漫画家の兄と小説家の弟   作:高木家三男

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お兄ちゃんの気持ち。


不安と期待

9月のはじめ。

夕暮れの田舎道。定規で線を引いたように区画整理された田には、実の重さで頭を下げ、やがて刈り入れを待つ稲穂が金色に照らされている。

駅から離れ、目的地に近づくごとに道は細くなり、牧歌的な風景は東京の喧騒とは真逆の秘境めいた様相を見せる。

ときおり、タクシーはがたりがたりと揺れ、ふだん私服の雄二郎はあまり着慣れていないスーツがしわにならないかを気にしていた。

遠くには相変わらず押しつぶされたように横に広く引き伸ばされた山々が青々と佇んでいる。大きな道から分け入るたび、道路の舗装はところどころひび割れが目立つように。道の片側に立つ電柱はいつしかコンクリートから木で出来たものに変わり、それらをゆるく垂れ下がった電線がつないでいる。

 

目的の住所に着き、タクシーのドアが開かれ外に出ると、りんごのあまい香りがしたような気がした。

「それでは、長くても2,3時間ほどになると思いますので、帰りもお願いします」

編集長である佐々木がそう告げ、強いなまりのあるイントネーションで運転手が返事をする。

敷地を取り囲む木の塀には年月を感じさせる、新妻と書かれた表札。その奥にはよく手入れされた茅葺の屋根が特徴の、横に広い平屋建ての一軒家が風景に溶け込むように存在していた。

「ごめんください! 東京から参りました週間少年ジャンプ編集部の服部です!」

 

 

 

雄二郎と編集長の佐々木が通されたのは玄関からすぐの場所にある、畳張りの部屋だった。仏壇と神棚が同じ部屋にあるのがなんとも日本らしい。促され、食卓用に使うのであろう大きな座卓を囲むように座り、出された茶に口をつける。どうやら、歓迎ムードであるらしい。

 

「……では、もうエイジくんが上京する事はご両親も了解されているということですか」

「はい」

「良かったですね、編集長」

 

漫画家という不安定な職種という理由だけではない。親元を離れ、東京で一人暮らしをしながらの連載ということもあり、両親の許可は必須どころか前提だった。

 

「小さいころからずっと漫画ばかり描いていましたから。それが、このあいだ急に有名な雑誌で賞金100万の賞を頂いたなんて聞いて驚きました」

 

喜びと、どこか寂しさも感じさせる新妻エイジの両親のそんな言葉は、当然のものだと言えるだろう。作品を読んだり、電話で話した限り、エイジ本人はふつうの人間とは異なった感性を持ったことは想像に難くなかっただけに、彼が常識のある両親の下で愛されて育ったことに、二人は自然と感謝していた。

 

「……きっと、あの子は普通の会社に勤めたりは出来ないと思うんです。学校の先生から周りから浮いたところがあると面談の度に言われてきました。親としては心配ですが、それがあの子ですから、そこはそのままでも良いと思うんです。ただ……」

 

好きなことを好きにやらせる。簡単なようでいて、それは実際にはとても難しいことだ。エイジの両親が親として大らかな性質を持っているのは、自然に囲まれた土地柄だろうか。

 

「出来る限り、厳しくしてやってください」

 

突き放すようでいて、その実は優しさのにじみ出るような言葉だった。

 

「これはあの子にとって就職活動のようなものです。自分の好きなこと、やりたいことで生きていくには才能だけでなく他のものも必要になってくると思います。あの子が漫画を描くのを辞めるなんてことはないというのはよく分かっています。だからこそ、その世界で食べていけるようになってほしいんです」

 

「分かりました。彼自身の才能は疑いようはありません。それでも成功できるかどうかは分からない厳しい世界ですが、私達も高校生に週刊連載という無茶をさせる当事者です。出来うる限りのサポートをお約束いたします」

 

 

