■
「本当に違うの! ゆるして!」
胸倉を掴んで脅してやると、雪女は目じりに涙を浮かべながらそう叫んだ。
どうやら彼女、今回の異変とは無関係らしい。曰く、雪が降ってるから気分が高揚していて、たまたま私みたいな有名人を見かけたから声をかけた、とのこと。そんな紛らわしい真似をするのは金輪際やめてほしい。
実際、こんな異変が起こったときに出てきた雪女が怪しいわけがない。疑わしきは罰す。異変解決でも最も重要なことだ。とりあえず目に入った怪しいものから叩きのめしていけば答えにはたどり着く。
「うぅ……通り魔巫女めぇ……」
そろそろ問い詰めるのも面倒だったので開放してやると、そんな事を言われながら睨まれた。
通り魔というよりは辻斬りの方がいいかもしれない。こっちに来る前は殺しちゃうこともあったし。
幾分か経った後、雪女は恨めしそうにこちらを見つめながら帰っていった。去り際に「冬はもううんざりだわ」などとつぶやいていたが、それでいいのか雪女。
「んで、結局アリスのとこには行くのか?」
ああ、そういえばそんな話だったっけ。
目の前の雪女の相手に必死で、すっかり忘れていた。
「行くわ」
「おう、じゃあパパッと飛んじまうか」
待ちくたびれた、と言った様子の魔理沙が腰かけた箒をこんこん、と叩いて向きを変える。そうしてかなり速いスピードで前を行く魔理沙についていくと、私たちは背の高い樹が連なる森へと入っていった。
樹にぶつからないよう、少し速度を緩めて葉の間を飛ぶ。しんしんと降る雪はその背の高い樹によって遮られており、地面にはまだ緑が残っていた。
そうしてだんだん進むうちに、ふと違和感に気づく。
「……瘴気?」
「ん? なんか言ったか?」
ぽつりと呟いたその一言に、魔理沙がこちらに顔を向ける。
「なんだか、ちょっと寒気が」
「あー……霊夢はこっちに来るのは初めてだったっけ? 参ったな。いつもお前といるから忘れちまうぜ」
そうして魔理沙は頭にかぶった三角帽子を脱ぐと、確か古いのがあったっけな、とその中をがさごそと漁って、一本の小瓶を取り出した。中には透き通る水色の液体が入っており、魔理沙が手を振るたびにきらきらと輝く。
「ここは魔法の森って言ってな、霊夢の感じた瘴気だったり、幻覚だったりが入り乱れてる場所なんだ」
「そういう事はもっと早く言いなさいよ」
「悪ぃ、てっきり前に一度来てるもんだと思って。お詫びに、これやるからよ」
そうして、魔理沙は手に持った小瓶をこちらに投げ渡す。中の淡い青色が揺れた。
「緩和剤だ。私のお古だがまあ効果はあるだろ。嗅いでれば中和できる」
「……毒じゃないでしょうね」
「なわけ」
私も最初のころは使ってたんだぜ、と頬を膨らませる魔理沙をよそに、瓶のふたを開けて鼻に近づける。
漂ってくるのは、何とも言えない鼻に突き抜けるような香り。胸の奥がすぅっとして、少し冷たさを感じた。良くもなく悪くもない、薬の香りだ。
瓶のふたを閉じて魔理沙に投げ返す。毒じゃないだろ? と笑う魔理沙に、そうね、とだけ返す。さっきまで感じていた寒気はどこかに行ってしまっていた。
「お、見えてきた見えてきた」
しばらく木の間を飛んでいると、魔理沙が手を目の上に当てながらそんな事を口にした。
木々の間から姿を現したのは、赤い屋根の小奇麗な小屋だった。その玄関の前に降り立つと、箒から飛び降りた魔理沙が握った拳で扉を叩く。
「アリス―! アリス、いるかー!?」
魔理沙の呼ぶ声に応えるように、扉の向こうから足音が聞こえてきた。それを確かめた魔理沙が腰に手を当てて一歩下がり、中から出てくるのを待つ。
