あくびを噛み殺す。
ステンレスのトレーを放り投げるようにして重ねて片付ける。給食の味はよく覚えていない。ただひたすら眠かった。受験まではもうそれほど時間がない。ちょっとサボったくらいで受からなくなるようなレベルの学校を目指しているわけではないが、授業中寝るのはよろしくない。今なら牢獄のような教室に閉じ込められて勉強する意味が分かる、そう石沢は思った。
「眠そうだな」
席に戻ると声をかけてきたのは文秋だった。
目の前の少年の顔の造形は整っている。それに嫉妬することは少なくない。だが、今はその表情が他のクラスメイトや自分とは違う、そのことにこそ意識が行く。
「……3時には寝たよ。きりの良いところまで進まないと気持ちが悪くてね」
お前のせいだろうが。そう思いながら、彼はこのクラスメイトのことが今はもうはっきりと嫌いではないと言えるようになっていた。
文秋と話すようになり、やがて会話の中で出てきたPixivに登録したのがひと月半前。
おべっかも何もない、匿名の他人に評価されることが、こんなにも怖いことだとは思わなかった。そして、他の何にも代えがたい快楽であることも知らなかった。
この眠さはその代償だ。そう、思えば安いものだ、そう思える。
最初の2週間は猿のように作品を公開しているページの更新を繰り返し、そして閲覧数や評価に一喜一憂し、コメントが付いた時などはあやうく叫びながら外を走り回るところだった。
そして、慣れてくるとどうしたらもっと上手く描けるようになるかを考えるようになる。
背景や機械、アンドロイドを描くとき、リアリティをもたせるためにはどうすれば良いのか。そこには、画力以外の理科や数学を元にした物理的な重心を見極める力が役に立つのではないか。
女の子を可愛く描くにはどうしたら良いのか。人をもっとよく観察したり、その表情がどんな心境から来ているのか知るためには国語の授業の小説や、好きで読んでいるライトノベルも役に立つのではないか。
世界の見方が変わる。
もう、元には戻れない。
昔なら納得していた線に、苛立ちを覚える。
何も分からず褒めてくるクラスメイトが鬱陶しく感じる。
自分はどこまで行けるのだろうということに不安を感じる。
だが、こんなにも苦しいのに、こんなにも楽しい。
だから、後悔はしていない。
上手くなるために参考にすることはあっても、昔のように他人のことを気にしているような暇はない。
ああ、これはきっと呪いのようなものなんだろうな。
そして、目の前の少年もまた同じような、いや、自分よりもずっと深い喜びや苦しみを繰り返して生きてきたのだろう。
少なくとも、今の石沢には人の表情からそれが分かるようになっていた。
クラスメイト、教師、両親、立ち寄ったコンビニや本屋の店員、すれ違う人の表情を注意して見るようになった。
人は、年を経るごとに表情に深みを増していく。
それはその人間の人生そのもので、ほとんどが環境や経験のせいなのだ。
だからこそ、自分と同じ歳でどこか大人びて見えるのは、他の人と違うことをしてきたという何よりの証なのだろう。
文秋はどこか物欲しそうな顔。
ああ、今日は月曜日だったっけ。
「……分かったよ。ジャンプだろ? 今週は隣のクラスの奴が買ってくることになってる。取ってくるからちょっと待ってろよ」
文秋の口角がほんのすこしだけ釣り上がるのを見て、石沢は少しだけこの分かりにくい友人との出会いを感謝した。
「石沢くん、遅かったね」
昼休みの教室は程よく賑やかだ。
残っているのは全体の三分の二程度。
12月の教室は少し肌寒くて、ストーブの前に集ってだべっているのは女子が多い。
机に突っ伏すように眠っていたり、本を読んだり、試験に向けて問題を出し合っている生徒の姿も見られる。
「僕だって忙しいからね。そういうときもあるさ」
同じ学年で、友人がいるクラスということもあって入りにくいということは無い。
石沢は自分の姿を見て話しかけてきた友人に言葉を返す。
「いやー、ハンターすごいね。王に会長、勝てる気しないよ」
そう言って、差し出されたのはBLEACHのキャラクターが表紙に描かれた今週のジャンプ。
もう連載が再開して10週になったっけ?
