幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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 みなさんお待たせしました。東方蟲師、第三章です。今回のお話の舞台は妖怪の山ですよー。それでは。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第三章 偽主になる
第三章 偽主になる 壱


 空は澄み、秋の気配が見え始めた晩夏のある日。伸びた草を押し倒し、山の土を踏みしめる男がいた。

 青々しい命の盛りは徐々に実りの落ち着きを見せ、これから秋に向けて、木々も衣替えが始まろうとしている。山の様相が変化するこの季節を、ここで初めて迎えるギンコは、口に咥えた煙草の煙を、少しの(わび)しさと一緒に吐き出した。

 幻想郷においても、四季の移ろいは明確であり、今はもう、額に汗を浮かべる季節は過ぎたと言っていいだろう。日差しも徐々に和らぎ、山肌をさらりと軽い風が撫でている。春先のように何かと過ごしやすいこの季節に、ギンコは妖怪の山を歩いていた。

 妖怪の山。その名の通り妖怪が住まう山。ただの人間がここに足を踏み入れたが最後、自らの軽率な行いを、冥界で悔いることになる。運が良ければ、千里眼を持つ天狗に摘み出されるにとどまるが、それも期待するべきではないだろう。

 妖怪と人間の関係は基本的に鹿と草。歯牙にもかけず無視するか、腹が減れば食われる程度のものである。だからこそ、ギンコの行動が異常であることは言うまでもない。

 時節に関わらず、妖怪の山を歩き回れる人間は、霊力を備えた巫女二人に、火力が命の魔法使い、そして自分だけの時間を持つ給仕と、ここ最近幻想郷にやってきた彼くらいのものである。

 人を飲み込む魔界。だがそれも、山の一側面でしかない。住まうモノは特異でも、自然として観れば、山はどこまでいっても山なのだ。

 木々は萌え、どこからともなく、鳥の(さえず)りが反響して聞こえてくる。草木の匂いがして、土の中には虫が潜む。

 そうなることが決まっている。人が気を揉まずとも、花は実をつけ、種を残す。しかしまれに、そういう摂理が乱れる時がある。

 月光で染め直されたような、銀に近い白髪が風に揺れる。左の目に深淵(しんえん)を潜ませ、ギンコは一人、妖怪の跋扈(ばっこ)する山を歩く。

 

 

 

 

 

第三章 偽主(ぎしゅ)になる

 

 

 

 

 

 何故彼がここを歩いているのか。それには明確な目的があった。実りを控えたこの時期に、山は動く。どこまでも泰然自若(たいぜんじじゃく)と構えているそれが、季節の変わり目に動く。その動きに、若干の変調が見られるのを、ギンコは敏感に感じ取っていた。

 ふと、見上げた先。緩やかな斜面の上。木々の隙間の先に、不思議なものを見た。

 

「なんだ、ありゃあ」

 

 思わずつぶやく。ぼんやりと光を帯びた少女。それが木の幹に背を預け、無防備に寝入っている。確かに昼寝にはちょうどいい涼しさで、日差しが程よく遮られる木陰ではあるが、何もこんな山深くで眠る必要もないだろう、とギンコは思った。

 ここ最近、人外との接触が極端に増えたギンコであったが、彼女もその一派なのだろうか。声をかけるかどうか迷いながら、しかしギンコはその様子を確かめるために近づいた。

 ツバの広い、黒い麦わら帽子のようなものを被り、そこから灰色に近い若草色の髪を下ろす少女。手足を投げ出して、力無く首を前に倒しているその様は、ともすれば行き倒れているようにも見える。体に巻きついている細い(つる)のようなものと、心臓のあたりにある閉じた目玉のようなものは新しい服飾か何かだろうか。ギンコは少女の前でしゃがみこんだ。

 ギンコが近づいても、その少女はビクともしない。相変わらずぼんやりと光を放つその少女を見て、ギンコは蟲の気配を感じ取った。

 蟲。下等で奇怪な、生命そのものに近い日陰のモノたち。ギンコが相手取るそれらの気配が、目の前の少女からはっきりと伝わってきた。本職の範疇(はんちゅう)ならば、放って置く理由はない。ギンコは少女に話しかける。低く、重みのある声をかける。

 

「よぅ。お前さん、こんなところで何してんだ?」

 

 ギンコにかけられた一声で、少女が目を覚ます。首をもたげ、据わりの悪いそれを何度か左右に揺らした後、大きなあくびと一緒に背筋を伸ばすような仕草をした。両手を高く掲げ、背中を伸ばす。たっぷりと時間を使い、今度は急に全身の力を抜くように腕をだらりと下げる。大きく開いた股の間に手を収め、少女は首だけでギンコを見た。

