―――夢を見ている。
いや、見せられていると言った方が正しいのかもしれない。
あの子を救っている自分を遠くから傍観者のように見ている。
ああ、その姿は紛れもない正義の味方だろう。かつて自分が憧れた姿だと言ってもいい。
でも、ちょっと視野を広げてみればそれは間違いなのだと。
決してかつて抱いた理想の光景ではないのだと思い知らされる。
あの時は前しか見ていなかった。余裕などなく、狭い視野で少女だけを見ていた。
だが、落ち着いてしまえば、一人を救ってしまえば視野は広がってしまう。
少女を抱きかかえる自分のその向こう側で炎に焼かれて悲鳴を上げる少年を見てしまった。
逃げるように視線を横に向ければそこには瓦礫の下敷きになり血を流す老人が居た。
それにも目を背けて今度は後ろを振り返った。
そこには―――助けられたはずの人々の焼死体が転がっていた。
そうだ。自分は最も死ぬ確率の高い少女を救うために死ぬ確率の低い者を見捨てた。
衛宮切嗣が取るべき行動を、今までの行動を否定したのだ。
犠牲を救うために助けようとしたのは間違いではない。
ただ、大勢ではなく、少数を助けようと、救いたいと願った弱者を助けたのだ。
それは紛れもない裏切りだろう。自分の欲望に溺れ自分は彼らを裏切った。
だから、きっと、これは―――そんな自分への罰なのだろう。
助けたい人々が山のように目の前にいた。夢だと分かっていてもそれを助けに行く。
でも、何度手を伸ばしても彼らは灰となって消えていってしまう。
『あの子を見捨てていたら助かったのに』そう言い残しながら。
その言葉は間違いなどではないだろう。最も救える可能性のある者を見捨てた。
彼らの命と引き換えに少女の命を助けてしまったのだ、衛宮切嗣は。
あの時のようにただ一つのことだけを見ることができるのなら楽だろう。
怨嗟の声に耳を塞ぐことができるのならば何も問題はないだろう。
しかし、一度広がってしまった視野は決して狭まってくれない。
助けを求める者の姿を捉えて放してくれない。
本当の意味で逃げ出せるのならばいい。
だが、この体はどれだけ不可能だと知っていても、本当は怖くて逃げ出したくても救いに行く。
一度味わってしまったのだから、もうそれ無しでは生きられない。
誰かを助けるという極上の
砂漠でオアシスを探し求めるように夢中で歩き続ける。
それでも、誰一人として救うことができなくて、絶望が心をむしばみ続ける。
もっとも、誰も救えないのも当然だろう。彼が救おうとしている者達は全て彼が見捨てた者だ。
一度見捨てたのに次は救うというのは余りにも虫の良すぎる話だろう。
彼らの恨みがましげな視線がその証拠だ。ただ何も言わずに見つめてくるのだ。
息などしていないはずなのに、瞳だけは蠢いていて彼にものを伝えてくる。
―――裏切り者と。
気が狂いそうになる。その視線を受けただけで死んでしまうのではないかと錯覚する。
しかし、そんな甘えなど許されない。死ぬことなど決してできない。
ここにいる者達全てを救い出さなければこの悪夢は終わらない。
だが、誰も救えない。伸ばした手は誰にも届かない。当たり前だ、もう死んでいるのだから。
死者が生き返るはずもない。それは誰よりも人を殺してきた彼だからこそよく分かることだ。
だからこそ、願ってしまう。彼らが全員、生き返ってくれるのならどれだけ嬉しいかと。
彼らだけではない。今まで理不尽に犠牲となった者達全てが生き返るのなら、自分は解放されるのではないかと、錯覚してしまう。
本当はそんなことなどあるはずもない。罪が消えることなどあり得ない。
罪と善行は別物だ。どれだけ善行を積み上げようとも犯した罪は一生消えない。
許されることなどあってはならない。何よりも自分が納得できない。
だから―――
『ねえ、ケリィ』
自分はこの地獄を永遠に彷徨い続けることしか許されない。
目の前には彼女が居た。かつて救うことを放棄した少女が居た。
昔は夢の中でも会えればそれだけで嬉しかった。だが、今となっては悪夢でしかない。
彼女は衛宮切嗣の罪を映し出す鏡と化していた。
『ほら、やっぱり君は誰かを救うことができたんだよ? 私は助けてくれなかったのに』
思えば、以前見た夢の中の自分と同じ行動をしたのだ、自分は。
生存者など誰一人として居ないような火事の中を走り回った。
