幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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 エピローグ的内容です。妄想多分、ギンコのフラグ多分のもりもりでお送りします。それでは。







幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第五章 恋し糸愛し夢 玖《了》

 地霊殿の一室で、ギンコは目を覚ました。ふかふかのベッドというものはギンコの経験上紅魔館で過ごした数日だけで、決して日常的なものではなかったが、悪くない、と思っていた。

 地底では時間の感覚も曖昧で、今が昼なのか夜なのかもわからない。ただ自分の主観だけを信じるのだとすれば、よく寝た、とそれだけが確信できた。

 ギンコは古明地姉妹の治療に成功した。さとりは途切れた半糸に翻弄されることもなく、こいしの方も自らを犠牲にするような蟲封じをする必要もなくなった。

 こいしの頭の中に残っていた夢野間は、さとりの膝枕によって居場所を見失い、こいしの体から離れて行った。その際に少しだけ影響を残して行ったが、それの経過観察をするために、ギンコは数日単位でここ、地霊殿に逗留していた。

 ギンコは部屋の中を見渡す。蟲が多くなっている。これ以上、ここに留まるのはまずい。幸いにもギンコが懸念していた蟲の影響はさとりに現れていない。旅立つなら今だろう、とギンコは思った。

 ギンコは身を起こし、ベッドに腰掛ける。ぎしり、とベッドが軋みをあげた。

 こいしの中に残っていた夢野間は最後の最後に古明地姉妹の間に半糸を復活させていった。今度は途切れていない、完全な状態の半糸は、二人の間に確かな絆となって残った。

 半糸は、完全な状態ならば宿主の両者で想いを伝え、安心感と幸福感をもたらす。途切れさえしなければ、害はないどころか、二人の間に良いものをもたらす蟲だ。だからこその経過観察。ギンコはその事実を自分の目で確かめるために、ここに残っている。

 とんとん、と部屋の扉が控えめに叩かれる音がした。起きてるぞ、とギンコが言うと、がちゃり、とノブを回して、古明地さとりが部屋に入ってきた。

 

「お目覚めでしたか」

「ああ。そろそろ、ここを立とうと思う」

「まあ、それは急ですね」

 

 蟲が多くなってきている、とギンコが理由を説明すれば、さとりはそうですか、と納得した。

 

「今まで、世話になったな」

「そんな。お世話になったのは私たちの方です」

「そうそう。お姉ちゃんがしっかりしないからだよ」

「あらこいし。いたの?」

 

 さとりの背後から、ひょこっとこいしが顔を出す。すっかりいつも通りに戻ったらしい彼女は神出鬼没だ。夢野間も抜け出た彼女は、無意識を操る能力でもってギンコたちをからかったりと、すっかり妖怪らしさを取り戻していた。

 ギンコは二人の間に繋がれた半糸を見る。こいしが見た最後の夢で、姉妹の間に再び繋がった絆の形は、赤い糸状のものだ。それは人間ならば、いつか途切れてしまう儚さもあったかもしれないが、妖怪二人の間に渡されたものであるなら話は別だ。

 

「お前たち二人の間に渡された半糸だが、滅多なことでは途切れんだろう。心配はいらないはずだ」

「ええ。わかりました」

「ふふん。お姉ちゃんとの絆は、そう簡単に切れたりしないってことだねえ」

「ふふ。そうね」

 

 背中から抱きつくように頰を擦り寄せてきたこいしに、さとりはまんざらでもない笑顔を浮かべた。本当に、仲のいい姉妹だ。ギンコは桐箱を持って立ち上がった。

 

「本当にもう立たれてしまうんですか?」

「ああ」

「まだお礼もできてませんのに……なにかできることはありませんか?」

 

 猫のようにじゃれついてくる妹をやんわりと制しながら、さとりはギンコに聞いた。

 

「お礼と言ってもな……」

 

 そう言われても、とギンコは頰を掻いた。その仕草を見て思いついたのか、妹のこいしがにやりと口の端を釣り上げた。

 

「じゃあ私からお礼! ちょっと耳貸して」

「ん? なんだ」

 

 姉に一歩先んずるように、こいしが歩みでる。ギンコは腰を落として、こいしの頭へ耳を近づけた。こいしはちょっと背伸びをするようにその耳元に口を近づける。

 

「……ありがとうね」

 

