幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 美鈴と地底を目指す途中、ギンコは光酒を報酬に鬼の伊吹萃香を仲間に引き入れ、再び一路、地底を目指した。


 更新に関しての弁明は後述。それでは。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第五章 恋し糸愛し夢 参

「お姉ちゃん」

 

 ああ、こいし。また会えたのね。

 

「お姉ちゃんは最近ここに来過ぎだよ。あぶないよ」

 

 こいしだっていつもここにいるじゃない。大丈夫よ。

 

「緑の杯を使いすぎると理がやってくる。あの私はお姉ちゃんをこっちに引きずり込もうとしてるんだよ?」

 

 こいしといられるなら、それも悪くないわね。

 

「だめだよ。別物だって理解してるんでしょ? ちゃんと自分を強く持って。夢の世界に、これ以上入り込んじゃだめ」

 

 こいしはどうなのよ。自分のこと、ないがしろにしちゃだめよ。

 

「私はここから離れるわけにはいかない。私だからこの蟲を封じておけるの……光の川が流れてきたわ。じゃあね、お姉ちゃん」

 

 こいし……まって、こいし!

 

 

 

 

 

 

「地底へはここを降りればいいのさ」

「ほおー」

 

 地底への案内人として、鬼の伊吹 萃香(いぶき すいか)を加えたギンコと美鈴は、鉱泉から歩き、ほどなくして地底への入り口に到着した。

 まず見えてきたのは大空洞。地面に穿たれた大穴が、いかにも地獄へと続いていそうな不気味な風鳴りを響かせている。

 ギンコと美鈴はお互い、足を滑らせないように縁から下を覗き込んでみた。大穴のずうっと下のほう。小さな米粒ほどの光が見える。底からの光なのだろう。かなり下のほうまで降りなければならないようだ。その割には梯子のようなものも見当たらず、ギンコには些細なだが重要な疑問が浮かんだ。

 

「こりゃすげえな。どうやって降りりゃあいいんだ」

「うん? 飛び降りるんだよ?」

「あ?」

 

 ギンコが言うや否や、体に鎖が巻きついていく。その鎖はギンコの自由を奪うと同時に、大穴のような底知れぬ不安をギンコにもたらした。

 鎖の先は笑う鬼の手に。鎖で胴体を簀巻きにされたギンコの頬に冷や汗が伝う。そして次の瞬間。

 

「ぴょーん」

「うおっ!」

 

 鬼の手に引きずり込まれるように、ギンコは自由を奪われた状態で、大空洞へと続く空中に身を躍らせた。上下の感覚が曖昧になる空中。速度もかなりついてきたところで、歯を食いしばり、恐怖に耐えているギンコに、美鈴が気軽な様子で話しかけた。

 

「すぐ終わりますよ。頑張ってくださいねー」

「……!」

 

 帽子を抑えて呑気に落下する美鈴に絶句する。いや、この状況すべてに絶句する。ギンコは自分がかなり変わり者だと思っていたが、幻想郷に来てからというもの、その半ば常識と化した認識をことごとく吹き飛ばされている。

 入ってきた空は丸く縁どられ、どんどんと遠ざかっていく。そしてギンコは、もうどうにでもなれ、と体の力を抜いて目をつむった。

 

 

 

 旧地獄街道はいつも通りだった。閑散(かんさん)としているわけでもなく、賑わっているわけでもない。ただ己に残された悠久の時を、放埓(ほうらつ)に、しかし刺激的に過ごしたいだけの連中が、いつも通りに喧嘩したり、酒を飲んだりして、荒れているが秩序立っているという奇妙な現状を作り出していた。他者との交流を望まないものたちが身を寄せ合っているのだから、その現状は当然と言えた。

 鬼の星熊 勇儀(ほしぐま ゆうぎ)は、そんな旧地獄街道で、何か面白いことはないものかと散歩をしていた。

 からんころん、と下駄を鳴らして石造りの街道を歩く。隣家ではいつも通りの宴の声が聞こえるが、今はなんだか気乗りがしない。面白いこと。漠然としたそれを追い求めて、勇儀は街道を歩く。

 

「ん?」

 

 そんな願いが通じたのか、勇儀の視界の先にはぼんやりと光る人影が見えた。

 若草色の髪につばの広い帽子を被った、古明地姉妹の妹の方である。その後ろ姿を見て、勇儀は首をかしげた。

 何度か面識のあった勇儀だが、今日はどうやら様子がおかしい。いつも存在が希薄なやつだったが、今日は一段とその傾向が顕著に表れているように感じた。

 勇儀が近づいても、その影は動こうとしない。本当に古明地の妹なのか? ぼうっと突っ立っているその背に、勇儀は話しかけた。

 