そんなことを思いながら石沢はそれを受け取る。
「おいおい、ネタバレは勘弁してくれよ。僕だって楽しみにしてるんだ」
ゴメンゴメンと形だけの謝罪。
ここで追っている作品だけ読んでから教室に帰ろうかな、そう考えていると、ふと思い出した。
「あれ、そういえば手塚賞の発表ってそろそろだったっけ?」
漫画家を目指しているものとしてはそのあたりのチェックも怠らない。
特に夏休み前の号に載っていた新妻エイジの作品は一つ上とは思えないほどの完成度だった。今なら、その凄さがよく分かる。
ああ、そうだったね。そんな友人と一緒に、ぱらぱらとピンクがかったざらざらの誌面をめくる。
「おお! 新妻エイジがまた入選してる! しかも、準入選も!?」
これは本物だ。石沢は素直にそう思った。
思わず興奮が隠せない。総評を読もうとして、しかし友人の言葉がそれを遮った。
「石沢くん! これ、これ! ココ!」
何だよ、いいところなのに。そんな風に思いながら指された先を見ると、そこにあったのは見知った名前だった。
『一億分の』
真城最高(14)埼玉県
高木秋人(14)埼玉県
佳作
思わず目を疑った。
しかし、どうやら間違いではないらしい。
思い返してみれば、一年のときのクラスメイトに真城というやつがいた。
そして、高木秋人のことは学年では有名人だけあって多少は知っている。
埼玉県で、14歳で、漫画を合作している二人がうちの学校以外にいる確率はいったいどれくらいのものだろう?
高木兄の方はともかく、真城の方は苗字も名前も珍しい。
いや、それ以前に何となく分かる。
間違いなくあの二人だと。
中間テストの結果や、ふと耳にした彼ら二人の会話。
それらも彼ら二人が、誌面にある作品を生み出したのだということを示していた。
「これ、3組の高木と真城のことじゃない!?」
驚いた。他に言葉はない。
不思議と悔しいという気持ちはあっても羨ましいという気持ちは無かった。
それはきっと、ここに載っている作品は彼らのものであって、自分のものではないからだ。
例えて言うなら、ワンピースは面白いし、お金持ちにもなってみたいとも思う。
でも、尾田栄一郎になりたいわけじゃない。
きっとそれは、他の何かではなくて、自分と自分の作品が認められたいからだ。
「ああ、そうみたいだね。なかなかやるじゃないか。そうは言っても、新妻エイジには勝ててないし、見たところ絵はまだまだみたいだけど」
思わず皮肉が出てしまうのは、性格によるものか。
まあ、じきに追いつくさ。
友人が傍らで騒ぐのを聞きながら、石沢は奥歯をキュッと噛み締めながらそんなことを考える。
興味はもちろんある。ふう、と息をついた後、作品のあらすじと総評を読もうとする。すると突如、物凄い力で開いていたジャンプを取り上げられた。
文句を言おうと向けた視線の先には、肩を震わせてだんだんと高い音の浅い呼吸を速める少女。岩瀬の姿があった。
文秋はストーブのそばでページをめくる指先を暖めながら、千寿ムラマサの『幻想妖刀伝』を読んでいた。
昨年の電撃大賞で大賞を受賞した、彼の前世にはなかった作品である。
完成度の高い和風ファンタジーで、文章、キャラクター、世界観ともに非常によく出来ている。
本屋で見つけた2巻は冊数も多かった。これから人気作品になっていくだろう。
そういえば、他に来るとしたらアクセル・ワールドが今年あたりだったっけ?
