幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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 第五章。今度は地底だ! それでは。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第五章 恋し糸愛し夢
第五章 恋し糸愛し夢 壱


 もう何度目かもわからない、幻想郷での夜をギンコは過ごしていた。

 さっきまで焚いていた火も、狼煙(のろし)を上げなくなって久しい。空気が乾燥するこの季節に、長い焚き火は危険を伴う。山火事にでもなってしまえば事だ。そういうわけで、ギンコは早々に野宿の灯りを消し、星空を眺めていた。

 ついこの間まで我が物顔で居座っていた残暑も何処かに行ってしまったのか、少し肌寒い秋風が顔を見せはじめ、夜ともなればもう完全に秋の気候である。ギンコは少し早い夜に眠れぬ体を縮こまらせ、乾燥した夜風から逃れるように土色のコートの首元を引き寄せた。

 

「冷えるな。今日は」

 

 上を見れば数限りない星屑が輝いている。夜空を流れる光の川。見飽きるほど眺めたそれを見て、ギンコは静かに目を閉じた。

 顎を引き、そっと、それが降りてくるのを待つ。目を閉じた時。一見、視界は闇で覆われたようになるが、その時眼球は瞼の裏を見ていて、本当の闇というものは見ていないのだという。本当の闇を見るためには、二つ目の瞼を閉じなければならない。第二の瞼。人工の光を見続けると、閉じ方を忘れてしまうそれを、ギンコは閉じる。

 眼球の上の方から、すぅっと闇が降りてくる。本当の闇が降りてくる。そうして常の闇を見続けていると、その彼方から光の川が流れてくるのだ。

 それは蟲たちの領域。地面の下で蠢く、下等で奇怪な、されど命の源流を司るモノどもの流れる川。蟲師たちはそれを、光脈と呼ぶ。

 ギンコはこの光景をよく見る。二つ目の瞼をよく閉じる。不意に孤独に襲われたり、自然の前に旅の厳しさを感じる時に、この賑やかな光の筋を見ていると、心が穏やかになっていくのだ。

 いつもは一人、ここで光の川を眺めるギンコだが、今日はどういうわけか先客がいた。

 

「あ、いつかのお兄さん」

「お前は……」

 

 光の川の対岸に、立っているその人影。若草色の髪に、ツバの広い帽子をのせた少女の姿は、いつか妖怪の山で見かけた少女のようだった。

 

「こんなところで奇遇だね。ここには私以外来ないのかと思った。あ、猫ちゃんはきたか」

 

 少女の口元以外は、帽子の陰になっているため表情が読み取れない。はて。以前会った時は蟲の気に当てられて、前後不覚な印象を受けたのに、今回顔を合わせてみれば症状は改善されているようである。饒舌な少女に、ギンコも応じた。

 

「お前さん、今どこにいるんだ」

「あ、もしかして探してくれてたの?」

 

 まあな、とギンコは答えた。蟲の障りを受けている人を放っておけるほど、ギンコは簡単な性格をしていない。面倒だなんだということもあるが、彼女の存在は常に気にかけていた。もっとも、先の依頼の折に千里眼を頼り、目の前の彼女を探したが見つけられず、もはや見えぬところまで進んでしまったと半ば諦めてもいた。

 だがこうして見てみれば、まだまだ救いの余地はありそうだ。所在がわかれば、蟲下しの処方もできよう、とギンコは考えていた。しかし、そんな考えに先回りするように、少女は語った。

 

「うーん、嬉しいけどもう無駄だと思うよ? 私はきっと、もう戻れない」

「そりゃあ、やってみなきゃわからんだろ」

「ううん。わかるよ。こっちの私は、もうすっかり体から離れてしまったもの」

「なんだと?」

 

 少女の口ぶりは妙だった。それではまるで、体だけが無意識に一人歩きをしているようではないか。そんなことがあり得るのか。

 

「うんあり得るよ」

 

 ギンコが尋ねる前に、まるで心でも読んだかのように少女が答えた。胸元に開いた目がギンコを見つめている。漠然とした不安感が、ギンコを襲った。

 少女は光の川の縁をなぞるように歩く。右へ左へ行ったり来たり。胸元で開いている五本の触手がつながった目玉のようなものだけが、ギンコを捉えて動かない。

 

(さとり)としての力を閉じた私はここで二つに分かれてしまったの。地上を歩いているのは、イドの私。光を浴びすぎて、もう別の存在になってると思う」

「……なんだかややこしいことになってそうだな」

「きっかけはわからないんだけどね。ここに私が来て、私から離れたってことはそうなのかなって」

 

