幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 妖夢にある一日が繰り返していると聞かされ、ギンコはその問題の解決に悩む。



 諸々のお話はあとがきにて。それでは





幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第七章 迷い繰る日 漆

 夕食作りのため台所に向かった妖夢の背中を見送って、ギンコは妖夢の私室の前、屋敷の縁側に腰を下ろした。秋の茜が刻々と夜に切り替わる空を見上げ、そこから次第に視線を下げていく。

 整えられた庭の草木がうっすらとかかる闇に溶けていく。昼間は穏やかな陽光にその身を預け、微笑むようにたたずんでいたそれらが、まるで観劇の閉幕のように世界から退場していく。そんな光景を見ながら、ギンコもまた抱えた不安感を持て余すように、片膝を立て、それを抱えるように座り直した。

 廻陋。実態の知れぬ、文献の中だけに登場する蟲。ギンコをして知らぬ蟲。妖夢の訴える症状が事実だとしてこの時間が本当に繰り返し、世界が輪廻に囚われたが如く回り続けているのなら、ギンコにできることはないように思えた。

 一番の問題は妖夢にあるのではなく、ギンコにあると言えた。廻陋によって繰り返す時間を、ギンコ自身が認識できていないことこそ、この問題の難しいところである。妖夢の感じている尋常ならざる既視感は本当に蟲の影響なのか。ギンコにはそれを確かめる術すらない。今まで幻想郷で蟲患いにまつわる事件に関わってきたギンコであったが、その「関わる」という土俵にすら上がれていないと感じるのは初めてだった。

 

「さて……どうしたもんかね」

 

 ぼそりとひとりごちる。頭を抱え、蹲るような素ぶりこそ見せないが、内心はそれくらいどうしようもないと思っていた。口をついて出てくるのはいつになく弱気な言葉ばかり。

 

「時間が繰り返される……そんなもの一体どうしたらいいんだ」

「お困りのようね」

 

 だから独り言に反応が返ってきた時、ギンコは心底驚いた。妖夢に聞かれたのではと思ったのだ。声に反応して背後を振り返る。しかしそこには誰もいない。障子の壁が喋り出すわけでもあるまいとギンコが訝しむ。

 

「気のせいか……」

「気のせいじゃないよ」

 

 今度こそはっきりと聞こえた声に、今度は庭の方を見る。そこに果たして、声の主は姿を見せた。

 

「……なんだこりゃ」

「なんだこりゃとは失礼だなあ。やっと私の姿を見てくれるようになったのに、第一声がそれ?」

 

 声の主が不満を漏らす。それはギンコの顔の前、少し距離を置いた空中に浮いていた。

 それは手のひらに収まりそうな大きさの少女の形をしたものだった。鯉のぼりに頭を齧られているような赤く長い布製の帽子を被り、白と黒の色に塗り分けられた一繋がりの服にこれまた白と黒の布の球体を散りばめた独特な格好をしている。広く開いた服の裾からは二本の素足と、どういうわけか牛の尾にしか見えないものがひょっこりと顔を出していた。

 それはその小さな体でギンコを見つめ、頬を膨らませながら空中で仁王立ちをするように腕組みをした。

 

「やっと私の声が届くようになったんだから、もうちょっと喜びなさい。わーいって」

「誰だい。お前さんは」

 

 おどけた態度には一切の反応を見せず、ギンコは突如現れた少女らしき何かに疑問をぶつける。幻想郷に来てから得た知識で考えるならば、それは妖精のように見えた。その割には気配がはっきりしている。ならば妖怪の類か? とギンコの頭の中で様々な推測が浮かんでいく。それらを解消するためのギンコからの問いを受けて、それは腕組みを解いた。

 

「性急ね。でもまあ時間もないし、その方がいいか。説明してあげるけど、見てからの方が納得もしやすいでしょ。そろそろだし」

「……お前さんが何を言っているのか、俺にはよくわからんのだが」

「すぐにわかるようになるわ。だってほら」

 

 目の前のそれが両手を広げる。空はもう茜の色が沈みきり、夜の訪れが目に見えている。そして世界が緩やかな、しかし確かな切り替わりを見せたその時。

 

「もう刻限だもの」

 

 その言葉に共鳴するように、目の前の風景が歪んでいく。少女以外の全ての景色が、まるで一枚の絵におさまるように、立体感を喪失していく。ぐん、と遠く離れていく庭。体が浮き上がるような奇妙な浮遊感。それらがギンコを戸惑わせた直後、べりべりと、糊で張り付いた紙を剥がすような音を響かせながら、世界が崩れていった。

