狩人が斬り裂く   作:雑穀

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【大狗神】
本来、女性には取り付かない狗神憑の穢れ、それに侵された魂
特に古狗と呼ばれる個体の首を跳ね
注連縄(しめなわ)でくくり、縛り付け、力のみを引きださせる犬上筋の奥義である

大狗神を得た女性は『巫女』と称され
驚異的な身体能力、治癒力を得る他
その魂が生前に持っていた『月の力』を我が物として扱うことができる

すなわち、毒を制するための毒であるが、巫女は毒蟲ではない
過度に多用することは控え、真に恐ろしい獣と相対す時にだけ使うべきだ



犬上筋の娘たち 其ノ参

 焼ける大旧杜の中心に立つマキは、燃える薙刀を天高く振り上げ、そして勢いよく下ろす。炎を宿した薙刀は大地を切り裂くように、炎の線を狩人に向けて走らせた。

 狩人は横にステップして回避する。しかし、避けた後に遅れてきた衝撃はによって吹きとばされ、数メートル地面をえぐりながら停止した。

 咳き込むと、唾液と共に血液が土の上にまかれる。内臓に傷を負ったようで、更に骨にもひびが入ったらしい。

 

「寝てるヒマはねーぜッ!」

 

 飛び上ったマキが落下しながら狩人に向けて薙刀を振り下ろす。彼はすぐさまその場から飛び退いて攻撃を回避するが、巻き起こる爆炎が彼のコートを焼く。

 

「ヘタレてねーでおっ立てろ! イき足りなねーんだよ! まだまだ終わらせねーぞ!」

 

 マキの追撃。行動パターンは先ほどと然したる違いはないが、その一撃一撃に爆炎を伴っているため回避が困難だ。受け止めれば顔を焼かれ、避けても焼かれる。

 

「ウラァッ!」

 

 薙刀を振らず、突き出すことにより発射される火炎。秒間あたりの威力は最初の火炎弾と同じだが、これは継続的に対象を焼き払う。食らえば十秒と持たず消炭になるだろう。

 狩人は横にステップして回避するが、そこにはすでにマキがいた。火炎放射の地点をその場に固定できるのだろうか、そうしてすぐに移動したのだ。

 振り下ろされる薙刀を少々無茶な姿勢で回避するが連撃が叩きこまれる。

 

 狩人は思った、銃による迎撃しかない。先ほどのように、攻撃の瞬間を狙って発砲し、体勢を崩して内臓攻撃を見舞う。この状況を打開するにはそれしかない。

 

「どうしたどうした! 体力のねーヤローだな! 女の悦ばせ方ってやつをもっと勉強しやがれ!」

 

 耐え忍ぶ。徐々に体力を削られていくが、反撃の機会は必ず訪れる。焦らずにそれを待つのもまた狩人だ。

 

「オラァッ!」

 

 等々その時がきた。マキの大振りの一撃。これで狩人を仕留めるつもりだ。

 狩人は薙刀が振り下ろされるのに合わせて、銃槍の引き金を引いて散弾を射出する。このタイミングならまず間違いなくマキは体勢を崩すだろう。そこに内臓攻撃を食らわせられれば狩人の勝ちだ。

 

「!?」

 

 しかし、それは散弾が対象に当たればの話だ。

 狩人は信じられない物をみた。発射した散弾が、消えたのだ。正確にはマキに着弾する寸前で一瞬にして蒸発した。

 それもそうだろう。散弾は水銀弾を細かく砕いて射出するため、その時の熱によりあまり飛ばずに燃え尽きてしまう。炎の化身と化したマキの身体は多大な熱を帯びている、水銀弾が到達する前に蒸発させてしまうのだ。

 

 狩人は咄嗟に後方に飛ぶことにより、直撃したものの衝撃を幾ばくか緩和させた。そして一端その場から撤退しようとするが、退路を塞ぐように何本もの矢が飛んでくるめ思うような安全距離まで下がることができなかった。

 

「サンキュー! ユズリ!」

 

 狩人から離れた場所であるにも関わらず、マキが薙刀を振るう。すると軌跡が炎の線となり、彼に向かって発射された。

 回避をもくろむが、ここに来てヒビの入っていた骨が完全に折れたため身動きが取れない。回避不能、狩人は爆炎に包まれた。

 

 ◆

 

「……」

 