 目と目があう。不安を煽るような、透明感のある緑を呈するそれに見つめられる。最初の質問をちゃんと聞いていたのだろうか。ギンコがもう一度口を開こうとした時、一瞬、我が目を疑った。

 消えた。目を合わせて、それを見ていたと思ったら、次の瞬間には木の幹が視界に映っていた。ギンコがつい先ほどまで見ていた少女など、影も形も見当たらない。

 何が起きたのだろうか。幻をみた? それにしては少女を目の前にした時に実感がありすぎる、とギンコは分析をしながら、辺りを見渡した。すると。

 

「……どうなってんのかね。あれは」

 

 右を見た先。正確には、やや後ろを振り向くような方向。そこに再び、木々の隙間から、ふらりと力なく立つそれが見える。ぼんやりと光を放つ少女。輝きとも呼べぬ、(かげ)りとでも言うべき光を発しながら、ギンコを誘うように、少女はそこにいた。

 

「ついて来いってか?」

 

 やれやれだ、とギンコは立ち上がって桐箱を背負い直した。そして少女のいる方へ一歩、踏み出す。寄せては返す波のように、現れては消える少女を追って、ギンコは山の奥へと進んでいった。

 

 

 

 ギンコが山を訪れたのは必然であった。それは、ギンコの体質が関係している。

 彼は一つ所に留まれば、蟲を寄せる体質だった。それは決して、善いこととは言えなかった。蟲は集まりすぎると、よくないことが起きる。そのために、彼は旅をしていた。

 目的地も定めず、流れ流れて各地を回り、浮き草のようにとどまることを知らずに生きてきた。それは今回も変わらず、旅の先、足の向いた先にこの山があったというだけの話であった。その、はずだった。

 幻想郷に来た当初、ギンコは里に蔓延(まんえん)する流行病の治療のため、妖怪の山の近く、(ふもと)を大きく迂回する道を通った。その時は、山に対して何も感じなかった。山は静かに、ただそこにあるばかりだったが、今度訪れてみれば、これがどうしたことか、ギンコは山に異変を感じた。

 ところどころに(もや)がかかり、実りの準備をするために蓄えられるべき精気が山肌のあちこちから漏れ出している。それらの表出した現象から、ギンコは山の異変の水面下で何が起こっているのか大体の予想をつけていたが、あまり大きく変調をきたすようでは大事になりかねない、と判断し、山の様子を探るため、山中を歩き回っていた。そしてその折に、ぼんやりと光を帯びた不思議な少女と出会ったのである。

 少女の後を追い、ギンコは山を歩く。道無き道を、草木をかき分け進むにつれて、ギンコも次第に体力を消耗してきた。涼しくなってきたとは言え、やはりまだ夏の暑さは残っている。残暑の煽りが追い風になり、ギンコの頰を汗が伝う。

 どこまで行けばいいのか、とギンコがとうとう徒労感を感じ始めた時、少女はふっと、今度こそ完全に、ギンコの視界から姿を消した。

 

「おいおい。ここまで引き回しといて、そりゃないだろ」

 

 思わず文句の一つでも出るというものだ。いつの間にか息を切らしていたギンコは、思ったよりも自分が山の精気に当てられていることに気がついた。どうやらギンコが思っている以上に、この山は異変に見舞われているらしい。

 精気に当てられると、体の力が抜ける。酔いがまわるように、奇妙な脱力感に襲われる。まさしく、今のギンコの状態そのものだった。

 疲れた。木の幹に手をついて、息を整える。一旦森を抜けたいが、どちらに向かえばいいのかわからない。これは弱った、とギンコが思っていると、その耳に届く音があった。

 

「……水? 川か」

 

 音のした方を向けば、木の向こうに広がる川を見つけた。これはありがたい、と歩き出したギンコは、もしかしたらあの少女は、自分をここまで案内してくれたのかもしれないと考えた。

 森から抜けると、清流に触れた涼やかな風が石の地面を吹き抜けていた。石に沿って流れる川は、結構な広さで、川幅も一丈ほどありそうだった。中心まで行けば腰あたりまで沈みそうなくらい、川は深みのある透明感を放っていた。

 川に近づき、ギンコは背負っていた桐箱を下ろす。川の(ふち)に膝をついて、両手で水をすくい上げ、顔を洗った。その冷たさに、一気に気分が晴れる。気持ちいい。

 大きく息を吸って、吐く。自然と顔が空を仰ぎ、視界いっぱいに青空が広がった。

 尻餅をつくように体重を後ろに預け、両手で地面を押して上半身を支える。足も投げ出して力を抜くと、疲れがそのまま川に流れ出てしまうような感じがした。

 山の精気が乱れる時、森や池沼(ちしょう)には人を狂わすモノが(こも)りやすいが、清流や石の河原と言った命から離れているモノ、絶えず流れているモノの周りには正常な気が満ちていることが多い。この場所もそうであるようで、ギンコは助けられた。