そしてドアが開かれ、中から現れたのは――金髪の、大人びた女性だった。
肩まで切り揃えられた輝く金の髪に、赤い色のカチューシャ。白い肩掛けのようなものをひらひらとはためかせ、ドアを握ったまま見開かれた水色の瞳は、私の事をまっすぐに見つめていた。
「もう、魔理沙、なにし……て……」
口を開いたアリスの言葉が、止まる。そのまま肩をわなわなと震わせ、握ったドアノブが小さく音を立てる。一言でいえば、血の気が引いたような表情だった。
「おうアリス、霊夢のやつが会いたいからって……どうしたんだ?」
手を上げた魔理沙が訝しげな視線をアリスと私に向け、眉間に皺を寄せる。
私もあまり詳しくは知らないんだけどね。でも、アリスは私の、博麗靈夢の事を知ってるみたい。
そして、おそらく私達に降りかかった事の顛末を、知っているはず。
震える彼女の手を取って、静かに呟く。
「アリス」
「……っ!」
私の声に、彼女が手を強く握り返す。
「……本当に靈夢なの?」
「ええ、私よ」
「あの博麗靈夢? 自分で飛べないから老いぼれの亀に乗って、いっつもダメなメイドに掃除させて、何か言ったらすぐに殴ってくるあの靈夢なのね?」
「色々と語弊はあるけど、そうね、間違いないわ」
少なくとも殴るようなことはしてない。たぶん。きっと。
ふとアリスの顔を見ると、今にも泣きだしそうな顔で、私のことを見つめていた。さすがにやりすぎじゃないだろうか。でも、大げさにやっているようにも見えないし。
一人おいてけぼりにされた魔理沙に目を向ける。
「いや……お前ら、どんな関係だったんだ?」
「昔、こいつの母親と少しあったのよ。まだこいつが小っちゃいときだったけどね」
「……なあ、霊夢。こいつは魔法使いだ。見た目はこんなでも、中身は私たちとは違うんだぜ?」
「それでも、私たちは知り合いなのよ。そうよね、アリス」
そうアリスに問いかけると、彼女は笑顔になって首を縦に振った。それを見た魔理沙が腑に落ちない、といた様子で口を尖らせたが、すぐさま調子を取り戻したように口を開く。
「それで置いておいて、アリス。何かわかったか?」
「ええ、大体は。とりあえず、入りなさいよ。ここじゃ寒くてたまらないわ」
そう言って家の中に入っていくアリスの後を、魔理沙が追う。
そしてそれに続こうとした私の体に、突如として違和感が走った。ぬるりとした、奇妙な感覚。抜け出したくても抜け出せないような、その感覚に、私は少しだけ覚えがあった。
「誰?」
後ろを振り返る。
そこにあったのは、言うなれば隙間、とでも言うべき、空間の歪みだった。その場所だけが布を切り裂いたように開かれており、内側にはおぞましいほどの目玉がぎょっろぎょろと蠢いている。端を結ぶように飾られたリボンが、奇妙だった。
その目玉の空間に、きらきらと輝く金髪がなびく。
「こんにちは」
紫色のドレスを纏った人だった。頭に白い帽子をかぶっている、妖艶と言った言葉が似合いそうな、女性。その金の瞳はどこかで見たように輝いていて、私をじぃっと穴が開くように見つめていた。
その姿は、まるで、いつかの夢に出てきたような――紫の、ひとだった。
「あなたは?」
「八雲紫。それだけお伝えしておきますわ」
赤い唇が動く。
「役割を果たしているようで、何より」
優しい声で、彼女が言う。その言葉には、いくつもの意味が含まれている気がした。
「彼女はアリスです。アリス・マーガトロイド。五色の魔法使いであり、魔界神の生み出した子であった、七色の人形遣い」
七色? 人形?
