幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 白玉楼の庭師、魂魄妖夢は己の半身である半霊の失踪を知る。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第七章 迷い繰る日 弐

 火急を要する事案が発生したのは今朝方。朝食の準備をしようと台所に向かっている途中に起きた。いや、起きていた。気づいたのがその時点で、思えば起床の段階で、事案は発生していたのだ。

 魂魄妖夢は混乱していた。何しろ自身の半身がいずこかへ消え去ってしまったのだから、これが焦らずに居られるはずもない。その焦りを受けて、今日の味噌汁の味付けを濃いめにしてしまった。

 対して呑気に朝食を要求した主人の西行寺幽々子は「今日のお味噌汁しょっぱい」なんて、朝食の出来にしか興味がなく、妖夢はただ一人、いなくなった自身の半身の行方を必死に考えていた。

 

「(思い出して……昨日、どこまで一緒だったの?)」

 

 そんな風に考えを巡らせても、普段意識しないこと故、鮮明な記憶は望めなかった。

 出来事は憶えている。秋神様の情報、白狼天狗との鬼ごっこ、キノコ売人との会話、どれも憶えている。しかしそのどれもで、自分の半霊を意識することなどなかった。

 朝食の箸が止まる。かぼちゃの煮物に近づいては離れを繰り返し、妖夢は完全に上の空だった。

 

「妖夢」

「はい?」

 

 だからそんな状態の時に滑り込んできた主人の、自分を呼ぶ声に、適当に反応してしまうのも無理はないと言えた。構わず、幽々子は濃いめの味付けのお味噌汁を(すす)り、続けた。

 

「そんな上の空でお料理されても美味しくないし、食事も楽しくないわ」

「す、すみません……」

「だから、さっさと半霊を探していらっしゃい。必要があれば下界に降りることも許可します。その間は私の世話や、白玉楼のことは考えなくて結構。自分の用事に注力なさいな」

 

 優しげな笑顔を向けられ、妖夢は主人の気遣いになんだか申し訳なくなってしまった。理由や原因はさておいて、これは自分の不始末だ。それを解決するために主人に我慢をさせるのは、やはり従者としては失格と言える。そうなるともう、妖夢としては平謝りするしかなく、口をついて謝罪の言葉が漏れた。

 

「すみません……」

「もう、上の空で言葉も選べないの?」

「え?」

 

 消沈気味の妖夢を元気付けてくれる。そんな言葉を、幽々子は選んでいく。

 

「こういう時は”ありがとう”でしょ?」

「……!」

 

 にっこりと笑みを浮かべて、幽々子はかぼちゃの煮物を頬張った。「うん、まあまあね」と、そんな評価も、今は全てが優しさに思えてくる。いつもはぼんやりと頼りない部分もあるが、やはり自分はこの人に仕えて良かったと、こういう時、妖夢は思い知らされるのだった。

 

 

 

 朝食の後片付けを終えて、妖夢は下界へと降り立っていた。なるべく早く半身を見つけ出さなければという使命感のみが強まる一方で、今後の行動方針といえば「半霊を探す」という雑破な内容なのだからどうしようもない。

 ともかく、情報も心当たりもない以上、昨日の自分の行動を洗い直すしか方法はないように思われ、妖夢はまず、人里を目指していた。

 昨日の自分の行動その一、人里にて秋の味覚を探す。これは単純に街道沿いの店屋を巡り、店頭の品を見定めただけだ。半霊失踪の手がかりとなるようなことは何もないように思われるが、問題の起点はどこに転がっているのか知れない以上、妖夢も気を抜くわけにはいかなかった。

 しかしやはりというか、ここには半霊の行方の手がかりになりそうなことはなかった。道を歩いていたら半霊が突然消え去ったなどという話でもない限り、見失うなどあり得ない。手がかりがないことも当然と言えるが、やはり落胆の色は大きく、妖夢は大きくため息をついた。

 歩幅の小さい足取りで街道をゆく。道行く人よりも肩を落としているだけで、なんだか世界から浮いた気分になってしまう。このまま半霊が見つからなかったらどうしよう。そんな考えが頭をよぎり始めたところで、妖夢はある光景に出くわした。

 例年より品の薄い野菜の小売店の前で、何やら店主と話し込む白黒衣装の金髪の少女。彼女は足元の籠の中身の買い取りを店主に求めているようで、少し近づけば、その会話の内容は耳に入ってきた。

 

「そんな二束三文で買い叩くこともないだろ? この秋はキノコが品薄じゃないか。需要はあるはずだ」

「そうは言ってもなあ。お嬢ちゃんの持ってくるキノコは真贋入り乱れてるから、籠の中身を丸ごと買い取るってのもなあ」

 

