三途の河で雨を降らせていたと思われる村紗水蜜を引き連れて、八雲紫と博麗霊夢が命蓮寺を訪れた。
時を同じくして、命蓮寺を訪れていた蟲師のギンコは、村紗に取り憑いたナガレモノの気配を感じ取り、調査に乗り出した。
幻想奇譚東方蟲師、始まります。
八雲紫が席を外した命蓮寺の一室で、ギンコは村紗に向き直っていた。すぐそばでその様子を見守るのは楽園の巫女である博麗霊夢と、命蓮寺の住職、聖白蓮である。
ギンコは三途の河に降る長雨の原因が、本当に村紗にあるのか疑問だった。蟲の気配はする。今外に降る雨が雨降らしであるのも、おそらくは正しい。しかし、普通の蟲患いとはどこか違うような、そんな違和感を、ギンコは抱いていた。
「それじゃあ、幾つかの質問に答えてもらうことになるが、いいかね」
「は、はい!」
「……そう硬くなるな。とって食おうってわけじゃねえんだからよ」
ギンコは巻物を広げ、胡座をかいている。室内は雨戸を閉めたことにより、陽の光が入らずに薄暗くなり、ぼんやりとした行燈の灯りだけが支配していた。
妖しい雰囲気と言えばそうなのだろう。行燈の陰影に紛れた緑の目の前で正座をする村紗は緊張しているようだった。そわそわと落ち着きなく、視線もどこか泳いでいる。そんな風に落ち着きのない村紗をやんわりと注意するように、白蓮が口を開いた。
「これ村紗。ギンコさんは真面目な話をしようとしているのですよ。失礼じゃありませんか」
「うぅ、そんなこと言ったって……」
「ああいや、そのままでもいい。かしこまらなきゃならん、ってわけでもねえしな」
もじもじと落ち着かない様子の村紗に構わず、ギンコは質問をする。
「まずお前さんのことを聞きたい。舟幽霊ってのは、生きているのか死んでいるのか。妖怪だとは聞いているが、お前さんは他の妖怪とはちょっと違うような気がしてね」
「あ、そういうことを聞きたかったの?」
「ああ」
拍子抜け、といった感じで村紗が背筋を一瞬だけ伸ばす。そしてギンコの質問に答えるために、腕を組んでむむ、と唸った。
その様子を見て霊夢が「何について聞かれると思ったのよ……」と言うと「いや、今まで沈めてきた舟の数を憶えているかとか……」と答えが返ってくる。
異変の原因調査という名目だったために、詰問されると思っていたのだろう。緊張を少し解いた村紗が口を開いた。
「生きてはいないよ、私は。念縛霊って言ってね。この世に未練を持ち、三途の河を渡れない地縛霊の亜種がこの私……です」
「へぇ。じゃあお前さんは幽霊ってことかい」
「本質を突けばそうだね。どっかの編纂者が言うには、妖怪って分類らしいけど、私にはあまり関係ないかな」
「雨降らしが生き物以外に取り憑く……そんなことがあるのか?」
ギンコが広げているのは雨降らしという蟲のことが書かれた巻物だった。巻物に視線を落としながら、村紗の話を聞き、思索に耽る。その様子を興味深く眺め、傍から巻物を盗み見ているのは霊夢だった。
「ねえギンコさん」
「ん?」
「私にはいまいちピンときていないんだけど」
ギンコの黙考に割り込んだ霊夢が、腕を組み、顎をしゃくって村紗を指し示す。
「結局、この舟幽霊が雨の原因ってことでいいのよね?」
「あー……言っちまえばそうなんだろうが、そう、簡単なことでもない」
ギンコが巻物に書かれている文字を指差す。雨降らし、と書かれたその文字列を目でなぞり、霊夢は再びギンコの方を見る。そのタイミングで、ギンコは話し始めた。
「今外に降っているのは、十中八九雨降らしだ。蟲の気配もする。その雨降らしが取り憑いているのが、そこにいる村紗であるというのが、俺の予測だ」
「雨降らしって言うのは、さっき説明していた雨みたいな生き物のことよね。それが取り憑いていると、その人の周囲には雨が降るようになる」
「ああ」
「それって確証は持てるの?」
「それがよくわからない。生き物相手になら取り憑いた例を知っているんだが、幽霊相手にと言うのは、俺も初めてでね」
「じれったいわね。とりあえず退治すれば、雨も止まないかしら」
霊夢がどこからともなくお札を取り出す。それは妖怪相手に絶大な効力を誇る道具である。
