幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 蟲の対処法に頭を悩ませるギンコ。果たして彼は今度こそ両者を救うことができるのか。

 日間1位と成りました。記念に第二章完結させます。それでは。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第二章 筍の薬 捌

 夜の里には行灯(あんどん)を持った男たちが集まっていた。その理由ははっきりしていて、皆、妻がいなくなったと訴えている。夢遊病を発症し、ふらふらとどこぞかへ歩いて行ってしまった彼女らを探しに、夫やその父親が集合しているのだ。

 いたか? いや、こっちにはいない、そんな情報が飛び交う中で、ギンコには心当たりがあった。里の中は男たちと慧音に任せて、ギンコは鈴仙を連れて里を飛び出し、里の外を探し回っていた。

 ギンコが走る。まだ遠くに行っていなければいいが。そんな期待をしてみるも、女たちの影も形も見当たらず、周囲にはただ、行灯でも照らし出せぬ闇の(ふち)が広がっている。

 

「ギンコさん! 本当に彼女たちは……」

「ああ。竹林に向かっているはずだ」

 

 間借り竹の水を体に取り込んだ彼女たちは蟲の影響を受ける。無意識のうちに呼び寄せられていると踏んでいたが、こうもはっきり症状が出るとは予想外だった。

 幻想郷の夜は危険だ。ただでさえ、里の外には人外の魔境が広がっているというのに、夜ともなればこれはもう妖怪がそこらで宴会を開いていても不思議ではない。そしてそこに現れる若い娘。妖怪たちは嬉々としてその命を奪い、血肉を(むさぼ)るだろう。夜の幻想郷を歩き回っていいのは、腕に自信のある奴らか、神様、あるいは、ギンコのような特殊な事情を抱える者のみである。

 足元が暗い。行灯だけでは心もとなく、何度かつまづきそうになる。息を切らせて、闇をかき分けるように走った。

 そして竹林まで後少しというところで、数人の人影を発見する。これで全員なのか? ギンコはいなくなった人数をしっかり把握してこなかった自分を恨んだ。

 

「おい! しっかりしろ!」

 

 全員の前に立ちはだかり、肩を大きく揺さぶって呼びかける。(うつ)ろで、どこを見ているのかもわからなかった目に、光が戻る。

 

「あれ? 私なんで……赤ちゃんは?」

 

 まだ頭が混乱しているのか、しきりに赤ん坊はどこ、と女たちは聞き返す。赤ん坊を探している? 一瞬、ある考えが頭をよぎるギンコだったが、今はそれよりも、この女たちを連れ帰ることが先決だ、とギンコは里への帰還を促した。

 

「細かい話は後だ。とにかく、里に帰るぞ」

「ギンコさん! 後ろ!」

 

 鈴仙の声に反応する間も無く、ギンコの脹脛(ふくらはぎ)に激痛が走る。見れば、黒い狼のような獣の牙が、肉に深々と突き立っていた。痛みのせいで、行灯を取り落とす。紙でできたそれが、瞬く間に炎上した。

 血が(にじ)み、女どもが悲鳴をあげる。ギンコもその一噛みに苦悶(くもん)の表情を浮かべ、崩れ落ちた。まずい。倒れれば畳み掛けられる、と考えたギンコだったが、体は思ったように動いてはくれない。

 やられる。そう思った時突如、噛みついたその獣だけを、正確に射抜く衝撃があった。どうやったのかは不明だが、人差し指をこちらに向けた鈴仙が見えた。

 衝撃を受けて、獣が吹き飛ぶ。ギンコから牙も離れたが、血の匂いが獣たちの興奮を煽っているのか、それとも餌となる人間が多数いるからなのか、獣たちは集まり始め、周りをぐるりと囲み始めた。狩りを、始めようとしていた。

