幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 地霊殿を目指す一行は旧地獄街道に通じる橋で酒盛りをする二人を見つける。そこで緑の杯を回収したギンコは再び、地霊殿を目指す。


 今回は説明回。原作のネタバレも含まれます。それでは






幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第五章 恋し糸愛し夢 伍

「う……ん……」

 

 古明地さとりは見慣れた天井を見つめて目を覚ました。ここは自分の寝室だ。天井の赤い色が視界いっぱいに広がる。眠る前の記憶は曖昧で、こういう時に不安感を煽る深紅を見るのはいただけない。

 ぱちぱちと瞬きをして、右腕で視界を隠す。すぅっと視界に闇が降りた時、聞きなれない男の声が聞こえた。

 

「目が覚めたようだな」

「さとり様……!」

 

 男の声に続いて聞こえてきたのは聞きなれた声。ペットのお燐だ。声のする方に目線を向けて、そっと腕をどかす。

 

「お燐……」

「さとり様!」

「さとりさま!」

 

 少し開いた視界の隙間から、お燐とお空の泣きそうな顔が見える。ついに私は、こいしの幻影を追って二人にまで心配をかけてしまったのか。そう思い、記憶を探れば、ぼんやりと自分のしていたことが思い出せる。

 そうなれば、男の声も聞き覚えがあった。ふらふらと歩いて行った先で、声をかけられたような気がする。さとりは腕をどかし、お燐やお空とは反対側へ首ごと視界を向けた。

 そこには男がいた。妙な雰囲気の男。白髪の奥、左目の中に、何かがいる。そこからノイズが混ざって、男の心の声がよく読めない。こんな人間は初めてだった。

 

「あなたは?」

 

 さとりが聞く。それはいつもなら無意味な行動だったが、様式美は尊重されるべきとはさとりの考えだ。もっとも、今回に限ってはそうしなければ、さとりにもこの男の名前はわからなかった。

 

「蟲師の、ギンコという」

 

 蟲師が答える。ギンコは膝の上に肘を置き、背もたれに預けていた上半身を起こし、前かがみになるように居住まいを変えた。その様子を見て、さとりはもう一度視線を天井に戻す。ギンコを視界から外した。

 

「その蟲師が、私に何の用かしら」

 

 お燐やお空が首をかしげる。さとりが会話をするなんて、非常に稀なことだ。ギンコはそんな二人の様子に気づかず、言葉を続けた。

 

「お前さんだって、わかってるんだろう。俺の心が読めるならな」

「……あなたの心は読めないわ。こんなことは初めてよ。その左目。私の能力に妨害を仕掛けてくる」

「へえ。こりゃなんとも、思わぬところでトコヤミが役に立ったな」

「トコヤミ?」

「ああ。俺の左目に住む蟲でね……お前さんら妖怪からは、よく、怨霊のようだと言われている」

「そうかもね。そう言われれば、そう思えなくもないわ」

 

 さとりは上半身を起こす。お燐やお空が手を差し伸べるが、それを手で制した。

 そうして上半身を起こして、初めて目に入るのは部屋の隅に立っていた二人の妖怪である。さとりはそれらに目だけで礼をして、ギンコへと向き直る。

 

「さて、蟲師さんが聞きたいことは、もしかしなくてもその緑の杯のこと?」

「ほう。心が読めなくても、会話の先手は取れるのか」

 

 なら話は早い、とギンコは傍に置いてある桐箱の上に乗せておいた手のひらに納まるくらいの緑の杯を手に取った。

 

「これは、お前さんのものか?」

 

 ギンコが確認する。さとりはじっと緑の杯を見つめて、答えた。

 

「そうよ。私が妹からもらったの」

「なら、俺の後ろにいる妹も見えているな」

「へえ、あなたには見えるの?」

 

 さとりは意外そうにそう言った。これまでさとりにしか見えていなかったこいしの姿を、見るものがいた。ギンコは会話を続ける。

 

「そこにいるお前の妹は、もう蟲になってしまっている。言うなれば、もう妖怪とも呼べぬ存在というわけだ。そこらへんは理解しているのか」

「ええ。そこにいるこいしはもうこいしではない。それは私にもわかるわ」

 

