幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 妖夢は繰り返す。とある一日を、何度も。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第七章 迷い繰る日 伍

 飛び起きるようにして、妖夢は目を覚ました。息が乱れ、気分は最悪。寝汗も大量にかいているようだ。

 嫌な夢を見た気がする。そんな漠然とした不安感にも似た、不確かさで表情を歪める。

 何か、何か忘れている。額を押さえるようにして頭の靄を振り払おうとする。

 思い出さなければ。思い出さなければいけないような、何かがあった。妖夢は必死に、頭を巡らせた。しかし、

 

「はぁ……」

 

 思い出せなかった。何を夢見ていたのだろう。靄は晴れたが、その先を見通すことは叶わなかった。

 

 

 

 着替えを済ませ、庭で剣を振るう。毎朝の日課である。

 彼女が操るのは大小の二刀。長刀の楼観剣、小太刀の白楼剣。このうち、彼女が今振り、操っているのは長刀の方だった。

 楼観剣。とある妖怪が鍛えたとされる刀。詳しい出自やその性質は持ち主である彼女をして不明な点が多いが、一説では一振り幽霊十匹分の殺傷力がある、らしい。確かに刃紋は均一で、鍔の根元から剣先まで刃こぼれ一つなく美しい銀の流線を描くそれは名刀であろうが、その性能とやらはどうにも眉唾だった。 

 小柄な彼女にして楼観剣は少々大柄な刀である。しかし刀に振られることなく、彼女はその曖昧が鋼となったような名刀を苦もなく操っていく。筋力による強引さはほとんど感じられず、巧みな技が光る、そんな演武。

 実戦の機会が少ない型でも、祖父から教わったことは漏らさずに反復していく。草書体の如き流線を描く型。鋭角に上から下へ、下から上へと刃を切り返す型。時に体ごと踏み込み、時に切り払いで距離を取る。仮想敵を思い描き、密度高く鍛錬を重ねる。日課とはいえ、手を抜くことは無い。彼女の生真面目さが伺える、そんな朝の一幕。

 白刃が風を切り、今朝の鍛錬が終了する。長刀の刃紋に朝日が滑り、納刀の音がぱちり、と締め括った。しかし、彼女の朝はまだ始まったばかりである。

 これから朝食の準備をしなければならない、そういう折に、妖夢はふと、自分の腰に差さっている大小二本の刀のうち、小の方に気を取られた。白楼剣。魂魄の家に伝わる家宝であり、斬った者の迷いを断ち切ることができる刀。幽霊を斬れば成仏させることができるなど、効果のほどは確かだが、あまり抜くことのない刀ではある。

 

「……」

 

 しかし、この時妖夢は刀に手をかけ、おもむろに刀身を抜き放った。刃紋の目立たぬ直刀に近い造りの小太刀。見た目こそ華もなく、どこぞの古物商でも曰くをつけるのが精一杯そうな、地味なそれを高く掲げる。そうしているうちに、刀身に日の光が反射して、妖夢が一瞬目を閉じた、その時だった。

 

「……!」

 

 頭の中で水を打ったようにあたりは静まり返り、妖夢はこの一日を以前も見たことがあると思った。

 夢の内容を思い出す。何が何やらわからない。自分はおそらく、この一日を繰り返している。どの一日を? 一体いつから? どれくらい? 様々な疑問が浮かんでは消えていく思考の濁流。自分の中の常識が混ぜっ返されて、ぐちゃぐちゃになる。

 

「おはよう、妖夢」

「幽々子様……!」

 

 気を抜くと泣き出してしまいそうな声が漏れる。まただ。これも、見たことがある。

 

「あら、妖夢。あなた……」

 

 半霊はどうしたの?