そして、小さな命を、手を握ることに成功していた。
決して諦めずに走り続け、小さな救いを得ることができた。
あの夢の自分は可能性としての自分ではなく、未来の自分だったのだ。
もはや、言い逃れはできない。
「僕は……僕は―――君を救えた…ッ」
『そうだよ、ケリィは私を助けられたんだよ。私だけじゃない、みんなを救えたんだよ』
他ならぬ自分自身が証明してしまった。救えた、絶望的な状況から人を救えた。
死ぬべき運命から助け出してしまった。その結果救われるべき人間を殺してしまった。
だとしても、今まで見捨ててきた人々が救えたことに変わりはない。
全てを救うなんて所詮は絵空事だ。必ず、誰かが犠牲にならなければならない。
見捨てた者を救えば、救ってきた者達が救われない。
当たり前だ。彼の腕は全人類を抱えられるほど大きくはないのだから。
『でも、君は諦めただけ。理屈をつけて切り捨てただけ。
救えなかったんじゃない―――救おうとしなかった』
「……うん、そうだね」
『だから、私達はずっとこんなところに居る。ケリィが諦められるほど頑張らなかったからいつまでたっても消えることもできない』
何かに全力でぶつかって、その上で不可能だと諦めるのならば諦めがつく。
しかし、衛宮切嗣は救いたいと願いながら、一切の労力を割くことなく見捨てた。
機械であればそれで何の問題もなかった。だが、彼はどこまでも弱い人間だった。
だから、諦めることができずに彼らを忘れることができない。
衛宮切嗣は彼らの死を一欠けらたりとも認めることができていないのだ。
この夢は彼を苦しめるものであると同時に彼の願望を叶えているのだ。
死者との再会。そこでの懺悔。さらに彼らが自分を八つ裂きにしてくれるのなら最高だ。
だが、そんなにも都合の良い夢など見ることはできない。
懺悔をする権利などないと彼自身が思い、己の欲望を抑えるから誰も彼を罰しない。
彼らはただ願うだけ。救いを求めるだけ。衛宮切嗣の中で死ぬことすら許されずに。
『私達はケリィの願いを言ってあげているだけ。ケリィが私達を助けたいと思い続けているから助けてって言ってる。おかしいよね。ケリィは私達を見捨てたのに』
「僕は……みんなを救いたかったんだ。誰にも涙してほしくなかった」
『うん。その過程でどれだけの人に絶望を抱かせたんだろうね』
彼女の言葉に表情が酷く歪む。忘れてしまえば楽になれるだろう。
折れてしまえば、罰を自らに課してしまえばどんなに楽になれるだろうか。
しかし、そんなことはできないからこうして苦しみ続ける。
誰も傷つかず幸福を保つ世界はない。そんなことはとうの昔に理解している。
だというのに、闇を直視できず平等という綺麗事を、弱者の戯言を言い続ける。
結局のところ、彼の理想は醜さを覆い隠すだけの言い訳に過ぎない。
それでも、それだけは諦められなくてこんな歪みを抱き続けている。
「せめて……君達を助けることができるのなら。もしも、生き返らせることができるのなら……」
『その時はやっと死ねるかもしれないね、ケリィ』
「そうだね。本当は……息をするのも辛くてしょうがないんだ」
『でも、それは全部ケリィのせい。私達のせいじゃない』
「うん、だから……本当にどうしようもない」
夢の中の彼女は本物の彼女ではない。切嗣が生み出した幻想に過ぎない。
だからこれは、自分自身との対話と変わらないのだ。
一刻も早く死んでしまいたい。だが、背負ったものがある以上は死ねない。
彼らの死を価値のあるものにするまでは死ぬことすら許さない。
そのことでどんなに自分が苦しもうとも全ては自業自得。
自己という概念を切り捨てることができないくせに、ロボットになろうとした罰。
機械にも、人間にもなれなかった中途半端な男が辿り着く当然の帰結。
だから―――
『助けて』
『助けてくれ』
『助けてください』
『タスケテ』
その声達は決してやむことなく彼の心をむしばみ続ける。
彼が死ぬその時まで、彼が本当の意味で彼らの救済を諦める時まで。
犠牲になった者達全てが救われる、あり得ないその時まで。
彼らの救いを求め続ける。それが彼の破滅的な願いなのだから。
「切嗣、うなされていたが大丈夫か?」
「アインス……大丈夫だよ。ただの……夢さ」
切嗣が目を覚ますと赤い瞳が覗き込んできていた。
