幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 天狗の里へとやってきたギンコ。山の異変の影響を受けた彼らを治療すべく行動を開始する。


 相変わらずの独自設定。お楽しみいただければ幸いです。それでは。



幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第三章 偽主になる 参

「くっ……いったい、な、にが」

 

 朦朧(もうろう)とする意識を必死につなぎとめ、鴉天狗の射命丸文は現状を把握するため、必死に頭を働かせていた。

 天狗の里を突如覆った霧の異常。自分の風を操る能力でも晴らすことのできぬそれは、吸い込んだものを次々昏倒させているようだった。しかも上空に行くにつれて濃度が上がっているようで、飛んで脱出を試みた友人は上空で意識を失い、墜落してしまった。

 霧は一呼吸のうちに体から力を奪い、考える力も徐々に失われていく。里のあちらこちらに倒れている仲間を見つけるが、今の自分の状態では助けることもできない。助けを呼ぼうにも、行動することは叶わず、それ以前の問題として、誰を頼ればいいのかもわからなかった。

 こんなところで、排他的な天狗社会の構造が立ちはだかり、ついに立っていられなくなった射命丸は、よろめいて近くの木の幹に体重を預けた。

 

「く、そ……」

 

 もうだめだ。際限なく重くなっていく体。朦朧とする意識。そして、三半規管が竜巻に(ひね)り上げられているようなめまいを最後に、射命丸は崩れ落ちた。

 その瞬間を、見ていた者がいた。倒れた射命丸に駆け寄り、声をあげて呼びかけ、頰を叩いた。

 

「おい、しっかりしろ!」

 

 頰を叩かれた感触で、ぎりぎりで保っていた意識が少し呼び戻される。うっすらと目を開けると、そこにはいつぞやの妙な雰囲気の男がいた。霧を極力吸わないように、ギンコは冬用の首巻きで口元を隠し、射命丸を抱き上げていた。

 

「あ……、いぁ……」

「無理に喋ろうとするな。これの中身を嗅ぐように深呼吸しろ」

 

 そう言ってギンコは射命丸の口を覆うように、袋をあてがった。涼やかで独特の香りがする袋の中の空気を吸い込む。爽やかな匂いだ。鼻の奥を撫でる清涼感に、射命丸は正気を取り戻す。相変わらず体に力は入らないが、めまいや酩酊状態は脱したようで、射命丸は呼吸を落ち着かせた。

 そうして処置をするギンコの隣に、ぬうっと現れた影があった。河童のにとりだ。だが、その身なりははっきり言って珍妙奇天烈だった。

 顔面を覆うのは光沢のない黒い面。目の部分には硝子がはめ込まれ、視界は確保されているようだが、口元は(くちばし)ともつかない特殊な形状をしていた。この世界に来てから、奇天烈なものには多く出会ったと思っていたギンコだが、その中でもにとりの覆面はとびきりの異彩を放っていた。

 

「……おい。なんだ、そりゃ」

 

 思わず聞いてみた。

 

「ん? マスクだよ? この霧を吸い込まないようにつけてるのさ」

 

 こもった声でにとりが言う。あ、一つしかないから、ギンコさんの分はないからね、とにとりは言う。例えあったとしても、得体の知れないそれを被りたくはない、とギンコは思った。

 しかし見た目はどうあれ、効果のほどは良いようで、この霧の中でも、河童は平然としていた。

 やがてギンコの腕の中で、頭の中にかかっていた霧が少し晴れた射命丸が口を開いた。

 

「……なぜ貴方がここに?」

「説明すると長くなるんだが……とりあえずはそこの妖怪に頼まれてな」

「はぁ……」

 

 ギンコが親指で指した方向にはスキマ妖怪とその従者が立っていた。ギンコにはわかるはずもなかったが、この時の八雲紫は傘を差し、その中と外で境界を引いており、霧の影響から逃れていた。

 意識を取り戻した射命丸に、にとりが聞く。

 

「ねえ、文。(もみじ)は? 見てないんだけど」

「椛は……里にはいないと思います……彼女、たぶん哨戒中ですし」

「そっか……」

 

 椛という天狗の所在がわからなかったからか、にとりは落ち込んだ声を漏らす。

 いつまでも抱えられているわけにもいかないと、射命丸は体を起こそうと力を入れる。徐々に力も戻りつつあるようで、木の幹を使ってなら立ち上がることができた。無理をするなと体を支えようとするギンコを手で制し、射命丸は礼を言った。

