「………」
朝、パッチリと目が覚めると俺は体を起こさずに左腕を見た。
そこには包帯で巻かれた…手の無い腕。
痛みはないが、いくら手首を、指を、曲げよう、伸ばそうも動きは何も一つ変化が無い。
あの出来事は夢じゃなかったんだな、でも現実味が帯びないのは現実逃避をしているんだろう。
「………………」
左手は別に利き手ではない。だが趣味で格闘技をやっていた俺にとって自慢の拳だった。
これから先、一生この手で暮らすしかないのか…義手を付けないといけないな。
色々な事を考えれば考えるほど、気分は重くなり沈んでいく。
とりあえず、今すべき事は介抱してくれた御三方に礼を言うのが先だ。
そう思ってゆっくり体を起こす。すると誰かが入ってきた。
「健さん、おはようございます」
「…おはようございます」
早苗さん(呼ぶ時は名前でいいと仰っていたのを思い出した)だった。
昨日と同じ優しい笑みで挨拶してくれた。今の俺に気遣っているのだろう。
俺は呟くように言い返すと小さく頭を下げる。礼を言うのを忘れてしまった。
これが何とも無い普通の朝だったら、俺も笑顔で返せていただろう。
「朝食は此方に置いておきます。ゆっくり召し上がって下さいね。
食べ終わって落ち着きましたら居間へお越し下さい。
神奈子様と諏訪子様からお話がありますので」
そう言って俺の傍にそっと何かを置いていった。
おにぎり三つと漬物が盛られている皿と水が入っている竹の筒。
片手の俺を配慮して、態々用意してくれたのだろう。
早苗さんが立ち去って少ししてから俺はおにぎりを唯一の手で持って食べ始めた。
それぞれ鮭、おかか、梅と具材も入ってある美味いおにぎりもまるで味気なく感じた。
こんな気の重い朝食は初めてだったからか…喉の通りも悪かったが水で無理やり流し込んだ。
早苗さんがゆっくりでいいと言っていたが待たせるのは失礼だ。
片手が無いからゆっくりと立ち上がって居間へと向かう。
「健、おはよう~」
「おはよう、大丈夫かい?」
「…おはようございます。ご迷惑をおかけしてすいません」
そこには無邪気な笑顔で挨拶してくれる諏訪子さんと静かに挨拶するも心配してくれている神奈子さん、
お二方が俺を出迎えて頂いたので挨拶しながらご迷惑をおかけした事を詫びる。
そして二人の相向かいにある座布団に正座で座ると二人は先程までとは違う、真剣な表情になる。
どんな話が来るかは予想はついているので顔を上げて話し出すのを待つ。
「まずは健、貴方の左手のことを話すわ」
「…あの影は、祟りがどうとか」
「そう、祟りだよ。とても強力な、ね」
諏訪子さんが言うと俺の左腕を見つめる。俺は左腕を上げて同じように見た。
「あれは恐らく、古代の神の一端だわ」
「…古代の?」
「多分、私と神奈子が戦っていた時の時代の神だよ。
陰で一部の地域だけの人間達を祟りで脅して、健の時代まで信仰させていたと思うの」
…まさか、俺の家のあの祠がそこまで歴史のあるものだったとは。
そういえば親父が先祖代々って言っていたから当然、歴史があるだろう。
という事はあの人影は祟り神で、祠に粗相をした俺は祟られて…。
「貴方の左手は祟りによって無残に壊された。
本当は祟り殺す事もできるでしょうけど、あっさりと殺す気は無いようね」
「健をギリギリ限界まで苦しませてから殺すつもりかな? 随分と粘着質な神だね」
「…!」
二人の言葉に俺は絶句する事しか出来なかった。
これからの俺の人生は…あんな影にずっと弄ばれるのか?
どんな祟りが襲い掛かってくるのか予想も出来ない。
全身が左手のようにバラバラになるのか?
「だけど、この祟りが効かなくなる方法があるよ」
「でもそれは茨の道よ…貴方にその覚悟があるかしら?」
その言葉に俺は俯いた顔を上げて二人を見る。
机に身を乗り出して失礼も承知で迫るように言った。
助かるのであれば藁にも縋りたい気持ちが出ていただろう。
「それは…何なんですか!?」
「人間を辞める事」
「…え?」
「私が解呪する方法もあったけど、まるで異質な祟りでもし下手に弄れば間違いなく君が苦しむ。
でもこの祟りは人間しか効かないのがわかっている、なら人間を辞めるしか方法が無いんだ」
人間を辞める…その言葉に俺はまるで理解が追いつかなかった。
きっと間抜けな声を出したに違いない。
諏訪子さんの説明も半分しか聞こえなかったんだ。
そんな呆然とした俺を神奈子さんが説明してくれた。
「現人神って知っているかしら? 簡単に言えば生きている人間でありながらも神という事ね。
貴方にはそれを目指してもらう。但し、その修行はかなり厳しくてとても長い道のりよ。
だから言ったでしょ? その覚悟があるのかと」
人間が神になる?
