幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 白玉楼にて文献を紐解き、廻陋の正体を見定めたギンコは、妖夢と白楼剣を切り札に、現状の打開を試みる。






 幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第七章 迷い繰る日 玖

 ざくり、と地面を踏みしめるたびに、一つ遅れて足音が追いかけてくる。山の中腹。淀みなく歩みを進めるギンコの後ろを、白玉楼の庭師、魂魄妖夢がついていく。白玉楼にて廻陋の正体がおおよそ掴めた一行は、直接廻陋を見つけ出すために妖怪の山を訪れていた。

 魂魄妖夢の半霊が廻陋に囚われたことで、本体も夢を通じて繰り返す世界に囚われてしまった現状を解決するために、夢の世界の管理人であるドレミー・スイートが蟲師のギンコをこの世界に招き入れたのがおよそ一週間前。途中ドレミーの保護を離れ、ギンコも妖夢も廻陋の創る世界に囚われていたこともあったが、魂魄の家系が残した廻陋に関する記述を元に、ギンコが現状を解消する方法を見出した今。手をこまねき、ぐずぐずしている理由もなくなった。

 夏の活気は薄れ、くすみ始めた木々の合間を縫うように、冬の訪れを感じさせる乾いた寒風が一行の頬を撫でて緩やかな斜面を下っていく。かさかさと、冬枯れに近づく野山から、何かが抜け出して立ち去ってしまうような、そんな印象の風だった。

 

「ここいらで間違いないのか。お前さんが昨日、実りを求めて歩き回ったところは」

「はいおそらく。天狗に追われながらでしたので曖昧ですが」

 

 妖夢の記憶を頼りに、一行がたどり着いたのは山の中でも特に起伏が激しく、木々も鬱蒼と空を覆う場所だった。くすんだ色の葉に日が遮られ、地面の隆起がより深い陰を落とす。一部の地面は盛り上がり、活断層のごとく地肌を見せつけ、根が露出している。そんな斜面の光景は、さながら大きな生き物の断面図のようであり、それを覆い隠すように、薄く落ち葉が張り付いていた。

 それは今まで見てきた妖怪の山の様子とは違い、どちらかといえば、魔法の森に近いような雰囲気の場所だった。天狗に追われながら身を隠し、山を歩き回ると、自然とそういう場所を選んで通るようになる。山を見守る千里眼に死角はないが、それでも目の届きづらい場所というのはあるものだ。

 日も傾き始め、時刻は昼と夕方の間の、曖昧な領域に足を踏み入れている。繰り返しの刻限は日の入り。日が山の稜線に隠れ、夜が訪れるとともに世界は剥がれ落ちる。それで全てが終わるわけではないが、妖夢は自室に、ギンコは里の大通りにその身を送り戻される事を思えば、余計な時間をかけている暇はないと言えた。迫るその時を思い、ギンコは意気込んだ。

 

「よし、じゃあ手分けして探すぞ。廻陋は暗がりに潜む蟲だ。ここらはその条件にもあっている。花の香りが強くなったら俺を呼んでくれ」

「見つけた後はどうするんですか?」

「……正直気は進まんが、刀を突き立ててみようと思う。何が起こるか、わからんがな」

 

 そう言ってギンコは妖夢の腰に下げられた刀を見た。造りの質素などこにでもありそうな刀。魂魄の家系に伝わる、白楼剣と銘打つそれには、斬った者の“迷い”を断つ力があるのだという。

 ギンコが見出した廻陋の正体。人の後悔に象徴される“迷い”を足掛かりに人の意識を乗っ取ることで、獲物を得る生態がもし正しいのなら、廻陋に囚われた者の“迷い”を白楼剣によって断ち切ることで、廻陋の支配から抜け出せるはず。ギンコはそう考えた。

 

「とにかく、廻陋に対してその刀がなんらかの作用をすることだけは確かだ。試してみる価値はある」

「そうですね。何もしなければ、ずっとここから出られないんですから」

 

 妖夢は胸元に引き寄せた両手で握りこぶしを作る。非常に前向きな意気込みが伝わってくるそんな仕草。

 

「そういうことだ。じゃあ始めるぞ」

「はい!」

 

 そうして二人は二手に分かれて廻陋を探し始める。がさがさと茂みをかき分けて陰の中に足を踏み入れていくと、湿った土の香りがふわりと広がった。

 

 

 

 

 

 枯れかかった茂みを漁り、落ち葉が薄く積もる地面の凹凸を覗き込んで廻陋を探すこと一刻。日が直接差し込むわけでもないここでかく汗は、じっとりと肌にまとわりつく不快感がある。そんな汗が額に滲み、手足はもちろん、服の裾まで泥で汚れ始めた頃になっても、廻陋は未だその姿を表すことはなかった。

 

「ふぅ……」

 

 妖夢は身を起こし、肩を使って顔を伝う汗を拭う。手ぬぐいの一つでも用意してくればよかったと思うが、もう遅い。息をつき、薄汚れた自分の姿を一瞥して、また微かな違和感を探す作業に戻っていく。焦っているのだろうか。自問する。しかし、自答するまでもなく、横合いから声がかけられた。

 

「焦っても仕方ないんじゃない? 妖夢ちゃん」

「ドレミーさん?」

 

 顔を上げ、声がした方を見る。ふわりふわりと風に揺蕩う羽毛のように、軽やかな存在感を主張するドレミーがそこにいた。気まぐれなのか、体の上下を反転し、ひっくり返るようにこちらを見ている。

