幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 鈴仙が里に売りに来ていた薬の中に、ギンコは蟲の気配を察する。


 この作品は章ごとの閲覧を推奨しています。一話につき3000~5000文字の短いものですので、お暇な方は、ぜひ、章ごとに読み進めてください。それでは。



幻想奇譚東方蟲師、始まります。






第二章 筍の薬 伍

 永遠を名乗るその(あずまや)には、住人をして生ける者など存在しなかった。逃げ延び、身を隠すために構えられたくせに、邸宅と呼べるだけの装いであるその家には、(けが)れを嫌う月の民が根付いている。

 月では人に囲まれていた自分も、今は竹に囲まれ、土壁に囲まれている。常に囲まれる我が身なれど、それゆえ中心に座する彼女は今、散りゆく竹の葉を見つめて何を思うのか。

 どこか(いびつ)で、しかし完全な彼女は、縁側に座り込んでもう数時間も動かずにいた。いや、動かないというより、動けないと言ったほうが正しいか。それもこれも、自分の膝の上で寝息を立てる兎に原因があった。

 すやすやと寝息を立てているのは因幡(いなば)の白兎。ふわふわと癖のついた短い黒髪から、白く長い兎耳を生やし、小さな手足を丸めて眠る様は幼い少女に相違ない。しかしその実態は、遥か長く、気の遠くなるような時間を駆けた命であった。

 一時の午睡。彼女らの時間の尺度で見れば、それこそ瞬きよりも短い時間。だが今この場において、この時こそが大切なのだと、経験から知っている彼女は、壊れ物でも扱うような丁寧な手付きで、兎の髪を()いていた。

 やがてぴくり、と兎耳が反応し、小さく声を漏らして寝返りを打った。先ほどまで頰をすり付けるようだったそれも、仰向けになる。その拍子になのか、起きたから仰向けになったのか、とにかく細く目を開けて、身じろぎした兎に、彼女は微笑みかけた。

 

「おはよう因幡」

「おぅ……」

 

 まだ寝呆けているのか、半開きの眼は中空を彷徨っている。構わず指先で、前髪をくるくると弄んでやれば、兎はもごもごと口を動かして、ひとつ、大きなあくびをした。

 

「しまったなぁ、すまん姫様。眠ってしまったよ」

「いいのよ。私、動かないことは得意だから」

 

 因幡と呼ばれた妖怪兎は、自分が眠って膝の上を占領してしまったことを、姫様とやらに()びた。そんな因幡の謝罪を笑顔で受け止め、代わりにいい時間を過ごしたわ、と微笑みかける女の名は蓬莱山輝夜。かの御伽草子、竹取物語に端を発する、伝説の人物であり、この邸宅の主人である。

 黒く光を吸収する髪は絹糸のようになめらかに広がり、背中から腰、床にかけて黒い川を作っている。桃色と赤で上下の別れた着物に身を包み、淑やかに魅せるその姿は大和撫子そのもので、姫様と呼ばれるだけの品格を備えていた。

 

「眠いなら、もう少し寝ていてもいいのよ?」

「ううん。もう目がさめちまったよ。だけど、もうちょっと膝は貸してくれるかい?」

「ええ、お好きにどうぞ」

 

 輝夜から許可を得た因幡は、じゃあ遠慮なく、とその魅惑的な御御足に頰を擦り付けた。質のいい生地が頰に擦れ、なんとも心地がいい。むふふ、と満足げな因幡の様子を見て、輝夜も因幡の髪を梳く手の動きを再開する。

 二人は縁側から、目の前に広がる邸宅の庭を眺めていた。何本か地面から突き出た竹が風に揺れ、日の光を所々遮り、地面に複雑な模様を描き出している。白い玉砂利が敷き詰められたそこにおちる影は、まるでひとつの水墨画のようだ。

 竹の葉が散る。竹の子の成長に合わせて、竹の親株が栄養を与えているのだ。成長という変化。しかしそれも、永遠を冠するこの場には関係のないこと。葉が散る様子が見えるのは、この亭の外、土壁を超えたその先でのみである。

 風にさざめくばかりの竹の葉は落ちない。永遠を約束されたその場所に、しかし変化は訪れる。人がやってくる。そう、因幡に伝えたのは、庭に飛び込んできた一匹のウサギだった。

 

「姫様、鈴仙が人を連れてくるって」

「あらそう。お友達かしら? そんなわけないわよね」

「なんか妙な男だって。夜の匂いがするってさ」

「夜の匂い? お夕飯のことかしら。もしかして料理人?」

「姫様……お腹空いてるのか?」

「割とね」

 