 倒れ伏したギンコと獣の間に、鈴仙が立ちはだかる。状況は最悪だ。闇の中を動き回る無数の獣の目。妖しく光り、こちらに狙いを定めている。鈴仙一人でどうにかできる数ではない。ずるりずるりと夜が這いずり回っているような緊張感の中、全員食われるのか、とギンコも半ば諦めかけたその時、周囲を煌々と照らす、紅蓮の閃光が(ほとばし)った。

 闇を払い、獣を退ける炎の壁。炎の円陣がギンコと女たちを守るように燃え盛る。しばらく唸り声をあげていた獣たちだったが、炎に恐れをなすと、尻尾を巻いて退散した。一体何が起こったのか。未だ取れぬ緊張感と、脹脛の激痛で頭が回らないギンコの前に、行灯が差し出される。

 ぼんやりと辺りを照らし出すそれ。それを差し出した人。ギンコさん! と鈴仙の声。赤ん坊。様々なものが頭を回り、ついにギンコは痛みに屈し、(うずく)まって気を失った。

 

 

 

 目が覚めた時に天井が目に入るのは新鮮だ。そう、一番に考えた。

 ギンコの意識が戻ったのは、夜が明けてすぐ、明朝のことだった。布団に寝かされたギンコを両側から挟むようにして、二人の視線が注がれている。

 

「ギンコ……!」

「ギンコさん!」

 

 ギンコの名前を読んだのは鈴仙と慧音の二人だった。一晩眠っていたのか、それとも丸一日眠っていたのか。二人に心配されながら、ギンコは上半身を起こそうとする。すると、右の脹脛に焼けるような痛みが走った。思わず唸り声をあげ、ギンコは布団に倒れこむ。そういえば右足を噛まれたんだったか。失念していた、と天井を見上げたギンコの顔を、慧音が覗き込んでくる。

 

「よかった、気がついて。おかげで行方不明だった女たちは全員無事だったぞ。お手柄だな」

「なにもしちゃあいないがね……ほんとに」

「いやいや、一番に見つけたじゃないか。なあ鈴仙」

「はい。ギンコさんがあと一分、探し出すのが遅れていたら、他の誰かが襲われていましたよ」

 

 へえ、そりゃあまあ、とギンコはとりあえず賞賛を受け取り、昨晩のことを思い出した。

 夢遊病の女たちがついに竹林の近くまで呼び寄せられた。昨日はたまたま助かっただけだが、今日はどうなるかわからない。早急に手を打つ必要がある。言いにくそうに、慧音は言った。

 

「……ギンコ。里の者らが不安がっている。もうあまり、時間はないぞ」

「……まあ、そうだろうな」

 

 ギンコは昨晩の女たちの様子から一つの仮説に思い至っていた。

 女たちは赤ん坊を探していた。夢遊病の際に、必ず見る夢。赤ん坊の泣き声が聞こえると、女たちは話していた。

 ギンコの仮説が真実なら、上手くいけば全員を悲しませることなく済むかもしれない。試してみる価値はある。ギンコは早速行動を起こすべく、再度、上半身を起こしにかかった。

 まだ安静にしていろ、と言う二人を押しとどめ、ギンコは立ち上がろうとする。

 

「鈴仙」

「は、はい」

「昨日のことで、一つ考えが浮かんだ。今から、妹紅の所に行くぞ」

 

 肩を、貸してくれ、というギンコは、少し笑っていた。

 

 

 

 竹林で赤子を背負う女が一人。散る竹の葉が風に乗って吹きすさぶ中、一人立っている。

 腰から下げた竹筒が水音を立てる。女が振り返ったためだ。その視線の先には、妙な雰囲気の男。蟲師を名乗る、白髪の男が立っていた。

 

「また来たのか。昨日の怪我もあるだろう。出歩いていいのか」

「ああ。今日にも問題を解決しなけりゃ、今度は死人が出ないとも限らんのでね」

 

 鈴仙に支えられながら、右足を引きずるように、杖をついたギンコが言う。

 