両親との対面を済ませ、板張りの廊下を案内される。踏みしめて、ぎぃという音が鳴ると雄二郎はかかとを浮かせるように歩き方を変えた。ふすまの低い位置には幼いころに描かれたと思われる、古いキャラクターの絵。母親の手によってそれが開かれる。

 

しゅぴーん。

しゃしゃっ。

どぅるぉーん。

でゅくしでゅくし。

 

「ほら、エイジ。編集長さんたちが来たわよ。ちゃんとあいさつばしなさい」

 

本棚にあふれるように、背の高さまで積まれた無数の漫画。

染み付いたインクのにおい。

壁には所狭しとエイジが考えたであろうキャラクターの描かれた紙が貼り付けられている。

 

「新妻くん、編集長の佐々……」

 

ばっしゃあぁぁあ!

 

突如、奇声を上げたエイジに声を遮られた雄二郎はぎょっと身を縮めた。

 

「……すごい、部屋だね」

 

しかし、そんな様子に佐々木は動じなかった。

背後から聞こえた落ち着いた声に、それまで動かしていた手を止め、エイジが振り返る。

 

「上京するにあたって僕からひとつ条件があるんですケド……」

「条件?」

「もし僕がジャンプで一番人気の作家になったら、僕が嫌いなマンガをひとつ終わらせる権限をください」

 

ボサボサの髪に着古されたよれよれのスウエット。新妻エイジは大きなペンだこの出来た右手に持った鉛筆で、二人の編集者と距離を測るようにしてそう言った。

 

「なっ……」

 

そんな突拍子のない言葉に、思わず二人は息を呑んだ。

 

「そ……、そんなの絶対駄目に決まってますよね。エイジくんもそんな事いっちゃダメだ」

「それをモチベーションにやりたいんですケド」

 

雄二郎のとりなすような言葉が聞こえないかのように、エイジは再び原稿用紙に向かい、奇声を上げながら執筆を続ける。

 

「そういう事はプロの厳しさを身をもって知り、「ジャンプ」の真の看板に上り詰めたうえでまだそう思っていたなら、その時もう一度聞こう」

 

思わぬ出来事に、しかし佐々木はあくまで毅然とした態度でそう告げる。

 

「……あとひとついいですか」

「ま、まだ何かあるのかな」

「一番の少年誌ってジャンプで良いんですよね」

「ああ、発行部数ならずっとトップを維持している」

 

そこで、エイジは再び手を止めた。

 

「最近のジャンプ。おもしろくないです」

「……!」

「マガジンで沢村叡智賞を取ったハリマ☆ハリオ先生とか、石波修高先生が戻ってからのサンデーの方がずっと勢いがあるように感じます」

 

聞き捨てならない言葉だった。しかしながら、それこそがわざわざ青森まで現役高校生を新連載のために迎えに来た理由でもあった。

 

「良い新人が出てないです、この頃のジャンプ。僕がジャンプに連載したとして、ライバルになれるような人はいますか?」

 

「今、ジャンプでもっとも力のある新人はエイジくん、君だろう。だが、高校3年で手塚賞に入選している子もいるし、すぐこの前も中学生の二人組が初めての持ち込みで話題になったりしている」

 

否定することは出来ない。大ヒットが出ていないのは確かだった。

 

「これからも彼らに継ぐ才能が集まってくる。君が活躍すればさらに若い漫画家を目指す者はジャンプに集まるだろう。私はそう思っている」

 

ややあって、エイジは振り返らずに佐々木の言葉に答えた。

 

「そうですか。わかりました、東京に行きます」

 

高校生とは言っても、一筋縄ではいかない。

そんな予感を思わせる邂逅であった。

 

 

 

9月30日。

シュージンとサイコーは手塚賞に合わせて完成させた原稿を持って集英社に向かう電車に揺られていた。

 

「はーっ」

「どうしたんだよシュージン。持ち込み2回目だろ、前のより絶対出来も良くなってるし、そんなに心配しなくていいって」

「ん、ああ。そっちは心配してないんだけどさ」

「原稿のことじゃないのか?」

「いや、ある意味原稿のことなんだけど」

 