「よう。こんなところで何してんだ?」

 

 話しかけた瞬間。古明地こいしは跡形もなく消え去った。

 疑問に思う暇もなく、勇儀の頭の中からはその存在ごと消滅する。それが古明地こいしの能力であるところの、無意識を操る能力であった。

 はて、私は何をしようとしていたのか。勇儀が頭のモヤモヤを消化できずにいると、ふと、下げた視線の先に、あるものを見つけた。なんだこりゃ、と拾い上げる。

 

「緑の杯? 質は良さそうだが……」

 

 謎の杯を拾い、勇儀は首をかしげた。面白いこと。それは、もうすぐそこまで来ていそうな気配だった。

 

「……いい、(さかずき)だな」

 

 勇儀がそう呟いた時、ぞくりとした寒気がした。それは久しく感じていなかった寒気。いつの間に自分は森の中に来たのだろう。モヤがかかる頭が、不明瞭で心地いい。

 手に持つ杯には、いつの間にか光る酒が満たされている。光酒だ。一口飲む。うまい。

 勇儀の動作一つ一つを、古明地こいしが見つめていた。

 

 

 

 

 

「死んだと思ったな」

「ははは、大袈裟だなあ」

「お前らの尺度でものを考えるんじゃねえよ」

 

 なんとか五体満足で地底に降り立ったギンコは、鬼の伊吹萃香に文句を言っていた。鎖で簀巻きにされて長い長い空中散歩をするなんて、ギンコの人生経験の中で初めてであり、楽しむなどとは無縁のものであったことは言うまでもない。

 まあまあ無事でよかったじゃないですか、とやはりどこかずれた妖怪たちの陽気な態度に、ギンコが不満の矛先をしまうと、地平の付近に行灯のような赤い光が満ちているのが見えた。それが地底の都市だというのは、隣にいる鬼が解説してくれた。

 

「あれは旧地獄の光さ。地上に馴染めない端くれの奴らが根城にしてる、ね」

「誇るところか、それ」

「いい個性じゃないか。私は好きだよ」

 

 萃香はころころと笑顔を見せる。聞けば旧地獄にはそういう妖怪が多いのだという。

 地上で忌み嫌われたもの、ただ純粋に今の地上に馴染めぬもの、事情こそ様々であるが、ここにはそういう日陰者が多く集まっているのだそうだ。

 

「古明地こいしも、なんらかの事情があってここにいるのかね」

「古明地姉妹は妖怪屈指の嫌われ者さ。なんたってあの覚なんだからね」

「覚? 心を読む、とかいう?」

「そう。よく知ってるじゃないか」

 

 地底の光が近づいてくる中、伊吹萃香の地底談義は続いていく。

 

「覚は心を読む妖怪だ。それは能力というより、性質と言ってしまった方がいいのかもしれない。なんたって本人の意思で扱えないものだからね」

「へえ、じゃあ誰彼構わず心を読むと?」

「そういうことだ。心を読まれて嬉しい奴なんていないだろう?」

「まあ確かにな」

 

 萃香の言葉を聞いていれば、なるほど地底にいることは納得できた。

 行灯のような日の光の代用を常に灯しているのも、彼らが日陰者ゆえの事だろう、とギンコは思った。

 そうした地底の光を見ていると、ギンコは一つ、気がついた。

 

「蟲の数が多いな……」

「ん? そうかい」

「ああ」

 

 ギンコが地底に下りてきたからというわけではないが、地底には蟲が多かった。こういう陰気なところには湧きやすいとも言えるが、それにしては数が多い。光脈が近いのだろうか? とギンコが少し思考を巡らせたところで、美鈴が遠方に妖怪の気配を感じ取った。

 

「妖怪が近づいてきます」

「よくわかるな。何にも見えんぞ」

 

 目を凝らしても、都市の光が見えるばかりである。しばらく立ち止まって様子を見れば、確かに小さな人影がフラフラとおぼつかない足取りでこちらに向かって歩いているようだった。

 

「本当にすごいね。霧状になって、湯気に紛れていた私でさえ勘付かれたし」

 

 それが私の能力ですから、と美鈴は胸を張る。

 小さな人影はギンコたちの目の前に来るまでにパタリと崩れ落ちてしまう。慌ててギンコが近づくと、美鈴も萃香もその動きを止めようとはしなかった。危険な妖怪ではないのだろう。