 

「ありがとうございました……ですがこれ以上、里の中で人の力を借りるわけには」

「強がってる場合か。今はまだ昏倒だけで済んでいるが、症状が悪化すれば緩やかに死へ近づいていくんだぞ」

 

 少し強い語調で言ったギンコの顔を、悔しげな表情で見上げ、文は頷いた。彼の生業(なりわい)を知っている射命丸は、彼の対処から今が蟲師の範疇(はんちゅう)にあるものなのだろうと間接的な理解をしていた。それなら尚更(なおさら)、自分には何もできない。体の自由がきく以前の問題であった。

 そんな射命丸の様子を見ながら、ギンコは違和感を覚えていた。

 ただの酒気当たりにしては症状が重すぎる。妖怪と人間で作用が異なるのか? いくら吸わぬように努めているとはいえ、自分にはそれほど強い症状が表れているわけではない。やはり、人間と妖怪の違いなのか、それにしては紫と藍も平然としている。ギンコは考えた。

 

「それにしても効果覿面(てきめん)ですね。何を嗅がせたんですか?」

 

 ここまでギンコの手際を見ていた紫が言う。その視線はギンコが持つ袋に注がれていた。ん? これか? とギンコは袋を掲げて見せた。

 

薄荷(はっか)という、ある植物を乾燥させたものだ。普通に嗅いでも悪い香りじゃない。酒気当たりには、これが一番効くんだ」

 

 嗅いでみるか? と袋の口を紫に近づけると、紫は素直に袋から出る匂いを嗅いだ。すーっと鼻を抜ける爽やかな香りがする。

 

「あら、いい香り。ミントですわね」

「みんと?」

「いえ、こちらの話ですわ」

 

 聞き返したギンコの言葉を、紫は受け流した。

 その後も倒れている天狗を見つけては、香り袋を嗅がせ、治療していく。症状が軽くなった天狗たちは、片っ端から紫のスキマが飲み込んでいった。ここに留まれば、再び症状が出始める。それを防ぐため、紫の力で清澄な空気がある滝壺近くに送られていた。

 そうして一通りの治療を終えた時、ギンコの体にも変調が出始めた。手足の力が抜け、瞼も重くなっていく。強烈な眠気にも似ためまいが、ギンコを襲う。これまで香り袋を使ってギンコ自身も騙し騙しやってきたが、所詮は気付け程度のもの。ここにいる以上、体調は悪くなる一方だ。

 大きくふらりと、ギンコの体が揺れる。普通なら、倒れてしまうその動き。それが倒れることなく未だ立っていられるのは、ギンコの体を支える者がいるからだ。

 

「しっかりしろ。治療は終わりなのだろう? お前が倒れてどうする」

「……あ?」

 

 倒れかけたギンコを支えたのは、八雲紫が式、八雲藍だった。黄金色で柔らかそうな毛質の、九つの尾を持つ女性である。朦朧とするギンコを支え、藍は励ましの声をかけた。

 最初、彼女はギンコという人物を計りかねていた。人間にしては妙な雰囲気の男だと思ったし、紫が当てにするという点も、彼女の従者としてはなんだか面白くなかった。

 だが、今は認識を改めていた。天狗の里での対処一つとってみても、的確で、早い。この男は、素性は何にしろ、幻想郷に必要な識者であると、藍は直感していた。紫様、と藍が声をかける。その言葉を受けて、紫はまた傘の先端を振るう。今度は天狗の里から彼らの姿が消え失せ、里はもぬけの殻となり、次の瞬間には滝壺の近くへ戻ってきていた。

 

 

 

 

 滝壺の縁に戻ってきたギンコは、まず意識の回復に努めた。顔を洗って大きく息を吸い込み、体内にたまったものを吐き出すように呼吸した。

 じゃぶじゃぶと水音を立てて顔を洗うギンコの後ろで、黒い面体を取り、詰まっていた息を吐き出した河童が言う。

 

「こりゃひどいね」

 

 河童の目の前に広がるのは天狗たちの地獄絵図。翼を持ち、山を支配し、幻想郷の空を駆ける彼ららしからず、すべてが地に伏した光景。誰も彼もが体に力を入れられずに、地面に這いつくばっている。