 その言葉が聞こえたと同時に、ギンコの頰に柔らかいものが触れた。それがなんなのか、ギンコからは見えなかった。

 ギンコが驚きで身を引くと、そこには悪戯が成功した子供のような笑顔を浮かべるこいしと、顔を真っ赤にしたさとりがいた。

 

「……そりゃどうも」

 

 ギンコは無難に、そう返した。

 

「ほらお姉ちゃんも」

 

 ギンコの背を押すようにして、さとりとの距離を近づける。こいしは口だけで笑っていた。

 

「む、無理よ無理無理! そんなこと……」

 

 さとりは狼狽し、ギンコを涙目で見上げている。その瞳は、しなきゃダメ? とでも伺い立てているようで、見つめかえせば、途端に俯いて無言になってしまったさとりに対して、ギンコはやれやれ、と肩をすくめた。

 

「さとり」

「は、はひ!」

「……何狼狽えてんだ。別に望んじゃいねえよ。妹の思う壺だぜ」

「うふふ。お姉ちゃんは面白いなあ」

「あ……くぅっ」

 

 さとりは握りこぶしを胸元につくり、悔しがる。そんな様子を見て、こいしはとても楽しそうに笑っていた。

 

 

 

 古明地姉妹の先導で、地霊殿のなかを進んでいく。その間も、姉妹は手をつないで仲のよろしいことだった。先の件で少々の確執は生まれたものの、べたべたと妹が姉にまとわりつけば、その甘い関係に溶かされていくように、確執は消え去った。

 玄関を出ると、そこには地霊殿ペットの代表格であるお燐こと火焔猫燐が、紅美鈴の日課に付き合っていた。その不思議な動きに、ギンコも思わず見とれる。

 ここ数日、半糸の経過観察をしている間も彼女は「ギンコさんの護衛は、地底から無事に地上まで送り届けて初めて完遂されるのです!」と意気込んでいたので、ギンコと同じように地霊殿で厄介になっていた。

 

「違いますよ。そこはもっとこう……ゆーっくりと」

「ゆーっくりと……」

「そうですそうです」

 

 彼女らが行っているのは太極拳という武術であるらしい。お燐が美鈴の日課を見て興味を示したのだから、それの手ほどきをここ数日続けているそうだ。

 ギンコの存在に気づいた美鈴が手を振る。

 

「あ、ギンコさん。どうです? ご一緒に」

「いや、遠慮しておく。それより、これから立つぞ」

「え? それまた急ですね。了解しました!」

 

 美鈴が直立の姿勢をとり、敬礼する。大げさな挙動なのは彼女の癖みたいなものだ。

 

「本当に、行ってしまうんですね」

 

 名残惜しそうにさとりが言う。なに、また様子を見に来るさ、とギンコは言った。

 

「じゃあ、世話になったな」

 

 ギンコが桐箱を背負い直す。がた、という無機質な音が、ギンコの抑揚のない声と重なった。

 

 

 

 

 旧地獄街道を抜け、地上への道、つまりは来た道を戻っていく。その道中で、美鈴はギンコに話しかけた。

 

「結局、護衛とか言ってましたけれどあんまり活躍の場はなかったですね」

「ん? そうか? 鬼と一緒に怨霊から守ってくれたじゃねえか」

 

 今回の地底への旅で、美鈴はギンコの護衛として同行した。しかし護衛とは名ばかりで、実際にそれらしい働きをしたのは指折一回という有様だった。

 だが、美鈴が言いたいのは護衛としての働きの少なさではなく、ギンコの体質についてのことだった。

 

「ギンコさんが襲われなさすぎなんですよ。妖怪が誰も近寄ってこないってどういうことなんですか」

 

 そもそも地底という場所は妖怪の土地だ。幻想郷の地上はまだまばらに妖怪の勢力が散り、人が歩ける場所も少なからず存在する。人里なんかがその最たる例だろう。しかし地底は違う。そこは魑魅魍魎の巣窟であり、人など歩けば骨まで残らず、文字通り食い物にされてしまうのが通常と言えた。

 だが地霊殿までの道中、地底に入ってからこのかた、ギンコを襲おうとする妖怪に出くわしたことはない。それはギンコの左目に関わることであった。

 

「……俺もそのあたりは気になってな。さとりに聞いてみた」

 

 ギンコはさとりとの会話を思い出す。

 

