幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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さてさて皆様お待たせいたしました。多くは語りません。第二章が始まります。どうぞお楽しみください。
第一章をお読みでない方も、章ごとに読み始められる作品です。どうか騙されたと思って、暇つぶしにご覧ください。

それでは。



幻想奇譚東方蟲師、始まります。






第二章 筍の薬
第二章 筍の薬 壱


 幻想郷のとある山奥。草木も寝静まる夜半刻に、珍しくも焚き火の灯りがともる場所があった。

 満月に近い月が、夜の天蓋(てんがい)に光の穴を開けている。その景色を見るたびに、世界が一つの箱庭で、月から誰かがこちらを(のぞ)いているような錯覚をしそうになる。

 火にくべられた枝の、はじけるような音が鮮明に浮かび上がる。辺りには虫のさざめきや、草木の(こす)れる音もあるようだが、今この場所においては、煌々(こうこう)と光る炎が、それら全てを遠ざけていた。

 そんな焚き火の前に胡座(あぐら)をかいて座り込み、煙をふかす男が一人。火の色で染まる白髪の頭に、森の緑を宿す右目。土色のコートを羽織(はお)り、夏でも多少は冷える夜風をしのいでいる。陰影(いんえい)が濃く浮き彫りになる光源の近くで、むしろ闇に身を染めているような雰囲気の男は、じっと、揺らぐ炎を(なが)めていた。

 どこか胡乱(うろん)な表情を浮かべる男は、気を張っているわけではないが、寝呆けているわけでもない。ただひたすら、そこにあるように座っていた。

 しかし突然、男は首を右へ動かして、光から遠い虚空(こくう)を見つめた。それは虫の知らせというか、直感というか、とにかく、男が感じ取れる何かがそこに現れる合図でもあった。

 見つめる先。光から少し離れたそこに、一筋の切れ目が入る。ゆっくりと紙を破るような異音を発して、その空間そのものに亀裂が走り、闇の口が開く。

 

「こんばんは。お元気かしら?」

 

 闇の口から声がする。話しかけてくるのは闇そのものか。否、闇の口から這い出した、少女の形をした人外である。神出鬼没な大妖怪、八雲 紫(やくも ゆかり)は親しげに男へと声をかけた。

 

「へぇ。お前さん、そんなこともできるのか」

「あら? そういえば私の能力を見せるのは初めてだったかしら?」

 

 夜から半分だけ体を出して、紫は少し考えた。斜め上を見上げるようにして、唇に人差し指を当てながらの考える姿勢というのは、どこかわざとらしく見える。その証拠に、すぐにどうでもいいかと思考を切り替え、紫は焚き火にあたる男へ向き直った。窓枠に肘かけるように、紫は空間の裂け目に寄りかかる。

 

「結構夜更(よふ)かしさんなのね。そろそろ()(こく)よ? それとも、怖くて眠れないとか」

「生憎だが、闇には慣れてるんでね。今更怖がることもねえよ。しかし、お前さん、この前とはずいぶん雰囲気が違うな」

 

 前はもっと、大人だったような気がしたが、と男は自分の記憶と目の前の少女を照らし合わせた。灯火に染まる金色(こんじき)の瞳は、あの日神社で男に「幻想郷からは出られない。あなたはこの時代の人ですらないのだから」と気軽に告げたものと相違ない。口元に浮かぶ薄ら笑いのせいか。あの時は、終始顔が隠れていたからな、と男は焚き火に視線を戻した。

 

「それはお互い様でしょう? でも私、あなたのその気さくな感じは好きよ」

「そいつはどうも。俺は、お前さんのこと、少し苦手かもな」

「まあ」

 

 紫は楽しそうに笑った。ますます、少女じみている。得体のしれない空間の隙間から、上半身だけ出しているにしては、不気味なほど不釣り合いだと、男は思った。

 

「それで、なんだ。まさかからかうためだけに、来たわけじゃねえだろ」

「あら。月が綺麗な夜に、淑女が殿方の元を訪ねる理由なんて一つでしょう?」

 

 冗談だろう? という表情を男が浮かべると、冗談よ? という表情が返ってくる。やれやれと男はそばに集められた枝を数本掴み取り、焚き火にくべた。

 火の勢いは変わらない。しかし燃料を加えた分、ぱちぱちと火の粉を弾けさせながら、炎は確実に揺らいでいる。男をからかって満足したのか、紫は話を進めた。

 

「あなたに一つ、噂を教えて差し上げようと思って」

「噂?」

 

 紫は言う。

 

「光る竹という噂をご存知? 人里から南へ数里行った先にある、迷いの竹林と呼ばれるそこに、光る竹が生えているという」

「いや、聞いたことねえな。が、そりゃまた、妙な噂で」

「そうね。たったそれだけの噂よ」

 

