八神家の養父切嗣   作:トマトルテ

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三十三話:傍に居る人

 

 また、夢を見ていた。

 

何度も、何度もあの日の夢を繰り返し見る。悪魔が嗤い人を苦しめる灼熱の地獄。その中を歩いていた。助けてくれと懇願する人の前を聞こえないフリをして歩いた。自分はいいから子供を助けてくれと願う母親の姿を見た。

 

 もし、自分の母が同じ状況に立たされていたら同じように自分を助けようとしてくれるだろうと確信できた。それでも助けようとはしなかった。否、助けることなどできるものか。幼い子供一人に一体何ができるというのだ。既に虫の息の赤ん坊を抱いて逃げる余裕などあるものか。

 

 できるはずなどない。100人中100人が少女に任せるのは余りにも酷だと思うだろう。女性も普段ならば頼むこともしないだろう。だが、ここにはスバルしかいなかった。生きて動けているのはか弱く臆病な少女一人。少女にすがる以外に道はない。

 

 ―――助けて。

 

 逃げた。助けを求める声からただ逃げた。仕方のないことだ。自分の命すら脅かされている状況で誰かを救えるはずがない。彼女は弱いのだ。ただ、謝ることだけはしなかった。幼い心ながらも分かっていた。謝れば自分の心が楽になってしまうと、自分だけが救われてしまうと。一種の強迫観念が働いていた。

 

 その時からだろう。無意識のうちに自分を救うという行為から目を背けるようになったのは。自分という存在を強く認識できなくなってしまったのはあの時が始まりだ。それでも彼女は生き続けている。自分だけは生き続けてしまっている。それがどれだけ罪深いことかを理解している。

 

 自分一人だけ生き残ったのに生きないのはおかしい。誰もが生きたくてしょうがなかった“明日”を自分だけが生きている。彼らの死を無駄にしないために自分は生きなければならない。そうしなければ誰も報われないじゃないか。ただ、そう考えたから息をするのも辛いのに、笑う自分が酷く醜く見えるのにスバルは生きている。

 

 そして、憧れた理想に殉じることで他者を救い自分も救われようとしている。いつの日か自分もあの人のように、自分を救ってくれた正義の味方のように笑いたくて。心の底から救われたような顔がしたくて正義の味方を目指している。それが自分のすべきことだと決めて(・・・)、誰かを救いたくて―――

 

 

『本当に救えると思うのか? この光景を見て君はまだ自己満足に浸るために誰かを救うとのたまうのか?』

 

 

 声に気づいた時には既に夢の光景は変わっていた。暗い地下水路、辺りには無残に四散した肉体。誰も彼もが恨み言すら自分に言えずに死んでいた。いっそ責めてくれるのなら気が楽だったのだろう。謝ることが出来たのならやはり楽だっただろう。だが、彼女には死を直視することしかできなかった。

 

 何かを憐れむ様にこちらを見つめてくる男の目はどうしようもなく癇に障る。しかしながらどこか安心するような不思議なものを持っている。自分は彼を知っている。何の根拠も無しに思ってしまうような奇妙な感覚だった。これも夢という環境のせいなのかもしれない。そう結論付けたところで男が再び責めるように声をかけてきた。

 

『君の願うものはこの世界のどこにも存在しない。いや、世界の外にもない。理想論でしかない。そんなものの為に後幾つ屍を築き上げるつもりだ?』

 

 男の言葉は否定のしようがないほどに正しかった。彼女の行いの先にあるのは積み上げた無数の屍だけ。想像するだけで恐ろしくなる。自分の罪深さに吐き出したくなる。だが、しかし。男の言葉にはどこか違和感があった。

 

 あの時は自分を否定し、糾弾しているだけだと思っていた。しかしながら今こうして考え直してみると彼の言葉には言動には優しさがあったのだ。とてつもなく歪んではいるが彼は自分もしくは自分が生きていく中で犠牲にするものを救おうとしたのではないか。何よりも彼は―――

 

『理想を捨てて人間になれないのなら、せいぜい機械のまま―――理想を抱いて溺死しろ』

 

 正義の味方を諦めさせることで人間になれない自分を救おうとしているのではないか?