 マキは獰猛な笑みを次第に落ち着かせて、無表情になる。それに合わせてか、彼女の炎も落ち着いていき青色となった。

 彼女は構えを解いて轟々と激しく燃える炎を、ただ静かな心で見つめる。叫び声は聞こえてこない。そんなモノを上げる前に燃え尽きたか、あるいは炎の轟音によりかき消されているのか。

 ふとマキは自分の手が震えていることに気が付いた。おかしいな、どうしてだろう。今まで何十人と殺してきた。今更一人殺した程度で心が揺らぐなんておかしいことだ。

 

(ああ、そうか。まともに人間の形をしたのを()るのは久しぶりだったな)

 

 そう、マキが今まで殺してきたのは人間の面影を残さない獣ばかりであった。しかしマキが最初に手にかけたのは、狗神憑になって間もない人の形ばかりを残したモノであったのだ。

 

 犬中マキにはかつて最愛と言える弟がいた。犬上家には何かしらの呪いがあるのか、生まれてくる子供が全て女性であるのだが、血の薄い分家には時折男児が生まれてくる。彼女の弟のアキトもそうだった。

 狗神憑を狩る者であるマキの身体は頑丈で運動神経も人並み以上であり、気性も荒かった。それと対称的に弟のアキトは生まれつき身体が弱く病気がちで、だが穏やかで優しい性格だった。

 祖母である犬中タキは戦えないアキトを疎ましく思っていたが、マキは弟をとても可愛がっていた。それこそ、目に入れても痛くないというほどに心底溺愛していた。

 母親が早くに亡くなり、早急に巫女を継ぐ必要があったため幼少期から厳しい修行をしていたマキだったが、それを辛いと感じたことは一度もなかった。何故ならいつでも心の支えとしてアキト、それに幼馴染のユズリの存在があったからだ。

 

 しかし彼女にはある不安があった。それは犬上筋の者であるならば決して払拭できないものだった。

 犬上筋の巫女はその血の性質故か大狗神を身体に宿すことができるのだが、それは狗神憑の穢れが憑きやすくなるということでもあった。つまり、分家に生まれた男児は常人よりもずっと穢れを引き寄せやすく、狗神憑になるリスクも大きかった。恐らくアキトとて例外ではない。

 だからマキは目標を掲げていた。

「全ての狗神憑を駆除し、穢れという穢れを鎮めつくす!」

「そうすれば弟は狗神憑にならないで済む! ずっとアキトと一緒にいられる!」

 彼女を突き動かすのは一重に弟への『愛』だった。

 

 だが、運命というものはドス黒く邪悪で、一人の少女の想いなど路傍の草のように容易く踏みにじってしまう。

 ある日の夜の事だ、マキが借りていた本を返そうとアキトの所に訪れたときだった。電気もつけず、薄暗い部屋で背を向けていた弟に向かって彼女はいつもの口調で「お前に借りた本さ…あたいには難しくてさー」と声をかけた時、ある事に気が付いた。

 薄暗い部屋の家具や花瓶、座布団はメチャクチャに破壊されてひっくり返されていて、壁や床はおろか天井にまで、まるで切れ味の悪いナイフで斬りつけたような痕があったのだ。

「もしかして、狗神憑がこの家の中に入りこんだのか!」

 そんなマキの疑問はすぐに解消される。最愛の弟の手によって。

 振り向いたアキトは苦しそうに「姉ちゃん」と呟くと、普段の彼からは想像もできないような素早い動きでマキの目の前に立つと、病弱な人間には到底出すことのできない力で彼女を組み伏せ、床に押し倒した。

 混乱するマキの目に入ってきたのは、狂犬病の犬のような弟の顔だった。唾液の滴る開いた口から覗くのは人間の物ではない鋭い犬歯、吊り上がる瞳の奥には崩れた瞳孔が映っていた。

「まさか…お前!」

 マキは理解してしまった、アキトが狗神憑になっているということに。

 アキトはマキの服を脱がし、当時未発達だった乳房に舌を這わせてこういった。

「僕…すごく姉ちゃんを食べたい」

「そしたら姉ちゃんみたく強くなれる気がするんだ…」

 マキの心は絶望に打ちのめされた。守るべきモノが殺すべき対象になった時、もはやマキは自分の命を捨てていた。このまま最愛の弟に喰われるのならば、それもいいかもしれない。

 そう思った時だった。突如アキトが悲鳴を上げて炎上した。マキが上半身を起こしてみると、自らの手も炎が宿っているのが目に入った。その炎は周囲の家具や障子、畳に燃え移っているものの、不思議なことにマキ自身は火傷の一つも負わず、少しの熱さも感じなかった。