そう言うと、再びシュージンはため息をつく。

 

「弟が急に小説家になるとか言い出したんだよ」

「え? お前の弟って言うと、1組の高木弟のことだよな」

 

「ああ。さすがに知ってるか。双子で顔もほとんど一緒だし」

「小学校で同じクラスだったことがあるからな。あと、1年の最初のテストでお前ら兄弟で1位2位だったから知ってるやつは多いと思うぞ」

 

「そうなのか。まあそれはどうでもいいや。あいつ、テニスやってるんだけどさ」

「ああ、小学校のときも大会で休んでたことあったな」

 

「めちゃめちゃ強えんだよ。去年、今年って全国2位」

「はあ? まじで言ってるのかそれ? 聞いたことないぞ」

「あいつ、人にそういうこと話さないから。友達がいないわけじゃないんだけど、ほぼ毎日練習だから学校以外じゃ付き合いもないみたいだし。あと、性格的なものだけど、俺と比べると一歩引いたところがあるっていうかさ」

 

シュージンが思い出すのは幼い頃から一緒に育ってきた弟の姿。生活の中心をテニスに起き、子どもとは思えない自制心で懸命に取り組む姿だった。

 

「『テニスの王子様』なんかは硬式テニスだけど、あれって実は中学じゃマイナーで、うちの学校も軟式テニス部しかないんだよ。んで、あいつは部活じゃなくてテニスクラブに入ってるから、学校で表彰とかされたことないんだ」

「なるほど……。確かに、シュージンも運動できる方だけど、弟の方がそっちは得意だったもんな。小学校の水泳大会じゃたしか1位だったし」

 

「ああ、サイコーと亜豆が見つめ合ってたっていうときのやつな」

「亜豆のことがなかったら流石に覚えてねーよ。3年前の特別仲が良いわけでもないクラスメイトの大会の結果なんて」

 

「まあ、そうかもな。んで、話は戻るけど。全国大会が8月の終わりごろにあって、あいつは準優勝だったんだ。その何日か後、俺達が初めてジャンプに持ち込みをした日に、「プロは目指さない」って言い出したんだ」

「……プロって。まあ、俺達も人のこと言えないけどさ、スポーツだと全国大会出てるとそんな先のことまで考えるものなのか?」

 

「サッカーだとクラブチームとかあるから珍しくもないと思うけどな。野球だと甲子園があるから高校までで考えるのかな。テニスはマイナーだけど、高校終わりくらいまでに判断する場合が多くて、大学行きながらプロ目指すとかもあるらしい」

「結構詳しいな。シュージンもテニスやってたのか?」

 

「いや、俺は最初ちょっと一緒にやってたけどすぐ辞めちまったな。一つのことをずーっとやるって結構それだけで才能だと思う。まあ、全国大会とかに出るときは応援しに行くことが多かったからさ。それで色々入ってくるわけよ」

「ふーん。まあ、俺でもテレビで見たりする野球とかサッカーとかならオフサイドとか細かい所はともかく基本的なルールは分かるしな。双子なら情報も入ってきやすいか」

 

「去年、あいつに勝った同学年のやつなんかは世界レベルの才能があるって騒がれてて。弟に勝った後、すぐに渡米してる」

「やばいな、それ」

 

自分たちにとって、新妻エイジのようなものだろうか。いや、漫画の世界であればそこまでの才能があるのであればすでに連載しているだろう。そう思い直し、サイコーはかぶりをふった。

 

「そいつが何十年に一人って才能の持ち主なんだけど、弟も普通にプロを目指せるレベルの有望な人材って言われてるんだ。なのに、突然小説家だぜ? わけわかんなくね?」

「どれくらい本気なんだ、それ?」

 