 呑気な言葉でやりとりする二人は変化に疎い。この場を訪れる人がいても、そこだけは変わらない。それがたとえ、風雲急を告げる使者だとしても、変わらないだろう。

 ここには長い時間が溢れている。始まりも、終わりもない。未熟は未熟なままで、完全なものは、やはり完全なままだ。

 竹の葉は落ちない。それでも影は変化する。この場所において、決まった形に収まらないそれを眺め、二人は長い時間を生きていた。

 

 

 

 まず遠目に見て、雅な場所だとギンコは思った。獣道が続くその先に、竹林を押し広げるような存在感を放つ、隠れ家が見えた。

 

「あれが永遠亭か」

「ええ」

 

 邸宅を囲む白い土壁の上から立派な瓦屋根が顔を出し、ギンコをして豪邸と思わせるその見事な佇まいに、しばし見とれてしまう。いつか都で見た料亭のようだ。驚いた。強烈に、頭に残っていた記憶を手繰り寄せ、ギンコは目の前の現実とそれを重ねた。

 鈴仙に続いて門をくぐると、ギンコはまた驚いた。今度はその景観にではなく、目の前を突然横切る何かが現れたためだ。次の一歩を引っ込めて、飛び出してきたそれを見てつぶやく。

 

「……なんだ、兎か」

「いじめちゃダメですよ?」

 

 そんなことしねえよ、と庇の下でこちらを振り返って言った鈴仙に反論した。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 がらり、と扉を開け、鈴仙が帰宅の挨拶をする。草履を脱ぎ去り、ギンコを中へと招き入れる。革靴を脱いだギンコが一歩、床を踏むと、ぎぃ、と大きな音がした。

 鈴仙の後に続くギンコは、奥の部屋へと通された。鈴仙が(ふすま)を開けて、ギンコを中へ促す。

 

「こちらでお待ちください。今、師匠を呼んで参ります」

「ああ、急にすまんな」

 

 ギンコの訪問は急なものだった。それというのも、鈴仙が人里で販売していたとある薬について、ギンコが疑念を抱いたためだ。

 不妊治療薬。効果のほどは確からしいが、それに蟲の気配を感じ取ったギンコは薬師に話をしに来たというわけだ。

 通された部屋は十二畳の和室だった。畳の匂いがするそこには、茶色の大きな座卓が一つ、部屋を占領するように置かれているだけである。華美な装飾は見られないが、手入れが行き届いている部屋に一人立ち、とりあえずギンコは、入口近くの座卓の端に、腰を落ち着けた。

 てっきりこの部屋には自分以外誰もいないと思っていたギンコだが、しかしこの部屋には先客がいた。

 

「うおっ」

 

 座卓の下から飛び出してきたそいつは、胡座をかいたギンコの上にすっぽりと収まり、我が物顔で居座った。

 兎。長い耳が特徴で、ふわふわの体毛で全身を包んだ、雪だるまのようなそいつ。玄関先でも見られたが、この屋敷のいたるところにいるのかもしれない。人に慣れているのか、ギンコの上から動こうとしないそいつを、ギンコは優しく撫でさすった。

 

「お前さん、飼われてんのか?」

 

 兎は答えない。当然だ。ギンコは耳をつまんで持ち上げ、離す。たらり、と力なく垂れるそれに、人間の言葉は届かない。

 愛らしい見た目の彼らである。愛玩用として飼われていても、なんら不思議はない。この家では人に愛でられているのか、妙に太々しい態度の兎に対し、(わらべ)のようないたずら心が芽生えたギンコは、ぽつりと言った。

 

「非常食にでもすんのかねぇ」

 

 兎鍋というものを思い出したギンコは、そんなつぶやきを漏らした。

 非常食。その独り言に反応するように兎の耳が跳ねる。ギンコの上から飛び出して、開けっ放しだった襖から、廊下へと飛び出してしまった。まさかそんな反応が見られるとは思っていなかったギンコは、その素早い動きに目を丸くした。

 そして兎が飛び出して行ってすぐ。廊下に人の気配があった。襖からすいっと顔を出したその人は、ギンコを見て、言った。

 

「あまりうちの子をからかわないでいただけますか? あれでいて、意外と繊細なんです」

「……そのようで」

 

 ギンコがそう答えると、女は微笑んだ。やはり愛をもって、あの兎は飼われているのだろうか。少し申し訳ないと思ったギンコの隣に、女は静かに座った。ちょうど座卓の角を、二人の間に挟むような格好だ。対面では、少し距離が開いてしまい、話すには不都合だと判断したのだろう。

 ギンコの方を見て、薬師は名を名乗った。

 

「初めまして。ここで薬師をやっています、八意永琳(やごころ えいりん)と申します」

「どうも。蟲師のギンコと申します」

「蟲師、ですか」

 