 それは、マキの中で大狗神が生まれ、その力が引き出された証だった。

「褒めてやるよマキ。お前の体は無意識に『弟』すら敵とみなして自動攻撃したんだ」

 振り返ると、縁側にはタキが立っていた。厳格な老婆はしゃがれた声で冷たく言うと、マキに薙刀を渡した。理解したくなかったが、タキの言わんとしていることは理解できてしまう。その手でアキトを殺せと言うのだ。

 薙刀を持つ手が震えるが、もしマキに迷う余裕や決断までの猶予といったものが少しでもあったのなら、もしゲロを吐いてうずくまれたのならば、ほんの少しでも彼女の心は平穏でいれたかもしれない。

「迷うようなら私が止めるよ」

「ぐずぐずしている間に逃げたらあいつは人を襲うようになる」

「早くしな!」

 だがタキは一切の時間を与えなかった。犬中の巫女に迷いはいらない、そういうことだったのだろう。そしてマキは泣き叫びながら薙刀を振り上げ、下ろした。

 覚悟と呼ぶにはあまりにも悲痛な決断。次にマキが見たものは、首と体を両断され、血の海に伏す弟の姿だった。

 

 その時からマキは誓った。心優しいアキトが死ななければいけないのならば、他の狗神憑もすべて死ぬべきだ。自分の邪魔をするならば、何人たりとも容赦はしない、と。

 

「……」

 

 燃え盛る炎を眺めて、マキは誓いを思いだして震える手を握りしめる。何の落ち度もない、ただ自分の誓いに従っただけだ。祖母や本家はあの狩人を捕らえたがっていたが、奴は所詮鎮めの術も持たないのに首を突っ込んできて余計に狗神憑を増やすだけのクズだ、狗神憑と同じだ。ならば殺したとしても誰に責められる筋合いがあろうか。

 マキは夜空を見上げる。もうすぐ日が昇る。思っていたよりもずっと長い時間、戦っていたようだった。

 

((なんてこと…まさか殺してしまうなんて……))

 

 耳元から声が聞こえる。ユズリの大狗神の分身を使った通信だ。

 少し感傷に浸っていたこれはいけないとマキはすぐにいつもの調子に戻った。

 

「いやー…つい力んじまってなー……まあ、あいつも相当な手練れだったし、あたいも手加減なんてしている暇もなかったつーか」

(ふざけないで。殺してしまったら、彼をバックアップしていた組織のことを聞き出せないじゃない。どうするつもりなのかしら? 犬中マキさん)

「うひっ! わ、わるかったって」

 

 普段は穏やかな親友であるが、怒らせると祖母よりも恐ろしいかもしれない。マキは早々に謝ることにした。その為にもすぐさま彼女の元におもむき頭を下げる必要がある。

 マキは後ろを向いて歩きだそうとする。

 

「で、でもさ、これでもう勝手に狗神憑を狩られる心配もないし、仕事は果たしたと言えるから、犬護の連中を呼んで後始末でもさせよう―――」

 

 その時、炎の中から炭と化した木を踏む音が聞こえた。

 

 ◆

 

 炎の中、薄くなった空気を必死にかき集めて肺に送りこむ狩人、彼は生きていた。一息する度に喉や肺が焼けるような熱を感じるが、彼は生きていた。

 マキは信じられないといった表情で振り向く。あれほどの火炎を浴びて尚、狩人は生きていた。

 しかし、その恰好は先ほどとまるで違う。いつの間に着替えたのやら、夜闇に紛れるような黒色のコートに三角帽子の姿から、煤まみれの小汚い服になっていた。手に持つものも違う、奇妙な機構の銃槍はどこにも見当たらず、代わりに目立っているのは左手に持つ青色ガラスの盾。さらにその盾で隠れてはいるが、右手にはすでに空になった注射器が握られていた。

 

 助かったのは、ほんの一瞬だった。ほんの一瞬の判断が狩人を救った。彼は特大の火炎弾が避けられないと判断するや否や、左手に盾を構えた。しかしただの盾ではない。

 

【湖の盾】

医療教会の特殊な儀式において、儀式者を守るために用いられた

ガラスであるが故に物理的な攻撃にはまったくの無力だが、青色のそれは使用者をあらゆる災厄から守る『湖』を模している

 