小説家? プロを目指すような人間が急に? これが大学生くらいであればおかしいことではないような気もするが、中学生であれば確かに疑問符が浮かんでもおかしくない。

 

「二日前、今日持ち込む原稿の完成前だけど午前だけ仕事場行かなかった日に小説書いてるって言われてさ。プロを目指さないって言った翌日に執筆用のノートパソコン買って、一ヶ月で新人賞に出す原稿を書いたらしい」

「一ヶ月って……。それどれくらいの分量なんだ?」

 

漫画と小説は違う。だが、賞に出すようなものを一本仕上げるとなれば、相当の努力がいるだろうということは今のサイコーにとってはよくわかった。

 

「原稿用紙300枚分くらいって言ってたな。俺たちも持ち込みが追い込みだったからまだ読ませてもらってないし、それ以前にまだ直しがあるから印刷はしてないっていってたけど」

「そんなすぐに書けるもんなのか」

「無理じゃないと思うけど、相当大変だと思うな。俺もネームと原作やってるけど、小説の場合、絵がない代わりにセリフ以外に地の文も書いてるから。前ちょっと漫画原作者になる方法として、小説家になって自分の作品を漫画化してもらうのを考えてみたことがあるんだけど、だいたい、新人賞に出すような作品は完結してないといけないからジブリの映画とかあれ一本書くようなイメージだな」

 

なるほど、どうやらちょっとした思いつき程度で何とかなるものではなさそうだった。それに元クラスメイトの持つイメージとしては、手先はともかくとして、そこまで性格的に器用な人間にも見えなかった。

 

「あ、文学とかそっち系じゃないんだな」

「もともと小説はあいつの方が読んでたんだよ。文学もそれ以外の一般文芸、ミステリーとかも含めてな。ライトノベルも結構読んでて、そっち系を目指すらしい。漫画は俺の方が読んでたな。ジャンプ以外の週刊誌とか、古本屋で立ち読みとかもずっとしてるし。小学校の頃はあいつもちょこちょこ絵を描いてたから兄弟で漫画家って考えたこともあったけど、テニスを本気でやってたからとてもじゃないけど言い出せなかったし」

 

「へえ、絵も描けるのか」

「いや、サイコーほどじゃないよ。賞とか取るほどじゃないけど、クラスで一人いる絵がうまいやつってくらいのレベル」

 

確かに、石沢よりもうまかった気はするが、小学校の頃のことだ。おじさんが死ぬまではサイコーも漫画家を目指していた。自分が気にするようなレベルの人間がいれば近くにいれば覚えているだろう。

 

「漫画は絵だけで勝負じゃないから、おじさんもそうだったけど、一人でやるならそれでも何とかなることも結構多いけどな。上手い下手も大事だけど、それより個性のある絵かどうかの方が大事」

「ああ、もちろん上手いほうがいいとは思うけどな。……また何か話し逸れたな。んで、小説は一本書いたって言うし、それまでもテニスはかなり結果を出してたから県外の強豪校、鹿児島の方からとかも来てくれって話があったんだけどそれも断ったってあいつのクラス担任から聞いてさ」

 

自分が元プロの仕事場を貰えて、原稿の完成にはそれも大きく役割を果たしていた。環境は重要だ。本気でテニスを続けるのであれば、強豪校に行くことはサイコーにとってごく自然のことのように思えた。

 

「それだとかなりマジっぽいな」

「ああ、まあ小説家を目指すのはいいんだけど、あまりにも急だったからさ」

「シュージンとしては、結局どうしたいんだ?」

 

そんな、ごく自然な問いに、シュージンは答えることが出来なかった。

 

「……え。いや、どうしたいってことはないんだけど」

「聞いてて思ったんだけど、シュージンは弟にプロのテニス選手を目指して欲しいんじゃないのか?」

 

一人っ子のサイコーには、兄弟のいるシュージンの気持ちは分からなかった。

しかし、一度夢を諦めたことに関しては理解できるところがあったのかもしれない。

 

