分はその声を無視していたことを思い出し、後悔に打ちひしがれる。

 

 何と馬鹿だったのだろうか。人間であれば心配して来ても何らおかしくない。

 愛する者の危機に猛々しく血を流すのが人間の本質だ。

 そんなことも思い出せない程に自分は人間を理解していなかった。

 そもそも、最愛の女性よりも他人の心配をするのは人としておかしい。

 

「どうして君が…っ!」

「だって…幾ら……声をかけても……応えないから……心配で……」

「違う…違う…ッ! そうじゃない! どうして僕を庇ったんだ!?」

 

 庇われるような人間でもなければ。守られる資格もない人間だ。

 言外にそんな意味を含んだ言葉を吐き出しながら切嗣は彼女の前で崩れ落ちる。

 精神的にも肉体的にも既に限界を超えていた。

 防げたはずだった。全ては自分のせいだ。

 呼びかけられた時に少し考えればこうなる可能性にも思い至ったはずだ。

 だが、名も知らない誰かを救うことに固執して大切な者を見失っていた。

 救いたいという欲望に駆られて愛する者を死の淵に追い込んだ。

 

 あの時、アインスの声に応えていれば、もっと上手い方法で少女を救っていれば。

 そもそも、自分がドゥーエを監視していれば。アインスを第一に考えていれば。

 こんなことにはならなかった。彼女は傷つかずに済んだ。

 果たして、自分に彼女を愛することなど可能だったのだろうか。

 彼は力なくうなだれて、血を流す彼女を呆然と見つめる。

 それでも自分が誰かを救ったという(少女)だけは離せない。

 そんな余りにも惨めな様子にもアインスは微笑みを向けて口を開く。

 

 

「お前を……愛しているからに……決まっているだろう」

 

 

 その言葉に切嗣はどうしようもない絶望感を抱いてしまった。

 そうだ、これこそが人のあるべき姿だ。愛する者の為にその命すら差し出す。

 当たり前の行動であるはずだ。だというのに、自分はそれができない。

 心の底から愛しているはずなのに、その死を加速する真似しかしない。

 アインスの手を縋るように握る。その手は火傷だらけで酷いありさまだった。

 

 それも当然だろう。今の彼女に魔法は使えない。それは単純に魔力がないからだ。

 ここまで来られたのはスカリエッティかウーノの力を借りて転移してきたのだろう。

 それでも、こんな自分を助けるために彼女はこの地獄を生身で彷徨ってくれたのだ。

 正しい選択ならば最愛の女性すら容赦なく切り捨てるような最低の男の為に。

 誰かを救えたことに浮かれて彼女のことを忘れるような救いようのない男の為に。

 この愛おしいはずの体は傷だらけになってしまったのだ。 

 

 せめて、彼女が以前のように騎士甲冑を身につけられればと思うがそれは不可能だ。

 管制人格の起動はそもそも400(ページ)を超えなければ成り立たなかった。

 理由は単純に管制人格と闇の書を分離させて実体化し、起動するために魔力が必要だからだ。

 そして、他の守護騎士達と違い魔力は自分自身で生成するのではなく闇の書から供給される。

 これは魔力タンクを外付けにすることでユニゾン時に半永久的に魔力を使うことができるようにした悪意ある改造の名残だ。

 

 その為に記憶と人格を引き継いだだけである彼女には魔力を溜める器官がないのだ。

 夜天の書に記されていた魔法だけでなく、彼女自身が記憶していたものも同様に使えない。

 つまり、彼女は魔法を扱う才能はあっても、生み出すことはできない状態なのだ。

 こればかりは以前の夜天の書のデータがないのでスカリエッティですら復元しかできなかった。

 だから彼女は己の身を守ることもできなければ、自身の体を癒すこともできない。

 なのに、その命を自分の為に投げ出してくれた。その事実が重く、重くのしかかって来る。

 

「アインス……僕は…僕は…ッ!」

「切嗣……逃げろ…今ならまだ逃げられる……天井もない…飛べるはずだ」

「そんなことは―――」

「その子を……助けたいのだろう?」

 

 自分を見捨てて行けと言うアインスに当然のように反論する切嗣。

 だが、彼女から諭すように少女を救えと言われて黙り込む。

 このまま、三人で転移をすれば全員で生き残れる可能性がある。

 しかし、それはできない。転移魔法は座標の割り出し、さらに複雑な魔法結合と構成を必要とするために回路が傷つき、精密な操作が行えない現状では使えない。

 