 たったそれだけ。その話を聞かせて、一体何がしたいのか。男はまず、光る竹と聞いて一つ思い当たるところがあった。かぐや姫の逸話ではない。男の経験から、掘り出すことのできる話だ。そう言えば竹の子は元気だろうか、と男は思った。

 しばらく、言葉が消える。静かな夜のささやきに、焚き火の音色が溶けていく。

 男は紫から真意を聞き出すため、言葉を返した。

 

「それで、俺に調査をしろってことかい」

「調査しろだなんて。そんな傲慢(ごうまん)なこと、私は言ったつもりはないのだけれど?」

「それこそ冗談じゃねえよ。腹の探り合いなんて趣味じゃねえんだ。こっちは」

「あらそう。初めてお会いした時は、結構ノリノリで付き合ってくださったのに」

 

 口に咥えた煙草を指に移し、胡座をかいたまま男はうんざりした風に、顎を肘で支えた。初めて紫と会った時は、それはもう慣れない言葉遊びをしたのを思い出す。元の世界に帰ると思えばこそ、ギンコはあの時応じたのだが、次の瞬間には帰れないときたものだから驚いた。

 口では残念そうに言いながら、紫は話題を切り替えた。

 

「ところであなた、幻想郷の方々(ほうぼう)を回ってらっしゃるようだけど、今はどこまで?」

「人里を出て、魔法の森とその周辺までだな。地図がなくて、不便してるよ」

 

 測量でも憶えるかね、と男は(かたわ)らの大きな桐箱を開けた。どうやら煙草が切れたらしい。すっかり短くなったそれを焚き火の中に放り込み、男は桐箱の中に並ぶ無数の引き出しに指をかけた。

 

「あらそうですの。でしたら、道中の危険は?」

「今のところ、ないな。人と出会うこともない」

 

 幻想郷の人間は旅をするなどとは考えない。自分が無力であると自覚しているからこそ、群れ、集団を形成し、決してその輪から出ることをしない。一度里を離れれば、そこは魔境だと理解しているからだ。

 幻想郷の大部分は魑魅魍魎の支配領域である。そこを人間の男が一人、無防備にも散歩しているなど、鴨ネギどころの話ではない。だがそれも、”ただの”人間であったらの話だ。

 ギンコの話を聞いて、紫は納得する。

 

「まあそうでしょうね。あなたなら」

「どういう意味だい」

 

 意味深に、深く口元を釣り上げて、紫は言った。男が妖怪に襲われない理由。まるでそれを知っているかのような口ぶりであった。

 聞き返しながら、男は桐箱の引き出しにかけていた手を止めて、振り返った。

 紫は扇子を広げて口元を隠す。それはもう、表情を見せないという意味だけにとどまらず、彼女の腹を隠しているのではないかと、男はそう思った。

 

「さてね。あなた自身に聞いてみなさいな。もっとも、あなた自身は忘れているようだけれど」

 

 ずぶずぶと紫の上半身が隙間に消えていく。彼女の話を真面目に聞くべきではないといった、博麗の巫女の言葉を思い出した。

 

「夜も更けたわ。そろそろお暇いたします」

「おいまて」

 

 闇に飲み込まれるように消えゆく紫は、男の制止を聞こうとはしない。紫の姿が完全に闇に沈み込み、裂け目が徐々に閉じていく。

 

「左目に感謝なさい。水清ければ魚住まぬ、常の闇には怪も生じず、ですわ」

 

 その言葉を残して、ぴったりと隙間は閉じられた。後には、こちらを覗くような闇が、木々の隙間に広がるばかり。

 思わず伸ばしていた手を下ろし、男は仰向けに寝転がった。

 夜の天蓋、月の窓。誰かが覗く箱庭に、男は最近やってきた。

 

「……光る竹、ねえ」

 

 男は蟲師。名をギンコ。今日も一人あてもなく、幻想郷を歩く者。



















 はいはいお待たせいたしました。幻想奇譚東方蟲師、第二章の開幕です。本当は明日投稿する予定だったのですが、なんか皆様待ちきれないといったご様子なので「序章短いし、出し惜しみしても仕方ないか」と思い至り、投稿と相成りました。(本当はランキングめっちゃ上がってルーキー日間4位になってお気に入りも200になった嬉しさが溢れて先走ったなんて言えない)

本編はまだ執筆中ですが、この際自転車操業でもいいでしょう(奮起)。一章のように一日更新とはならないかもしれませんが、その分、皆様に素敵な暇つぶしの物語を提供したいと思っておりますので、何卒、温かい目で見守っていただきたいと思います。



それでは。また次回お会いしましょう。

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