ただでさえ混乱している俺はどういう事なのか、何がなんだかわからなくなった。
同時に神仏嫌いの俺はぶつけようの無い怒りが込み上げてきた。
「健、大丈夫?」
「私達からは強制しないわ。
最後まで人間として生きるなら祟りに苦しまないように最期は楽に逝かせてあげるし、
現人神を目指して厳しい修行の日々を生きるなら私達がしっかり面倒見るわ…だから選びなさい」
神奈子さんがそう言って立ち上がって居間を出る。
すっぱりと切るような冷たい言葉に思えたがきっとあれが神奈子さんなりの優しさだろう。
確かにこれは俺の人生の分岐点と言えるだろう。
だからこそすぐに答えなんて出せやしない。
「人間として死ぬか…人を捨て生きるか…」
居間で考えても答えなんて出せやしない。
そう思って外に出た俺は神社の石段に座って空を見ていた。
見渡したくなる綺麗な青空だが、今の俺にはそんな事も何も感じられない。
考えれば考える程、左腕には痛みが無い筈なのに何故か変に疼く。
幻肢痛とかいう奴か? 余計にイラついて考えがまとまらない。
「…くそっ!」
「あれ、そこにいたの?」
後ろから声を掛けられ、振り向くとそこには諏訪子さんがいた。
彼女は俺の隣に座り込むと俺を見つめている。
心を全て見透かされているかのような綺麗な瞳、俺は直視できずに目を逸らす。
黙っていても仕方ないと思い、こちらも声を掛ける。
「諏訪子さん…俺に何か?」
「健は…神様が嫌いなの?」
「………」
少し寂しそうに尋ねる諏訪子さんの声は俺の心にグサッとくる気がした。
その問いに答えられないからか、不意に目線を逸らして右手で左腕を抱え込む。
正直に神なんて大嫌いだとデカい声で叫びたかった。
けどここまで俺みたいな人間に気をかけてくれる神に向かってそんな事を言えるか?
神なんて人間に何もしない有りもしない存在だと嘲笑っていた過去の自分自身を思い出した。
「あの神にここまでされて…嫌いじゃない方がおかしいか」
違う! 違うんです!! …俺はそんな事が言いたいのでは!
「俺は…確かに神仏は嫌いですが…あなた達には感謝しています」
「無理しなくても大丈夫だよ? 私は気にしないから」
「本当の気持ちです…ただ…」
「ただ?」
「何で…何で恩人が神と言うだけで…どす黒い感情しか出ない自分がこんなに情けないんだよ!!」
最後に叫ぶように自分自身の感情を言うと涙が溢れてきた。
他人の前でこんなに涙を流すことは幼い頃以来だろう。
右手で泣いている目を隠すように覆い、泣き続けた。
すると諏訪子さんが立ち上がり、俺の頭を抱きしめて優しく撫でた。
「よしよし、男の子が泣くのは駄目だけど。今だけは私が許してあげる」
「…ッ!」
その包容力のある言動に俺は子供のように泣いた。
しばらく経つと俺は落ち着き、赤くなった目で諏訪子さんの方を振り向く。
そして頭を下げる。
「お恥ずかしい所を晒してしまいすいません」
「大丈夫だよ。でも、いつまでも悩んではいられないよ?」
「…人間として死ぬか現人神として生きるか、でしたね」
確かに諏訪子さんの言う通りだった。
今の俺にはどっちを選ぶにも覚悟を決めなければならない。
だからこそ、はっきり決めよう…俺は何をするべきかを伝えなくてはならない。
「決めました…!」
「どうするの?」
そう言われ、俺は立ち上がって石段を上がる。
不思議そうに諏訪子さんもついていくと俺達は境内まで着く。
そして諏訪子さんに向かって両膝を地面につけて頭を下げながら叫ぶ。
所謂、土下座だ。俺は本気であると示すように声を上げた!
「お願いします。俺を…現人神にして下さい! 生きる為に、例えどんな修行、苦行も必ず耐えます!!」
諏訪子さんはそれを聞くと無邪気な笑顔で屋根を見上げた。
俺も見上げてみるとそこには神奈子さんと早苗さんがいた。
どうやらあの様子をずっと見ていたらしい。
「やっと決心したわね。いつまで泣いているのかと思ったけど、覚悟は決めたようね?」
「では早速準備しましょう。健さんの決心が揺れない内に」
泣いていた所も見られていたとは…さすがに俺は恥ずかしくなって顔を赤くした。
諏訪子さんは嬉しそうにそんな俺を見ている。
こんな神達なら…悪くないかもしれない。
ふと、俺はそう思った。
閲覧ありがとうございます。
諏訪子様というと「あーうー」が有名な台詞ですけど、この作品内ではあまり言わないです。
デカい男が小さい女の子に師事するとかそういうギャップは大好きです←
また、次回もよろしくお願いします。