 

 

 

 

 

「スバル、スバル、起きなさい」

「……ん、ティア? おはよう」

「おはよう。あんたが寝坊なんて珍しいわね。もしかしてどこか具合悪いの?」

 

 目を覚ますとどこかこちらを気遣うようなティアナの顔が目に入った。答える前に時計に目をやると確かに普段よりも遅い時間だった。いつもなら日課であるランニングをしている頃だ。慌てて起きようとしてティアナが今まで起こさなかったことに疑問を覚える。

 

 ティアナは基本的に時間を守るタイプだ。仮に自分を待ってくれていたのだとしてもこの時間まで起こそうとしなかったのには納得がいかない。その疑問に気付いたのか尋ねる前にティアナが説明してくれる。

 

「今日の午前中の訓練は休みって言ってたわよ。何でもなのはさんはあの子を迎えに聖王教会の方に行くみたいだから。ヴィータ副隊長も昨日の事件で潰れた海上演習の埋め合わせに行くらしいわよ」

「そっか、だから今日はゆっくりしてるんだ」

 

 納得して少し寝癖がついている頭を撫でる。恐らくは自分達の潰れた休暇の分の詫びも含まれているのだろう。そう考えるスバルであったが自分が精神的に辛い状態にあるかも知れないと隊長陣から心配され怪しまれないように休まされていることには気づかない。

 

「そういうこと、あんたも気分が悪いならもう少し休んどきなさい」

「ありがとうティア、心配してくれて」

「な! べ、別にあたしはあんたに倒れられると負担が増えるから心配なだけよ」

 

 笑顔で礼を言っただけなのに顔を赤くされて否定されてしまう。世間一般から言うとティアナのこういった反応はツンデレと言うのだろうなと心の中で思う。しかしながら言葉にすれば弾丸が飛んでくるかもしれないので胸の内に留めておく。

 

「あの子大丈夫かな?」

「体は大丈夫だと思うわ。ただ、あの子がどういった扱いを受けるのかは分からないけど。そもそも、なんでレリックなんて物騒なものを持たされていたのかも分からないし……」

 

 地下水路から現れた謎多き少女のことを考察する二人。何かしらの事件に巻き込まれているのは間違いないだろうがそれが何なのかは分からない。どちらにせよ最終的な判断を下すのは自分達ではなく隊長達だ。

 

 今の自分達は与えられた役目を全力でこなしていくしかない。他のことにエネルギーを割けるほど自分達は強くはないのだから。そして何よりも、他人よりも自分のことを心配するべき人物がいるだろうとティアナはスバルにジト目を向ける。

 

「というか、あんたは自分のことを心配しなさい」

「え? なんで?」

 

 キョトンとした表情で本気で分かっていないという顔をするスバル。その様子にティアナは怒りを通り越して呆れを感じてしまい溜息を吐く。つい先日に自分自身が敵に執拗に狙われたというのにそれを忘れている。

 

というよりも最初から自分を心配するという勘定から排除しているとしか思えない。以前から時折感じていたスバルの歪みをハッキリと感じティアナは問いかける。

 

「あんた、自分のこと考えてる? 昨日狙われたばっかりでしょ」

「―――あ」

 

 

 ―――もし、君が自分を救う勘定に入れていないのなら、君には誰も救えないよ。

 

 

 スバルは自分のことを考えているかと言われて男の言葉を思い出す。自分一人救えない人間に一体何が救えるというのだ。それはぐうの音もでない正論であった。今だってそうだ。自分よりも他人のことを考えて、自分のことなど考えようともしていなかった。

 

 今まではそれでいいと思っていた。しかし男と会ったことでその想いは揺らぎ始めていた。彼女は誰かを救わなければならないと願う。だが、誰かを救うためにはまずは自分を救わなければならない。だというのに、自分は誰かを救うことをしなければ救われない。

 

 矛盾だ。まずは自分を救わなければならないのに、誰かを救わなければ自分は救えない。どうすればいいのか分からない。そもそも普通の人間はどうやって自分という存在を救っているのか、赦しているのか、皆目見当もつかなかった。

 

「……スバル? どうしたの、急に黙って」

 

 黙り込んだ自分をティアナが心配そうに覗き込んでくる。そうだ、彼女に聞いてみれば分かるかもしれない。スバルは長年の相棒に希望を託し顔を上げ、口を開く。

 

「ねえ、ティア。あたしは何をしたら―――生きていてもいいのかな?」

 

「スバル……あんた…何を言ってるの…?」

 