その心配そうな様子に切嗣は無理をして笑いながら体を起こす。
しかし、そんな強がりは彼女には通用しない。
その温かな体に抱き寄せられ、強く抱きしめられてしまう。
「無理をするな。お前はすぐに溜め込むからな」
「はぁ……君には本当に敵わないな。……僕はね、もう……生きるのが辛いんだ」
「私のために生きて欲しいというのは……ダメなんだろうな」
切嗣はいっそ死んで楽になってしまいたいと考えている。
だが、それでも生き続けているのは今までの犠牲に報いるためだけだ。
愛した女のために生きているのではない。否、そんな生き方は許されない。
それが分かっているからこそアインスは悲しそうな表情をする。
「……ごめん」
そう、一言だけ謝罪の言葉を口にし、強く抱きしめ返す。
愛している。狂おしいほどにこの女性を愛している。
だというのに、彼女のためにしてあげられることなど何一つない。
否、もうどこにもいない犠牲者のためにしか彼は生きてはならない。
こんな自分に愛を向けてくれる彼女を死者のために犠牲にする。
愚かだ、ただひたすらに愚かな行為だ。だが、そうすることしかできない。
「アインス、君はどうして……こんな僕を愛してくれるんだい?」
「さあ、私にも理由はわからない。だが、愛情とは理屈で成り立つものでもないだろう」
「そうだね……。君には教えられてばかりだ」
柔らかく、滑らかな銀色の髪を撫でながら切嗣は暗い目をする。
つい先日に自分のせいで彼女が傷ついたというのにまた危険な目に晒してしまう。
すべての責務から逃げて、彼女と共に残りの人生を静かに過ごせればどれだけいいだろうか。
しかし、それは叶わない願いだ。
「もし、僕が今ここで君以外の全てを捨てて逃げ出すと決めたら―――君は許してくれるかい?」
アインスに問いかけるのは彼の心に確かにある願望。
決して嘘ではない確かな願い。人としての衛宮切嗣が抱いた願望。
すべてを愛する女性に奉げたいという、女を愛する男の姿。
それを受け入れるのは彼女にとって間違いなく幸せになるだろう。
だが、アインスの答えは決まっていた。
「いいや、許さない。なぜなら―――お前が幸せになれないからな」
愛する男の幸せにつながらないのなら、例え心の底から望んだことであっても否定する。
衛宮切嗣は決して逃げることはできない。何故なら、自分自身が彼を追いつめているからだ。
今だってそうだ。犠牲に報いる成果を出せない自分が赦せないから女を愛せないでいる。
彼はどこまでも弱い。自分を赦すことができないのだから。
「お前はきっとお前自身を断罪者として殺すだろう。そんなことを私は許さない」
「……その方が僕にとってはいいかもしれないよ? 少なくとも君は死なないからね」
「お前が私のせいで犠牲になるのは私が耐えられない」
「君は僕のために犠牲になっているのに?」
「ああ、だからこれは私のわがままだ。女のわがままを許すのが男の務めだろう?」
悪戯っぽく笑うアインスに切嗣は悲しみと絶望を抱く。
もう変えられない。彼女は自分の為にどんな犠牲をも許容する。
それなのに、自分は彼女に何一つ返すことができない。
幸せになってほしいのに、自分と居ることで彼女は傷ついていく。
こんな男を愛してしまったが故に自ら滅びの道に歩を進めてしまった。
そのことがどうしようもなく悲しかった。
「やっぱり……僕に君を愛する資格なんてなかった。君を幸せにできない僕なんかに……」
「いいや、私は幸せだ。……愛する男の腕の中に居られるのだからな」
「アインス…ッ」
声を震わせながら切嗣は痛いほどにアインスを抱きしめる。
自分の全てを肯定してくれる女性。それ故にこんな歪んだ願いすら許容してしまう。
機械になろうとした人間を愛した、人間になろうとした機械。
ひどく美しく、歪んだ関係。だというのに彼女に自分は返すことができるものが一つしかない。
ただ一言―――愛していると。
もうちょいで空白期終わる予定。
おまけ~在りし日の公園の風景~
このおまけは設定とか完全無視したギャグ時空のおまけですので普段のおまけとは関係ありません。ただ、感想欄であったやつを書いてみただけです。ではどうぞ。
ある男達の話をしよう。
これは相容れぬ存在でありながら親交を深めた男達の懐かしき話である。