「……サイコーがそう思うんだったら、そうなのかもな。あいつの努力を一番近くで見てきたし、よく考えればあいつが全国大会とか小学校の頃から出てたから、俺自身も将来のこととか深く考えるようになったのかもしれない」

 

そう言ったきり、シュージンは黙りこんだ。

数秒の間。

 

「でも、無理強いはできないしな」

「そうなんだよな。去年弟に勝って海外に出たやつは知らない人が見てても分かるくらい凄かったし。その影響は間違いなくあると思うし、諦めたくなってもしょうがないと思うけど。テニスでプロを目指すのも、漫画家になるのも、才能の差はあるかもしれないけど努力は絶対必要だし、本人の熱意だけは他人にはどうしようもない。双子って言っても、いつも一緒にいるわけじゃないし、心の中まで分かるわけじゃない……」

 

だけどそれでも。

自分とシュージンの弟は違う。

似ているからこそ、そう感じる部分もあった。

 

「でも、今年も全国大会出たってことは去年負けたっていう試合の後、すぐに辞めたってわけじゃないんだろ。本人が納得するまでやって、それで決めたんならいいんじゃないか」

「……そうか。そういう見方もあるのか。確かに、プロを目指さないって言っただけで練習する量は減ったけど辞めてないしな」

 

見ているのだ。

シュージンは、弟の努力していた姿を。

そして、この一ヶ月キーボードを打つ姿を。

今年の大会の後は初めての原稿で見ている余裕がなかったが、あの時とはまた少し様子が違っているように思える。

 

「じゃあ、あとは本人が決めることなんじゃないか。俺みたいに漫画家で18までにアニメ化ほど厳しいとは言わないけど、小説家を目指したりするのだって、大学卒業までとか本人が決めてたらそこまで時間に余裕があるわけじゃないと思うぞ」

「そうだなあ……」

 

やがて、車内にアナウンスが流れ、電車はゆっくりと減速を始める。

 

「ほら、降りる駅、次の次だぞ。原稿、忘れんなよな」

「おう。……ちょっと緊張してきたな」

 

 

 

 

 

慣れない東京の電車は乗り換えがややこしい。

道は入り組んでいて、趣味であるバイクを気軽に乗り回せるようになるには少し時間がかかるかもしれない。そんな思いを抱きながら少年と青年の間にある彼はビルの入口をくぐった。

 

「すみません、週刊少年サンデーの山田さんに原稿を見て頂く約束で来ました、福田真太といいます」

 

ニット帽に細身のトレーナーとジーンズ。

周囲の建物ではスーツか施設管理の作業服の人間くらいしか訪れることはないが、出版社という特殊な仕事柄、受付の対応は手慣れたものだった。

 

「はい、確認いたします。こちらに氏名、住所等をご記入の上、少々お待ちください」

 

彼のような持ち込みも珍しくないのだろう。特に手間取ることなく確認は済んだようだった。

「お待たせいたしました。それではそちらのエレベーターから週刊少年サンデー編集部のフロアにお上がり下さい」

 

 

 

「どうっすか」

 

およそ30分後。アポイントを取ってあった編集者は小太りで感じの良さそうな人物であった。聞けば、看板作家の一人である坂井大蔵の担当もしていたことがあるという。

柔らかい物腰に、初めての持ち込みで年若い自分にも丁寧な対応。福田は自然と好印象を抱いていた。

 

「……うん、悪くないね。ちょっと過激な表現が目立つけど、作品自体は良く出来てます。うちへの持ち込みは初めてか。まだ18歳だっけ?」

「はい、今年高校卒業っす」

 

「進路とかは決まっているのかな?」

「いえ、漫画家で連載が第一志望っす」

 

そこで迷うようであれば、この場には来ていないだろう。どこかそんな若さゆえの根拠の無い自信が見て取れるような声だ。

 