章の区切りとなったところで、そんなことを考えながら黒板の上にかけてある時計を見上げる。
「高木! お前のアニキが大変なことになってる、早く来い!」
帰りが遅いと思っていた石沢が、教室の扉を大きな音を立てて開き、そう叫んだ。
「やったな、サイコー」
「そうだな、シュージン」
机を挟んで前後の椅子に座り、二人は今週号のジャンプを見ながらにやける表情を隠せずにいた。
「俺さ。もう総評覚えちゃったよ。『非常にシェイプされた良質のSFだ。完成度は既に新人の域を超えている』」
「俺も。『丁寧に描き込まれた努力の積み重ねを感じる背景。キャラクターはまだまだといったところだが、ひと月前に描いたという作品からの進歩は著しい、末恐ろしい中学生だ』」
二人は誌面を見ずにそう言うと、再び顔を緩ませた。
「かーっ、来週授賞式だわーっ。服とかどうしよう」
「賞金も入るし、おじいちゃんにちょっとは返さないとなー」
完全に緩みきっていた。
だからこそ、雷が落ちたような音を立てて開かれた教室の扉にも注意が行っていなかった。
「高木くん、これ、どういうこと」
激情を決壊寸前のところで押しとどめた声で、二人が広げていたジャンプの上に岩瀬の手でもう一冊のジャンプが重ねられた。
突然のことに、静まり返る教室。
「おー、岩瀬じゃん。実は夏休み前からサイコーと二人で漫画描いててさ。お前も見てくれたのか? 手塚賞で佳作取ったんだ」
へへ、と鼻の頭を人差し指で擦りながらシュージンはそう答えた。
その言葉を聞いた岩瀬は、首を動かさずに視線だけでサイコーを睨みつけた。
敵意。
漫画や小説ではよくある表現だ。しかし、現実世界でそんなものを見たのは、彼にとってそれが初めての事だった。
「つまり、ここに載っているのは間違いなくあなたたち二人ということなんですね」
「そ、そうだ。でも別に悪いことをしたわけじゃ……」
サイコーの弱々しい弁解は、しかしその途中で遮られた。
「悪いことを、したわけじゃない?」
その言葉には既に隠し切れない怒りが現れている。
サイコーが反論することは許されていないようだった。
加工されていない強い感情が、その場の雰囲気すらを支配しているかのよう。
「ふざけないで。あなた一人なら漫画を描こうが何をしようが気にしません。でも、高木くんが一緒なら話は別」
吐き捨てるように言葉をぶつけ、そして岩瀬は静かにジャンプを開いていたシュージンの右手を両手で握った。
「ねえ、受験までもう3ヶ月ちょっとしかないのは分かっているでしょう。模試も、定期テストの校内順位も下げてまでするようなことじゃないはずです」
岩瀬の言葉を聞き、一度シュージンはサイコーの顔を見た。戸惑うような、怯えたような表情だった。シュージンはふっと息をはいたあと、握られていた岩瀬の手からするりとぬけ出す。そして、少し照れくさそうに自分たちの名前が書かれたジャンプのページをなぞった。
「……いいか、岩瀬。漫画家になるのは俺の夢なんだ。サイコーと一緒になって、夏休みに初めて作品を持ち込んで、悔しい思いもした。でも今回、必死でやって佳作っていう結果で出たんだ。学校の成績なんかより、俺にとっては漫画の方がずっと大事なんだ」
「そんな事していたら、必ず後悔します」
だから、と続けようとした矢先。
「なんであんたが、そんなこと言うの!?」
そんな甲高い声が教室内に響いた。
亜豆のそばを離れ、近づいてくるのは表情を険しくした見吉。
邪魔な机の角にぶつかるのもおかまいなしに音を立てて歩く。
「何故って、わ、私と高木くんは付き合っているからです。好きな人の進路に関わることですから、当然のことだと思いますが」
頬をさあっと赤く染めた岩瀬の言葉を一拍置いて理解した見吉は、睨みつけながら自分の顔を岩瀬に近づける。
「はあ!? 何言ってんの? 高木は、夏休み前にあたしに告ってきたんだけど。あんたと高木が一緒にいたところなんてほとんど見たこと無い。妄想してんじゃないの!?」
呆然。それ以外に見吉の言葉を聞いた岩瀬の心境を表した言葉はないだろう。
それまで静まり返っていた教室が、にわかにざわつき始める。
「う、嘘じゃありません。1年生の頃、お互いを励みにして頑張りましょうと話したら、頑張ろうと手を握り返されました。表立って一緒に出かけたりはしていませんが、メールでのやり取りもしています……」
「で、でも。夏休み前に私にミホのことを聞いた理由、なんでって聞いた時は高木は私と話したかったからって言ってた! そうだ、真城だって聞いてたでしょ!?」
二人の言葉は段々と荒くなっていき、いつ手が出てもおかしくないような状況だ。睨まれたサイコーは迂闊に何か言うことも出来ず、ただ椅子に座ったまま縮こまる。
いつまでも返答を返さないサイコーにしびれをきらせたのか、ついにその追求は渦中のシュージンへと向けられる。
「どっち!?」「どっちなんですか!?」
問いつめられたシュージンは左手で眼鏡ごと顔を覆い隠すような動作をした後、短く強く頭を掻き、叫ぶ。
「あーっ! もう! 二人とも落ち着け!」
大声を出したせいか、シュージンはどこか落ち着きを取り戻したようだった。二人に反論を許さず、言葉を続ける。