 日頃から彼らの支配下に置かれている河童のにとりをして、同情するほどの惨状。どうしてこうなったのか。それを知る人物は、今にとりの足元にいる。滝壺の縁に跪くその背中を、にとりはちらりと見た。

 

「これは山の異変と関係あるんだよね、蟲師さん?」

「ん? ああ。おそらくな」

 

 にとりの言葉を聞き、ギンコが答える。顔についた水滴を袖口で拭い、ギンコは立ち上がる。にとりが見ていた天狗たちの惨状を見て、ギンコも言葉を漏らした。

 

「俺も、ここまで酷いのは予想外だった」

「そうなのかい?」

「ああ。これが妖怪と人間の差なのかね」

 

 推測の域を出ないが、ギンコはそう言った。

 天狗たちの酒気当たり。その対処が今回紫の依頼した内容であったのだろうか。それなら、しばらくここの空気を吸わせていれば処置は完了するだろう。ギンコの仕事は終わったかに思ったが、しかし紫が口を開いた。

 

「さて。天狗たちはこれでいいのですわよね、ギンコさん?」

「ああ。ここの空気を吸えば、自然と良くなる……はずだ」

 

 天狗たちをちらりと見やり、ギンコは言う。にとりが倒れているものを抱き起こして、木陰に移動させていた。

 

「原因はあの霧ですか?」

「そうだ。酒気という。この山が光脈筋として復活しようとしているために、山の精気が濃く漏れ出しているんだ。それに合わせて、ヌシも現れ、山は次第に統制を取り戻すはずだが、それがどうも、上手く行っていないようだな」

「……やはりそうですか」

 

 紫は今の山の状態を知っているような口ぶりだった。沈痛な面持ちを浮かべるのは藍で、紫は眼光鋭く何かを考えているようだった。

 そんな二人の様子を見て、ギンコは補足する。

 

「そんな深刻に構えることじゃない。最初にも言ったが、これは自然の理の範疇だ。心配せずとも、山はそのうち落ち着くさ」

「……それがそうも言っていられないのですわ」

 

 なんだと? ギンコは反応する。紫が神妙に、ギンコへ問いを重ねた。

 

「ギンコさん。山のヌシの出現ですけれど、それはどういった形で現れるんです?」

「……多くは既存の動物に光脈が取り憑くことでヌシとなることが多い。ヌシの世代交代は、今言った通りか、新たに生まれる命がヌシとなっていることもある」

「ヌシになる条件は?」

「正確なところはわからんが、多くは山に馴染んでいる獣が選ばれるらしい。土地と密接に関わるのだから、当然とも言えるな」

「そうですか……」

「なあ。さっきからお前たちは何を思って、揃って深刻な顔をしているんだ」

 

 様子がおかしい二人に、ギンコは問い返す。ここまでの質問で、紫はヌシのことについて、知りたがっているように思えた。何か自分には知らされていない情報がある。ギンコは思った。そしてその情報に関わることこそ、紫が本当にギンコに頼みたい事柄だった。

 紫がゆっくりと口を開く。出てきた言葉は、ギンコにとって予想外のものだった。

 

「ギンコさん。ヌシを、ただの獣に戻す術はありますか?」

「ヌシをただの獣に戻す術だと?」

 

 はい、と紫は頷いた。紫の背後から、藍が一歩、隣に歩み出る。

 

「今回の山の異変。それはヌシの変調が原因。そうですわよね?」

「ああ」

「そのヌシというのは、おそらく私たち二人がよく知る獣のようなのです」

「そうなのか?」

「ええ。名前は橙。二股の尾を持つ、この山の妖獣です」

 

 ここまで聞いているだけだった藍が口を開く。

 

「もとは私が式として使役していたのだが、最近様子がおかしいと思ったら、急に式がはがれてな……背に植物を背負った山猫になってしまったんだ」

「それは、典型的だな」

 

 ヌシは全て、背に植物を背負っている。それは限りになく土地と同化した生命という証であり、ヌシがヌシたる象徴でもあった。藍は歯噛みして、その隙間から声を絞り出すように言った。

 

「橙は苦しそうだった。私の目の前で、体が何かに引き裂かれそうだと涙目で訴えて、姿を変え、私がわからなくなったのか、牙をむいて襲いかかってきた」

「……」

 

 ギンコは藍の言葉を黙って聞いている。

 