「何度来たって同じだ。この子は殺させない。あの竹を切らせはしない」

「……竹は切らない。その子も殺さない。だから妹紅。お前に協力して欲しいことがある」

「協力、だと?」

 

 ギンコは頷く。ギンコが思いついた方法。それは昨晩、夢遊病の女たちが赤ん坊を探していたことに注目したものだった。女たちが赤ん坊を探して歩き回るのなら、里の中に赤ん坊を置いてしまえばとりあえずの危険は回避できる。つまり妹紅が背負う赤ん坊を、里に預けること。これがギンコの思いついた方法だった。

 

「確証はないが、蟲の影響力が、女たちの子を思う心に働いているとすれば、これで解決するはずだ」

 

 ギンコは言う。蟲は自分の近くに味方を置きたいようである。ならば蟲の本体と密接に関わる赤ん坊を、味方の近くにおいてしまえばいい。

 しかし妹紅は、その意見を真っ向から否定した。そんなことは不可能だ、その方法には致命的な欠陥がある、と。

 

「赤ん坊を里に預ける? お前も知っているだろう。この子を連れて、竹林を離れることはできない。それは、お前だって知っているはずだ」

「ああ。赤ん坊でなくとも、その腰に下げた水を持っているだけで、蟲に影響されるな」

 

 妹紅の言う通りだった。赤ん坊はもちろん、間借り竹から採取した水を持っている者は間借り竹から一定の距離以上離れることができない。その影響力があるからこそ、女たちは夢遊病に悩まされているのだ。だったら無理だろう、と言う妹紅の言葉を、しかしギンコは遮った。

 

「だが、それも鈴仙がいれば可能だ」

「……そこの兎が?」

 

 妹紅はギンコの隣、杖をつくギンコを支える紫苑(しおん)の髪の女を見た。鈴仙は神妙な面持ちで頷いている。ギンコは語る。重く低い、引き込まれるようなその語りが、絡まった悲劇を紐解いていく。

 

「鈴仙はこの竹林を抜けて、里へ薬を売りに来ていた。それができた。もしかしたら、鈴仙は蟲の影響力を()(くぐ)ることができるかもしれん」

 

 まさか、と妹紅は思った。だが元に、鈴仙は蟲を見ているなど、その才能の片鱗を感じさせている。

 薬売りをしていた鈴仙は、間借り竹の水で作られた薬を持っていても、竹林から抜け出せた。無論、薬になっている分、影響力が弱まり、そのため竹林から持ち出せたのかもしれない。だから、今からそれを確かめる。自分の推測が正しいのかどうか、ギンコは確かめようとしていた。

 

「力を、貸してくれるな」

「……」

 

 ギンコの言葉に、妹紅は頷いた。

 

 

 

 鈴仙が赤ん坊を背負い、水筒をぶら下げて竹林を歩くその後ろを、妹紅に支えられながらギンコが歩いていた。痛々しいその姿を見て、妹紅は聞いた。

 

「……昨日はすまなかったな。助けるのが遅れた」

「……あの炎は、やはりお前さんだったか」

 

 ギンコはおぼろげな記憶を探る。倒れた自分に行灯を持って駆け寄った人物の顔が、今隣にいる人物と重なる。気にするな。あんたがこなけりゃ、今頃骨になってるよ、とギンコは気楽に言ってのけた。

 

「実を言うとな。私はお前を信用しちゃいなかったんだ」

 

 妹紅は独白するように、ギンコに話し始める。最初に光る竹を探しに来たというギンコに、竹林にそんな竹はないと、彼女は嘘をついていた。それはギンコを完全に信用していなかったためであった。

 

「私が知ってる蟲師って連中は皆、蟲を殺してばかりいたからな。人の味方ってのは当然にしても、蟲を殺さない蟲師なんていないと思ってたんだ」

「信用してなかったってことは、今は違うのかい」

「ああ。だってそうだろ? 自分の足がこんなになっちまったのに、まだ蟲と共存できる道を探してる。少なくともあんたは、かなりの変人だよ」

 