 聞き慣れないと言ったように復唱した永琳に、ギンコが補足する。

 

「草木や動物とはまた違う、微小な生き物たちを相手取る生業です。ここでは少し、珍しいようですが」

「ええ。そう名乗る方には初めてお会いします」

 

 すました表情を浮かべる薬師の女は、その佇まいに余裕を感じさせた。そしてここでも、ギンコは既視感を覚えた。女から発せられる雰囲気。妹紅と名乗る竹林の少女と出会ったときにも感じた、経験からの直感。

 ギンコは確信する。この薬師も、竹林の少女も、等しく永遠の命を持つ存在だと。ナラズの実を食べたのか。もしそうなら、それは禁忌である。だからこそ、軽々には触れられぬ話題でもあった。

 ギンコは少し考える。薬師はそんなギンコを待つように、姿勢を正したまま、薄く閉じた視線を座卓に注いでいた。その見透かすような表情に、ギンコは唾を飲み込んだ。

 

「……聞かないのですか? 私たちの素性を」

 

 見透かされているようなその言葉に、ギンコはとっさに返事ができなかった。

 

「……今回は、それが目的ではありませんので」

 

 そうですか、と静かにつぶやき、永琳はそれ以上、言葉を口にしなかった。

 しばしの沈黙の後、やがてギンコは口を開く。今回の目的を再確認して、薬師に問う。

 

「里で、薬を売っているそうですね」

 

 自分の疑念を後回しにして、ギンコは今回、ここを訪ねた目的を話す。蟲師を知らぬといったこの薬師の言葉を信じて、言い含めるように尋ねる。

 

「ええ」

「その薬は、あなたが調合されたものですか?」

「ええそうです。それがどうかいたしましたか?」

 

 永琳は淡々と、ギンコの質問に答えていく。

 

「その薬の中に、蟲が混ざっています。おそらくは、知らず調合したのでしょうが、これ以上、その薬を広めるわけにはいきません」

「まあ、そうでしたか。それは申し訳ないことをしました」

 

 永琳は素直に、ギンコの言うことを受け入れた。考え方によっては、自分の仕事にいちゃもんをつけられているというのに、やはりどこか淡々としている。物の考え方が違うのだろうか。どこか紫と同じ雰囲気を持つ薬師に、ギンコは続けた。

 

「蟲が混入しているのは不妊治療薬です。実際にそれを使用した女性が、夢遊病を発症しています。原因を調べたいのですが、協力していただけますかな」

「ええ、それはもちろん。何をすればよろしいでしょうか?」

 

 協力的な彼女に、ギンコは仕事場を見せてほしいと頼んだ。鈴仙の持っていた薬はもう調べてある。その結果、薬自体が蟲であるということはなかった。だとすれば、原料の一つに蟲が紛れ込んでいると、ギンコは考えた。

 永琳はギンコの頼みに応じ、それではこちらに、と立ち上がった。

 永琳について部屋を移動する。やがて一つの襖の前で足を止めた永琳は、静かにその襖を開けて、中に足を踏み入れた。どうやらここが、彼女の仕事場であるらしい。中を覗いたギンコに、永琳はどうぞ、と言って部屋の中を見せた。

 永琳の仕事場はギンコにとって、初めて見る物ばかりだった。特にギンコの目を引いたのは、部屋の壁に接する机一面に広げられた硝子の器具だ。どれもこれも、奇妙な形をしていて、目的も用途も見当がつかない。鞠のような球形から細く長く、管が伸びた形の物。それをしげしげと眺め、ギンコは永琳に聞いた。

 

「初めて見る物ばかりだ。これらで薬の調合を?」

「調合よりも、精製を行うのに使う器具です。フラスコ、と言います」

「精製……蒸留や分留ですか」

「あら、よくご存知ですね。蟲師というのはそういう知識も必要なのですか?」

「まあ、稀に必要ですね。それで、薬の原料はどこですか?」

「原料はこちらの棚に全て揃っています」

 

 永琳が指した部屋の入り口横にある棚には、大小様々な硝子の瓶が置いてあり、褐色の物や透明な物がずらりと並んでいた。透明な硝子の筒の中には瑠璃色の液体だったり、薄黄色の粉末だったり、乾燥した草木だったりが収められている。蟲師をやっている手前、生薬にはそれなりに詳しくなったつもりのギンコだったが、初めて見る物も多数あった。

 ギンコは改めて、永琳の薬師としての腕を理解する。慧音から話半分に聞いていた、万能薬を作れるというのも、あながち嘘でもないのかもしれない。

 

「圧巻ですな。知らない物ばかりだ」

「そうなのですか? よろしければ全て解説させていただきますが」

「いや、興味は尽きませんが、今はやめておきましょう……おや」

 