 この盾は物理的な攻撃にはまったくの無力だが、反面炎・雷光・神秘・血などの脅威に対しては無類の防御を発揮する。普段盾などあまり使わない狩人であるが、今回ばかりは救われた。忌々しい医療教会には多少の感謝の念をこめておくことにする。

 だがいかに湖の盾が優秀であるとはいえ、その時の狩人の体力では到底耐えきれる攻撃ではなかった。そこで彼は攻撃を受け止める寸前、特殊な輸血液を注射して一気に体力を最大まで回復した。そして攻撃に耐えることができた。

 

 盾と輸血液、この二つによって狩人は危機から脱することができた。

 

「!」

 

 マキは本当に、本当に油断できない相手だと再認識した。もはやあれこれこだわっている暇はないだろう。目の前の存在は人の形をしていても人ではない。そう考えると手の震えも止まっていた。全力で、全開で、目の前の者を焼き尽くす。炎が再炎上する。

 もはや狩人とて手段を選ぶことはできない。彼は注射器を投げ捨て、湖の盾をしまい、銃槍をしまい、一振りの短剣を取りだす。

 二枚の薄い刃を重ねたそれは、刀身が月の光を反射して星の瞬きのように輝いていた。

 

【慈悲の刃】

狩人狩りの狩人に継承されてきた仕掛け武器

その刀身には星の隕鉄が用いられている

 

 狩人は慈悲の刃を手慣らしと一振りする。それを合図とばかりに、マキが躍り出る。初めから最大出力の爆炎で敵を焼き尽くそうとしている。

 だが狩人は避けようとしない。左手に銃を持っていないので迎撃もできない。ただ、その手には慈悲の刃と、古びた棒状の物が握られていた。

 

「オラアアアァァアッ!」

 

 振り下ろされる薙刀。そして爆発。恐らくどれほど強大な怪物であろうと消し飛ばす一撃だ。

 しかしマキの顔に勝利の確信はない。手ごたえがまるでないのだ。爆炎が収まったあと、残っているはずの消炭のようなものがどこにも見当たらない。マキは周囲を探そうと顔を上げたときだった。

 

「うぐっ!」

 

 背中に走る鋭い痛み。マキは咄嗟に前に跳んでこの後に来るであろう連撃を避けるために前に跳んだ。

 だがマキは信じられない光景を目にする。突如目の前に狩人が現れたのだ。

 

「嘘だろ!?」

 

 マキは瞬きなどしていなかった。まるで、時間でも止めてきたかのように突然現れた。

 狩人が慈悲の刃を振り上げる。マキはそれを見て防御姿勢に入ろうとするが、これまた突然彼女の頬・肩・腕・わき腹・太ももが口を開くように割れた。

 ようやく防御姿勢に入れた時にはすでに大きなダメージを負っていた。

 

「ぐうっ!」

 

 素早い連撃。銃槍と違い、この手の武器は軽い分素早く振りまわせる。恐らく対人に特化した武器なのだろう。

 切りあげ、横なぎ、刺突。隙間のない連撃が叩きこまれる。

 

「この!」

 

 反撃のために強引に薙刀を振ったとき、また狩人が消えた。かと思えばマキから距離の離れたところに現れる。

 マキは口の中の血を吐き出して考えを巡らせる。

 

(しょーがーねー。考えるのは得意じゃねーけど、この場合考えないとあたいは死ぬ。『日伏身』を使うと力は強くなるが頭に血が上って冷静な判断がしづらくなるんだ。ここは、よく観察して、よく考えねーといけねーな)

 

 まず考えることは二つ。先ほどまで素早くとも精々人間の域を少し脱していた程度の動きだった狩人が、どうして急に超越的な素早い動きができるようになったのか。もう一つはそれほど素早く動けるのならば、どうしていきなりマキから距離を取ったのかだった。

 何かが変わったか、何か特別な行動をしたのかもしれないが、戦いに夢中になっていたマキはどう考えても自分では何もわからないという結論を出した。

 

「ユズリ……ユズリよ……」

((何かしら?))