 目の前の光景に言葉を失う。剥がれ落ちた世界の欠片は泡となって消え失せ、その奥からは漆黒としか言い表せない空間が顔をのぞかせている。それらが一箇所だけではなく、同時多発的に発生していた。幻想郷にきてしばらく。ギンコも奇々怪々な現象、能力は多く見てきたつもりだったが、ここまで理解の追いつかない光景はなかった。悪い夢を見ている。そう形容するほかない。まさにそれは、世界の終わりだった。

 

「おいおい……こりゃあ夢か?」

 

 冷や汗もかかないほどに理解が追いつかない。漠然と、しかし大きな不安感が大きな手のひらのようになって全身を掴んでいるような気がする。ようやく絞り出したギンコの言葉に、それは飄々と答えた。

 

「夢と言えば夢ね。でも、厳密には違う」

 

 それは一つ言葉を区切り、間を持たせるように続けた。

 

「ここは繰り返される記憶の世界。地上にある、一つの魂が囚われた時の回廊……本来、貴方とはなんの関係もない泡沫の世界よ」

「記憶……? 時の回廊……?」

「貴方をここに連れてきたのは私。半人半霊の彼女の夢を通じて、貴方の夢の意識をここにつないだわ。大体の事情はそちらが把握している通りよ。だからまずは、私の目的をはっきり伝えておくわね」

 

 世界が終わる。もう景色は、ほとんど漆黒に切り替わっている。夜よりも闇よりも深い、光を巻き込んで離さない冥い色。そんな天も地も剥がれ落ちた空間に、ギンコとそれだけが残される。

 べりべりと音がする。今度はギンコ自身が、世界から剥がれ落ちようとしていた。

 そんなことも意に介さず、それは宣言通りに、はっきりと言葉を紡いだ。

 

「どうかこの世界を終わらせて。彼女の魂の片割れを解放して。それが貴方に頼みたいこと」

 

 終わる世界を終わらせて。そんな意味不明な無理難題を聞かされながら、ギンコはゆっくりと世界から脱落していった。

 

 

 

 次にギンコが目を覚ましたのはいつか見た人里の大通りだった。日の傾きから推測して時刻は午前。朝の訪れと共に活動を始めた人々がまばらな、いつもの人里がそこにある。店を開き、暖簾を出す茶屋の看板娘。折りたたみの庇を広げ、その下に商品を並べる小売店の店主。畑作業に向かうのだろう、農耕道具を担いだ青年。住人の様子は色とりどりで、にわかに活気付いている。そんな誰も彼もが目的を持って動いているそこで、ひとりぽつんと何をするでもなく、ギンコは立ち尽くしていた。

 自分はなぜここにいるのだろう。世界が剥がれて消える悪夢はどうなったのか。自分に一日が繰り返していると訴えてきた彼女は。そんな降ってわいた疑問に答える暇もなく、ギンコの意識に滑り込んでくる声があった。

 

「はーいおはよう。無事に世界を移行できたみたいで何より」

 

 木の葉が地面に降り立つように、視界の上からそれは現れた。赤い帽子を被った、牛の尾を持つ少女。ギンコと目線を合わせるように高度を保ち、ふよふよと空中に浮いていた。

 

「意識はしっかりしてるよね? 記憶の整合性は取れてる? 私のことは覚えてるかな?」

「……この世界はどうなっている。俺は確か、世にも恐ろしい光景を見た気がするんだが」

「おっけおっけ。無事に繰り返しの初期化からは保護できてるみたいね」

 

 ギンコの返答に満足したのか少女は小さな体で大仰に頷いた。そうして語りだす。

 

「じゃあ自己紹介からね。私はドレミー・スイート。夢の世界の管理人です。貴方は蟲師のギンコね?」

「そうだが……夢の世界の管理人だと? ここは夢の世界だとでもいうのか?」

「そうでもあるけどそうでもない。ここは魂魄妖夢の半霊が囚われている時の回廊。本来なら私も介入できない円環状に閉じた意識の世界なんだけど彼女の半人半霊という性質が効いたのか、肉体の見る夢の世界とここが繋がったのね。だから私がいくらか干渉できるようになったの」

 

 夢の世界。ドレミーと名乗る手乗り少女はこの世界をそう説明した。また突拍子も無いことを言われたギンコであったが、記憶の中にある世界の終焉を思い出せば、ここが現実味のある何処かであるようにも思えなかった。

 そう思えば道行く人々やいつか見た景色も、見た目はそれらしいがどこか空々しい。そんな薄氷の上に立っているような思いで、ギンコはドレミーと話を続ける。

 