様々な疑問が、頭をよぎる。そんな事も知らずに、目の前のひとは左手に持った扇子を、すっ、と私のほうに向けた。
「あなたは、彼女のように、物語に飲み込まれないように」
「……どういうこと?」
「あなたは、博麗の巫女です」
そんな事は、知っている。だから、こうして異変解決に赴いたのだ。
しかし彼女の言っていることは違うようで、扇子で口元を隠すと、金の髪の間から見える切れ目を、細めた。
「役割を、お忘れなきよう」
その言葉と共に、隙間は閉じられた。あとに残るのはしんしんと降り注ぐ雪だけで、空を見上げると鈍色の天井が広がっている。残されたのは、いくつかの疑問だけだった。
「霊夢? 何してるんだ?」
私が入らなかったのを不思議がったのか、魔理沙が玄関から声をかけた。
「……なんでもない、私もすぐ行くわ」
首をかしげる魔理沙にそう返し、開いた扉をくぐる。
ふと後ろを見返すと、金色の瞳がこちらを覗いているような、そんな気がした。
■
湯気の立つカップが置かれ、アリスが向かい側へと腰を下ろす。そして懐かしそうに私の方を見つめると、白いカップを傾けた。それにつられて、私も熱い液体を口に含む。なんてことはない、普通の美味しい紅茶だった。
しばらくそうして温まっているうちに、魔理沙が切り出した。
「それでアリス、実際どんなもんだったんだ?」
「そうね……口で説明すると、少しわかりづらいかもしれないけど」
すると、アリスの後ろからふよふよと何かが近づいてきた。何かに釣られるように空を飛んできたそれは、一つの人形だった。髪の色は金の長いもので、小さな身体で、大きな瓶のようなものを抱えている。
その人形が机の上に降り立つと、手にした瓶をアリスへと手渡した。そうして人形は再び空を飛んで、奥の方へと飛んでいく。
「そんなに珍しいものでもないでしょ」
目で追う私に気が付いたのか、アリスがくすりと笑って言った。
それもそうか、と心の中で納得し、彼女の話へと耳を傾ける。アリスの細い指に握られた瓶の中には、ぼんやりとした桃色の何かが詰められていた。
「そのままだと分かりづらいから色を付けたんだけど、あなた達にも見えるわよね?」
「ああ、見えるぜ。なんか桃色のやつ」
三角帽子を脱いで、腕を組んだ魔理沙が応える。
「ええ、それで問題ないわ。それで二人とも、これって何だと思う?」
「んー……見たところ何かの力みたいだが、よく分からんな」
ちょっと見せてくれ、と魔理沙が言うと、アリスが瓶を彼女へと手渡す。しばらくまじまじと瓶の中身を見つめていた魔理沙だったが、あまりよく分かっていない様子だった。
かくいう私もあまり理解は出来ておらず、皆目見当もつかない。そんな推理をする私たちを、アリスは面白そうに見ていた。
「ダメだ、わからん。霊夢も見るか?」
「それじゃ」
手を差し出すと、魔理沙から瓶が手渡される。それは思ったよりも軽く、そしてほんのりと暖かかった。
「何かしらの力が集まったもの、っていうのは分かったんだけどな。手がかりが無さすぎるぜ」
「そうね、少しわかりづらかったかも。でも、靈夢なら分かるみたいよ?」
「なに?」
いきなり話を振られて、思わず振り向く。
魔理沙の嫉妬ながらも期待が込められた視線と、アリスのからかうような視線が同時に襲ってきた。そんなに見られても、分からないもんは分かんないし。大体、私は力の種類とかに通じてるわけでもないし。
でも今更できないとか言える雰囲気でもない。
体だけ大きくなっても、こうやってからかうところは、小さいときと変わっていないみたいだ。
「あー……んー……えーと……」
なんとかして足りない頭を使って考える。
と言っても得られる情報は桃色と暖かいものくらいしかないし。あとは持ってると少し気持ちいくらい。
うーん、桃、暖かい……桜……?
「はる……?」
春。何気なく、勘でそんな事を思った。
あ、これ意外と恥ずかしい。二人とも何も言わないし。なんか空気が凍り付いてるしっ!
「……ほんとに、分かったのね」
火照った顔を隠そうと目を逸らすと、アリスは心底驚いたように呟いた。
あれ、もしかして正解だったりする?
