幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 ヒダネの新たな治療法に、一筋の光明を見出したギンコ。果たしてそれは成功するのか?

 今回で第四章終了です。ちょっと長くなってます。それでは。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第四章 火の目を掴む 玖《了》

 ゲホゲホと草を吐き続ける同僚を見て、不安を隠せないのは当然と言えた。

 口からこぼれ落ちる暗い青の草。夜の海のような不安を届けるその色は、まるで同僚の命を冥府の淵に引き込んでいきそうで、長い事直視していられなかった。

 

「咲夜さん……」

 

 苦しそうな同僚の名を呼び、その背中に手を添える。ゆっくりと撫でさすり、せめて苦しみが和らぐようにと、紅 美鈴(ほん めいりん)は祈りを込めた。

 

「咲夜……大丈夫?」

「はぁ、はぁ……ふふ……大丈夫、ではありませんが。そう簡単に死んだりはしませんよ。そういう意味では……大丈夫です」

 

 咲夜の青ざめた表情が笑みを作る。軽口を叩くその姿は、無理をしているのが明らかだったが、レミリアの方が顔色が悪いのでは、咲夜が無理をして表情を作るのも仕方がないと、美鈴は思った。

 そう簡単に死んだりはしない。その言葉にどれほどの説得力があるのか。目の前で弱々しくも笑みを浮かべる命に、そう言ってやりたかったのを、美鈴は抑えた。

 妖怪である自分たちだから余計に、美鈴は咲夜の強がりがとても儚いものに感じた。人間は儚く、脆い。それこそ、触れれば消えてしまう泡沫(ほうまつ)がごとき一生は、妖怪たちにとって虫も同じの(もろ)さだった。それを思い出させるような今回の事件。現在は蟲師のギンコという人間が、咲夜を治すために動いてくれている。しかし、それはどうやら雲行き怪しく、手詰まりの様相を見せていて、胸中の不安を拭い去るような一手は打たれていなかった。

 美鈴はベッドの横に膝をつき、咲夜の手を取る。この部屋に、今は四人しかいない。病人の咲夜に、その様子を見守るレミリアと美鈴。そして少し離れたところで、事の成り行きを見守るように立つ天狗の文の四人だ。件の蟲師は治療法を探るために図書館へ。その後に続いて、パチュリーも同じく知恵をしぼるために図書館へ。その際に、フランドールが付いて行った。今はここにいない、その三人が何かしらの解決策を見出してくれる事を祈るしかない。美鈴は握った咲夜の手を、祈るように額へと近づけた。

 

「代われるものなら代わって差し上げたい……」

「大げさよ。そんなに心配しなくても……」

「心配します。するに決まってるじゃないですか」

 

 咲夜の苦笑いに噛みつくように、言葉を重ねた美鈴は瞳を伏せる。心配だ。たった一人の人間が死にかけているというだけで、平静を保てそうにない。それはレミリアとて同じ事で、毅然(きぜん)と立ってはいるものの、表情からはその動揺がありありと感じられた。

 もうどうする事もできないのか。諦める前に、祈る事しかできなくなった二人に、咲夜はやはり笑いかける。

 

「でも、病気になってもみるものね。みんな優しくて、ちょっと嬉しいかも」

「……呑気な事言わないでくださいよ、もう」

 

 ふふ、と暗い雰囲気の中に笑いが漏れる。祈ろう。この人のために。美鈴は強く強く、咲夜の手を握った。

 そんな祈りが通じたのか、がちゃり、と扉を開ける音がする。それは希望の使者か、死神の来訪か。見た目だけなら、後者のような気がしなくもない。そんな男が、低く、重たい声で言った。

 

「待たせたな。一つ、試したい事がある」

 

 ギンコは開口一番そう言うと、咲夜に近づいてく。その後に続くようにして、二人の見慣れた顔も部屋の中へと入ってきた。二人のうちの一人、フランドールの手のひらにあるそれを見て、美鈴はギンコに問う。

 

「ギンコさん。試したい事って?

