狩人が斬り裂く 作:雑穀
月が雲に隠れた大旧杜『深淵三層』の奥、狗神憑どもは獲物の肉を貪っていた。
本来ならば、腹と心を満たす食事であるが、今の彼らは乱暴に餌に食らいついている。不満げだ。その理由を説明するとすれば、それは彼らが食べている肉が人間の肉ではないというのが納得できるだろう。それはウサギであったり、鹿であったり、イノシシであったり、野獣の類だ。
ここには人間が入ってこられない。彼らはそれなりに力のある狗神憑であるが、それ故に『深淵三層』という奥地に封じられた。結界の外に一番近い深淵一層までは数キロの距離がある上に、その間は彼らでは破ることができない結界がいくつもある。ここに足を踏み入れる人間といえば、犬上筋の巫女や従者一族の犬護であるが、彼女たちは深淵三層程度の狗神憑では歯が立たない。
皮肉なことに、深淵一層に封じられた一番力の弱い狗神憑どもなら結界のほころびから手を伸ばせば、まれに人間を捕まえることができる。それを考えが深淵三層の狗神憑の機嫌はますます悪くさせていくのだった。
―――ピィーッ
突然甲高い音が狗神憑たちの耳に入ってきた。その方向を見ると、一人の男が立っていた。右手には短めの槍を、左手には大きな銃を持っている。狩人だ。彼が口笛を吹いたのだ。
狗神憑たちはいきり立つ。女ではないが目の前にあるのは紛れもなく新鮮な人の肉だ。飢えている彼らは仲間になる程度のこすい傷などではすませない、骨まで食いつくすだろう。
―――グアッ!
一匹の狗神憑が狩人に襲いかかる。狩人は後ろに軽く跳んで攻撃を避け、その直後に槍を構えて前に跳び、その鋭い槍先を狗神憑の脳天に突き刺す。狗神憑は絶命した。
「……」
狩人は槍を抜いて横に振るう。濃厚な血液が扇型に地面にまき散らされた。
さて、目の前にいる狗神憑の数は五、狩人は槍を構えてその群に跳びかかる。
狩人と狗神憑たちの死闘、それは熾烈を極めるように見えて、その実一方的であった。深淵四層程度の獣では彼の敵足りえない。一匹、また一匹とその数を減らしていく。
その様子を遠くから見ている者たちがいた。背の高い木の上で、狩人を眺めるのは二人の女。一人の手には薙刀が、もう一人の手には弓が握られている。
「あいつが件の下手人か?」
薙刀を持った女、大正女学生のような着物に袴を履いた服装、長い髪を頭の頭頂部より後ろでまとめ上げている。月を背にしているため顔は暗がる。
「ええ、大狗神『破矢太狼』の遠見、それを持ってしても探すのに苦労したけれど、ようやく、見つけた。狩りの現場もしっかりと見届けさせてもらったわ」
弓を手に腰に矢筒を携えた女、鋼製の胸当ての弓道胴着に硬い革の籠手を着けている。
「まあ、楽に終われるならそれに越したことはないわ。幸い向こうは此方に気づいていないようだし……犬護の方々が到着する前に仕留めてしまいましょう」
弓の女は矢筒から一本の矢を取りだす。十字刃の鏃の『二枚葉』、さらに先端には手足を麻痺させる毒『足削ぎ』が塗られている。
弓の女は矢をつがえる。その指先はほんの一瞬だが、ピクリと震えた。
「まあ、まちなよ。ユズリ」
薙刀の女が弓の女、ユズリを止める。
「どうして? 私の腕は知っているでしょう? マキ。今なら彼を殺すことなく無力化できるし、動けなくなった彼を襲いに来る狗神憑だって仕留めることができるわ」
薙刀の女、マキは薙刀を担いでとぼけたように口笛を吹いた。
「いや、なに。攻撃の前に警告くらいしといたほうがいいかなー、って思ってな。ほら、相手普通の……たぶん普通の人間だよな? まあ人間だし」
マキは飛びまわりながら狗神憑を蹂躙する狩人を見ながら言う。その動きを人間のものというには少々の戸惑がある。
「いいえ、如何に力があろうとも私たち以外の者が狗神憑を狩ることは許されないわ。彼は早めにつかまえて事情を聞きださないと―――」
「まあまあ、ここはあたいに任せてくれないか?」
そう言ってマキは木から飛び降りる。木の高さは人の背の十数倍はあるが、マキは難なく地面に着地する。
「見せてやるよ。あたい流外交術ってやつをさ」
ユズリを見上げるマキの顔が月に照らされる。その口には不敵な笑みを浮かべ、その瞳には『狩る者』の炎が滾っていた。
◆
―――ガアアアァァァァァ……
森の中に響き、溶ける狗神憑の断末魔。これで今日狩人が遭遇した最後の狗神憑が崩れ落ちた。
全身に血と臓物を浴びて赤く染まった狩人は、それらを拭うこともなく辺りを見回す。転がる狗神憑の死体、今日だけですでに五体狩った。
死体からは不気味な黒い瘴気のようなものがあふれ出て人魂のようになり、狩人に襲いかかろうとするが、彼の身体に接触する寸前で止まり、逃げるように離れていく。
おそらくは、あれが人間を狗神憑に変身させる『穢れ』というものなのであろう。アレらが狩人に取りつかない理由ははっきりとはわからないが、彼は自身がまとう『月の香り』があれらを退かしているのではと考えている。
「……」
この光景も見慣れたもので、最初こそ警戒はしたがすぐに慣れてしまった。自身に直接的な害がなければ、どれだけ有害な毒であろうと空気と同じだ。