「俺はどっちとも付き合ってるってつもりはない。岩瀬とは握手をしただけでそれがイコール付き合いますだとは思ってなかった。見吉とも話をしたかったけどイコール告白っていう意味じゃなかった。以上!」
(すげーなシュージン。この状況で言い切ったよ)
恐らく、サイコーの内心はその場にいたクラスメイトに共通したものだったろう。いずれにせよ、これで一息ついたと思ったが、そうは行かなかった。
「でも、でも私。高木くんのことが好きなの!」
両手を胸の前で自信なさげに握り、その声はどこか子供がしゃくりあげるようだった。普段は大人しい岩瀬がそんな感情的な態度を取るのを見たのは、その場にいるすべての人間にとって初めてのこと。
「あ、あたしだって、高木のこと好きだもん!」
振り絞るようにした告白の後、二人は息を切らしながら瞳をうるませてシュージンをじっと見つめる。
女子に好かれるのは嬉しいし、状況が今のようでなく、相手が可愛ければちょっと付き合ってから考えるということもありえた。だが、今のシュージンにはそんな不誠実な選択肢は思い浮かばなかった。思い出されたのは、この半年。サイコーと二人で必死に漫画を作ったことだけだった。
「……ありがとう。二人とも、すげー嬉しいよ。正直に言えば、岩瀬のことも見吉のことも嫌いじゃない。どっちかと言えば好きだ」
確かに。そう、シュージンは言葉を続ける。
「確かに、前の俺だったら、どっちか先に言ってくれた方と付き合ってたと思う。でも、今はそうじゃないんだ。俺には漫画家になるって夢がある。今はそれに向かって頑張りたいんだ。だから、二人とも、ごめん」
同じ言葉を聞きながら、二人の表情は全く違うものへと変化する。
見吉のそれは、どこか仕方がないといった、大人が子供を許すようなもの。
「漫画家なんて、目指したって意味ありません。必ず後悔します」
岩瀬のそれは、責めるものとはまた違う、どろりと濁った力の無い声と瞳によって作られた人形のようだった。
俺は、この眼を知っている。
人が本当に絶望したときに見せる表情。
去年、弟の試合に応援に行ったときに見た、一つ上の江川選手が池爽児に完膚なきまでにやられたときの顔。
圧倒的な才能の差。自分では決して手の届かない領域があると知って、それを受け入れてしまったとき。
そんなときに見せる顔。
……岩瀬は、本当に俺のことが好きだったんだな。
「夢を追って敗れて後悔するなら納得できる。でも、夢を追わなかった事に後悔したくない」
表紙がくしゃくしゃにされてしまったジャンプを、シュージンは丁寧に伸ばして岩瀬に向き直る。
「真城と漫画を描き始める前は毎日がただ過ぎていくだけだった。いつかは漫画家になりたいと思ってたけど、ここまで本気じゃなかった。でも、今は辛いこともあるけど毎日が楽しい。懸命に生きてる……」
そう言って、シュージンはふっと力を抜いて微笑んだ。
「岩瀬、俺、真城と一緒に谷草北高に行くんだ」
それ、あたしが行きたいのと同じ高校だ。まだチャンスはあるのかな。
そんな風に見吉がぼんやり考えていると、岩瀬はシュージンの胸に頭突きをするように頭をうずめた。
やがて聞こえてくるのは、声にならないぐずぐずと鳴る鼻と嗚咽の音。
いや、いやと力なく繰り返されるつぶやき。
そんな岩瀬をシュージンは振り払うことが出来なかった。
「こんなの、こんなのおかしいよ!」
シュージンの言葉に先程まで聞き入っていた見吉の、突然の爆発。
「高木は夢に向かって頑張るって言ってるのに、なんでそれを否定するようなこと言うの? 好きだったら、その夢を応援するのが本当じゃないの?」
岩瀬をシュージンから引き剥がそうとした見吉の手は、しかし岩瀬の手によってはたき落とされる。
「あなたなんかに、何が分かるの?」
だらりと垂れ下がった前髪から、生気のない瞳が覗く。
「努力したって、必ずしも報われるわけじゃない。高木くんなら、全国トップにもなれるのに。それを捨ててまで?」
ああ、そう言えば。
「そんなことを言うあなたは空手だかなんだか、全国大会に出たっていうのに簡単に諦めてしまったらしいですね。……そう、その程度の夢だっていうなら、応援だなんて茶番と同じ。最初から見ないほうがずっといいんです」
見下すような、嘲りを含んだ口元の笑い。
自分に対してだけであれば、見吉はそれに怒りなどしなかった。だが、自分が好きな相手のことだったからこそ、それに対する感情を抑えることは出来なかった。
「ふっ、ざけんな……!」
自分より少し高い身長の岩瀬を、しかし見吉は軽々と持ち上げる。
シュージンから引き離し、制服の首元を握り、締め上げる。
リボンのタイの形が崩れ、怒りを露わにした見吉の瞳が岩瀬を見据える。
何かが破裂したような。乾いた音。
見吉の視線は、腕力によって強引に岩瀬から逸らされていた。
後には振り下ろした岩瀬の平手。
その張られた頬の痛みを認識し、見吉は右腕に込めていた力を一瞬だけ抜いた。
机が派手に音を立てて横倒しになる。
そこには投げつけられた岩瀬の姿。
のそり、と立ち上がると言葉にならない叫び声を上げながら見吉に掴みかかろうとする。
上等……!