「ああ、それをまず、説明せにゃならんな」

 

 ギンコはフランドールの背中を押すようにして咲夜のそばへと促す。その手には泡。大きな、泡があった。

 

「これは、泡沫(うたかた)という蟲だ。パチュリーが寄生されていた様子は、お前たちも見ているな」

「はい。こんな見た目だったんですね」

 

 思わず、美鈴が感心する。その泡を見て、レミリアが続きを急かした。

 

「それで? その泡と今回の治療がどう関係しているのよ」

 

 ギンコは語る。それは一つの賭けであった。もしかしたらどうにもならないかもしれない。先の陰火の代用のように、全くの無意味かもしれない。それでも、ギンコは思いついた事はなんでもやるべきだと思っていた。たとえ危険を孕んでいても、新たな治療法を見つけるために。

 

「泡沫は動物の体内に入ると、まず血液に乗って体中の水分を自らの支配下に置く。それは宿主が水を排出する際に、自分自身が流れ出てしまうのを防ぐためだ。宿主を膨らませるのも、傷による流血を防ぐため、という事になる」

「なるほどね。太い血管までの距離を、少しでも稼ごうってこと」

「そうだ。そして次に、ヒダネだが。こいつはすでに、咲夜の中で芽を出している。体温の低下が収まり、草を吐き始めたのが何よりの証拠だ」

 

 これは賭けだが。とギンコは前置きする。

 

「このヒダネは、芽を出し、すでに植物となった。この植物が成長するためには、体温ではなく別のものが必要だという事が、体温低下の改善から読み取れる。事実文献を見ても、植物状態のヒダネはヒトの体温を奪うような事はなかった。ただの草木と同じように、土の上で群生したと記録されている。人間の体内という特殊な環境下では、恐らくは血液を栄養にしているんだろう。顔色が悪いのも、じわじわと血を取られているせいだとすれば納得がいく」

「確証はないの?」

「ない。そしてさらに推論を重ねるが、この血液の供給を泡沫によって統制し、止める事ができれば、ヒダネは枯れるのではないか、と思ってな」

 

 ま、推論に推論を重ねた話だ。とギンコは自嘲する。こんな事しか考えられない自分を笑っているのか。美鈴やレミリアをはじめとする蟲を知らない者たちからしても、確証がないという一言が一抹の不安を残す。

 ギンコは以前、山で起きた霧の異変を思い出していた。普通なら動物の背に根付く蟲が、妖怪の背に根付いたとき、強い刺激を与えずとも、蟲のいる環境を少し変化させるだけで蟲は離れて行った。今回もそうならないものか、と考えた。

 

「泡沫の対処はすぐにできる。もしダメなら、すぐに蟲を取り除く準備はしておこう。そして、体が膨らむという副作用が出るだろうが……それも踏まえた上で、俺の賭けに乗ってくれるか、咲夜」

 

 ギンコは咲夜に問いかける。フランドールの手の中にある泡と、ギンコの顔を交互に見やり、咲夜はさほど時間をかける事もなく、ギンコの問いに応えた。

 

「もちろんです。そのための蟲師なのでしょう?」

「……肝が据わったお嬢さんだ」

 

 ギンコは口の端をつり上げた。

 

「それで? 私は何をすれば?」

「泡に触れてくれ。それだけでいい」

 

 はいどーぞ、とフランドールが気軽に泡沫を差し出す。咲夜は恐る恐る、その時折玉虫色に輝く薄い膜の球に手をを伸ばした。

 指先が泡の膜に触れた瞬間。泡は弾けるというより、揺らいで空間に溶けるような動きで消え去った。奇妙な動きだった。

 

「後はどうなるのか、少し様子を見て……」

「っ!」

 

 ギンコがそう言い終わるより早く、変化は訪れた。

 咲夜が口を押さえて、目を見開く。早すぎる変化に、ギンコも含めた周囲が狼狽える。なんだ。何が起こっている?

 

「咲夜!? しっかりして!」

「ギンコさん! これはどういうことですか!?」

「俺にもわからん! とにかく、泡沫を抜く香を調合して……」

 

 ごとごと、と一気にせわしなくなる室内で、ギンコが桐箱を漁る。その騒ぎの中心で、咲夜はレミリアに背中をさすられながら、えずき始めた。その行動に、注目が集まる。

 何かを吐き出すような仕草。それを何度か続け、三度目の嘔吐で、それは喉の奥から這い出してきた。

 暗い青の葉をつける短い蔓。うねうねと咲夜の口の中から這い出してくる姿は、まるで巨大な百足のようで、咲夜の嗚咽と相まって、非常に不気味なものだった。

 ぼとり、と布団の上にそれが落ちる。しばらくうねうねと蔓をくねらせていたが、フランドールが「うぇぇ……」と引き気味のつぶやきを漏らすと、その動きを恥じるようにピタリと動かなくなった。