 からっぽだもの、とさとりは呟く。二人が何について話しているのか、ここにいる半数以上の妖怪に理解ができなかった。その多数に埋もれるのが嫌になったのか、はたまた退屈していたのか、伊吹萃香が口を挟んだ。

 

「ねえギンコ。私らにもわかるように説明してよ」

「ん? ああ、すまんな。じゃあさとりよ。最後に一つ確認する」

「……なにかしら」

 

 人差し指を立てて、念を押すように、ギンコは尋ねた。

 

「お前さんの妹は、なんて言ってた」

「……蟲を封じている。無意識を操ることができる私だからできる、と」

「……そうか」

 

 全容を把握したギンコが、ついに地底に至るまでの蟲の話を始めた。低く重い語りが伸びやかに広がっていく。

 

「まず、俺は光脈筋で古明地こいしと出会った。彼女は俺に、”妖怪としての自分はここにいるから、体は何か別のものになっている”。”姉の蟲患いを治して欲しい”。と二つのことを頼んだ。俺はなぜこいしがそこにいるのかわからなかったが、その言葉を受けて地底を目指した」

「そこで私に護衛を頼んだわけですね」

「ああ。そしてさとりを診察した結果は……正確には一目見た時点でわかってはいたが、半糸、という蟲に寄生されていることがわかった」

「道中に説明してくれたね。両者の絆を深めるが、一度途切れてしまえば宿主の未来を縛る鎖になる、だっけ?」

「そうだ。さとりの半糸の先は、これも当然だがこいしに結びついていた。そしてこいしは、蟲になってしまっていた」

 

 ここからは推察だが、とギンコは語る。

 

「おそらく蟲を封じる、というのはこいしが蟲の宴に呼ばれたせいだろう。そして理も、こいしにしか出来ない蟲封じを指示したはずだ。その内容まではわからない。こいしに聞いてみないとな。しかしこれだけはわかる。その時受けた杯がもう一つ、この贋作とは別に存在するということだ」

 

 そうだな? とギンコはさとりに問いかける。さとりは少しの間黙っていたが、やがておもむろに立ち上がるとここで待っていて、と言い残し、部屋を出て行った。

 

「ねえギンコさん」

「なんだ」

 

 話が中断されたからなのか、美鈴がギンコに質問した。

 

「私には蟲とか色々さっぱりわからないんですけれど、要は覚の姉と妹の間には、切っても切れないようなものがあって、それが二人を引き寄せているんですけれど、妹の方がこの世の住人ではなくなってしまっていたので、今姉の方も引き込まれそうになっている、ってことでいいんですかね?」

「そうだ。あくまで、こいしとさとりの間だけに観点を絞ればな。だがこの話にはもう一つの側面がある。それはこいしが緑の杯を受けて、どんな蟲を封じているのか、どんな蟲封じをしているのかだ。ここが分からなけりゃ、さとりは治らないし、こいしもそのままだ」

 

 ギンコは言う。そのままってわけにもいかんだろう。そう、元は彼の個人的な意志でここまでやってきたのだ。今更一人救うも二人治すも同じことなのだろう。

 

「半糸が寄生するくらい仲を深めた姉妹だ。できることなら、こいしの方も元に戻す術がないか探りたい」

 

 ま、それもこの杯が二つあった時に原因ははっきりする。ギンコがそう言った時、部屋の扉を開けてさとりが戻ってきた。その手には小さな杯がある。それは緑の杯。ギンコの言う通り、杯は二つあった。

 

「……これがこいしからもらった杯よ」

「ご苦労さん。これでこいしが封じている蟲に見当がついた。だがどうして封じることができているのかわからない。俺が今から説明するから、お前さんら妖怪の知識で考えてみてくれないか」

 ギンコは言う。急に言われた一同は顔を見合わせたが、ギンコはさとりを指名した。

 

「お前さんはその杯を使って、こいしと直接話している。よく、考えてみてくれ」

 

 さとりはギンコの言葉に頷いた。再び、ギンコの低い語りが広がってゆく。

 

「こいしが封じている蟲は、おそらく夢野間という蟲だ」

「いめののあわい?」

 

 萃香が疑問符を浮かべる。

 