狩人は狗神憑の死骸の隣に座りこみ、退屈な目で月を見上げる。この地に赴いて狩った獣の数はすでに四十五を超えているが、どいつも張り合いのない敵ばかりであった。数週間前に勝った砂蜘蛛とかいう獣はそれなりに強かったが、慣れてしまえばどうということのない敵であった。
もっと強い敵と戦いたい。狩人が今最も欲しているのは強敵だ。聖職者の獣、神父ガスコイン、血に渇いた獣、黒獣パール、教区長エミーリア、何れも油断のならない強敵たちで、何度もその身を砕かれ、刺され、斬られ、食われ、殺された。
悪夢に囚われた狩人は死なない、死はただの夢となり目覚めという新しい現実が始まる。殺されては挑み、殺されては挑みを繰り返し、彼は強い狩人となったのだ。
狩りは自己研鑽、自分より実力で劣る獣を何百と殺したところで何の実りもない。惰性は悪性、常に自分より強い獲物との戦いと勝利、それが狩人に必要なものなのだ。
「……」
狩人は大旧杜のずっと遠くの方をみつめる。ゲールマンから借りた資料によると、この奥にある『深淵十層』にはすべての狗神憑の頂点に立つ強力な狗神憑がいるらしい。
無論、狩人もそこを目指してはいるが、歩いている内に同じ場所に戻ったり見えない壁に阻まれたりする。奥に行くほど結界が強固且つ複雑になっていくのだ。
狩人も幻を破る手段を用いている。
『幻視の王冠』
幻を作る力を持つその王冠は、また同時に幻を破る力を持つ。穢れたカインハーストの秘宝の一つだ。
このきらびやかな王冠は異邦の術とはいえ、容易く打ち破ることができる。狩人は先に進む時にこれを頭にかぶり、狗神憑と遭遇したときには狩りの三角帽子をかぶるというようにしていた。
しかし、先に進んでいると思っていると、現実にはほんの数十歩程度の距離しか進んでおらず、また数歩の間を何回も往復している。
どうやら、一つの結界を破るたびにそれを埋めるように新たな結界が再形成される仕組みのようだ。言うなれば泡だ。気泡を一つ針で突いて消しても後から湧き上がってくる。いくら潰してもキリがない。この手の術は大本となる『式』を崩さない限りは完全に破ることはできないが、狩人にそこまでの知識はない。
狩人は重い腰を上げる。少しずつだか着実に奥には進んでいる。歩き続ければいつかは最奥にたどり着けるはずだ。狩人は杜の奥を目指して歩を進めようとする。
「ダメだねぇ、全然なっちゃいねぇ」
突如として聞こえてくる女の声。狩人は近くの木の裏に隠れて周囲を警戒する。
狩人が隠れている木と反対の方向から土を踏む音が聞こえてきて、闇の中から一人の少女が現れる。マキだ。
マキはスンスンと周囲を嗅ぐように数回鼻をならすと、狩人が隠れている木の方向を向いて口角を釣り上げた。
「血と臓物のに混じって、なんだか不思議な匂いがするな。調度、そこの木の裏あたりからかな?」
月の香り、それを察知されたのだろう。これ以上隠れても意味はないと思いつつも、狩人は木の影から出ようとはしない。隠れつつ様子を探ることにした。
「まあ、まあ、そう警戒すんなよ。あ、アタイは犬中マキってんだ。あんたなんてんだ?」
「……」
返答はない、返ってくるのは無言と一緒にそよ風が吹いてくるだけだ。
マキは居場所を看破しても出てこない狩人に対して「やれやれ」とため息を吐くと、薙刀の刃の先を天に向けて振り上げた。
―――鎮
垂直に振り下ろされた薙刀の柄頭が地面にあたり、先端の鉄鈴が鳴る。
すると、狗神憑たちの死体が血しぶきを上げて弾けた。それだけにとどまらず、その身体を覆う剛毛は吸い込まれるようにして消え、突き出た口も鋭い爪も長い耳も縮こまり、身体は縮小されていく。
息を一つ吐く間もなく、狗神憑たちの姿は元の人間の姿へと戻った。
「……」
狩人は無言でその様子を見ている。その胸の内にあるのは驚きか、それとも無関心か、他者に図ることはできない。
「驚いたかい? 『鎮めの音』って言ってな、負傷を負わせた狗神憑に聞かせると『穢れ』が浄化されて人間として殺してやることができるんだ」
マキは隠れている狩人に語り掛ける。
「狗神憑って奴らはさ、ぶっ殺した後にこの鎮音を聞かせておかないと、その死体から『穢れ』が広がってもっとたくさんの狗神憑が生まれてきちまうんだよ」
乙女に似つかわしくない大股歩きで、マキは木に近寄る。
「だからさ、狗神憑を狩るのはアタイらの役目、アタイらでないとダメなんさ」
マキは首をコキコキとならす。
「ま、何が言いたいかというと……」
瞬間、辺り一帯に熱波が広がる。狩人は危険を察知して木の影から飛びのいた。次の瞬間、先ほどまで狩人が隠れていた大木はマキの薙刀の一振りにより伐採された。
「
断面から燃え上がる大木を背にして、マキは威嚇の声を上げる。その姿は、かつて燃え盛る旧市街を練り歩き獣を狩ったと言われている古狩人を思い起こさせた。
「……」
狩人は槍を地面に突き立てると、一旦マスクを下げてその手に唾を吐きつけて再び槍を握る。目の前の少女は油断のならない相手だ。つまり、それは久方ぶりの強敵だということを意味する。
「覚悟はできてるか!? なくてもぶっとばす!」
狩人はマスクをつけ直し、跳びかかってくるマキに銃を向けた。
やっとこさDLCクリアしたので今後は新武器出していこうかと思います。