幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 さとりの蟲患いを治したギンコは、こいしを救うために動き出す。






幻想奇譚東方蟲師、始まります。


第五章 恋し糸愛し夢 捌

「お、また来たね」

「ああ、今度は、お前さんを助けに来たんだ」

「あはは、お兄さんも好きだねえ」

 

 恋しちゃった? なんて茶化してくるこいしに、ギンコはバカ言え、と笑って返した。

 ここは光脈の縁。流れる光の川を挟んで、二人は向かい合っていた。

 光脈のそばで、こいしは夢野間を外に出さぬように封印していた。その方法は、夢野間が取り付いた現世の自分ごと無意識という夢の世界に引きずり込み、夢野間の出口をなくすというもの。

 ちょうど鏡合わせな構造とでも言うのだろうか。夢が覚めても夢の中。無限に続く夢の中。そういう状況を、こいしの能力は作り出していた。

 

「自分の心を無にして、思うことをやめる。そうすることで無意識を操り、夢野間の出口を隠して煙に巻く。蟲に対してその身一つでここまで抗えるなんて、お前さん、天敵みたいなもんだな」

「褒めてくれてありがとー」

 

 まったく、都合よくできている。あるいは、理がこいしの夢に蟲を誘導したのかもしれない、とギンコは思った。

 こいしが作り出すその世界を安定させるのには、この現世と蟲の世界の狭間である光脈のそばが最も適していると言えた。そして出口を失った夢野間は、この堂々巡りの世界で光の川に徐々に引き込まれつつあった。

 ギンコはそこまで考えて、こいしの帽子に目をやった。おそらく、帽子を巣にしていた夢野間のほとんどは光の川に分解されて流れ出てしまっているだろう。だが、最後の最後。こいしの頭の奥底に巣食った夢野間だけはどうすることもできない。それはこいしの妖怪としての部分が完全になくなり、夢野間と同じ存在になってしまうことを指すためだ。そうなってしまってはもうどうしようもない。

 

「まずはお姉ちゃんのこと、お礼しなきゃね。ありがとう、ギンコさん」

「それは前にも聞いたぜ。お前さん、もう長いことここにいるようだが、現世には自分の意思で戻れんのか?」

「どうだろう、わからないや。けどきっと頭の中の蟲も一緒だよ?」

 

 確認の意味で、こいしは首をかしげた。それでいい、とギンコは言った。

 現在こいしは純粋な妖怪としての存在がここにいる。現世を歩き回っていたのは、蟲としてのこいし。正確には半糸に引きずられた、夢野間の封印に必要のない、こいしの経験とでも言うのか。それが蟲の気を帯びて、かなり近しいところまでいってしまっていた。ギンコが懸念したのは、そんな風に能力を使うため、自分を別れさせたこいしが、元の存在として現世に戻れるのかということだった。

 ギンコは懐に忍ばせていた本物の緑の杯を取り出し、それをこいしに放って渡した。

 

「そいつを光脈に還元すれば、お前の任も解かれるはずだ」

「そんなに簡単なことなの?」

「理に強制力はない。ただ、あるがままをあるがままに取り戻す調和こそが彼らの役割だ。お前が任を離れる意思を示したなら、また別な方法で干渉してくるだろうさ」

 

 そうなる前に、お前さんの中にいる夢野間をどうにかしなきゃな、とギンコは言う。

 

「何か考えがあるの?」

「ああ、ひとつ、思い浮かんでいる対処法がある。お前の姉にも協力してもらうやつでな」

 

 ……そろそろまずいな、と言ってギンコはこいしに背を向けた。

 

「俺が戻ったら、姉さんと一緒に待ってるぞ。蟲のお前は、半糸が途切れた今、お前が現世に戻るための依り代となるはずだ。早く帰ってこいよ」

「えー。でもここにいないと頭の蟲が……」

「俺を信じろって。もしダメなら、姉に恨み殺されるのも覚悟でお前を蟲にしてやるよ」

「あはは、それ本当に殺されそうだね?」

「はは、笑いごとじゃねえな」

 

 そこまで言って、ギンコは真顔になった。こいしを元に戻す方法は、今の所ない。ギンコが考案した対処も、推測による所が大きかった。ダメでもともとではあるが、対処が失敗すれば、時間の許す限り別の方法を模索するつもりでいた。

 もう光を見過ぎてしまったせいで両目もなくなったこいしは、耳だけしか聞こえていない。そういえば、とギンコが思い出したように言う。

 

「お前、いつか俺の心を読んでたよな」

「ふふ、ここは半分私の世界。それくらいなら簡単なことよ」

 

 なるほど、どうりで、とギンコは呟いた。相手は妖怪だ。深くは考えないようにした。

 こいしは納得したギンコを見て、うん、と頷いた。

 

「じゃあギンコさんのこと、信じてみようかな」

 

 こいしも気軽に、そう言った。

 おう、とギンコは受けて返し、光の川を離れ、一人闇へと消えて行った。

 

 

 

 

 ギンコが井戸の底から戻ると、またお空が核融合の炎を出して待機していた。服を乾かすだけだというのに、皮膚と髪が焦げそうになる。お空は大丈夫だというが、これがものすごく熱いギンコにはたまったものではなかった。

 

「だいじょうぶだいじょうぶ」

「大丈夫じゃねえ、あつっ!」

 

 そんな様子を楽しげに眺める姿があった。憑き物が落ちたような表情を浮かべて、ころころと表情に笑みを浮かべるのは古明地さとりである。左手に緑の杯を持ち、右手でこいしの左手をしっかりと握っている。