「なるほど……。すぐに掲載とかは出来ないけど、賞に出せば十分引っかかるレベルだね。遠い所をわざわざ来てもらったんだ。僕の出来る範囲でアドバイスをして、修正したものを郵送して改めて賞に、という形で問題ないかな」

 

はい、と返事をしようとする福田を遮ったのは既に老いが入ろうとし始めた50台くらいの三白眼の男だった。

 

「福田真太、手塚賞佳作入選経験ありか」

「編集長!」

「せっかく広島から来てもらったんだ、最終的にどの作品を載せるか権限を持つ、私が見なければ意味が無いだろう」

 

やや痩けたような頬、慎重はそれほど大きくないのに、存在感だけが異常に大きく感じる。

 

「み、見てもらえるんすか!?」

「もちろんだ」

 

そう言って彼の手によって原稿がめくられていく。

そして、それは先ほど山田に見てもらったのと比べれば一瞬と言っていいような時間の間に終わってしまう。

 

「漫画とは残酷なものだ。描くのには1週間、1ヶ月とかかるというのに、それを判断するのはほんの数十分、いや数分の時間でしかない」

「……え?」

 

「拝見させてもらったよ。今のが、一般的な読者が君の作品を読む速度だ」

 

何が起こったのか、目の前の男が何をしたのかが福田には理解できなかった。

 

「山田くんは丁寧だからね。君の原稿程度に15分も時間を割いてくれた」

「どういうことっすか」

 

「今の君の作品は売り物にならないと言っているんだ」

「あ!?」

 

今度こそ福田は怒りを隠そうとしなかった。

抑えてはいたが、もともとは感情的なタイプだ。

そして、自分の作品をここまでバカにされては引き下がることは出来ない。

 

「つまり、私はまだ君をプロとして判断しない。手塚賞佳作などという経歴はまったく意味のないものだ」

 

だがしかし、それでも目の前の男には、言い返すことが出来なかった。

尋常ならざる真剣味。

こちらを貶めるという意図でなく、本当に編集者としての意見を言っているだけだということが分かってしまったからだ

 

「ふざけるな、とでも言いたそうな顔だな。だが、君こそ勘違いをしている。優しい言葉をかけてほしいのであれば、漫画など描かないことだ。ただ見て欲しいのであれば、わざわざ直接出向く必要はない。賞に出せば十分だ。こうしてわざわざ直接出向いたのだ。それ以外の何かが欲しいのではなかったか?」

 

「俺は……」

 

「そう、プロでやっていけるかどうかが知りたかったのだろう? そうであれば、結論はさっき言った通りだ。今の君の作品はうちの雑誌に載せるレベルに達していない」

「ッ、具、体的に、言ってくださいよ。どこが悪いのか」

 

相手が真剣であるのであれば、こちらも同じ場所に立ち、あくまで作者として応えなければいけない。それこそが福田の取れた唯一の反抗だった。

 

「悪いところなど無数にある。技術的な未熟、無駄な暴力表現、オリジナリティのなさ」

 

まるで、そんな欠点などどうでも良いかとでも言うようだった。

 

「だが、何よりも致命的なところがある」

 

何故目の前の男は、ここまで言い切ることができるのだろう。

息を呑みながら、しかしその視線から逃れることができない。

 

「それは、読者として見たときにこの作品に心惹かれるものがないという点だ。欠点などあとでいくらでも修正できる。真に必要なのは、個性などというありふれた言葉で語られたものではない、その作家が描くべき必然性だ。小説にせよ、漫画にせよ、何にせよ。それがない作品など、他社はともかく我が社の雑誌に載ることはない」

 

反論しなければいけないはずなのに、出来なかった。そう、心にわずかでもよぎった瞬間に既に負けている。気分はコーナーに追い込まれてあまりの実力差にリンチされるボクサーのようだった。

 

「サンデーはここ10年、誌面の改革で発行部を数170万部まで増やした。対するジャンプは230万部まで落ち込んでいる。よく考えることだ。まだ漫画を描き続けることを選ぶのか。そうであれば君が描くべき作品とは何なのか。そして、どういった手段でそれを達成するのか」

