幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 魔法の森を抜けたギンコは、森で出会った少女魔理沙の後についていき、元の世界への道を目指す。急ぐ旅ではない。ゆっくり行こうじゃないか。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第一章 骨滲む泉 弐

 しばらく歩くと、畑に引く水路なのか、小さな川に差し掛かった。川に渡されているのは橋と呼ぶには少し頼りない、板きれが一枚あるだけで、踏み抜きはしないだろうかと、ギンコは思った。

 

「なあお兄さん、少し休まないか」

「賛成だ」

 

 魔理沙とギンコは背負っているものを下ろしながら、川の増水を考えて掘り下げられた(へり)の斜面に近づくと、そこにある緑の絨毯に腰を下ろした。相変わらず日は高く輝いているが、川のそばには涼やかな風が吹き、小川の水音がそれを助長して、束の間の休息を演出している。

 一跨ぎで渡れそうな川に限界まで近づいて、魔理沙はいつのまに脱いだのか、白い素足を投げ出した。落ち着きのない子供のように、川の水を両足でかき回している。

 

「お兄さんもどうだい?」

「いいな。ご一緒させてもらおう」

「おうおう」

 

 革靴を脱いで足首の裾をまくりあげ、ギンコも足を川に浸した。冷たい静かな流れだ。足の指の間を、水流が潜って行く度に、妙なこそばゆさを感じる。ギンコがちらりと右を見れば、魔理沙は帽子のなかから水筒を取り出し、川の水を汲み始めたところだった。

 

「生水は、あまりよくないぞ」

「へーきへーき。お、山椒魚じゃないか」

 

 帽子の中に竹筒をしまい、魔理沙が川の縁に張り付いていた山椒魚をつまみ上げる。指の間でうぞうぞと暴れていたそれも、手の甲に下ろしてやれば自然と大人しくなった。

 太陽光を反射する照りのある表皮。ぶよぶよとした弾力のある体。赤錆びた色のそいつは、魔理沙に指で小突かれながら、じっとギンコを見つめていた。

 相対する両者の目。片や翡翠(ひすい)、片や黒真珠のごとき視線の交錯。どちらにも、異質なモノを感じ取る力がある。そしてどちらとも、異質なモノに相違なかった。

 

「へぇ。珍しいもんだ」

「ん? 山椒魚見たことないのか? この辺りになら結構いると思うけど」

「いや、そうじゃなく。その山椒魚、蟲に寄生されているぞ」

「うへぇ!?」

「あ」

 

 素っ頓狂な声をあげて、魔理沙は山椒魚を放り出した。細く小さく、水の跳ねる音がして、水面の波紋が消え去る前に、山椒魚はどこかに姿をくらました。

 さっきまで山椒魚を乗せて弄んでいた手の甲を川の水で洗いながら、魔理沙はギンコに文句を言った。

 

「蟲ついてたんなら教えろよーったくもー」

「そいつは悪かったな」

 

 じゃぶじゃぶと芋でも洗うように、魔理沙は川の水をかき回す。その様子を見ながら、ギンコは傍らにおいた土色のコートのポケットから、煙草を取り出した。次いで桐箱の扉を開けて、無数にある引き出しの一つに手をかけて、中から虫眼鏡を取り出した。

 

「しきりに手を洗っているが、蟲といっても害はないものだぞ」

「あんたがさっき話してた連中だろ? 不思議で妙な生き物だ。私の手には負えないだろうから、あんまり関わりたくないんだよ」

「殊勝だな。そうだ、あまり積極的に関わるものじゃない」

 

 魔理沙は洗い終わった手ごと上半身を緑の絨毯に投げ出して、また足を川に浸けた。仰向けで寝転んでいる。

 蟲たちに畏敬の念を払うことは、とても重要なことだ。その心構えひとつで、彼らとの関係性は大きく変化する。ギンコの話から、魔理沙が少しでもそのことを感じ取ってくれたのだとすれば、ギンコも話した甲斐があったというものだった。

