人間の里に蔓延する流行病の正体を見抜いたギンコ。蟲患いを治すため、次なる行動を開始する。
幻想奇譚東方蟲師、始まります。
昼間だというのに、日差しがあまり差し込まない
「ねえあんた。本当にこれでいいのかい?」
「しょうがねえだろ。医者もお手上げなんだ。じっとしてる他あるめえよ」
女が不安から声を漏らす。相当気も滅入っているのだろう。土気色の顔で言葉を発するその様は、空気を求める魚のようだ。
何か言いかけて、口を開き、俯いては口を閉じる。何を言ってもどうにもならないのに、何か言わずにはいられない。漠然とした恐怖と焦燥感が襲ってきて、無言の中に、また耳鳴りが響いた。
一方で女をなだめた男は不安からくる苛立ちを募らせつつあった。
流行病が里を襲ってほぼ一週間が経とうとしている。事態は未だ収束せず、医者も匙を投げ、これ以上の伝染を防ぐためと自分たちは家に
男の苛立ちはもっともである。さらに、これから増える家族のことを思えばこそ、無意味に焦り、浮き足立つのは当然とも言えた。
二人には子供がいる。今はまだ、産声をあげる前の、母体に根付く命。不安を紛らわすように、女は大きくなった自分の腹をさすった。
手のひらから伝わる、自分の体温とは別の温かい
ギンコが戸を叩いたのは、そんな夫婦が住む家だった。
どんどんと木製の戸が揺れる。こんな時に誰が訪ねてきたのか。少々警戒しながら、男はのそりと立ち上がり、土間に降りて草履を引きずると、戸を少しだけ引いた。
「どちらさまで?」
「どうも。蟲師のギンコと申します」
戸の隙間からギンコが挨拶をする。白髪と緑の目の異様な男。どう見たって妖しいギンコの第一印象に、男は警戒心を強くした。扉にかける手に、力がこもる。
「なんのようだ」
「なに。お宅の塩を、少し、調べさせちゃもらえんかと思ってね」
「塩だと? いきなりなんのつもりで……」
「その人の言うとおりにしてくれないか」
隙間からは見えない扉の影。ギンコの隣に立つ慧音が男にそう促した。遮るような女の声に、男は一瞬むっとしたが、戸をさらに開けて慧音の姿を確認すると、その感情もおさまったようだった。
「あんたは寺子屋の……」
「迷惑はかけない。私も立ち会うから、どうか」
そう言って慧音は頭を下げた。男はギンコへの疑いこそ持ったままだったが、慧音の懇願に折れて、二人を家の中へと招き入れた。
「塩はどこにある」
「釜の上の棚にある壺です」
ほらそこに、と男は釜の上を指差した。そこには両開きの棚が備え付けられており、ギンコは躊躇なく歩み寄って、扉を開けた。
いきなりやってきて無遠慮に家探しを始めるギンコに、男はもちろん遠巻きに見ていた女も不信感を拭えなかった。壺を片手に持ち、中の塩をつまんでなにやら観察始めたギンコだが、その行動の意味は測れない。やがてしゃがみこみ、壺の底まで覗きこもうと顔を近づけるなど、行動は不審者そのものだ。
「先生、誰なんですかあの男は? 勝手に人の家に来て塩がどうたらと」
見かねた男が、慧音に問うた。慧音と言えば、神妙な面持ちでギンコの動きを見つめている。その雰囲気に、男は若干気圧されて、文句を言っていた口をつぐんだ。納得がいかない。男の顔にはそう書いてあった。
胸元に引き寄せた手に力が入る。何が入っているのか、小袋を握りしめ、あくまで目線はギンコから離さずに、慧音は男の問いに答えた。
「……流行病を、治してくださるそうだ」
「病を? 治す方法がわかったんですか!?」
慧音の一言に、男が食いついた。慧音はやはりギンコを見つめたまま、ゆっくりと頷いた。
男がその方法はと慧音に聞こうとした時。塩を指にのせ、虫眼鏡を通して観察していたギンコが顔を上げる。
「慧音、米を」
「あ、ああ!」
ギンコに指示され、慧音が持っていた小袋の中身を手のひらに出す。ざらっと砂のように転がり出たのは小さな白い楕円形。それを手に持ったまま、慧音はギンコに歩み寄る。
しゃがんでいるギンコに差し出すように、慧音は腰を曲げて手を伸ばした。慧音の白い手のひらの上で小さな山を作っているのは米粒だった。
ギンコは米粒を一つ摘み上げ、壺の中に放り込むと、何を思ったのか壺の蓋を閉めて、勢いよく振り始めた。
いよいよギンコがおかしくなったと、先ほどまで男が感じていた不信感が恐怖に変わっていく。夫婦はギンコの奇行を、絶句して見守っていた。
ざらざらと音を立てて、ギンコが壺を振る。事情を知らなければ、この上ない奇行に見えるだろう。しかしギンコは大真面目に、蟲を取り除こうとしていた。