 そりゃあ、耳が痛い話で。ギンコは苦笑する。しかし、肩を貸す妹紅は、そんな変人を快く思っていたようだった。

 

「私さ。あの子を見つけたとき、本当に驚いたんだ。筍の中に赤ん坊だぞ? そんなの一目で普通じゃないってわかるだろ」

「それは……そうだな」

「だけど、とりあえず拾ってみたらさ、これが結構可愛くてさ。でも、この子は生まれたときからひとりぼっちなんだって思ったら、すごく、悲しい気持ちになって……昔のことを思い出した」

 

 妹紅は言う。彼女はあの赤ん坊に、自分を重ねていた。妹紅の独白は、次第に自分の過去についてものになっていく。怪我をしているギンコに合わせて、一歩一歩踏み出す歩調に合わせて、ゆっくりと、彼女は語る。

 

「私もあんたと同じで、ずっと旅をしてきたんだ。とある体質のせいで、里にはいられない。家族もできない。妖怪を倒して、一時の感謝をもらって、土地から土地へ、流れ流れて生きてきた」

 

 ギンコは少女の話に、黙って耳を傾けている。歩みは止まらない。ゆっくりした歩調で、竹林を進んでいく。がさり。がさり。積もった葉を踏みしめる。

 体質のことには触れない。おおよその見当がついているギンコは、口をつぐんでいた。

 

「寂しかった。旅を始めたばかりの頃は特にな。生きていることが苦痛だった。なんのために生きているのかわからなかった。妖怪退治なんて言って、死に近づくことでしか、生きている自分を実感できなかったんだ。あの子を、竹林で拾うまではな」

 

 ギンコは知っている。この娘の境遇を知っている。少なからず、ギンコにも似たような気持ちが芽生えたことがあった。蟲を寄せる体質が故に各地を回るしかなく、排他的な村で気味の悪い子供と、石を投げられた。

 そしてギンコは知っている。この娘が不老不死だということを。永琳や妹紅と対峙したときの雰囲気が告げていた。己がうちに光脈を閉じ込める不老不死とはまた違うが、確信している。この娘らは、死なない。

 死なない体。人間の心には分不相応な産物。永い時間を、この娘は旅したのだろう。そしてその時間の中で、自分はどうしようもなく独りきりだと、悟ってしまったのだ。それはなんて残酷で、なんて哀しい悟りだろう。どれほどの衝撃だったのだろう。ギンコは想像する。そして、自分の罪をも噛みしめた。

 

「生きている実感がなかったんだ。今まで。でもあの赤ん坊を拾って、それがわかった。実感できた。夜泣きで寝てる時に起こされて、理由もなく泣き叫ぶからあやして。すごく小さくて、簡単に捻り潰せる肉の塊を、自分の手で必死に守っていく。そういう育むって行為を、形だけでも、あの子を通して体感した。人との関わりの中で、自分も生かされているんだ、生きていていいんだと実感する。それが、生きるってことなんだって」

 

 蟲に他意はない。決して、この少女のために赤子を生み出したわけではない。厳密には、人ですらない紛い物。しかし妹紅は、それに命を感じた。臆面もなく、堂々と人の子を演じ、人として生きようとするそれに、生きるということを感じた。

 だから妹紅は拒絶した。生きているものを殺したくない。生きることに価値を見出した彼女が、同じくらい死というものを意識して、拒絶した。

 妹紅は鈴仙に背負われている赤ん坊を見る。ギンコは思った。俺もだよ、と。

 やがて視界から竹林は途切れる。鈴仙の能力が、蟲からの干渉を弾き出す。里に着くまでは、油断はできない。だがこれで、ギンコの処置はほとんど完了したと言ってもいいだろう。

 鈴仙が振り向く。やりましたね、と言う彼女に、ああ、とギンコは短く返した。



















これにて、第二章、ほぼ完結です。次は後日談的まとめになります。



それではまた次回。お会いしましょう。




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