 咲夜の荒い呼吸音だけが、呆然と静寂を守る部屋に残る。急転直下の事態だったが、咲夜の中のヒダネは、これで取り除かれた。

 

「……びっくりしましたね。心臓に悪い治療ですこと」

 

 そんな文のつぶやきに、誰かが納得した。

 ギンコが近づき、折良く装着していた手袋をしっかりとはめて、草をつまみ上げる。これほどの拒絶反応があるとは予想外だった。咲夜の血液の質が急激に変化したことで、定着できなくなって這い出してきたのか? なんにせよ、これで泡沫を体から取り除けば、咲夜の蟲患いも完治する。問題は、この草だ。

 ギンコは迷っていた。この場で草を摘み取ってしまうべきか。迷っていた。

 これを野に放てば、根を伸ばして増殖するだろう。そして毒を吐き、健常な草木を枯らす。枯らしてしまう。ならば摘み取るべきなのだろう。だが、これはこの世界で最後の一本なのだ。摘み取ることは絶やすことにつながる。たとえ害だけの存在であろうと、絶やしていい理由にはならない。

 

「その草、どうするの?」

 

 フランドールが無邪気に聞いてくる。ギンコは答えられない。

 

「病の原因なんでしょ。燃やしてぱーんってしちゃいなさい」

 

 レミリアが気軽に言う。その言葉を受けて、パチュリーが指先を振るった。

 途端にギンコの持つ草に、火がつく。ギンコは思わず手を離したが、火は地面に落ちることなくその場で止まり、青白い色に変化していった。これで、いいのだろう、か。

 

「みんな、口と鼻をふさげ」

 

 ギンコの言葉を聞き、室内にいる全員がそうする。ただ一人、フランドールだけが「あ! あの時の人魂だ!」と嬉々として能力を発動し、飛び回る前のヒダネを握りつぶした。

 先の泡沫よりも泡らしく、ヒダネが弾ける。小さな花火のような最期を、ギンコは静かに見守っていた。

 

「これで、万事解決ですか?」

「……ああ。大方は、な」

 

 文の問いかけに、ギンコが答えて、部屋には弛緩した空気が流れた。ギンコは考えていた。フランドールの言動。咲夜の容体。これから少し、やることが残っている。よかったわね、と咲夜と喜び合っているレミリアに声をかける。

 

「喜び合っているところ悪いが、まだ終わったわけじゃない」

「え? まだ何かあるの!?」

 

 そんなに驚くことじゃない、とギンコはレミリアに言った。ギンコは泡沫を抜くための香を準備しながら、続ける。

 

「今ので完璧にヒダネが抜けたのかどうか、これから数日かけて様子を見る。だからここに滞在させてもらいたい。その間は……」

 

 ギンコはすい、と目線を金髪の少女に合わせる。

 

「お前さんに蟲との付き合い方も教えにゃならんな」

 

 フランドールは私? と首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 

「どうぞ」

 

 そう言って差し出された白い陶器には、金の装飾が施され、琥珀色の液体が満たされていた。ここ数日で嗅ぎ慣れた茶葉の香り。種類はたくさんあったが、名前は憶えていない。だが言わずとも、その数種類の中で、ギンコが最も気に入った香りのものが、今回は出てきた。

 

「どうも」

 

 ここは紅魔館のバルコニー。ヒダネの事変から数日経ち、日常が戻った紅魔館からギンコが発つという時、レミリアが最後のもてなしだと、ギンコのためにお茶会を催した。朝方ではあるが、その心遣いをありがたく頂戴し、ギンコは誘いを受けた。

 ギンコに紅茶を淹れたのはここ数日ですっかり元気になったのか、いつかベッドで弱々しく草を吐いていた銀髪の少女だった。十六夜咲夜。藍色を基調とした給仕服は銀髪の彼女によく似合っている、とギンコは思った。

 この数日、ギンコは咲夜のその後の体調を気遣いながら、紅魔館に滞在した。異国情緒溢れる屋敷は常にギンコの目を惹きつけ、刺激のある日々を過ごしたと、ギンコは思っていた。

 咲夜の体調に、その後の大きな変化はなく、ギンコは主に、レミリアの妹、フランドールの相手をして過ごした。もっとも、それはフランドールのある才能のせいでもあった。

 