 

「半霊はどうしたの?」

 

 何が起こっているのかさっぱりわからない。だが一つ言えることは、この尋常ではない既視感を、まずは確かめなればならない。

 

「……幽々子様」

「妖夢?」

「昨日は、何をされていたか憶えていますか?」

「昨日?」

 

 妖夢は主人に問いかける。もし本当に一日が繰り返されているのなら、この答えも妖夢が知るものであるはずだ。健忘が過ぎると気にも留めなかった、幽々子の昨日を聞き出す。

 幽々子の昨日は妖夢と将棋を指したことが主になる。三戦して妖夢が三敗。そう思い浮かべたところで、幽々子が口を開いた。

 

「昨日は久しぶりに妖夢と将棋を指して、私が三戦三勝だったわよね?」

 

 愕然とする。決して当たって欲しくはなかった予感。違和感。幽々子の言葉で、妖夢は確信した。

 忘れていたこと。思い出したこと。花の香りがする。自分はこれから、半霊を探しに人里へと向かうのだ。そこで一人の男と出会う。花の香りがする。漠然とした不安感を抱えながら、妖夢は走り出す。

 

「半霊を探してきます!」

 

 白玉楼を飛び出し、妖夢は思う。この繰り返しを知っていた男。ギンコと名乗る蟲師から聞いた言葉。かいろう。そのことについて、詳しく話を聞かねばならない。

 主人への言葉を放り投げ、妖夢は下界を目指した。

 

 

 

「はぁ……はぁ……」

 

 息も絶え絶えといった様子で、妖夢は人里に降り立った。もう何度も見た光景。野菜の小売店の前で、三人のやり取りを聞いた。

 

「と、まあ食用にならんこともないやつらは、このくらいだ。どうだい」

「ううむ、これならさっきの半値もないぜ、霧雨の嬢ちゃんよ」

「あーもう、はいはい。いいよそれで」

「だとさ」

「おう。ありがとうな、兄ちゃん。いやー助かったぜ」

「なんの。で、この見返りと言っちゃあなんだが、ご店主よ。野菜を幾つか譲っちゃあもらえんかね」

「あ! お前、最初からそれが目的かよ!」

「さあな。で、どうだい」

「はっはっは! もちろんいいぜ! 霧雨の嬢ちゃんも、この兄ちゃんくらい上手にやんねえとな」

「くっそぉ」

「どうも……ん?」

 

 妖夢は迷わず白髪の男、ギンコに大股で近づいていく。その様子に気づいて、ギンコが妖夢を見たとき、妖夢は切り出した。

 

「あの! 廻陋(かいろう)について、知っていることを教えてください!」

「うおっ、なんだ急に」

 

 襟首を絞めかねない動きで詰め寄ると、単刀直入に話題をぶつけた。

 

「あなた、蟲師のギンコさんですよね」

「あ、ああ。まあそうだが……お前さん、どこかであったか」

「ええ、もう何度も。このやり取りは初めてですけれどね」

「……どういう意味だ、そりゃ」

 

 妖夢の射抜くような、切羽詰まった態度を受け止め、ギンコの表情から温度が抜けていく。静かに、冷涼な雰囲気を纏い始める。

 

「おいおい、なんだいきなり。妖夢。お前、ギンコと知り合いだったのか」

「ギンコさん。お話を聞かせてください」

「無視かよ」

 

 妖夢の眼中にない魔理沙がじとり、と目を曇らせた。

 なおも詰め寄る妖夢。その様子を見て、ギンコはゆっくりとした動作で妖夢の肩に手を置いた。まずは落ち着け、と目で語りかける。その無言の訴えを受けて、妖夢は自身の心を落ち着けるべく深呼吸し、ギンコから体を離した。

 

「……お前さんがどんな状況にあるのか、詳しく聞こう。まずはそれからだ」

 

 場所を移そう、とギンコは持ちかけた。

 

 

 

「どうぞ」

「どうも」

「悪いな……って茶なんて啜ってる場合なのか?」

「客人になんのもてなしもないようでは白玉楼の従者の沽券にかかわりますから……ってなんで貴方までいるんです?」

 

 白玉楼に招かれたギンコと、それにくっついてきた魔理沙は妖夢のもてなしを受けていた。白玉楼の主人は、体調を崩しているという古き友人の元を訪ねて留守である。

 畳の居間に置かれたちゃぶ台を三人で囲むように座る。ちょうどギンコと妖夢が向かい合い、その間に魔理沙が座り込んでいる形になる。

 全く話に関係のない魔理沙に対して、冷ややかな目線を向ける妖夢。乗り掛かった船という言葉を強引に用いて、興味本位の同席をする魔理沙。まあいいでしょう、と最終的に折れたのは妖夢の方だった。