 解説をしてもいいという永琳の誘惑を断ち切り、ギンコは棚に目を走らせる。そして一つの硝子の容器に目を止める。手を伸ばし、それを持ち上げて、ギンコは確信する。

 

「これですな、原因は」

「まあ、やっぱりそれでしたか」

 

 やっぱり、とは? ギンコが永琳に問いかけると、永琳はギンコが原因だとした液体を手に入れた経緯を話した。

 

「その瓶の中身はとある不思議な竹から採取した水が入っています」

「不思議な竹、ですか」

「はい。部下が見つけたのですが、周囲の竹より一回り太い、白く光る竹です」

 

 ギンコはやはり、と頷く。それこそが蟲です、と永琳に伝えた。

 

「おそらくそいつは、間借り竹(まがりだけ)、という蟲です」

「はあ」

 

 ギンコの語りが、永琳の仕事場に響く。仕事場の雰囲気には圧倒されっぱなしのギンコだったが、ここからは蟲師の領域である。

 

「群生する竹に成りすまし、その根に寄生する。竹から養分を吸って育つが、その分竹を茂らせる成分を根に戻し、竹林を広げて、自分の子株を増やしていく。そういう、蟲です」

「そうだったのですか……」

「そういえば、あなたはなぜ、この水を薬にしようと?」

 

 ギンコは永琳に聞いてみる。薬や医療に端を発する研究をする職というものは、異常を異常と片付けず、究明していくものだというのは知っている。かく言う自分も、今ある知識を総動員してもわからない現象に直面した時、仮説を立て、実験をすることで対処法を見つけようとする。永琳もその類かと予想したギンコだったが、永琳から返ってきたのは意外な答えだった。

 

「それを原料に不妊治療薬が作れたからです。いいえ、より詳しく言うなら、作れることを知っていたから、ですか」

「……なんですと?」

 

 それは奇妙な答えだった。額面通りに受け取るなら、間借り竹の水を使って作る薬の製法が、どこかに記されていることになる。そんなことは蟲師をしているギンコをして、聞き及ばぬことであった。

 永琳は答える。そして、ギンコはやはり、幻想郷という世界の特異性を思い知ることになる。

 

「私はあらゆる薬を作ることができます。その製法、原料から薬の効能まで思いの(まま)に描き、生成することができる。その光る竹を見た時も、『この竹の水から不妊治療薬が作れるな』と知っていたから、水を採取し、薬を作ったまでのこと。蟲という存在は分かりかねますので、副作用までは知り得なかったようですけれど」

 

 ことも無げに、永琳は言い切った。その意味するところを知り、ギンコは愕然とする。やはり自分の常識など、この世界には通用しない。

 この娘は間違いなく天才だ。ギンコはいつか出会った、描いたものが既存の生命でなくとも、命を持って動き回るという、神の左手を持つ少年のことを思い出した。どうしてこうもこの世界には、世界を根底から揺るがすような才能が好き勝手を許され、放逐されているのか。いや、だからこうして、竹林に身を潜めているのか。この世界の行く末に、一抹の不安を持ったギンコであった。

 瓶を棚に戻して、ギンコは永琳に言った。

 

「……とにかく、この水を使って薬を作るのはもうやめてください。夢遊病患者を、これ以上増やすわけにはいきませんからな。それと、この水を採取した竹がある場所に、案内していただけますか」

「心得ました。案内は、私の部下に任せても?」

「ご随意に」

「そうですか。では……鈴仙。ちょっといらっしゃい」

 

 永琳は決して大きくはない声で、薬を売っていた女の名前を呼んだ。しばらくもせず、廊下を小走りでこちらに近づいてくる音がする。よほど耳がいいのか。そう思ったギンコだが、やってきた女の姿形を見て、なんとなく納得をした。

 

「師匠。お呼びでしょうか」

「この人を、例の光る竹の場所に案内して差し上げて」

「了解しました。じゃあギンコさん、いきましょうか」

 

 地面までとどきそうなくらい、長く淡い紫苑(しおん)の髪を棚引かせ、頭から兎の耳を垂らした女が、そう言った。




















 明日はみんな大好き週末ですね! だからこの章も完結できるようがんばっちゃうぞ!
 読まれた方は評価、感想いただけると嬉しいです。好き勝手やっている作者ですが、モチベーションとかいっちょまえに持っちゃったりしてるのです。

 お気に入りも400件を突破し、意外にもこの作品を見ていただいている方がいらしゃるようで、作者も驚いております。これからも、いい暇つぶしを提供させていただきますので、東方蟲師をよろしくお願いいたします。



それでは、また次回お会いしましょう。

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