幻想奇譚東方蟲師。始まります。
現代において、怪奇心霊の一切合財を内包する土地がある。
外界とは隔絶された陸の孤島。石と鉄で出来た人類の支配領域を解脱し、流れ着くのは異形の者たち。超能力者、魔法使いといった人類のはみ出し者に始まり、人ならざる妖怪、霊魂といった怪異、さらには古く、神と呼ばれた神霊をもが混在する場所。極めて稀で、極めて混沌たる世界の最果て。
過去も未来も纏めて絡めて、忘却せしめる時代の極点を、誰が呼んだか故郷よ。
幻想郷。幻想が還り着くその場所を、誰かが初めてそう呼んだ。
ここは幻想郷。現代から忘れ去られた有象無象が辿り着く終着駅。自然と怪奇の流れ島に、大きな大きな森がある。緑が深く、濃厚な命の息吹が根付く樹海とも呼べるそこは、少し前までは当たり前にあった原初の風景で、畏敬の念を禁じ得ない自然そのものだ。
その森の中を歩き回る一人の影があった。
「まだ〜らキノコは、毒まみれ〜」
奇妙な歌詞の旋律を口ずさみながら、白黒の衣装に身を包んだ少女が地面から突き出た木の根の上を飛び跳ねるように移動していた。
地面は起伏が激しく、なおかつ薄らと生えた苔が湿った土と合わさって、ただ立っているだけでも転んでしまうような道無き道を、事もな気に進んで行く。森を歩き慣れているのだろう。少女の足取りは、まるで羽でも生えているように軽快だった。
「お?」
唐突な疑問符を浮かべ、少女が立ち止まる。視線の先には木の根元に体を預けて座り、眠っているような様子の男がいた。
「めずらしいな。自殺するのにわざわざここを選ぶなんて」
少女がいるここは幻想郷内でも屈指の危険地帯で、およそ普通の人間が立ち入る場所ではない。男の雰囲気は妙だったが、どうやら人間のようだった。
少女はつばの広い三角帽子を軽く持ち上げ、その影の奥にある瞳を光らせた。その妖しい光は金色の猫目石のごとく、この少女もまた、普通の人間ではない事を物語っている。
男の前にしゃがみ込み、少女は生きているのか死んでいるのかわからないそれに語りかける。
「自殺なら別のところにしとけよ。ここは一思いに殺してくれるやつなんて滅多にいないぞ。飢えて死ぬか、飢えのあまりその辺に生えてるもん食べて腹壊して死ぬかだ。かなり辛いぞ。おーい、聞いてるのかー?」
少女の声に、男は反応しない。既に死んでいるのか。どうしたものかと少女は首をひねる。
男の容姿は独特だった。月明かりを思わせる白銀の髪に、土色のコートを羽織り、子供一人分くらい入りそうな大きさの木箱を傍らに備えていた。ちょうど少女が背負う籠と同じくらいの大きさだ。
少女は男の傍らにある木箱に興味を移した。自殺を選ぶなら、この所持品は妙だ。そう思い、ちょっとした好奇心から木箱に手を伸ばした。
「……悪いね。それは商売道具だ。触らんでもらえるか」
「おおう。生きてたのか」
突然声を発した男に驚いて、少女は手を引っ込めた。どうやら本当に寝ていただけのようだ。
モゾモゾと動き出した男は一つ大きなあくびをして、薄らとその目を開いた。少女と、目が合った。
「……妙な格好のお嬢さんだな。髪の色も普通じゃない」
「そういうあんただって奇天烈な見た目してるくせに。どんだけ苦労したのか知らないけど、若白髪にもほどがあるぜ」
「たしかに、見た目に関しては人の事を言えた義理じゃないな」
長く降ろされた白い髪は男の左目を隠し、虚ろな右目は森の緑を垂らしたような新緑に染まっている。異質異形の類を見慣れていた少女にとっても、男の見た目はまさしく異様に分類されるものだった。
少女は怪訝な表情を浮かべて男を見やる。興味本位な好奇心で声をかけたが、いま心にあるのは警戒の色だ。ゆったりとした語り口調だが、どこか芯がある力強さが、その男から感じられる。自殺者とは思えない。
「こんなところで何やってんだ。昼寝するにも、もう少しいい場所があるだろう」
「まあ話すと長くなるんだが……」
「長くなるなら別にいいや。じゃあな」