 しばらく呼吸を整え、ギンコは頭だけを動かした。ここまで山を歩き、見つけたのは奇妙な少女の形をした何かだけであるが、確信を持った。

 

「……俺も初めて見るな」

 

 ポツリと呟いたのは山の異変に対するもの。文献でしか知り得なかった現象の渦中に、自分はいる。本当なら、今すぐにでも山を降りるべきだった。しかし、だからこそ、あの少女のことが気になった。

 

「ありゃあ、どう見ても蟲の気を帯びていたな」

 

 もしあのままの少女をこの山に放置すれば、あちら側に引き込まれてしまうのは時間の問題だろう、とギンコは推測した。そうなる前に対処して、ともに山を降りなければならない。この状態の山に入るのは、人間には危険すぎる。

 もちろん、このまま少女を見捨てる手もある。見なかった事にして、この川を下れば、ギンコは安全に、また旅を続けられるだろう。しかし、それはいかんせん、後味の悪いものだった。

 

「……あの様子で枕元に立たれちまうとなぁ」

 

 ギンコはそう呟き、ぽりぽりと頭を掻いた。そうしてギンコが選択に迫られていると、川の上流から何かが流れてきた。遠目にも大きなその漂流物に、ギンコの視線も集まる。

 緑色の球体。どんぶらこ、どんぶらこ、と流れてくる。なんだありゃ。ギンコの疑問ももっともな、へんてこな物体がぷかぷかと、水に揺られて流れてきた。

 近くまで来たそいつを、思わずギンコは掴み取る。布で包まれた何かであるようだった。思ったよりも重量のあるそいつを陸に引き上げると、緑の球体には、人間の形をしたものがくっついていた。

 

「うおっ」

 

 ギンコは思わず驚いた。川を流れてきたのは、よく見れば人のようだった。それも、年端のいかない少女。なんだってここにはこういう妙な女子供が多いんだ、と文句を言いたくなったギンコだったが、とりあえず今は少女の安否を確認するため、少女が背負っていた緑色の球体をひっぺがし、少女を仰向けに寝かせた。

 息は、ある。心臓も、動いている。この状況で呼吸も心臓も問題なく機能している事の方に、ギンコは若干不安を感じたが、とりあえずぺちぺちと頰を叩いて、川から流れてきた少女に呼びかけた。

 

「おい。おい。しっかりしろ」

「う、ぅ〜ん……」

 

 少女はうなる。まるで寝呆けているようなその態度に、ギンコは拭えぬ違和感を覚えた。

 青空を写し取ったような色の装束に、胸元に光る、大きな鍵のようなもの。山で出会った蟲の気を帯びた少女に、畳み掛けるようにやってきた子供の川流れ。これからまた、厄介な事になりそうだと、ギンコの直感が告げていた。

 

 

 

 

「いやー、すまんねぇ。河童が川に流されるなんて、笑い話にもならないよ」

 

 河原で足の裏を合わせるように座り、ギンコの前で笑ってみせるのは河童と呼ばれる妖怪だった。見た目は少女に相違ないが、濡れた服を乾かすためにギンコが火を起こそうとすると、服なんて濡れていても乾いていても同じ事、とその気遣いを丁重に断る変人である。しかしギンコも、河童である証拠を見せろなんていう論争に持ち込もうとも思わず、とりあえずは元気そうなこの娘の話を信じる事にした。人間にしろ妖怪にしろ、敵意がなければ事もなし。ギンコの器は大きかった。

 二人は向かい合って座っている。石の床に腰を落ち着け、からからと笑いながら、河童は礼を言う。その様子を、煙草を指に挟んで頬杖をつき、ギンコは眺めていた。

 

「私はにとり。河城にとりっていうんだ。人間さんは?」

「ギンコだ。なあ、お前さん。疑うわけじゃねえが、本当に河童か?」

「ひどいなあ。これでも立派に河童してるんだよ? 確かに君たちが言う皿も甲羅も、水かきもなくて皮膚も緑色じゃないけど、そんな昔の流行を持ち出されても、こっちだって困るんだよ。私たちにはお洒落(しゃれ)する資格さえないのかい?」

 

 一応聞いてみたギンコに対し、濡れて肌に張り付いた服を引っ張りながら、眉を下げた困り顔でにとりは言う。さっき濡れていても乾いてても一緒とか言ってなかったか? ギンコは少しだけ、目を細めて苦笑した。

 