「ちょっとフラン、微笑ましいけど、そろそろ離れたら? ギンコさんも迷惑でしょう?」

「えー。もうちょっといいでしょ?」

「……まあ、俺は構わんが」

「ほら。ね?」

「しょうがないわね……」

 

 レミリアが頭を抱えるのも最もだった。今フランドールは椅子に座るギンコの膝の上を占領している。フランドールに備わっていたある才能のせいで、ギンコと共に多くの時間を過ごしたフランドールはすっかりギンコに懐いていた。

 フランドールの才能。それは蟲が見えるということ。物の”目”などという概念的なものを物理の世界にまで引き降ろせる彼女にとって、それは当然の才能だったのかもしれない。ギンコのせいで紅魔館のあらゆる場所に湧いて出た蟲を、ギンコと共に観察し、時に潰し、怒られ、知ることのなかったそれらに触れ、フランドールの心は大きな何かをつかみ始めていた。その結果が、人間に懐くという結果に表れている。

 レミリアはそんな妹の変化を喜びつつ、ギンコに頭が上がらない思いでいた。ギンコさん、と敬称を外さず、レミリアはやんわりとかしこまった。

 

「改めて、紅魔館の主としてあなたにお礼を言わせてもらうわ。本当にありがとう。咲夜のことも、フランのことも」

「あと私のこともね」

 

 ついでに、と本に目を落としていたパチュリーが言う。彼女には珍しく、大図書館からバルコニーにまで足を運び、ギンコとのお茶会に参加していた。一抱えもありそうな大きな本を閉じ、パチュリーは紅茶に口をつけた。

 

「あなたの話、興味深いものばかりだったわ。よかったらまた蟲のこと、話しにきて頂戴な」

「そりゃ、こっちの台詞ですとも。あの図書館には興味深い資料が山のようにあった。個人的にも、興味を惹かれるものがね」

 

 それに、雰囲気もいい。とギンコは図書館の大きさとカビ臭い空気を思い出しながら、パチュリーの真似をするように、紅茶を飲んだ。

 

「そういえば、報酬の話は終ぞしてなかったわね」

「成功報酬だろ? ここ数日の衣食住、全部世話になったからもう十分だ」

「それとこれとは話が別でしょ? そうね……」

 

 レミリアは顎に手を当てて考えた。そして側に控える咲夜をちらりとみやり、にやりと口の端を釣り上げて言った。

 

「咲夜なんてどう? 尽くすわよ」

「ぶっ……! お、お嬢様!」

 

 思わず吹き出したのは咲夜だ。突拍子もないことを言われ、ギンコも目を丸くしていた。なによ、とレミリアは面白いおもちゃを見つけた子供のように笑いながら、咲夜の方を向いて言った。

 

「あなた、ギンコさんがいなかったら死んでたのよ? 命と比べたら、貞操なんて安い物じゃない。それに、ギンコさんなかなかいい男だと思うし。あなたもまんざらでもないんじゃない?」

「そ、それは……」

「おい、否定しづらく聞いてんじゃねえよ。本人いるんだぞ」

 

 苦笑いというには微妙に困惑の色が強い表情を浮かべて、ギンコがレミリアに言う。ギンコに出されたはずの紅茶を飲みながら、ギンコの膝の上でフランドールが口を開いた。

 

「なになにー? ギンコと咲夜結婚するの?」

「子供は絶対色素薄いわね」

「パチュリー様までふざけないでください……」

 

 弱り切った咲夜は、ギンコと目を合わせ、苦笑するほかなかった。

 

 

 

 

 

 

「ほうほう、なんとも微笑ましい限りで。これはいい話を聞きましたね」

 

 バルコニーの屋根の上。そのまた上の上空で、風に乗って届く声に聞き耳を立てていた影があった。それから幻想郷中に「紅魔館給仕、ついに結婚!?」という見出しの新聞が出回るのは、もう少し先のお話。

 

「密着取材も楽じゃない、楽じゃないっと」

 

 からからと楽しそうに、天狗も笑っていた。この時、門番が眠っていたのは言うまでもない。



















はい、お疲れ様です。これにて第四章完結です。最近体調が悪いので、それが物語に現れていそうで怖いです。お次は第五章! 実はすでに考えてあります。なので次回予告!


 次 は 地 底 で す。





それでは、また次回お会いしましょう。





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