村紗がひっ、と短い悲鳴をあげる。今にも行動を起こしそうな霊夢の気勢を制するように、村紗をかばったのは白蓮だった。
「それは聞き捨てなりませんね。とりあえず、という単純な発想で、この子に危害を加えるというのなら、私も黙ってはいませんよ」
「ふん」
一触即発な雰囲気が流れる。しかし、霊夢も本気で行動しようとは思っていなかったようで、その雰囲気は、霊夢がお札をしまったことで弛緩した。
その間にも、ギンコは思考を巡らせていた。幽霊という存在。生きてはいないモノに、雨降らしは取り憑くのかどうか。結果だけ見れば、取り憑いているように見える。だがただ単純に、取り憑いているとは考えづらい。
雨が追いついてくる。村紗はそう言った。
「村紗」
「はい?」
霊夢の札に敏感に反応した村紗は、白蓮に身を寄せるように縮こまっていた。そんな村紗に、ギンコが問いかける。
「雨がついてくるようになったのは、いつからだ」
「え? うーん……あ」
ギンコの問いが引き金になったのか、村紗が気づいたように声を上げて、勢いよく立ち上がった。
「そういえば! 私は三途の河の長雨の犯人じゃないって! そうだよ!」
「な、なによ。いきなりどうしたのよ」
村紗の態度が急変したことに、霊夢が怪訝な声を上げる。
「私が三途の河に行った時にはもう雨が降ってたんだ! 本当だって!」
「そうなのか?」
「うん。ああ、思えばそれからだよ。三途の河の雨を見た時から、私には雨が付きまとうようになったんだ!」
「どういうことなのかしら。ギンコさん?」
「俺にもわからん。だが……」
三途の河、か。そうギンコは呟いた。その時だった。
「ギンコさん」
ギンコの背後、障子戸と雨戸に挟まれた薄暗いその通路から、ギンコに声をかける者がいた。命蓮寺の尼僧、雲居一輪である。ギンコはその声に振り返った。
「ギンコさんにお会いしたいという方が……」
一輪の紹介を待たず、一輪の背後からすらり、と影が飛び出してくる。その影は床にまで届きそうな長い髪を広げ、気安い態度で、ギンコに片手を上げて挨拶した。
「よぅ、久しぶり」
「お、妹紅か」
「おう。ここにいるって聞いてね。ちょっくら、頼みたいことがあって来たんだ」
頼みたいこと? とギンコが繰り返すと、妹紅は真剣な表情で頷いた。
「急で申し訳ないけど、里が変なんだ。すぐに来てくれないか」
「……何があった」
ギンコの目が鋭く、妹紅に向けられる。その視線を受けて、妹紅が語り出す。
「雨に当たった子供達の体温が戻らない。本人達は元気そうだけど、それが逆に不気味でね」
「体温が戻らない、だと?」
「ああ。まるで川底の石だ。冷たい、けど元気そうなんだ」
妹紅が語る内容に、ギンコはある蟲の気配を感じ取った。雨にあたった子供達の体温が低くなる。それはとある蟲がもたらす症状だった。しかし、それが発生する条件は揃っていない。そこだけが、ギンコには気がかりだった。
思えば村紗の症状もそうだ。結果だけ見れば、雨降らしに相違ないが、村紗は雨降らしに憑かれるような行動は一切起こしていない。それどころか、彼女は幽霊であり、生き物ですらない。前提がない状態で、蟲の症状だけが出ている。それはとても奇妙なことだった。
「……症状に心当たりはある」
「本当か」
「ああ。その前に村紗。一つ、いいか」
「?」
ギンコはそう言って村紗を手招きした。その手招きに応えるように、村紗は四つん這いでギンコに近づいていく。そしてギンコの前に座り直し、ギンコは、ちょいと失礼、と言って村紗の手を取った。その手はひんやりと冷たく、幽霊の体温の低さを示していた。
「なあ村紗。幽霊ってのは、みんなこう冷たいのか?」
「え。ああ、うん。大体はそうだよ」
「じゃあ最近になって異常に喉が渇いたことは?」
「……ないけど」
「そうか……」
それだけ確かめると、ギンコは立ち上がって、妹紅に向き直った。
「子供達の様子が気になる。案内してくれ」
「お、おう」
ギンコの行動の意図を計りかねる一同が、首をかしげた。
久しぶりの更新です。同じ人が書いているとだけは言っておきます。それ以外は何も言うますまい。