 身体中から蒸気を立ち昇らせるギンコの元へ近づいていき、聞いた。

 

「それで、ギンコさん。妹はどうでした?」

「ああ、特に問題はなさそうだった。おそらく俺の考えている方法で夢野間を体外に出すことができるだろう」

 

 その、贋作の緑の杯を使ってな、とギンコは言った。

 井戸の前には古明地姉妹をはじめとして、ペットたち、伊吹萃香と紅美鈴が集合していた。ギンコが考える蟲封じを見届けるために集まったものたちだった。

 

「へえ、それを使うんだ」

 

 その言葉に、その場にいた全員が一人の方を振り向いた。そこには古明地こいしが立っていた。

 

「……早めに戻って来いとは言ったが、早すぎないか?」

「え? だめだった?」

「いや、そんなことはないが」

「ならいいじゃない。早く始めちゃってよ」

「せかすなよ」

 

 こいしの姿は、今や全員に見えているようだった。妖怪としての力が戻り、存在が濃厚になったためだろう。ギンコは早速、考えていた蟲封じーーーこの場合は蟲下しであろうかーーーそれを試すことにした。

 ギンコを見つめるのは古明地さとりである。ギンコはその視線を受けて、頷いた。

 

「こいし」

「お姉ちゃん」

「これを飲んで」

 

 さとりがそう言って差し出したのは緑の杯である。これはこいしの経験が作り出した贋作だ。本物の杯はもう、光脈に還元されている。

 差し出された杯の底に、ぷつっ、と水滴が生じる。光る酒が湧き出す。杯いっぱいに光酒が満たされる。それを、さとりはこいしに勧めた。

 

「これを飲めばいいの?」

 

 こいしはさとりに聞く。さとりはこいしの言葉に頷いた。こいしはさとりを見た後、ギンコを見た。

 

「そいつを飲んで酔いつぶれてくれ」

「そんな簡単に酔えるかなあ」

「それは私が保証するよ。勇儀があんなになっていたんだもの。お前なら一発さ」

「贋作なら、光酒の純度は低いはずだから蟲にまではならんだろう。お前たち妖怪は蟲に近い雰囲気を持っているが、だからこそ線引きが明確にされている。大丈夫だ」

 

 ギンコはこいしに勧めた。こいしはそんなギンコの言葉を信じ、杯を受ける。

 一口、また一口と杯を傾けていく。やがてこいしの頭が大きく振れた頃。ふらつくこいしの体を、さとりが受け止めた。

 

「ギンコさん」

「よし、そのまま寝かせるぞ」

「でも本当に大丈夫なのかい? 夢野間とやらは夢を現世に媒介するんだろう?」

 

 ギンコはこいしの体を抱きあげながら、萃香の言葉に答えた。

 

「ああそうだ。普通に眠ったのでは、その夢の世界が再現されることになるだろう。そしてその時、夢野間は夢の世界から現世へと出てくる。その副作用が、夢の再現だ」

「じゃあ危ないんじゃ」

「まあまて、まずはこいしを寝かしつけてからだ」

 

 そう言ってギンコは土色の羽織を地面に敷き、その上でさとりを正座させた。そしてさとりの膝の上に、こいしの頭を預けるように寝転がらせる。ちょうどさとりがこいしに膝枕をするような格好になった。

 

「夢野間は枕を媒介にして、宿主に寄生する。しかしその影響力は不思議と一人の宿主に絞られる。人から人への感染はできないんだ。なら、枕が生き物であった場合、夢野間は媒介を失って、完全に体から抜け出るはずだ」

 

 ギンコの語りが不思議な響きを持って周囲に響いていく。

 

「幸い、こいしがしていた蟲封じのおかげで帽子の中の夢野間は光脈に飲み込まれている。後は少しだけ残った頭の中の蟲だけだが……こればっかりはどうしようも無い」

「どうしようも無いってのはどういう意味ですか?」

 

 美鈴がギンコに問う。

 

「夢野間はおそらく、膝枕に混乱して現世へとでてくるが、今回の一回限りは影響を免れ無いということだ。どんな夢を見るのか知らんが、ま、賭けだな」

「えぇ!? 結構危ないじゃ無いですか」

「そう言うな。こいしが良い夢を見てくれるのを願って、俺らも昼寝しようぜ」

 

 果報は寝て待て。よっこいせ、とギンコは地面に腰を下ろした。

 飄々とした態度のギンコだったが、実を言えばこの時、相当に体力を消耗していた。生身の体で二度も蟲の世界に足を踏み入れていたのだ。無理もなかった。

 さとりの膝の上で眠るこいしを見守る。さとりは慈しむような態度でこいしの前髪を梳いていた。

 やがてこいしは夢を見る。ざわり、とあたりの蟲が騒ぎ出す。ギンコはその瞬間を見た。

 それは姉と、確かなつながりを持っていた昔の自分の夢。絆が繋がっていた時の夢。

 こいしの手から赤い紐が伸びていく。ギンコにしか見えぬその糸は、さとりの手に結び付いたかと思うと、あとはただ、静かにそこにあるばかりだった。

 こいしは短い夢を見た。そして目を覚ました時、どこからか雁の鳴き声が聞こえた。



















ちょっと質が落ちてるかも……。わからない部分は感想で補足いたしますので気軽に質問してくださいね。今回ばかりはそれやらないと皆様を置き去りにしちゃうかもしれませんので。

次回は解決編のエピローグです。地底編が終わってもまだまだお寺の方々とか冥界の方々とか豪族とか東方キャラはたくさんなので休載しても続きはいずれ書きたいと思っています。



それではまた次回、お会いしましょう。





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