 

「それで。早速だが話を聞かせてくれるか」

「あ、はい」

 

 妖夢はギンコに、自身の身に起きた奇妙な出来事を語り始めた。花の香りとともに失われる意識。まるで悪夢から醒めるように目覚めると、全く同じ一日を繰り返しているという袋小路の事実。なぜこんなことになっているのか、どうすればこの繰り返しから抜け出せるのか。光明を求めて、妖夢はギンコにすがるように話を続けた。

 

「……」

 

 妖夢の話を聞いて、ギンコは考えた。沼の淵をじっと睨めつけるように目線を下げ、口元に手をやって考えている。そんなギンコの様子を、固唾を呑んで見守るのは今まで自分の身に起きた出来事を語っていた妖夢だ。

 

「……魂魄妖夢、がお前さんの名前だったか」

「は、はい」

「そうか……」

 

 妖夢の名前を確認した後、ギンコは申し出た。

 

「実は廻陋に関する資料は殆どない。その性質上……既視感などという誰にでも起こりうる症状から、廻陋の仕業であると断定ができないためだ」

「そ、それは」

「記憶とは主観的で、曖昧なモノだ。いくらお前さんに繰り返しの確信があったとしても、それを確かめる術はない」

「う……」

 

 だが、とギンコは前置きする。

 

「それが確かでないと確かめる術もない。お前さんの様子も尋常じゃないし、会ったこともない俺の名前も知っていた。話を信じるには十分。なんとかその繰り返しとやらから抜け出せないか、知恵を貸そう」

「あっ、ありがとうございます!」

 

 ちゃぶ台に額を打ち付けんばかりの勢いで、妖夢はギンコに頭を下げた。ギンコは傍に置いてある自身の薬箱の扉を開き、下段の大きな引き出しから一巻の巻物を取り出した。それをちゃぶ台の上に広げる。

 

「これが廻陋に関する文献だが、俺が語った以上のことは書いていない。だが注目すべき点はある。それは、お前さんの訴える症状と文献にある症状に差異があるということだ」

「症状の違い……」

 

 ああ、とギンコは同調する。若干蚊帳の外になった魔理沙も、話を聞こうと身を乗り出して巻物を覗き込んだ。

 

「まず、大きな違いはお前さんが繰り返しに気づいているということだ。文献では、廻陋に囚われたものは全く同じ時間を繰り返し生きることになるという。お前さんはすでに、そこから外れたところにいるということだ。現にこうして俺たちと話をするのは初めてのことなんだろう?」

「はい。初めてです」

「そこがこの繰り返しから抜け出す鍵となるはずだ。そして第二に、これは文献通りだが、お前さんの繰り返しにも必ず起点があるということだ」

「起点ですか……あ、花の匂いがして意識が途切れること、ですか」

「そうだ。これは文献だと、廻陋に出会った瞬間が起点となるらしいが、なぜお前さんの時間の繰り返しが不定期に起きるのかまではわからない。だが起点がある以上、そこをやり過ごすことができれば……」

「繰り返しは起こらない、と?」

「そう考えるのが妥当だろうな」

 

 そう言いながら、ギンコは薬箱の一つの引き出しから、小さな包みを取り出した。そしてそれを、ちゃぶ台の上に置く。

 

「これは?」

「気付け用の薬だ。木の実だが、意識が朦朧としたらこれを口に入れろ」

 

 そして気を失いそうになったら、噛み潰すんだ、とギンコは指示した。

 包みが開かれて、中から丸薬のような木の実が顔を出す。

 

「どれどれ」

「あ、おい」

 

 興味本位で魔理沙が一つ、口の中にそれを放り込んで噛み潰した。次の瞬間、魔理沙の表情が青ざめ、勢いよく立ち上がったと思えば、走り出して部屋から出て行ってしまった。

 

「……ま、あれだけの反応が得られる木の実ってことだ。飛びそうな意識を、繋ぎ止めてくれるはずだ」

「……なるほど」

 

 良い実例だった、とギンコは呆れるように額を押さえた。



















 物語が動き始めましたね。繰り返しの日々を、妖夢はどう抜け出すのか。必見です。
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