 何も映していないガラス球のような瞳に見つめられてティアナは息を呑む。この瞬間に彼女はスバルの歪みをはっきりと感じ取る。人は誰であれ自分の為に生きようとするものだ。そうでなければ人は生きていけない。だというのにスバルは誰かの為に生きる以外の道を知らない。

 

 己を罪深い存在だと意識しているが故に懺悔を、償いをしていくことでしか生きる権利が無いと思い込んでいる。これはある種の病気だろう。聖人かと見間違う他者への奉公滅私は全て罪の意識から成り立ったものであり人間的なものではない。

 

 自分が生きたいから、死にたくないから、誰かの為になりたいからという自己から零れ落ちた願いではなく全てはそうしなければならないという義務感と強迫観念。それは全て願いではない。ただ機械的にこなされる―――作業だ。

 

「あ、ごめん……急に変なこと言って」

「スバル、あの男に何を言われたかはあたしは知らない。でも、信用できない奴の言葉に惑わされるのはダメ」

「でも、あたしは言われたとおりに機械かもしれなくて―――」

 

 自信無さげに呟いたところで額に強烈なデコピンをお見舞いされるスバル。思わず大きくのけぞり目を瞬かせる。恐る恐るティアナの様子をうかがうと明らかに怒り心頭といった姿が目に入る。地雷を踏んでしまったと気づいた時には既に遅く説教が開始していた。

 

「あんたは人間でしょ! それともあたしは人形に毎日話しかけてる痛い人だって言うつもり?」

「そ、そんなことないけど……」

「あんたは確かに色々あって歪んでいるかもしれない。でも、いつも無理をしてあたしをイライラさせるあんたが機械のはずがないでしょ。今もそうよ。機械にムキになって怒鳴りつけているなんて馬鹿みたいじゃない。だからあんたは人間よ。あんたがどんな生き方をしても周りの人間(あたし)があんたを人間として扱う以上はあんたは人間、わかった?」

 

 一切の反論を許されずに捲し立てられた内容にスバルは目を白黒させる。脳が言葉の内容を理解するまでにやたらと時間がかかる。そもそもティアナの言葉など理解できないかもしれなかった。だが、ただひたすらに―――嬉しかった。

 

 自分を肯定してくれていることが嬉しかった。自分を受け入れてくれることが嬉しかった。自分の傍に居てくれることが、嬉しかった。どうすればいいかの答えはまだ出ない。しかしながら、答えを決めることが出来る勇気を得ることはできた。

 

「ありがとう……元気が出た」

「あっそ。ま、あれだけ恥ずかしいセリフを言ったんだからそうでないと困るわ」

 

 耳を赤くしながらも何とかツンとした態度を保とうとするティアナに苦笑いする。彼女はとても優しいのにその優しさの出し方を上手く知らない。そんな不器用にも見える点がスバルは好きだった。

 

 周囲からは腐れ縁と言われるが自分にとっては運命の出会いと言っても嘘ではないだろう。自分の人生の中でティアナに出会えたことは最上級の宝と断言できる。

 

「さ、起きたなら朝食でも食べに行きましょ。あんたのことだからお腹は減ってるんでしょ」

「えへへ、実はしっかりと」

「はいはい。なら顔洗ってきなさい。先に着替えて待ってるわよ」

 

 そっぽを向いて手をヒラヒラと降るティアナを長々と待たせるわけにもいかない。そう思ったスバルは急いで顔を洗い制服に着替える。あの男が口にした機械という言葉は恐らくは自分の体にまつわる意味合いではない。もっと精神的なものだ。

 

 しかし、だからといってティアナの優しさが薄れるわけではない。恐らく彼女は心が人間になれない自分もそういった人間が居てもいいと受け入れてくれるだろう。彼女が居る限り自分は人間でいられる。そんなぼんやりとした確信をスバルは持っていた。

 

「あ、大事なこと言い忘れてた」

「何、ティア?」

 

 若干慌てたような雰囲気を醸し出すティアナだったがそれも一瞬で終わる。恐らくはすぐに言わなくてはならない類のものではないのだろうとスバルは呑気に考えながら尋ねる。それが彼女の目下の悩みに関係するものだとも知らずに。

 

「八神部隊長が時間のある時でいいから私達フォワード陣4人と話したいって言ってたわよ」

 




このルートはティアナがヒロインだな(笑)
さて次回ははやてのターンですね。

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