「あの野郎の動きが急に変わったのは見えているな? そこには何かしらのカラクリがあるはずなんだが、あいつは何か特別なことをしたか?」

 

 そこでマキはユズリにアドバイスを求める。彼女は遠距離にいるがまるでマキのすぐ近くにいるような距離感でモノを見ることができる。さらに安全圏にいるということは、即ち情報を冷静に分析できるということだ。彼女なら何かに気付くかもしれない。

 

((残念だけど、何か特別なことをしたようには見えなかったわ。変わったことといえば、精々武器を交換したということくらい……もしかしたら、あの武器に何か術でもかかっているのかも))

「うーん、あたいもそれは考えたんだけど、なんか違う気がするんだよなー……」

((それは勘?))

「うん、勘」

 

 戦う者の勘というものはバカにできない。実戦の修羅場を潜り抜けてきたものたちはどのような攻撃をすれば相手に怪我を負わせることができるのか、どのような行動が自己の危険につながるのかを無意識のうちに学ぶ。それが『勘』というものにつながるのだ。最初の銃槍の不意打ちを回避できたのもマキの勘だ。

 マキの勘は、慈悲の刃は驚異的な武器ではあるが動きの変化には直接関係はないのだろうと告げている。もっと何か秘密があるはずだ。

 

((そう言えば……))

「なんだ?」

((彼、あなたが再攻撃をする直前、つまり動きが変化する直前だけど、何かを手に持っていたように見えたわ))

「何か? それは武器じゃあないのか?」

((いいえ、何か小さくて、少し黄ばんだ白色の棒みたいに見えたわ))

 

 小さくて黄ばんだ白色の棒、マキは狩人を注視して更に様子を探る。

 狩人が何かを取りだす。マキの目はそれを完全に捉えた。それはユズリの言った棒だった。狩人がそれを頭の横で握ると、砂のような光が風に煽られたように巻きあがり、狩人の足にまとわりつく。

 そして、狩人がマキの目の前に現れて慈悲の刃を振り上げた。

 

「おっと!」

 

 マキは大狗神の力を身体の防御へと廻し、攻撃を防御しながら後退する。

 

(そうか、素早い動きの秘密はあの棒か)

 

 その予想は当たっていた。それは棒ではなく古い狩人の『骨』なのだ。

 

【古い狩人の遺骨】

名を忘れられた狩人の遺骨

最初の狩人ゲールマンの弟子だったといわれる者のそれは

手にしたものに『加速』の力を与える

 

 『加速』の秘儀はその素早い動きによって敵、とりわけ同じ『狩人』と相対するときには重宝される。狩人自身もかつてこの秘儀の使い手である敵に相当の苦戦を強いられた。

 

「確かに厄介な道具だが、無限に使えるって訳じゃあなさそうだな」

 

 そう、無敵にも思えるこの秘儀にも当然弱点はある。まずこの骨は使い手に服従している訳ではないので、手持ちの水銀弾を触媒として消費しなければ力を引き出せない。更に時間制限があり、具体的には16秒と短い。先ほど狩人が一端マキから離脱したのも遺骨の効果時間の限界が近づいたため、再使用する必要があったのだ。

 

「へへっ、そうとわかりゃー!」

 

 マキは薙刀を振り上げると、そのまま頭上で回転させる。刃の炎が尾を引き、渦巻き、マキを包んだ。狩人にとってはどこかで見たような光景だが、過去のそれよりもはるかに密度も規模も違う、まさに『炎の嵐』だ。これを前にしては攻撃のために接近はできない上、銃弾も届かずに蒸発してしまうだろう。

 マキはこのまま遺骨の効果が切れるのを待っているのだ。

 

「それだけじゃあねー!」

 

 炎の渦の一部分が膨張し、弾けて帯のようになり安全圏にいる狩人に手を伸ばす。狩人はステップでそれを回避するが、続けざまに二つ三つ四つの帯が伸びてくる。

 狩人にはどれほど威力があろうと、目に見えている攻撃を回避することなど造作もないことだが、それは狩人がぎりぎりまでマキに接近することを許さない。さらに後退しようにも飛んでくるユズリの矢が退路を塞ぐ。『加速』の秘儀は素早く動けても物体を通過でくるわけではないのだ。

 先ほどと同じような光景だが、決定的に違うのはこの後狩人に向けられる攻撃は湖の盾では防げない直接攻撃だということだ。『加速』の効果が切れたところを狙ってくるのなら遺骨の再使用は許されない。

 

 そして、加速が消えたことを示すように、砂色の光もまた消える。

 

「そこだァッ!」

 

 マキは炎の嵐をかき集め、薙刀に吸収する。火はなくとも熱を吸った薙刀は陽光のように輝いていた。すかさず狩人に向けて跳ぶ。ユズリの矢が邪魔となり、狩人は前以外には進めない。