 ギンコが膝をついて、妖怪を抱き起こした。その妖怪は桃色の髪と、どこかで見たような服装をした少女だった。その姿を見て、萃香が言う。

 

「ああ、こいつだよこいつ。例の覚妖怪。古明地こいしの姉の、古明地さとり」

「こいつが?」

 

 そうだとも。ギンコに見られた萃香が答える。

 

「でもおかしいねぇ。なんだってこんなところにいるんだろう。基本的に引きこもりのはずなのに」

 

 萃香は首を傾げていたが、いまいちピンとこないギンコは覚妖怪へと呼びかけた。

 

「おい、お前。大丈夫か」

「う……うぁ……」

 

 ぼうっと酩酊状態のように、焦点の定まらぬ視線を泳がせて、首をカクカクと動かす古明地さとりはどう見ても普通の状態ではなかった。蟲の気に当てられているのか。ギンコはその指先に結ばれている赤い糸を見て、蟲患いの確信をした。

 

「とにかくどっかで休ませねえと、話にならんな」

「そうは言っても……よくないものが集まり始めたみたいですよ」

 

 さとりを介抱しようとしたギンコが顔を上げる。そこにはいつか見た怨霊たちが集いつつあった。黒い人形に見えなくもない影が、うようよと陽炎のように立ち上っている。それらを相手に、萃香と美鈴が戦闘態勢をとる。

 

「さとりをしっかり守ってるんだよ!」

「ギンコさんは私が守ります!」

 

 二人は黒い影に突撃した。美鈴の徒手空拳が、萃香の振り回す鎖が、怨霊たちを払い飛ばしていく。これほど安心感のある護衛もあるまい。ギンコはさとりの容態を見ることに集中した。

 

「(初めて見る蟲だな……これは、半糸(なかばいと)か)」

 

 さとりの小指に巻き付いた糸状の蟲。文献でしか見たことのないその蟲は、ギンコの手に余るものだった。こいしが言っていたのはこれか、と当たりをつける。

 さとりの頰に触れる。閉じた目。目尻から一筋、涙が伝う。次の瞬間、ギンコの左目に激痛が走った。トコヤミが暴れている。

 

「ぐぁ……」

 

 ギンコは美鈴と萃香の露払いを見る。怨霊とトコヤミ。似ているのは見た目だけではあるまい。こいつは何に反応して、俺の目の中で暴れるのか。

 

「ギンコさん!?」

「だ、だいじょう……ぶだ!」

 

 お前はそっちに集中しろ、とギンコは美鈴に言葉を投げる。

 やがて戦闘とも呼べぬ二人の露払いが終わる。しかし、怨霊が散っても、ギンコの左目の痛みは幾分か良くなったものの、消えはしなかった。脈動するように、左目の暗闇が疼く。さとりを前にしているからなのか? 今はまだ、判断する情報が少ない。

 美鈴が心配そうにギンコのもとに駆け寄る。膝をついているギンコの隣に、美鈴はしゃがみこんで肩に手をかける。

 

「俺は大丈夫だ」

「大丈夫に見えませんよ。私はどうしたらいいですか」

「そうだな……とりあえずこいしを探さにゃならん。さとりの治療も、こいしが居なければ、おそらくできはしない」

「じゃあ、さとりさんは……」

「お前たちには見えんと思うが、指に半糸という蟲が結びついている。これは片割れと一緒に治療しなければ均衡が崩れて、どうなるかわからないものだ」

「じゃあ当座の目標は妹の方を探しつつ、だね」

 

 萃香が頭の後ろで手を組んで、総括を述べる。そして地底の都市の方を指差す。

 

「さとりが根城にしている地霊殿の場所は知っている。とりあえず、そこまで行ってみようじゃないか」

 

 萃香の提案に、ギンコは頷いた。


















 はい、更新が遅れて申し訳ありませんでした。最近オリジナルをなろうの方でも書いているので、これからちょっと更新ペース遅れるかもしれません。ですがあくまで主体はこっち、東方蟲師を書きつつ、筆が乗ればなろうの方を書くとシテいきたいと思っておりますので、更新が遅れたときは「ああ、そうなのね」と生温かい目で見守ってくれると嬉しいです。

 さて、今回も作者の設定を多分にお送りしています。軸はぶれずに、派手に回していきたいですね。
 読者の皆様を楽しませられるよう、エンターテインメント性バリバリで頑張りますので、これからもどうぞよろしくお願いいたします。




それでは、また次回お会いしましょう。





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