『―――ギンコさんの左目には怨霊が住み着いています。名前は……トコヤミでしたっけ?』

『ああ』

『私の見る限りではそれは怨霊と同質の存在でしょう』

『トコヤミが、怨霊だと?』

『はい。ですが、あくまで怨霊と同質と言うだけです。正確には、そうでないのかもしれません』

『……』

『彼らは私に語りかけてきています。何人も何人もの声が重なって、あなたの心の様子を覆い隠している。文字に文字を重ねて、墨を上塗りし、ただの黒いモノにしてしまうような』

『だからお前には俺の心が読めないのか』

『ええ。そしてその雰囲気があるから、妖怪たちもあなたを襲わない。それは―――』

 

「―――不吉なモノが、俺の左目からは感じられるから、だそうだ」

「ああ、確かに。ギンコさんを見てると、なんかぞわぞわします」

「やっぱりそうなのか?」

 

 ギンコは自分の左目に意識を向ける。記憶をなくし、常に月の出ている森を彷徨って、自分をギンコだと思った時には、眼球の代わりにそこに居ついていたモノ。

 さとりの言うように、トコヤミは怨霊と同質なモノなのかもしれない。だから怨霊が近づくと、疼くように暴れるのだろうか。ギンコにはまだ、よくわからなかった。

 ギンコが黙考していると、美鈴が失言したかと思って、取り繕うように手を叩いた。

 

「ああでも、ぞわぞわっていうのは第一印象ってだけで、こうして話していると不快感とかそういうのがあるわけではなくてですね」

「ああいや、気にしてねえから、気にしなくていいぞ」

 

 あ、そうですか? と美鈴は安堵した。

 そうして歩きながら、美鈴は話題を変えるように、笑みを浮かべた。

 

「しかしギンコさんも隅に置けないですよねえ」

「なにがだ?」

「さとりさんのことですよ。かなりいい雰囲気だったじゃないですか」

「……お前さんがなにを言っているのか、俺にはわからんね」

「またまたぁ」

 

 美鈴はギンコの前に回り込み、手を後ろに回して悪戯っぽい笑顔を向けた。

 

「咲夜さんもギンコさんのこと、気に入ってましたよ? よっ、色男!」

「やめろ。そんなんじゃねえだろう。あいつらは」

「いやいや、咲夜さんはそうかもしれませんが、さとりさんは絶対そうですって。心が読めない相手なんて、新鮮かつ得難い相手じゃないですか」

「……この話はここまでだ」

「あー逃げましたね。もう!」

 

 美鈴は楽しそうに笑って、ギンコの肩を叩いた。いて、とギンコがつぶやいた。

 なおも追従する美鈴の言葉をぶつりぶつりと切っていくと、いつか通った橋が見えてきた。地上までもう少しというところ。その橋の上で、見知った顔が酒宴を催していた。

 

「おーギンコじゃないか」

「ん。萃香か。まだ地底にいたんだな」

 

 すでに酔いが回っているのか、萃香は赤ら顔でギンコに手を振った。

 

「まあね。てか気づいてなかった? 私はずっと地霊殿にも顔出してたんだよ? 霧状だったけど」

「んなもん気づくかよ。薄く広がられたら、お前の気配は蟲と区別がつかねえんだ」

 

 その酒宴には三人の出席者がいた。萃香を入れてあと二人は水橋パルスィと星熊勇儀である。

 しかしギンコが目を奪われたのは萃香が傾けている杯だった。右手には緑の杯。三人は光酒を回し飲みしているようだった。

 

「……おい。お前、俺の荷物の中から勝手に盗ったな」

「んー? 借りてるだけだって。あとで返すつもりだったよ」

「おいすいか。つぎわたしだぞぉ!」

「一人酔い潰れてんじゃねえか。もうやめろよ」

 

 ギンコは萃香から緑の杯を取り上げようとする。しかし萃香は抵抗した。

 

「あーパルスィ。こいつだよ。さとりに好意向けられてるって話したの」

「ここでもそんなこと肴にしてんのか!」

「あー……妬ましいわねえ!」

 

 ぐお、とギンコが組み伏せられる。頬を酒で赤くしたパルスィに押さえつけられ、ギンコは緑の杯を取り逃がした。

 

「酔い潰れているの、一人じゃなかったみたいですね」

「見てねえで手伝え! 護衛だろ、お前!」

「門番もどうだい? 一献」

「え、いいんですか?」

「飲んでんじゃねえよ! おい!」

「あぁー! 妬ましい!」

「やかましい!」

 

 地上を目前に、ギンコは妖怪たちの酒宴に巻き込まれた。地上への道のりはひどく、遠そうだ。





















 これにて第5章終了です。それではまたいつか、お会いしましょう。

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