 虫眼鏡で光を集めて、煙草に火をつける。集められた光が煙草の先を目映く照らし、細く長い煙が立ち上がる。ふわふわと、生き物のようにいて、空へ昇って消えていく。魔理沙はその様子をちらりと、横目で盗み見ていた。

 

「あんた、煙草吸うのか」

「ああ、こいつは蟲除けの煙草でね。俺には、必要不可欠なもんだ」

「へぇ、蟲除けね。ちょっと吸わせてくれよ」

 

 煙を吸って吐き出すギンコに、体を起こした魔理沙が四つん這いで近づいていく。

 

「かまわんが、美味いものじゃないぞ」

 

 そう言ってギンコは新しい蟲煙草を取り出そうとする。しかしその動きを魔理沙が制した。

 

「その口に咥えてるのでいいよ。新しいのもったいないだろ」

「……お前さんがいいなら、構わんが」

「おう。ばっちこい」

 

 ギンコは加えていた煙草を魔理沙に差し出す。ギンコの隣に腰を下ろし、煙草を受け取った魔理沙は、それを咥え、勢いよく煙を吸い込んだ。

 

「おい、そんなに吸い込んだら……」

 

 ギンコの言葉は、ほんの一瞬遅れた。

 

「……ゔぇ! ゔぇほっ、げはっ」

「あ」

 

 盛大にむせる。腹に重い衝撃でもくらったかのように背中を丸め、連続的に咳を繰り返す。そしてあろうことか、手に持っていた煙草も川に落としてしまった。結局一本無駄になったな、と考えながら、咳き込む魔理沙の背中を、ギンコは優しく撫でさすった。

 

「だから言ったろ」

「お、おう。思ったより強烈だったぜ……」

 

 しばらく深呼吸して落ち着いたのか、魔理沙は意図せず目尻に溜まった雫を指で拭うと、すわと立ち上がった。

 

「ええい、仕切り直しだ! そろそろ行こうぜ」

「へいへい」

「あ、なにか拭くもの持ってないか? 足がびちょびちょだ」

「……手ぬぐいならあるが」

「あんがと」

 

 ギンコから手ぬぐいを受け取った魔理沙は自分の両足についた水滴を拭っていく。拭くものも無いのにいの一番に水の中に足をつけた行動といい、煙草の件といい、おてんばで厄介な少女だと、ギンコは思った。

 彼女に道案内を任せていて大丈夫なのだろうか。少し不安になってきたギンコは目的地について尋ねた。

 

「そういえば、今はどこに向かっているんだ」

「ん? 人里だぜ。方角は東ってとこか。んで、そのさらに東にある博麗神社ってとこに行けば、お兄さんは元の世界に帰られるぜ、多分」

 

 語尾に付け足された多分という言葉から一抹の不安を感じたギンコであったが、そこはぐっと飲み込んで、次の疑問を投げかけた。

 

「博麗神社ね……そこは遠いのか?」

「いいや? 飛べば数十分で着くから……あれ? 歩いたらどれくらいかかるんだろう。わからねえや」

 

 魔理沙は歯を見せて笑っている。悪気は無いのだろう。ただ今は、その純真な笑顔が何かの慰めになることはなかった。自分の足を魔理沙から返してもらった手ぬぐいで拭きながら、飛べばってどういうことだ、飛べばって、とギンコは内心思っていた。

 靴を履き直し、籠を背負い直した魔理沙は一足先に板の橋へと歩いて行った。

 

「おーい、はやくしろよー」

「まったく……自由なお嬢さんだ」

 

 魔理沙の声が遠くから聞こえる。ギンコも靴を履き直し、緑の斜面を登って橋の方へと歩いて行った。その後ろ姿を、山椒魚だけが見送っていた。


















 感想指摘、大歓迎です。どしどしお願いいたします。

 というか早くも泣き言ですが、蟲師の世界を文章で表現するってすごく難しいですね。心が折れそうですけど、ギンコと東方の少女たちがもっと絡むところが見たいので、自家発電の要領で頑張ります。


それでは、また次回。よろしくお願いいたします。

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