「おい、ちょっと待ってくれ」
何をしているのかは知らないが、触らぬ神に祟りなし。そういう気持ちで少女がその場を離れようとした時、男は腰を浮かし、少女を呼び止めた。
「なんだよ」
「見た所お嬢さんは、この森を歩き慣れているようだが、近くに住んでいるのか?」
「そうだけど」
「ここがどこなのか教えて欲しい。この森を歩くのは初めてで、土地勘が狂っちまったんだ」
「ここは幻想郷、魔法の森だ」
「幻想郷? マホウの森……?」
少女が放つ言葉に、男は眉を寄せる。納得がいかないと顔に書いてあった。そしてその様子を見て、少女は合点がいったように警戒を解いた。
「そうだぜ。ってか、その様子だとお兄さんは外からの人か」
「外からの人ってのは、どういう意味だい」
男からの問いかけに、少女は頭上を見上げた。つられて男も頭上を見上げる。緑の天井の所々に穴が空いていて、陽光がわずかに降り注いでいた。
「そのままの意味だぜ。ここは幻想郷。信じられないかもしれないが、お兄さんは結界で断絶された異世界に迷い込んだってことになる」
「……へぇ。そいつは悪い冗談だ」
天を仰ぎながら、男はため息を吐くように呟いた。少女はというと、男の冷静な態度に少し驚いた。
「意外と驚かないんだな」
「仕事柄、慣れてるもんでね」
「ふうん。まあいいや。外からの人なら話が早い。ついてきなよ、元の世界に帰れる場所に連れてってやる」
「ずいぶん手際がいいんだな」
「たまにいるんだよ。お兄さんみたいな人」
少女は両手を肩のあたりで上に向けて、首をすくめるように肩を揺らす。その一動作を挟んだ後、軽快な動きで地面からアーチ状に突き出した木の根の上に飛び乗った。そして身振りだけで、男に立ち上がるよう促した。
少女の言葉に、男は従うようで、地面に安置してあった木箱を背負い、移動の体勢をとった。
男の身長は高い。普通なら、少女は男の顔を見上げる形になっていただろう。
「おお。お兄さんでかいな。こーりんくらいあるんじゃないか」
「そりゃどうも。そういえば、自己紹介がまだだったな」
木の根による助けもあって、少女と男の身長は大体同じくらいになっている。自然と合わさる目線のままに、男は自ら名を名乗った。
「蟲師のギンコという。お嬢さんは?」
「魔理沙。霧雨魔理沙だぜ」
「……日本人なのか?」
「こだわるところか? それ」
「いや、そうだな」
「じゃあさっさと行こうぜ」
白銀の髪に翡翠の目を持つ男の名はギンコ。幻想郷に突如現れた、蟲師と呼ばれる識者。彼が何者で、何のためにここにきて、そしてこれからなにが起こるのかは、まだ誰も知らない未来の話。
人類繁栄の光は眩しく、三千世界を照らし出すがごとき人工の輝きは、一方で日陰の闇を濃くする側面を持ち合わせている。光の代償に作り出される闇は、もうすぐそこに、迫っていた。
「あ、そこ滑りやすいぞ」
「なに? うおっ」
「日陰だし、湿度高いからな。苔が群生してるんだよ」
「……気をつけよう」
陰を蠢く異形の者たち。目には見えない異質なモノたち。
歩く二人の足元には、濃い、闇が広がっている。
「ってかお兄さん。ムシシってなんだ?」
「ん? 話すと長くなるが……」
「ならいいや」
「……そうかい」
ーーーおよそ遠しとされしモノ。下等で奇怪。見慣れた動植物たちとはまるで違うと思しきモノたち。それら異形の一群を、人は古くから畏れを含み、いつしか総じて、蟲と呼んだ。
いかがだったでしょうか。ゆったりとした雰囲気を感じていただけたのなら幸いです。
東方projectの世界を基盤としていますが、話の主軸はあくまで蟲師を意識しています。
どちらも浅薄な知識の元で組み立てていますので、どこまでやれるかはわかりませんが、たくさんの愛情を込めてこの作品を送り出します。感想いただけると嬉しいです。
投稿速度はまちまちとなりそうですが、続けていければと思っていますので、気長に、ゆるくお楽しみください。
それではまた次回。よろしくお願いいたします