 妖夢が見止めたのは自分が収穫、もとい拾ってきたキノコを売りさばこうと奮闘する霧雨魔理沙の姿だった。昨日に懲りず、また店主に絡んでいるところを見ると、昨日と同じように自分がしゃしゃり出て、食用キノコを見分けてしまうと、非常に気まずい雰囲気になりそうだと思った。

 しかしまあよくも食い下がるものだ。話し合いというより、どちらかが折れるまで要求をぶつけ合っているようである。

 見て見ぬ振りをするというのも、案外気を遣うものである。魔理沙と店主の会話は平行線をたどり、こちらもやや、やきもきし始めたところで、すい、と横合いから、珍妙な介入者が現れた。

 少女の足元にある籠に手を突っ込み、幾つかのキノコを手に取る白髪の男。森の緑を垂らしたような深緑をたたえる目で品定めをする。それだけで目を惹く容姿ではあったが、珍妙な、というのはその男の纏う雰囲気というものが尋常ではないことから、妖夢はそう思った。所作の一つ一つが浮き上がって見えるというか、なんとも言えず、この場にそぐわない存在感を放っている。

 

「おや、お兄さんは確か……」

「げ」

 

 妖夢をして初めて見る男であったが、店主も魔理沙もその男とは顔見知りのようで、対照的ではあるものの、双方ともに反応をしていた。

 男は籠の中身を一通り見聞すると、一つ息を吐いて魔理沙を見た。

 

「お前なあ、こんなもん、よく売り払えると思ったもんだな」

「お! お兄さん、目利きできんのかい?」

「ちょっと待て。おいギンコ。今は私とおっさんの商談中なんだ。話なら後で聞くから……」

 

 若干焦り気味の魔理沙が言い終わるより早く、ギンコ、と呼ばれた男の声が滑り込んで行く。

 つまみ上げたキノコを店主の鼻先に持って行き、魔理沙にとっては邪魔にしかならない情報を語り出す。

 

「これはウラシマタケ。食えば長く胃腸が弱り、衰弱して死に至ることもある。死んだ奴の見た目がまるで十年は老け込んだように見えることからそう呼ばれるようになった」

「うぐっ」

「ほう……」

 

 男は滔々(とうとう)と語り出す。次々と手に取るキノコの効用、この場合は人体への悪影響を上げ連ねては、分類するように道端に放り投げていく。放り投げられたキノコは虚しくも地面を転がり、魔理沙は諦めたように嘆息した。やはり悪事は栄えないのだろう。昨日に引き続き商談、もとい詐欺まがいを邪魔された魔理沙を見て、妖夢はそう思った。

 やがてギンコの手によって一通り籠の中身が整理された後。中身の分量は十分の一程度まで目減りしていた。

 

「と、まあ食用にならんこともないやつらは、このくらいだ。どうだい」

「ううむ、これならさっきの半値もないぜ、霧雨の嬢ちゃんよ」

「あーもう、はいはい。いいよそれで」

 

 道に転がる毒キノコを拾い集めながら、魔理沙は厄介者を追い払うように手を振った。

 

「だとさ」

「おう。ありがとうな、兄ちゃん。いやー助かったぜ」

 

 豪快に笑う店主に、ギンコは返す言葉で商談を持ちかけた。

 

「なんの。で、この見返りと言っちゃあなんだが、ご店主よ。野菜を幾つか譲っちゃあもらえんかね」

「あ! お前、最初からそれが目的かよ!」

 

 ギンコの言葉に、すわと立ち上がった魔理沙が噛み付く。一連の会話に聞き耳を立てていた妖夢も、これには思わず手を打ちそうになった。汚いぞ、という魔理沙の口撃もするりと躱し、ギンコは涼しげに店主に向き直る。

 

「さあな。で、どうだい」

「はっはっは! もちろんいいぜ! 霧雨の嬢ちゃんも、この兄ちゃんくらい上手にやんねえとな」

「くっそぉ」

「どうも……ん?」

 

 そのやりとりに感心し、注視していたからか、ギンコと妖夢の視線がはた、と交錯した。わずかな硬直であったが、ギンコが固まれば、彼を中心にしていた二人も自ずと視線の先を目で追って、妖夢の方を見ることになる。

 

「あれ、妖夢じゃないか。買い物か?」

「庭師の嬢ちゃんじゃないか。いらっしゃい」

「ああ、どうも……いえ! 今日は買い物とかそういうわけじゃなくて……」

 

 店主と魔理沙は妖夢と既知の仲。そしてギンコとは。

 