 

にやり、と。

何も楽しいことなど何もない。しかし、面白い。そう思っているような笑顔だった。

 

「もしも君がゼロから這い上がってくるというのであれば、楽しみにしているよ。福田くん」

とんとん。

先程までの攻撃が嘘のように、男は慈しむように原稿を揃え、机の上に置く。

 

「ああ、最後に。……どうしてこの作品をジャンプではなくサンデーに持ち込んだ?」

 

答えたくはない。しかし、答えなくてはいけない。

呆然とする意識の中、福田はぽつりとつぶやく。

 

「……桜の道。友達に勧められて読んだ、長谷川鉄男っていう人が1作だけ描いた作品」

 

思い返すのは、ただ作品のことだ。

後から入ってきたそれを描いた人間が当時高校生だったことや、その他諸々の事情など、読者であったときの自分には関係がない。

 

「ずっと漫画は好きだった。絵を描くのも好きだったし、いつか漫画家になってやるって思ってた。色んな漫画を読んだ。特にジャンプは小学生の頃から俺にとってのバイブルだ。でも、実際に漫画家を目指したのは、原稿を描き始めたのは、人生を変えられたのはあの作品のせいだったんだ」

 

認めるのが嫌だった。

受け入れることができなかった。

だが、ここに至り、もはやそれに目をそむけることはできなかった。

 

「……俺は。それと、同じには、なれないんだな」

 

口に出してしまえば、あっけないものだ。

臓腑に落ちるとは、このことなのだろう。

 

「福田くん……」

 

それなのに、ふと心に浮かんだのは自分を否定する言葉ではなかった。

 

「……なん、て」

 

だが、今だから分かることもある。

 

「いつまでも、塞ぎこんでると思ったら、大間違いだからな!」

 

憧れは理解から最も遠い感情だとは、まさにその通りである。

 

「なってやるよ! 漫画家に! 俺の作品が載ったら、絶対に追いつけるなんて言わせねえ! 今度はそっちから、うちに描いてくださいって言わせてみせるからな!」

 

もう迷うことはない。

手塚賞で2つ下が描いた作品に敵わないなどと落ち込んでいる暇などない。

後はただ惨めでもみっともなくても、戦い続けるだけなのだから。

 

 

 

「……良かったんですか、編集長?」

 

「出来上がってしまえば必然のように見える。高度な技術とそして、それ以上の、その作品をその作品たらしめる言葉には出来ない何か。そして、それを当たり前だと作家や編集者は思っていてはならない。その上で、生き残る者はごくわずかに過ぎない」

 

福田が悲鳴を上げるにして、その場を去った後、編集長である阿久田鉄人はかつて息子に向けて語ったのと同じ言葉を繰り返す。

 

「ならば、それが進むべき道を違えないようにすることもまた、我々の仕事のはずだ」

 

蛇足。

作品としてであれば今もそれを許すことはないだろう。

しかし、時は誰にでも等しく流れ、すべてを変えていく。

彼の作家に対するあり方はかつてとはほんの少しだけ変わっていた。

 

「なに、気にすることはない。部数が増えて気が緩んできたうちの作家や編集も、他のねじが締め直されれば危機感を持つだろう」

 

そう言って山田が見上げた阿久田の顔は、見知らぬ少年時代を思わせるよう。

 

「……新妻エイジ。お前に必要な環境が揃わないと判断できたそのときは、迷わず迎えに行く準備はできているぞ」

 

呟いた後で、阿久田は世相からすっかり切り離された喫煙所へ少しだけ身を縮ませて去ってい




クロス済み作品一覧
バクマン。
ベイビーステップ
アイドルマスター
GIANT KILLING
やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。
BECK
ピアノの森
砂の栄冠
G戦場ヘヴンズドア
スクールランブル
RIN
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