「別に格好についてはどうこう言うつもりはねえよ。お前さん、泳げてなかったろ」

「いやだから、それは滝壺近くで急に調子が悪くなったんだって。本当だよ?」

「ほう。どんな具合に?」

「うーん。なんかもやもやーってしたのがむわってなっててさ。それを吸ったらふらっときちゃって」

 

 気づいたら人間さんに引き上げられてた。と抽象的な説明を、にとりは身振り手振りを交えてギンコに披露した。第三者から見れば、それは大げさで、まるで出来の悪い演劇を見ているような説明だったが、ギンコの方は伝わるものがあったようで、ふむ、と頷いて少し沈黙した。

 説明の途中でずり落ちた帽子を被り直しながら、にとりはギンコの右目を覗き込んだ。その視線に、ギンコも気づく。

 

「へぇ。人間さん……ギンコさん、だっけ? 綺麗な瞳だね。川底の翡翠(ひすい)みたいだ」

「ん、そんな綺麗なもんに例えられたのは初めてだな」

 

 ふぅん、とにとりは体を乗り出し、ギンコの目を覗き込む。手をついて、四つん這いになってにじり寄る。品定めするような視線に、ギンコは少し身を引いた。にとりはと言えば、そんなギンコに迫るようにさらに身を乗り出した。

 

「綺麗だなぁ……ちょうだい? だめ?」

「物騒なこと言ってんじゃねえよ」

 

 突然恐ろしいことを言い出すにとりを、ギンコは(たしな)めた。しかし、本当に欲しいのか、にとりも少し食い下がる。

 

「片方だけでいいからさあ」

「そいつは残念だったな。もう一個しかねえんだ。諦めろ」

「え? じゃあこっちには何も入ってないの?」

 

 どれどれ、と手を伸ばしてギンコの前髪を掻き分けようとする。川の水(したた)るにとりの手を、ギンコはするりと(かわ)した。一度躱されれば、にとりもそれ以上は追おうとせず、体を引いて、ぺたん、と内股になるよう尻餅をついた。どうやら諦めてくれたようだ。

 

「てかギンコさんはなんでここに? ここって結構山の奥地だけど、天狗に合わなかったの?」

「天狗? ああ、あの新聞記者とかいうのか?」

 

 そう言ってギンコは数日しつこく話を聞きに来た天狗を思い出した。確か射命丸とか言ったか。しかし、にとりが言うところの天狗は違うもののようで、ギンコの言葉を、首を横に振って否定した。

 

「それもいるけど、違う天狗。(もみじ)あたりが放っておかないと思うんだけど」

「なんのことだかわからんが、ここに来るまでに俺が見たのは、蟲だけだぞ」

「あれー? おっかしいなぁ」

 

 首を傾げるにとりはギンコの言葉に納得しかねるようだった。そんなにとりを置き去りに、ギンコは自分自身の言葉で目的を思い出し、立ち上がった。もう十分に休息はとった。蟲の気に当てられた少女。彼女を探さなければ。桐箱に手をかけて、がちゃり、と背負い直す。

 

「おや、もう行くのかい?」

「ああ。こっちも用があるんでね」

「山を降りるの?」

「いや、もう少し登ってみようかと思う。とりあえずはそうだな……川沿いに(さかのぼ)るか」

「じゃあ私も一緒に行こう。私も川上に戻らなきゃ。ギンコさんは……なんか面白そうだしね」

 

 ギンコに合わせて、にとりも立ち上がる。彼女は上流から流れてきた。ギンコがこれからたどる道を、彼女は下ってきたことになる。となれば、同行するのも必然と言えた。

 何が入っているのか、深い緑色の背嚢(はいのう)をギンコがそうしたように背負い、にとりは濡れて張り付いた前髪を左右にかき分けた。空の青を閉じ込めた瞳が、雫と一緒にきらりと光る。

 

「ま、俺は構わんが。眼はやらんぞ」

「それはもういいよ。さ、行こうか」

 

 眼を欲しがった河童に若干の警戒心を抱きつつ、二人は川に沿って、上流へと歩き始めた。



















 さて、東方蟲師も三章に突入しました。完結を決めていない作者ですが、こんなハイペースで続けられるのも今のうちだけなので、とりあえずアニメ1クール分くらいは章を作りたいなあって思ってます。章完結型(一応)なので「どの章がスキー?」「四章ー!」みたいな感じが理想ですね。
 しかし一章約40,000文字で12、3章か……文庫本出せるなぁ(遠い目)相変わらずの自転車操業なので、唐突に更新頻度が下がるかもしれませんとご忠告。これからも変わらぬ世界観で頑張ります。




それでは、また次回お会いしましょう。






 

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