「霊夢の言う通り、これは春。私も偶然手に入れたんだけど、今回の異変はこれが関係してるわ」
「季節を形にしたのか。つまり、あー……冬が長いのはそういう事か?」
「そうね。誰かがこの春を纏めて持っていった、って考えた方がいいのかも」
季節を形にして持ってくなんて、そんなバカな。
けど事実こうして異変が起こっているわけだし、となると今回の首謀者はかなり強い力を持った奴らしい。
「でも、なんで春を持ってくの?」
それだけが疑問だった。私の意見に同調するように、魔理沙がうんうんと頷く。
「それを調べるのがあなた達でしょ?」
対するアリスは呆れたように頭を押さえた。
「んでアリス、これどこで拾ったんだ?」
「そう、それなんだけど」
そう言って、アリスが指を立てた。そうして天井を見上げ、困ったように呟く。
「上で見つけたの」
「上?」
魔理沙もつられるようにして天井を仰ぎ、私も首を上に向ける。視界の先ではちょっと古くなった換気扇が、ゆっくりと静かに回っていた。
「その上じゃないわ。もっと、概念的な上。私たちの世界とは違う上よ」
「……冥界?」
概念的な上、と言ったらそういうイメージしかないけど。
そう思って口に出したのは正解らしく、アリスは私たちの方を向いて首を縦に振った。
「けどよ、冥界なんてどうやって行けばいいんだ?」
「簡単よ、春の力を辿っていけばいいもの」
そう言って、アリスはおもむろに瓶の封を開けた。中から桃色のふわふわとしたものが漏れだし、それはゆっくりと天井に上がっていくと、部屋の角で動きを止める。アリスが魔力で力に干渉すると、桃色の気は導かれるように瓶の中へと戻った。
「力というのは集まった方向へと導かれていくもの。つまり、こうして春を辿っていけばいいの」
「なるほどな、そうと決まれば早速」
「ええ」
カップを一気に煽り、瓶を受け取った魔理沙が三角帽子を持って立ち上がる。
「もう行くの? まったく、せっかちなんだから……」
「あいにくと私は冬が嫌いなの。そろそろ花見もしたいことだし」
「そしたらアリスも呼んでやるぜ」
そうして魔理沙が玄関を乱暴に開け、立てかけた箒を魔力で浮かす。その魔理沙を追うようにして空を飛ぼうとしたとき、アリスに手を掴まれた。
「靈夢」
「なに?」
「どうか、気を付けてね」
急に何を言い出すかと思えば、アリスはやけに真剣な目でこちらを見つめていた。
「どういうこと?」
「……魔法使いとして言わせてもらうけど、あなたは少し危険だわ。まるで、存在がぼやけているような……なんだか、あなたがあなたじゃないような、そんな気がするの」
そうなのかな。自分ではよく分からないけど、アリスみたいな人が言うんなら、そうなんだと思う。
「靈夢、あなたはまだ――博麗靈夢よね?」
怯えたような、泳ぐ水色の瞳に力強くうなずく。肩に置かれた手は、寒さではなく震えていた。
大丈夫。私は、私。違う記憶が流れていても、別の世界に行っても、私は博麗の巫女だ。それ以外の何になれないし、なるつもりもない。
「ええ……ごめんなさい。でも、本当に気を付けて。あなたみたいな不安定な存在が冥界に行くと危険だわ」
「大丈夫よ。冥界って言っても、魔界よりは安全でしょ?」
「そういう意味ではないのだけれど……」
そう茶化してやると、アリスは呆れたように呟いた。そうして肩を落とす彼女の手を、両手で握る。
「ありがと、アリス。それじゃ、私はもう行くから」
「ええ。それじゃ」
アリスに別れを告げて、魔理沙の後を追う。アリスと話し込んでいる私を待っていた魔理沙は、やっと来たかとでも言わんばかりに首を振って、肩をすくめた。
「お前ら、仲いいんだな」
「昔は悪かったけどね」
殺し合うくらいには悪かったけれど。
そんな私の言葉に魔理沙はからからと笑い、三角帽子の中から桃色の瓶を取り出した。その封を開けると、ほのかに桜の香りが漂った。
開放された春が空中を漂い、上空へと浮かび上がる。それを追うようにして、私と魔理沙は鈍色の雲が広がる冬空を飛んで行った。
■