 マキは勝ちを確信した。

 

「そっ首貰い受けるぜ!」

 

 マキが薙刀を振り下ろしたとき、狩人もまた目を鋭くし、左手を慈悲の刃の柄に沿えて前に跳ぶ。

 

 二人が交差し、熱と、白い光が瞬いた。

 

「ウグァッ!」

 

 薙刀の熱が消え去ると、マキが膝をつく。その胸には大きなバツ印の深い傷が彫り込まれていた。方や、攻撃を抜き放ったままの姿勢の狩人。その両手には二振の刃が握られている。

 慈悲の刃は二つの刃を重ねた単純な、しかし特殊な仕掛け武器。刃を両手で引き離せば、たちまち二振の短剣と化しさらに速さを増す。狩人の最後の隠し玉だ。

 

「クッ!」

 

 だが狩人もまた膝をつく。見ると、肩から腰にかけて斜めに大きく身体の表面が割れていた。彼もまた、マキの一撃を受けていたのだ。表皮、筋肉、胸の骨が削げ落ち、肺腑や心臓が露出して尚生きているのは、血の意志の成せる業だろうか。

 

 だがどれほど傷ついても狩人はあきらめない。輸血液を三本同時注射し、傷も癒えない内に立ち上がる。

 マキも諦めない。大狗神の力を総動員し、武器の術によって治らない傷を強引に塞ぎ、薙刀を杖代わりにして立ち上がる。

 

 二人の戦意は消えていない。むしろ、傷を焚きつけにして更に燃え上がっていた。二人が互いに向き直る。

 

((マキ、貴女はよくやったわ。後は私に任せてちょうだい))

 

 しかしマキの耳に入ってきたユズリの声は、マキの頭に上った血を払いのけた。冷静に考えると、互いに傷が癒えきっていないこの状況、最後の一騎打ちに出るくらいならばユズリに止めをさしてもらう確実なやり方をするほうが賢明だと、そう思った。

 マキは狩人を見る。あれほどの傷がもう半分ほどふさがっている。強引に傷を塞いでいるだけの自分とは大違いだ。どちらかが死ぬまで戦ってみたいという気はあるが、本来の目的は狩人の捕縛。あの状態ならユズリの矢を避けるのは難しい、否、不可能だ。

 

(ああ、後は頼んだぜ。ユズリ)

 

 声に出さない、心の声。けれどもユズリはそれが聞こえているかのように、弓の弦を引っ張る指を離した。先端に足削ぎ毒の塗られた矢尻が、空を切って真っ直ぐに狩人に向かう。

 

 そして、日が昇り、矢は空を切ったまま地面に刺さった。

 

「なっ!?」

 

 マキは痛みも忘れて目を見開く。狩人の立っていた場所には何もなく、ただユズリが放った矢が入れ替わりのようにそこに刺さっていた。

 

「ゆっ、ユズリ! あいつは! あの野郎はどこに行った!」

 

((ちょっと待って! ……いない、どこにもいないわ))

 

「はぁ!? いないって、どういうことだよ!」

 

((だからどこにもいないのよ! いま破矢太狼の遠見で半径十キロ圏内をくまなく確認しているけれど、彼の姿はどこにもないは! それこそ影の一つもね!))

 

 ユズリの返答は、マキにとって納得しがたいものであった。ユズリの遠見の能力は確かなもので、マキもそれに絶対の信頼を置いているからこそだった。

 ユズリのいる位置はおおよそマキのいる場所から五キロほど離れた場所。つまりユズリがその場から動かないという前提で、彼女の遠見の限界範囲である半径十キロ圏内から逃れるためには、直線距離で考えると最長で十五キロ以上、最短で五キロ以上の移動が必要だ。マキと言えど、その距離を移動するには十数分、あるいは数分の時間を要する。あの化け物染みた強さの狩人とはいえ、それほどの離れ業を使えるとは到底思えない。

 ならば、狩人は素早く移動したのではなく、文字通りその存在が消えたと考える他はない。

 

「クソがアアアアアアァァァァァアアアアアアアッ!!!」

 

 マキは叫ぶ。だが返ってくるのはむなしい山彦だけだ。

 

 狩人は、それが夢であったように消え去り、永い、永い夜が終わりを告げた。

 

 




 これにて『犬上筋の娘たち編』は終わりです。

 ここまでくるだけなのに、長かった。
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