 それが分かっているからこそ、アインスは自分を置いて逃げろと言っているのだ。

 彼女の判断はどこまでも正しい。だからこそ、切嗣を深い絶望に叩き落す。

 今更ながらに自分が犠牲者達に与えてきた絶望の重さを実感する。

 こんなことを正しいなどと割り切るのは人間ではない、ただの機械だ。

 

「……僕も飛べそうにないよ」

「それは…私を……含めた場合だろう? 今なら…その子と…お前だけなら……」

 

 ダメ元で否定の言葉を続けて出してみるが笑いながら返されてしまう。

 そして、彼女の小さな口から血が溢れ出てくる。

 このままではどう足掻いても彼女は助からない。

 死ぬべき人間を犠牲にし、生きるべき人間を救う。それだけのことだ。

 衛宮切嗣が取るべき行動は一つだけ―――彼女を見捨てることだ。

 

 

「でも……それは―――他に道がない場合だ」

 

 

 だが、しかし。今だけは衛宮切嗣は諦めるという選択はしなかった。

 本物の正義の味方であろうとした。それが、スカリエッティの悪意だとしても。

 後で、今までの犠牲への裏切りだと糾弾されることになろうとも。

 今この瞬間だけは正義の味方を張り続けようとした。

 彼女を救うだけではない。まだ取り残された者達も救わねばならない。

 そのために彼女の力は必要不可欠なのだ。

 

「アインス……君は僕とユニゾンはできるかい?」

「まさか……主以外とは……いや…やってみなければ……分からないか」

「これが成功すれば君と僕は助かる……理論上はね」

 

 切嗣の考えはアインスとユニゾンを行うことで、アインスに魔法を使わせることだ。

 融合中はお互いに相手の魔力を自由に使用することが可能となる。

 つまり、魔力を溜めることのできないアインスが切嗣の魔力を使えるのだ。

 

 そうすれば、回路が傷ついた切嗣の代わりに魔法を行使することが可能になる。

 この場面で必要な転送魔法に治療魔法も使用可能となる。

 治療魔法に関してもアインスの行使であれば素質があるので可能だ。

 それも全てユニゾンさえすることができればの話だが。

 

「頼むぞ……アインス」

「ああ……ユニゾン…イン」

 

 ユニゾンに必要な魔力だけは切嗣が使用し、二人は目を瞑る。

 すると、地獄のような景色の中にまるで天国のような明るい光が差し込む。

 もしも、この光景を見た者が他に居たのならばこの地獄に希望を抱いただろう。

 眩い光に包まれ、その姿を消す切嗣とアインス。

 

 一瞬の後に光が途切れ、眠る少女とそれを抱きかかえる一人の男が現れた。

 男の髪は白というよりも銀色に輝き、開かれた二つの瞳は血のような紅さを湛えていた。

 切嗣の体にアインスの特徴が如実に表れた姿。

 つまりは、二人の体は融合したのだ。

 

『ユニゾン―――成功だ』

「アインス、すぐにこの子を安全な場所まで転送してくれ」

『了解した』

 

 成功に喜ぶこともなく、傷を塞ぐこともなく、切嗣はすぐさま少女を転送するように促す。

 それにアインスも阿吽の呼吸で応えて、あっという間に魔法陣を完成させる。

 彼女も自分の身よりも優先させるべきものがあるのだ。

 魔法陣の中に少女を優しく置き、切嗣は自分達より先に治療するようにも頼む。

 だが、アインスは言われる前から分かっていたとでもいうように既に行使していた。

 切嗣はそのことに少し笑みを零し、息を吐く。

 

「じゃあ、転送をしてくれ」

『ああ』

 

 恐らくは救護隊が来ているであろう座標に転送を行うアインス。

 そして、それが終わると後回しにしておいた自身と切嗣の体の治療を始める。

 元々集められた魔法をただ行使する存在であったが、簡単な治療魔法の構成と使用法は記憶の中にあったために夜天の書がなくとも難なく使用が可能であった。

 覚えておいて良かったと心底思いながら彼女は彼に話しかける。

 

『まさか、ユニゾンまでできるとはな。どうやら、私達は色々と相性がいいようだ』

「うん、成功して本当に良かった。……はやてに少しは似ているのかな」

 