やがて満足したのか、ギンコが壺を下ろす。蓋を開けて、ガタガタと壺を揺らしながら、中にある何かを探しているようだった。一体いつまで塩の壺を漁っているのか。
「おいあんた。さっきから人ん家の塩使って何してる」
「ん? ああ、まあちょっと待て。まずは見てもらったほうが早いだろうさ」
お、あったあった。とギンコが壺から手を引き抜くとその手には団子ほどの大きさの小さな白い玉が握られていた。
「こいつが、病の正体だ」
得意気に、その白い玉を手のひらで転がして、病の正体と言ってのけるギンコだが、当然、その言葉は信じられるものではなかった。夫婦は訝し気にギンコを見つめ、次に互いの顔を見合わせた。
ギンコが玉を持ち、男に歩み寄る。もういいのかと聞いた慧音が塩の壺を釜の上の戸棚に戻した。
「ほれ、よく見てみるんだな」
よく見ろと言われても。男はギンコが指先でつまんだそれをじっと眺めた。気になったのか、女も近くに寄ってきて、二人して白い玉とにらめっこを始めた。
なんの変哲もない塩の塊。十分にそう見える。だが、ギンコが差し出した白い玉を見ていた男はこうも感じていた。これは塩じゃない。白い何かが塩のふりをしている。
なぜそう感じたのかはわからない。男にとって、それは妙な感覚だった。
「これは、骨液という蟲でな。塩に擬態して、動物に喰われようとするんだ」
「蟲?」
「希薄な命のことだ。我々動物や、植物よりも、ずっと生命に近い生きモノだ」
ギンコは淡々と語る。その言葉に、夫婦は知らず引き込まれていた。本来ならば、そんなモノいるわけないと一蹴する荒唐無稽な話。自分たちが今まで見たことも聞いたこともない話。それを語って見せるギンコは、詐欺師の
ギンコは白い玉、骨液をガラスの小瓶に移した。男がギンコに尋ねる。
「その白い玉と、病とどういう関係があるんだ?」
ギンコは答える。
「骨液は、動物に喰われると関節部、つまりは軟骨に密集する。関節は曲げ伸ばしをするだろう。そこで骨液は自身をすり潰してもらい、その数を増やすんだ。普通なら、糞尿に混じって自然と出て行くんだが、今回はちと、多く取り込みすぎたみたいだな」
瓶を持つ自身の左手の肘を指差して、曲げたり伸ばしたりと動作を
「そんなことが……」
「骨液の多くは塩に擬態する。塩壺を調べたのはそのためだ。炒った生米を加えてやると、骨液は米を中心に密集して、大きな塊になる。お宅からは患者が出ていないようだからこの大きさですんだが、さっき行ってきた患者の家では三寸ほどの玉がでてきたんだぞ」
小瓶を振って、中身を強調する。ギンコの語る蟲の世界に、二人は聞き入っていた。理由もなく、知識もない。朧げだが、同時に確信もする。あるいは、日頃から妖怪というモノに触れている彼らだからこそわかる感覚なのか。とにかく、ギンコの言うことを疑う者はもう、この場にはいなかった。
「そうか……嫌な態度をとってすまなかったな」
「ごめんなさい……」
夫婦は二人揃って頭を下げた。気にするな、とギンコは言う。
「慧音。あと何軒だ?」
「次で最後だ。しかし何度見ても不思議なものだな」
「俺も、そう思うよ」
「じゃあ私たちはこれで失礼する。急に上がり込んで悪かったな」
「いえ、こちらこそ不審者扱いをしてしまって……」
いいよ。とギンコは玄関の敷居をまたいだ。
「ああそうだ」
敷居をまたぎながら、ギンコは夫婦を振り返る。
「骨液が体内に入っても、胎児に影響はない。塩分は貴重な栄養だからな。今回のことで変に警戒したりせず、しっかりとって、元気な子を産めよ」
そう言ってギンコは家を立ち去った。軽く一礼して、慧音もその後に続く。男はその二人の背中に深く、頭を下げた。
相変わらず起伏のない物語です。でもそれが味になると思っています。
蟲師といえばその繊細に描かれる世界観が大きな魅力の一つだと感じるのですが、果たして自分の描写力はその魅力を十分に伝えられているのか。不安に思わない日はありません。
この作品のタグですが、警告タグは念のためにつけているものです。もしそのタグに従い、期待を持ってこの作品を開かれた方がいらっしゃいましたら、この場を借りてお詫び申し上げます。
最後に私事ですが、この作品もお気に入り登録件数が40を超えました。日頃ご愛好いただく皆様には、本当に足を向けて眠れない思いであります。ルーキー日間ランキングにもランクインし、もう嬉しさで何が何やら。これからも応援よろしくお願いいたします。
それではまた次回。よろしくお願いいたします。