「くくくく! 私の名前はドクターJ! 世界征服を企む『セクレタリー』の天才科学者。世界征服の第一段階としてこの公園から支配させてもらおう!」
「でたな、ドクターJ! この公園は正義の味方、衛宮切嗣…じゃなかった、バーガーキングが守る!」
「やはり君が私の前に立ち塞がるかね、バーガーキング。いいだろう、悪の前に立つのはやはり正義の味方でなくては!」
海鳴市にある至って普通の公園。
その公園で正義と悪が今まさに雌雄を決しようとしていた。
みんなの物である滑り台を占拠し、その頂上で高らかに笑うドクターJ。
そして、そんな彼を止めるべく立ち上がった正義の味方、バーガーキング。
決して相容れぬ存在である二人。彼らに話し合いなど無粋。
両者共に図ったように同時動き出す。
「私の先兵がお相手をしよう。行け、ガジェットドローン!」
ドクターJが自作のラジコン兵器ガジェットドローンを繰り出す。
対するバーガーキングには武器はない。しかし、彼の肉体こそが武器であった。
「そんな遅いのが当たるか! タイムアルター・ダブルアクセル!」
高速移動を開始し、襲い掛かるガジェットドローンを開始する。
なお、二倍速などと言っているがぶっちゃけるとただの全力疾走である。
見事にかわし続けるバーガーキングであるがこれでは埒が明かない。
攻めなければ勝利は訪れない。そう判断した彼は滑り台の滑る部分から駆け上がる。
やってはいけないと言われる行動だが正義のためには必要な犠牲だ。
「覚悟しろ、ドクターJ!」
「くくく、まさか私がこのままやられるとでも? 行け、ガジェットドローンⅡ!」
「な! 二台目!?」
一瞬追い詰められたかと思われたドクターJであるが隠し持っていた二台目のガジェットドローンをもってバーガーキングを迎撃する。
このままでは直撃は免れない。狭い滑り台の上ではほんの少しの隙が命取りだ。
バーガーキングは一瞬で思考を戦闘から逃走に切り替える。
「タイムアルター・トリプルアクセル!」
「なに? 自分から飛び降りたとでもいうのかい!?」
咄嗟に滑り台から飛び降り、自ら足場を放棄して体制の立て直しを図るバーガーキング。
その際に三回転半を行っていたのは彼の美意識の表れだろう。
ちょっぴり着地した衝撃で足がしびれるが正義の味方はへこたれない。
すぐに顔を上げてドクターJを睨み付ける。
「ふふふふ、流石は我が好敵手だよ、バーガーキング」
「そっちも中々やるな、ドクターJ」
お互いがお互いの健闘を称え賛辞を送りあう。
だが、所詮、彼らは水と油。反発しあう二つの存在なのだ。
分かり合うことはできない。故に哀しみを背負いその魂をぶつけ合う。
両者の視線が交差し、同時に再選の火蓋が切られる。
その瞬間だった。第三勢力、絶対強者が現れたのは。
「兄さーん! 晩御飯だから早く帰ってきて! 後、迷惑だからそこ降りなさい!」
「ク、クイント!? 一体いつの間に?」
「いつの間にも何も、兄さん達が遊んでる間に来たのよ」
腰に手を当てて帰りの遅い兄にご立腹な様子を見せるジェイルの妹のクイント。
常識外れの行動をとる兄のストッパーとしてご近所でも有名な美少女である。
「クイント、今いいところなんだから邪魔するなよ」
「切嗣も滑り台から飛び降りたりしたらダメよ。矩賢おじさんに言いつけるわよ」
「え! 父さんには言わないでくれよ」
それを聞いて切嗣も戦闘態勢を解く。流石の正義の味方も親には敵わない。
まあ、親に対して後ろから銃を乱射したりスティンガーをすれば別だが。
そして、いつの年代も男の子よりも女の子の方がしたたかなのである。
「ほら、兄さん早く帰るわよ。私おなかペコペコなんだから」
「ああ、それは大変だ。では、そういうわけなので私は帰らせてもらうよ」
「今度は決着をつけるからな、ジェイル!」
「くくく! いつでもかかってきたまえ。悪は常に正義の前に立ちはだかるものだからね」
夕暮れの公園を背にして三人の子供が家路に着いていく。
これは後の正義の味方と、悪の科学者の若かりし頃の記憶である。
「まさかこの年になってもあの頃と変わらないなんてね……若いというかなんというか」
「なんか言った、おとん?」
「いや、ちょっと昔のことを思い出しただけだよはやて」
そう言って切嗣は腐れ縁の友と写ったアルバムを閉じて店番に戻っていくのだった。
~おわり~
バーガーキングはFate/Zero黒が元ネタです。