 どこか、自嘲気味にはやてに似ているのだろうかと呟く切嗣。

 そんな切嗣の様子に励ましてやりたいと思うが、今はそれよりも優先するべきことがあるのでアインスは主導権を奪い、彼の体を無理矢理に炎の中に向かわせる。

 切嗣は最初こそ驚いた顔を見せるものの、すぐに表情を引き締める。

 

『まだ、救う者が居るのだろう。だから私を助けた、違うか?』

「……うん。まだ、助けを待つ人が居る…ッ」

 

 愛しているから救った。そう口にしたくともできない切嗣を気遣い、アインスが声をかける。

 切嗣はその言葉に奥歯を強く噛みしめ、悔しそうに肯定する。

 以前よりも意識して平等であろうとしなければならない。

 いつかは彼女を切り捨てる日が来てしまう。いつかはその愛を裏切らなければならない。

 

 それに耐えるには自分の心に嘘をつくしかない。

 こんなどこまでも弱い人間が今この場では正義の味方を張り続けようとしている。

 思わず、そのことに自嘲気な笑みを零してしまう。

 それでも人を救うという欲望に終わりなど来ることはない。

 何故なら、彼は―――

 

 

 ―――叶うことなら、目に見える者全てを救いたいと願ってしまうのだから。

 

 

 

 

 

 目を覚ます。鼻腔にツンとした消毒液の匂いが充満する。

 そこでここは病院なのだろうと理解して体を置き上がらせる。

 すると、ベッド脇にいた姉がすぐに抱き着いてきた。

 

「スバルッ!」

「ギンガ、怪我人にいきなり抱き着くもんじゃねえよ」

「あ、ごめんスバル。痛くなかった?」

「う、うん。平気だよ、ギン姉」

 

 少女、スバルはどこか現実味がなさそうな顔をしながら父と姉を見つめる。

 その瞳に、父、ゲンヤは僅かに目を細めるが姉であるギンガは気づかない。

 ―――変わった。何がとは言えないが間違いなく変わったのが分かる。

 しかし、あれだけの経験をしたのだからある意味で当然かと思い、父はそこで思考を止める。

 

「ギン姉は大丈夫だったの?」

「私は……スバルを助けに行こうとしたんだけど、その前に見つかって連れ戻されちゃったの」

「そっか、ありがとうね、ギン姉。あたしを助けようとしてくれて」

 

 反省しているのか、助けに行けなかったことを恥じているのか表情を暗くするギンガ。

 そんな姉にスバルは自分を助けようとしてくれたことに感謝の笑みを浮かべる。

 礼を言われたことに面を食らうギンガだったが、それ以上にその笑みに何か違和感を抱き、内心で首をひねる。

 

「そうだ、あたしを助けてくれた人、知らない?」

「んー、お前を助けた奴は良く分からねぇんだよな。陸士でも本局の奴でもねぇみたいだしな」

「他にもスバルみたいに正体不明の人に救われた人が3人いるみたいなの」

 

 一般人が救助活動をしてくれたのだろうと救助隊の方で表彰しようという話になったのだが、何処を探しても見つからないために小さな噂になっているのだ。

 それを聞いて、スバルは残念そうな顔をする。

 何故だか、彼とはもう一度会いたいと思ってしまったのだ。

 否、あの笑顔がどういったものなのかを聞いてみたかったのだ。

 

「突然現れて、礼も受けずに消えたからその人達はこんな風に呼んでいたわ」

 

 ギンガは特に意識することもなく、伝え聞いたことを口にする。

 それが妹の生涯の指針となってしまうことも知らずに。

 妹を救った人間の正体はその真反対に位置するものだとも知らずに。

 

 

「―――正義の味方って」

 

 

 決して叶うことのない願いであり、同時に呪いの言葉である名前を口にする。

 

「正義の……味方……」

 

 スバルはその名前を復唱する。

 この日、少女は憧れと理想を見つけてしまった(・・・・)のだった。

 




やったね、本編と同じで誰かの正義の味方になれたよ(白目)
ギンガは向かっている最中にフェイトに連れ戻されました。
そして、自然と誰も救助に向かっていない場所になのはもフェイトも切嗣も別々に向かったので会いませんでした。

まあ、次回辺りにそこら辺は書きます。
そして次回はおまけを書く(予定)

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