「こいつは現実と夢の世界をつなぐ蟲で、宿主の夢の中に棲む。数が増えれば時折夢の中からまくらーーー魂の倉を通じて外に出て、その時宿主の見ていた夢を現世に再現する」

「すごい蟲だな。夢を現実に、か」

「そうだ。しかも寄生されれば最後、それを払う術はない。確かこいしは帽子をかぶっていたな。そこに夢野間が姿を隠しているんだろう」

 

 本来はまくらに姿を隠す蟲も、妖怪が長い年月頭を預けた帽子にもそれと同じものを見出したと考える。ギンコはさとりに聞いた。

 

「……どうだ。こういう蟲を、こいしならどうやって現世に出さないようにしていると思う」

「……私は蟲師じゃないから、正確かどうかは知らないけれど、こいしの能力が関係しているのは確かだと思うわ」

「能力、とは」

「無意識を操る能力よ。夢の世界を現世に再現すると言っていたけど、要は夢の世界も関係ない無意識の状態を保持し続ければ、そもそも再現する夢を見ないのだから対処できるわ」

「そうか! じゃあこいしは光脈の側でその能力を使い……」

「件の蟲を封じているのでしょうね。なぜこいしが二人になったのかはわからないけれど……」

「それはおそらく、蟲の宴によるものだろう。こいしの体を蟲に近づけることで能力を抽出して、光脈の側に置き続ける事で夢野間が大いなる流れに分解されるのを待っているんだ」

「そして能力からも解放されて、真の意味で意識も無意識も無くなったこいしは……」

「半糸を手繰り、お前さんのところにやってきた。そして、緑の杯を残し、お前さんを蟲に近づけようとしている。その手には本来の蟲の宴で使用された杯と、自らの意思で夢野間を通じて創り出した二つ目の杯を携えてな」

 

 ここまでで、事の全容がやっと把握できたことに、ギンコは膝を打った。だがその雰囲気に水を差すがごとく、さとりが言う。

 

「さて、蟲師さんの頭のモヤも晴れた事だし、そろそろ皆さんはお帰りになっていただけるかしら」

「なんだって?」

 

 さとりはそっけなく言う。その言葉に驚いたのは、ギンコと美鈴に、萃香だった。

 

「もう一度言わなければわからない? 帰れと言っているのよ。これは妹と私の問題。これ以上深い入りされたくはないわ」

「……そうか、お前」

 

 そんなさとりの態度を見て、ギンコが立ち上がる。

 

「今回の事、治すつもりがないな。半糸も、こいしの事も、全部受け入れる気なのか」

「……そうよ」

「よせ。そんな事をしても、誰も救われん。お前を慕っているものだって、ここにはいるんだぞ」

「誰も救われないですって? 私が救われるのよ」

 

 さとりは言う。彼女はこいしと長い時間を二人で過ごしてきた。それはそれは、人間には想像もつかないような長い時間。その間、二人はいつも嫌われ者で、たった二人のみで生きてきたのだ。そして、それが最近一人になってしまった。

 

「孤独だった。こいしがいなくなってから、私は身を切られるような孤独感をいつも味わってきたのよ」

「それは半糸のせいでそう思い込んでいるだけだ。気をしっかり持て!」

「うるさい! あなたに何がわかるのよ! この杯を使えば、私はこいしにいつでも会える。いいえ、あなたの話を聞いて確信したわ。これを使い続ければ、私はこいしとずっと一緒に居られる。あの光の川の向こうに行けば、私は……!」

 

 その時、さとりの持つ杯に、ひと雫の光る酒が湧き出した。それは次第に大きくなり、杯の中を満たす。ギンコは後ろを見た。そこには笑っている、こいしがいた。

 

「よせ!」

 

 ギンコが叫ぶ。しかし間に合わない。ギンコの手は、さとりには届かない。

 さとりは、ゆっくりと、その杯を傾けた。

















この回で蟲患いの全容が明らかになります。さてさて、ここからは解決編。ギンコは一体どうやって蟲患いを治すのか。物語はどうなるのか。必見です。
……説明回って難しい。なんか設定書き連ねるだけになってしまったようで申し訳ない。




それではまた次回、お会いしましょう。






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