「半人半霊? 妖夢のことか。じゃあここは妖夢が見ている夢の世界でもあるということか?」

「あれ? あの子のことは聞いてないんだ。半人半霊っていうのはそのまま、半分人で半分幽霊の存在のことなんだけど」

「それは聞けばわかる。人間の部分が俺に接触してきた妖夢なんだろう? そして俺の知らない霊体の妖夢がもう一人いて、そいつが時の回廊とやらに閉じ込められている。妖夢は人体と霊体が二つで一つだから、霊体の閉じ込められた意識の世界に人体の見ている夢の世界が繋がり、その夢の世界を管理しているお前さんが普段は干渉できない閉じたこの世界にやってくることができるようになった。そう理解したが」

「おおう……気味が悪いくらい理解が早いのね。信じてもらう立場の私が言うのもなんだけど、もうちょっと疑うとかしたほうがいいんじゃないの?」

「生憎とこっち、幻想郷に来てから自分の常識の方が信じられなくなってきていてね。霊だの妖怪だの、そうあるべくしてあるものを受け入れる付き合い方は慣れてきたつもりだ。そもそもの本職も、そういう立場をとるべきだしな」

 

 ギンコは嘆息して、これまでの自分の苦労を思い出す。妖怪やら霊体やらと干渉する蟲は、ギンコの経験を超越する現象を起こし続けてきた。これまではなんとか持ち前の蟲の知識と、幻想郷の異形についての知識を組み合わせて解決策を導き出してきたが、毎度毎度心臓に悪いことだと、ギンコは遠い目になった。

 

「それで。お前さんが俺をここに連れてきた理由は……この世界を創り出しているのが、廻陋という蟲だからなのか」

「ご名答。蟲のことは蟲師に。常識でしょ?」

「常識とか言われてもな……」

 

 今更である。

 

「あんまり長い夢を見るのは精神的によくないのよね。まあお願いよ。半人半霊のあの子のためにも、貴方のためにもね」

「それはわからんでもないが……ん? 俺のため? ちょっとまて、俺も何か蟲の影響を受けてるのか?」

 

 ギンコはドレミーが発した不穏な響きの言葉を聞き逃さなかった。物事をあるがままに受け入れつつも、回避すべき危険は敏感に察知しなければならない。ドレミーはとぼけるでもなく、当然といった様子でギンコの問いに答えた。

 

「ここにいるってことは貴方も夢を見てるのよ? そして簡単に夢から覚めることができるなら、わざわざ貴方の力を借りたりしないと思わない?」

「じゃあ何か。お前さんは入るは易し、出るは難しの世界に無理やり俺を引き摺り込んだってのか。そして廻陋に対して何かしらの対処をし、妖夢の半身を解放しなけりゃ俺も……」

「この世界に閉じ込められたまま、ってことになるね」

「冗談じゃねえぞ。よくもそう平然と言えたもんだな!」

「さらに言えばこの世界の時間と現実世界の時間は同期してるから、あんまり時間をかけすぎると肉体の方が衰弱して取り返しのつかない事態になるかもね」

「なおさら悪いじゃねえか……」

 

 恐ろしい事実をにこやかに告げてくれるものだ。怒りを通り越して呆れがみえ始めたギンコの態度とは対照的な、ドレミーのあっけらかんとした態度が憎たらしい。恨みを込めて睨みつければ、ドレミーはその視線を受けて身を縮こまらせた。

 

「怒んないでよ……精一杯明るく教えてあげたのに」

「いらねえよそんな気遣い。お前さん、夢の世界の管理人なんだろ? どうにかならんのか」

「無理ね。この世界で私の権限はほとんどないし……悪いとは思ってるのよ? でも私にできることは貴方たちの記憶を繰り返しの初期化から保護することくらいだもの。この世界に直接干渉することはできないの……」

 

 ごめんなさい……と、いじいじと指を絡ませて小さな体をさらに小さくして、ドレミーは情けない声を出す。そうした態度を取られると、途端に弱いものイジメをしているような気分になってしまう。ドレミーにしてもこの対応は望むところではないようで、ギンコに対する謝意も本物であるように思えた。

 

「……妖夢の記憶の保護も、お前さんがやってくれたことなのか?」

「……うん」

 

 誰を責めても始まらないと、ギンコは頭を切り替えるように自分の後頭部を二、三度叩いた。

 やるべきことは決まっている。妖夢の半霊の救出と、それに伴う廻陋への対処。どうせ現実世界においても遠からず同じような状況になっていたと考えれば、ドレミーの登場で僅かながらも廻陋への対処法の足がかりができた今を歓迎すべきとも言えた。