「あの」

「初めまして、だな。ギンコという。最近、こっちにやってきた者だ」

「あ、外の方なんですね。どうりで……」

 

 妙な感じだと思いました、そう続けそうになって、妖夢は言葉を区切った。

 

「えっと、魂魄妖夢と申します。初めまして」

 

 少々のぎこちなさはあったものの、なんとか言葉をつなげて妖夢は頭を下げた。その生真面目な一礼に、ギンコも「ご丁寧に、どうも」と応じた。

 

「それで? 買い物じゃないとなんなんだ? てかお前、いつもくっついてる半霊は?」

「あーそのことなんですが……」

 

 妖夢が事情を語るより早く、魔理沙が異変に気がついた。隠すことでもないと、妖夢は三人から、あわよくば、有益な情報を得られるかもしれないと淡い期待を抱きながら、自身の状況を伝えた。

 

「なんだそりゃ? 半身の家出か?」

「冗談でもやめてくださいよ。本当にそうだったらどうするんですか」

「自分の心に聞いてみるとか? 剣の道でもあるんだろ? めーきょーしすいって感じの」

「そんなあやふやな明鏡止水があってたまりますか。とにかくです。何か些細なことでも構いません、情報はありませんか?」

 

 情報って言ってもなあ、と一様に首をひねる中、一人、物憂げに視線を伏せ、静かに何かを考える男がいた。

 

「あの、ギンコさん? なにかご存知なんですか?」

「ん? ああ、いやすまん。お前さんの求めるような情報は持っていないんだが……いや、いい。こっちの話だ」

「?」

 

 何か言いたげなギンコの態度に、魔理沙が突っ込むように言葉を投げた。

 

「そんな風に言われたら気になるだろ。なんでもいいから言っちゃえよ」

「ん? そうか……」

 

 魔理沙の言葉を受けて、ギンコが妖夢を見る。翡翠の視線。キノコを見ていた時とはどこか違うような、翳りのある緑の気配に、妖夢は背筋が伸びる思いで、次の言葉を待った。

 

「……魂魄妖夢、だったか」

「は、はい!」

 

 おもむろに開かれた口からは自分の名前が出てくる。何を言われるのだろう。身構えていたところに、滑り込んできたのは意外な言葉だった。

 

「……お前さん、廻陋という名に、聞き覚えはないか」

「かいろう?」

「ああ、どうだ」

「……いえ、存じ上げませんが……?」

「そうか……いや、魂魄という姓に、こちらは聞き覚えがあってな。なんでも、俺たち蟲師の間に伝えられる、とある蟲に名をつけた若者として魂魄という若者が現れるんだが……まあ、気にするほどのことでもないだろう」

「はあ……」

 

 ギンコの知る魂魄と、妖夢の姓は何か繋がりがあるのだろうか。それよりも、妖夢は一つ、気になることをギンコに尋ねた。

 

「あの、蟲師、というのは」

 

 蟲師。言葉の流れを汲めば、ギンコが名乗るものである。役職? 生業? 種族? 様々に考えられることがあるが、妙に興味を惹かれるその響き。妖夢の質問に、ギンコの言葉が返ってくる。

 

「蟲師、というのは俺の生業のことでね。最近ここいらで起こる、奇異な現象、特異な気がかり、それらを解消してまわっている。お前さんも、何か困ることがあったら相談してくれるといい。まあ今回は、あまり力になれず、申し訳ないがね」

「あ、いいえ、とんでもないです」

 

 では、私はこれで、と妖夢はその場を去ろうとする。話し込んでしまったが、自分には半霊を探すという火急の用事があるのを、ギンコの言葉で思い出した。

 振り返り、駆け出す。その一瞬、魔理沙の方を振り返り、妖夢はお節介を焼いた。

 

「魔理沙も、詐欺まがいもほどほどにね。昨日といい今日といい、きっとまた失敗するわよ」

「うるせー。大きなお世話だよ」

 

 じゃあね、と今度こそ妖夢は駆け出した。次はどこに向かおうか。昨日の自分の行動その二。それを追うべく、妖夢はその足を、妖怪の山に向けた。

 

 

 

「……ん?」

 

 妖夢が走り去った後、その背中を見送り、魔理沙が思い至る。

 

「私、昨日は何もしてないぞ……?」


















 物語はどこへ向かうのか。まだまだ輪郭がぼやけているかと思います。いろいろ考えながら読むと、物語は一層楽しいですよね。

−追記−
 皆様のご愛顧、大変有り難いです。おかげさまでお気に入り件数が2000件を突破しましたことを、ご報告いたします。

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