「橙は苦しんでいるようだった。ギンコさんの言うとおり、それは一過性のことかもしれない。しかし、橙が苦しむ姿をこれ以上見ているのは……」

「……そうか」

 

 藍の言葉が終わり、次を繋ぐように口を開いたのは紫だった。

 

「それで、ギンコさん? ヌシをもとの獣に戻す術はありますの?」

 

 答えを急かすような紫の問いに、ギンコは少し考えた。藍の悔しそうな表情を見れば、協力もしてやりたくなる。しかし、ヌシをもとの獣に戻すなど、ギンコをして初めてのことで、蟲師同士の情報でも聞いたこともなかった。それは、試す価値がないというよりも、理に背く行為であるという意味が大きい。

 ヌシをもとに戻す。そんな方法は知らない。ギンコはそう答えた。その答えに、藍は落胆の色を隠せないようだった。だが。

 

「……ヌシをもとには戻せんかもしれんが、苦しみを和らげてやることはできるかもしれん」

「! じゃ、じゃあ」

 

 ギンコは桐箱を下ろして、中から陶器の小瓶を取り出した。あくまで、ヌシを安定させることが目的だ。できそうなら、というのを忘れんでくれ、と前置きし、ギンコは小瓶の中身を地面にまき始めた。ギンコの言葉の、これ以上ない譲歩に、藍は頷いた。

 天狗たちの世話も終わったのか、ギンコの行動を見ていたにとりが言った。

 

「ムグラノリだね。ヌシを探すの?」

「ああ。場所を探らにゃ、話にならんからな」

 

 ワタリの連中を見てきたからか、にとりはギンコが行おうとしているムグラノリなるものを、疑問符を浮かべる八雲の二人に説明し始めた。

 

「山限定の千里眼みたいなものだよ。ヌシの場所を突き止めようとしてるんだ」

「蟲師はそんなことまでできるのか」

 

 にとりの言葉に、藍が驚いたような言葉を漏らす。千里眼といえば、幻想郷ではある天狗が持つ固有の力であり、非常に珍しいものであったからだ。

 ギンコは土の上に腰を下ろし、手のひらを地面に押し付けた。いつもなら、ここで地面から出てきたムグラが体に取り付くはずだが、どういうわけかいつまでたってもその兆しは見られない。

 先の二人よろしく、ギンコが疑問符を浮かべる。ムグラノリができない。それはヌシ側からの干渉があることを示していた。着実に、ヌシは山に馴染んでいる。喜ばしい兆候であるが、この状況には何か作為的なものを、ギンコは感じ取った。

 

「(ヌシが山から隠れている? なりたてなら無理もないか……)」

 

 ヌシとしてある程度の経験を積んだ命ならば、自衛のため山から身を隠す術を得る。ヌシといえど自然の前には一匹の獣に過ぎず、見境のない捕食者の牙にかかり、唐突に命を落とすこともある。そうなれば山は統制を失い、土地は荒れることになる。そういう危険を冒さぬために、山で身を隠す。

 しかしヌシになりたての命は、その辺りの調整がうまくいかず、山のあらゆるものを自分から遠ざける傾向がある。今回もそうなのだろうか。ギンコは推測した。

 ギンコが固まって動かないでいると、がさり、と近くの茂みが音を立てた。音と一緒に一つの影が飛び出してきて、突如、ギンコへと襲いかかった。座っているギンコに、上から叩きつけるような一撃が迫る。

 当然というか、それはギンコが反応して避けられる速度ではない。目で捉え、認識した時にはすでに、攻撃は完了する。そんな速度だったが、飛び出してきた影とギンコの間には、藍が割り込んで強襲を阻止した。鈍い金属音のような衝撃を大気に響かせて、両者が激突する。

 藍に攻撃を弾かれた強襲者は飛び退き、その姿を白日のもとに晒した。

 

「あれ……椛!?」

「……にとりですか?」

 

 それは白毛の尾を持つ少女。より獣らしく頭頂部から犬のような耳まで生えている。

 ギンコに襲い掛かったのは、白狼天狗の犬走椛だった。



















 さて、独自解釈とオリジナル設定のオンパレードですが、皆様楽しんでいただけているのでしょうか。今回の話はずっとこんな感じなので気をつけてくださいね。




それでは。また次回お会いしましょう。





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