 少女の言葉を受けてギンコは考えた。つまり、ここにいる少女は少女の中身だけで、外側は蟲として現世をさまよい歩いているということなのか。考えていれば、またその思考に、少女が口を挟んできた。

 

「その蟲っていうのがよくわからないけれど。妖怪としての私はここにいるの。でも外の私は妖怪としての私がここにいるから、もう別のものになってしまっている。そういうこと」

 

 この会話とも呼べない心の疎通で、ギンコは少女が心を読んでいるのではと思った。

 

「大当たり。さすがだね」

「こんだけ露骨に先読みされれば嫌でも気付くだろうが」

 

 ギンコは心の声に反応してくる少女に閉口する。文字通りの行動は、それが少女の妖怪としての能力だ、とギンコが理解したことを示していた。

 光の満ちる空間で、ギンコは少女と対話する。

 

「それで? 結局お前さんはどこにいるんだ」

「まだ諦めてないんだ」

 

 個人的にな、とギンコが思えば、そういうことなら好きにしなよ、と少女が言う。

 

「私は地底にいるよ。何をしてるのかまではわからないけど」

 

 地底? もぐらにでもなってるのか?

 

「別のものって言ってもそこまでじゃないよ。地底は妖怪の山の麓から行ける文字通りの場所。そうだねえ、お姉ちゃんがちょっと怪しい年頃だから、気をつけてくれると嬉しいかな」

 

 思春期なのか。

 

「傷つきやすいお年頃なの。蟲の私に引っ張られているようだし、助けてあげてね。むしろこっちの方が本題かな。うん。お願いしちゃお」

 

 適当だな。めんどくせえ。

 

「ひどいなあ。個人的なことなんでしょ? なら期待してるからね」

 

 思っていることが(ことごと)く暴かれて、ギンコはもう口を動かさずにいた。周囲に満ちる光が強くなる。川幅も幾分か、広くなっているようだった。

 もうここにいられる時間も短い。じゃあお願いね、という少女に、ギンコは名前を聞いた。そう、頭の中で思った。

 

「まだ名乗ってなかったっけ? 私はーーー」

 

 

 

 ギンコは二つ目の瞼を開けた。冷える夜の闇と、満天の星空が戻ってくる。夜空に流れる光の川。太陽の光を受けて輝く夜の天蓋を見上げて、ギンコは光脈のそばで出会った少女の名前を確認するように、もう一度つぶやいた。

 

古明地(こめいじ)こいし……か」

 

 その言葉を最後に、ギンコは地面へと寝転がり、夜風に息を溶かしていった。

 

 

 

 

 

 秋風が吹き、乾燥した空気が落ち葉を舞い広げ、いずこかへ運んでいくのを見送ってから、ギンコは再び歩き始めた。

 ここは人里の中央通り。傍に民家が並ぶ、人里の中心軸である。秋口になると農作業も冬ごもりの佳境に入り、貯えをしなければならないのか、皆家にこもっているようで人通りは少ない。わずかにすれ違う人も、首をすくめて肌の露出を抑えているなど、巡る四季の到来がよくわかる。

 そんな秋なり始めの人里で、ギンコは地底に関しての情報を集めるために、とある家を目指していた。その途中で、見知った顔とばったり出会った。

 

「あら、ギンコさん」

 

 ギンコが出会ったのは紅魔館の給仕長、十六夜咲夜だった。銀髪の上に藍色の給仕服を着こなす彼女は、やはり異国風であったが、不思議と違和感はない。珍しいというだけだ。

 よう、と片手を上げて挨拶し、世間話がてら、患者のその後をギンコは聞いた。

 

「どうだ、その後は」

「おかげさまですっかりと。溜まっていたお仕事も消化して、今ちょっと暇になったところです」

「それで買い物に? よくやるな、お前さんも」

 

 仕事の虫め、と口の端を釣り上げるギンコに、苦笑した咲夜は手に持っていた籠を胸元に掲げる。

 

「自分の分だけですよ。そういうギンコさんはこれからどこに?」

「今度は地底を目指してみようかと思ってな。そのための情報集めとして、稗田家にこれから行くところだ」

「まあ、地底ですか。人間がお一人で足を踏み入れるには、少々危険な場所だと聞き及んでおりますが」

「そうなのか」

 

 もしよろしければうちの門番をお貸ししますよ、と咲夜は言う。

 

「そりゃ願ったり叶ったりだな。ま、地底がそれほど危険な場所だとわかったら頼むかね」

「では伝えておきますね。失礼いたします」

「おう」

 