 

「妖夢は繰り返しに気付くまで何度かこの一日を体験したと言っていた。俺をしてもそうだ。しかし記憶の保護がされた時期に差があるのはなぜだ。さらに言えば、妖夢は繰り返しに気がついた時、その時点から過去の記憶を思い出している。俺が思い出せんのは何か理由があるのか」

 

 切り替わったギンコの頭は問題の解決に向けて回り出す。まずは情報。掻き集められるだけ掻き集め、その中から真実に迫る欠片を抜き出していく作業。もう何度と繰り返したそれに着手する。

 今まで感情をたたえていた瞳から、すっと温度が抜けていく。見据えるのは目の前の夢の世界の管理人ではない。この世にいる矮小な存在。それらとの共存と調和という事態の収束目掛けて、ギンコの視線は注がれていく。ドレミーもその雰囲気を感じ取ったようで、居ずまいを多少正して、ギンコの疑問に淀みなく答えていく。

 

「あの子の記憶に多少なりとも連なりが認められるのはたぶんこの世界と密接な繋がりがあるからよ。自分の半身が見ている夢の中にいるようなものだもの。世界自体が記憶の中から生み出されているのだから、崩壊を乗り越えて記憶が持ち越されていても不思議はないわ。対する貴方は私が招いた、所謂外様。この世界との繋がりが薄い貴方の記憶は世界が終わり、再構築される段階で本当に失われてしまっているのよ」

「なるほどな……保護の時期の差は? お前さんのさじ加減か」

「それについては私も計算外だったんだけど……この世界の主である、かいろう? っていう存在の支配力が思ったより強くてね。貴方をこの世界に招いた後、私はそれ以上の具体的なアクションを起こせなくなったの。声も姿も届けられず、ただ繰り返しを眺めることだけしかできなかった」

「今はそうじゃないようだが」

「きっかけがあったのよ。たぶんあの子……妖夢ちゃんが持ってる東方の霊剣のおかげだと思うんだけど」

「霊剣? 大小の刀のことか?」

「うん。貴方たちがそれぞれあの刀に触れてくれたから支配力に僅かな亀裂が入ってね。こうして姿を見せることができるようになったの」

 

 記憶の保護も同時にできるようになったわ、とドレミーは空中で両手を広げ、くるりと一回転して見せる。裾の広い服がふわりと広がった。

 

「やはり魂魄の家系が突破口か……」

「だからこの状況を打破するためには彼女の剣が必要だと思うのだけど」

「それについては俺にも考えが……ん?」

「……ンコさーん! どこですかぁー!?」

 

 遠く伸びてくる声が聞こえた。見れば大通りの向こうから、声を張り上げて走ってくる人影がある。まだ小さいそれは、おそらく妖夢だろう。ギンコと同じ方を見て、ドレミーが言う。

 

「あの子は自分の自室に戻されるのよ。貴方を頼ってすぐに人里まで降りてきたのね」

「それは手間を取らせたな。どうせすぐ、あいつの家に戻るというのに」

「そうなの?」

「ああ。ちょいと確かめたいことがあるんでね」

 

 じゃあ行くか、とギンコは背中の薬箱を背負い直す。ごとり、と思い音がして、それはなんだか大きな歯車が噛み合ったような音だとドレミーは思った。


















 お久しぶりです。執筆再開のお知らせを活動報告でしてから1週間弱。休載から数えて二年以上。本当にお待たせしました。言い訳はしません。それはこれからの作品をもって、皆様に誠意をお見せしていければと思います。
 これからは仕事をしつつの執筆となりますので、以前のように一日一本投稿はできません。予めご了承ください。第七章は結末まで構想が浮かんでおりますので、週刊連載くらいのペースで投稿できるかと思います。
 さて、久しぶりの執筆でしたが、自分で書いた小説の内容をほとんど忘れているという阿呆な事態に陥りまして、この作品を何度も読み返しました。誤字脱字を直したり、表現の陳腐さに冷静になったりと、自分を黒歴史を見返すような気分でした。かなり恥ずかしかったです。でも、私はやりました。
 皆様もどうぞ。期間が空いてしまいましたので、第七章は初めから読み返すとより物語を楽しめるかと思います。


 こんな作品と作者ではありますが、これからも皆様の良い暇つぶしとなりますようほどほどに頑張ってまいりますので、東方蟲師をどうかよろしくお願いいたします。





 感想、ご意見も引き続きお待ちしております。それでは、また次回お会いしましょう。

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