そう思って向かい来る岩瀬を捉えようとする見吉だったが、その腕は空を切った。
試合の場で見るのとは異なる、その人間が本来出せる力を超えた速度の突進。
今度、音を立てて机に突っ込んだのは見吉の方だった。
見吉が打ち付けた腰に気をやった瞬間、岩瀬がマウントポジションを取り、左手で見吉の髪を掴み、そして右手で何度も平手打ちを食らわせる。
「ヤバい、サイコー! 止めるぞ!」
「お、おう!」
しばし唖然としていた二人。シュージンの声でサイコーも立ち上がろうとするが、そこに岩瀬が吹き飛ばされて突っ込んでくる。
今度は逆襲に、文字通り、見吉が岩瀬を蹴り飛ばしたのだ。
打ちどころが悪かったのか、その場に悶絶するサイコー。岩瀬は痛みなど気にしていないかのように立ち上がり、再び見吉に向かっていく。
後ろから羽交い締めのように腕を掴まれた見吉だったが、腕力は彼女の方が上だったのか、腕を振り回すことは止めきれなかった。
握られた拳が振り回され、岩瀬の顎にがちんと音を立ててぶつかる。
ぐらりと激痛にたたらを踏むが、岩瀬は机に手をつき、その場に踏みとどまった。
そして、腕力ではかなわないと悟ったのか、その場に転がっていた椅子を細い両腕で持ち上げ、走りながら勢いをつけて振りかぶる。
――やり過ぎた。
そんな後悔も、もはや止めようがない。
シュージンが見吉に覆いかぶさるように庇うのを見ながら、岩瀬はそんなことを短い間に思う。
鉄と木で出来た凶器がシュージンの頭を捉え、ぐにゃりと食い込み砕こうとする瞬間、右側からの衝撃。
岩瀬の手は椅子の脚を握り続けることが出来ず、手から離されたそれは運動エネルギーを維持したまま、向きだけを変えられて窓ガラスに激突する。
ガラスが割れ、破片が飛び散り、そしてわずかな間の後に椅子が校庭に落ちてぶつかる音がした。
振り上げられた椅子を蹴り飛ばし、そして岩瀬が再び手を振り上げないように両手を握るのは、石沢に呼ばれて来た文秋だった。
放心したように、岩瀬は動けず、見吉も力が抜けたのかその場に座り込んでいた。
悶絶していたサイコーは、教室の入口付近にいた亜豆が駆け寄って介抱している。
やがて、この騒動における最後の暴力が振るわれた。
シュージンの、岩瀬に対する平手打ちだった。
「やり過ぎだ、岩瀬」
叩かれたことによるものか、それとも言葉によるものなのかは判然としない。
ただ、それまで抑えていたものが決壊し、岩瀬は声を上げて大声で泣き始める。
教師や人が集まって来る。
そんな中、ただ一人、文秋は右手で岩瀬の手を握ったまま、その泣き顔を隠すように彼女を左手であやすように抱きしめていた。
執筆環境のせいで、投稿分の1字下げができていないようでした。
基本的に新しい話の執筆を優先しますが、時間を見つけて修正する予定です。