 ギンコの傍をすり抜けるように、咲夜は小走りで駆けて行った。そこでギンコは周囲の少ない人影の視線が、こちらを向いていることに気づいた。すぐにギンコは悟る。ああ、天狗の号外のせいか、と。

 ギンコは先日、紅魔館の主人であるレミリア・スカーレットの依頼で十六夜咲夜の蟲患いを処置した。その成功報酬として、レミリアが「咲夜を嫁にどう?」なんて冗談をつぶやいたまさにその瞬間を、噂好きな鴉天狗が号外記事に仕上げてしまったのだから、二人でいれば衆目が集まるのも道理だった。そのあたりの配慮が、今日のギンコには抜けていた。

 咲夜も堂々としていればいいのに、とギンコは軽く考えて、稗田家に足を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 声がする。私を呼ぶ声がする。誰? 私を呼ぶのは誰?

 

「お姉ちゃん」

 

 お姉ちゃん? もしかしてこいしなの?

 

「そうだよお姉ちゃん」

 

 ああこいし。今までどこに行っていたの? 心配したのよ。

 

「ごめんね。心配かけて。でももう大丈夫」

 

 大丈夫? 一体どういうこと? それにここはどこ? 真っ暗な空間で、私、自分の声も聞こえない。

 

「お姉ちゃんの心は聞こえてるよ。だからもうちょっと待ってね」

 

 え? こいし、第三の目が開いて?

 

「もうすぐそっちに私の知り合いが行くわ。追い返しちゃダメだよ? 私もどきの対処をしてくれる人なんだから」

 

 ああ待って、こいし。どうして? また行ってしまうの?

 

「光の川が流れてきた。もう帰らなきゃね。川に入っちゃダメだよ? じゃあまたね、お姉ちゃん」

 

 こいし……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んで、結局お前さんの力を借りることになったわけだが」

「任せてください! 道中の護衛を、完璧に勤めてみせますよ!」

 

 その大きな胸を張り、紅魔館の門番、紅美鈴が言う。

 緑茶で染めたような色合いの服には、すらりと伸びた脚線美を惜しげもなく晒すように切れ込みが入っており、龍の一文字がはいった星が輝く帽子をかぶっている。

 紅色の髪をなびかせて、武術の型なのか、正拳突きを披露する彼女はなかなか様になっていた。とにかく素人目に見ても、突きの風圧で今まさに揺れ落ちる木の葉に孔を穿つのは、冗談にしか思えなかった。

 二人がいるのは人里の外れ。獣道よりかは整地の行き届いた枯れ道の木の下。ギンコが道祖神の隣で蟲煙草を吹かしていたら、紅美鈴がやってきた。

 別にここを集合場所にした覚えはないのだが、彼女はギンコの元に行って護衛をしろと言われてここまできたのだと主張する。そんなことが果たして可能なのか定かではないが、とにかく彼女はギンコを見つけて、やってきた。

 

「頼りにしてるぜ。というか、地底に行くの面倒臭くなってきたな……危なそうだし」

「ええ? じゃあやめます?」

 

 気軽に言ってくれるな。冗談だよ、とギンコは美鈴の提案を断った。

 ギンコには地底を目指す理由があった。それは光脈の側で見た古明地こいしに会うため。彼女がどういう状況にあるかはわからない。しかしそれで放っておけるほど、ギンコの性格は簡単ではなかった。

 紫煙を空に吐き出して、ギンコは言う。

 

「とりあえず稗田家で聞いたが、妖怪の山の麓……いつか行った鉱泉のさらに奥地に地底に降りる穴があるらしい。そこまで歩くぞ」

「おっす! 了解しました!」

「お前さん、元気だな」

 

 そりゃもう! と美鈴は突然、空中で回し蹴りをするという無駄かつ高等な武技を披露した。門番というくらいだから、侵入者を許さないためにも荒事を切り抜ける力は確かなのだろう。もしかしたら、彼女は体がなまっていたのかもしれない、とギンコは考えた。

 こめかみをかすっていきそうな美鈴のつま先に「うお、あぶねっ」と身を引いて、ギンコは驚いた。

 道祖神が微笑みを浮かべている。美鈴の武技は時折ギンコをかすめ、その度に呑気だがどこか焦ったような声が響いた。




















始まりましたねえ。第五章です。明日も更新できるように頑張りますが、こっちも雪降ったりなんだりで忙しくなりそうなので確約はできません。のんびりお待ちください。よろしくお願いいたします。





それでは、また次回お会いしましょう。






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