 ちょうど自分でも思っていたことを言葉にして告げられ、若干面食らった妖夢は、少し考える様な素ぶりをした後、苦笑して答えた。

 

「やっぱり焦ってるんですかね……」

「そうよ。ギンコさんとも離れちゃったし」

「え? あ、ほんとだ」

 

 ドレミーにそう言われ、辺りを見渡すと視界の端の端、山の斜面を降りた先の木々の隙間に、ギンコの白髪がかろうじて確認できた。廻陋を探しているうち、いつの間にか随分と距離が開いてしまったらしい。

 

「見失う前に一声かけてこいって。はいギンコさんから。手ぬぐい」

「うわっぷ、あ、ありがとうございます」

 

 土汚れが目立ち始めた妖夢の顔を隠す様に、ドレミーは少々乱暴に白い手ぬぐいを妖夢の顔に 自分の体ごと押し付けた。妖夢自身では見つけられないだろう顔面の細かい汚れを落とすために、小さな体を目一杯使ってごしごしと擦り上げる。

 急に顔を布で覆われて驚いた妖夢は咄嗟に手ぬぐいへと手を伸ばす。自分の顔から土汚れが移ったそれを手に取った時には、もう眼前にドレミーの姿はない。顔を押さえつけていたはずの彼女は妖夢の頭の上に移動していた。帽子でも被せられたかの様な感覚と同時に、声が聞こえた。

 

「どこにいるのかしらね、廻陋は」

「……さぁ。ギンコさんがいうには花の香りがする暗がりに潜んでいるらしいですが」

「花の香りねえ……」

 

 そう言われて、妖夢の頭の上で姿勢良く座り込んだドレミーは鼻を鳴らした。ふんふんと辺りを嗅ぎまわり、顔を動かすが、すぐに首をかしげる。

 

「……湿っぽい匂いしかしないわ」

「ですよね……でも……」

 

 どこまでも続いている様に見える茂みと木々の連続は広く口を開けて世界を縁取っている。充満する草木の香りは雑多に個々を覆い隠し、山は一つの生き物のようにそこにいた。

 濁った水の中にいる、一匹の魚を手探りするような感覚。徒労感が拭えない作業の向こうから、何かの気配を感じてやまない。妖夢はわかっていた。ここには何かがいること。それが廻陋と呼ばれるものの気配なのかはわからないが、とにかく、ぬらりとした濃密な気配がこの場所に広がっている。

 

「ドレミーさんは何か感じませんか?」

 

 自身の持つ違和感の共有を求めるように、妖夢はドレミーに質問する。

 

「……違和感はあるわ。私の世界のテクスチャーじゃない部分がちらほらと」

「て、てくすちゃ?」

「うーん、空間の肌触りみたいなものかしら。いつも着ている着物の質感が違うと、おや? ってなるみたいな」

「あーなるほど」

 

 期待通りというか、ドレミーも少なからずこの場に何かを感じていたようで、妖夢に同意した。ギンコの言うところの花の香りはしなくとも、ここに蟲、と呼ばれる異形のものがいることは間違いないようだった。

 

「……試しに抜いてみますか」

「抜くって、剣を?」

「ええ」

 

 それはただの思いつきだった。腰に差された小太刀、白楼剣が廻陋という蟲に対するなんらかの作用を起こせるものだとしたら、何か、何か起きるのではないか。そんな程度の考えから、妖夢は刀の柄に手をかけた。

 きちり、と小さく金属の擦れる音がして、白刃が閃くように滑り出る。右手で抜き放つ動作のままに刃を寝かせ、一文字に眼前の風景をなぞった。光を受けずとも、妖しい光を返してくる刀身が明瞭な存在感を突きつけてくる。

 

「……何もないですね。やっぱり」

 

 柄を胸元に引きつけ、刀身に自分を写すように構えた。何の気なしに起こした行動。焦点を刃に合わせ、写り込む自身を見つめる。それが、引き金だった。

 自分はもう少し考えるべきだったのだ。この刀が今まで何をしてきたのか。この世界に対して、どう作用してきたのか。もう少し、もう少しだけ、考えるべきだったのだ。

 

「……!」

 

 気付いた時には遅かった。途端に世界の色が剥がれ落ち、さっきまで確かに感じていた秋の風景は彩を失い、一瞬、全てが静止したように固着した。

 

「い、いったい何が」

 

 戸惑いを隠せない。辺りを見回す。いつの間にかドレミーも、ギンコの姿も見えなくなっていた。

 

「ドレミーさん! ギンコさーん!」

 

 張り上げる声も届かない。いや、響かない。くぐもった声はまるで口元を大きな布で覆われているような響きを残し、自分の耳にすら曖昧に聞こえた。

 心臓の音がいやに大きく聞こえる。自分のものとは思えない。何かの胎内にでもいるかのような反響。いつか感じた気配がぬるりと足元を駆け抜け、背後に抜けていく。同時に景色が遠ざかり、世界が縮んでいった。

 嫌な気配がする。いいや、気配などという曖昧なものではない。これはそう、香り。嫌な気持ち、焦燥、不安の象徴。誰もが抱える、いつかの後悔の念を呼び起こし、増幅する花の香り。

 

「……」

 

 無言のままに背後を振り返る。いつの間にか世界は引き伸ばされ、平坦に均された山の写真の上を滑るように視線が動いていく。花の香りがする。そうして目に映るもの。それに絶句する。

 

「え……? ……わ、わたし……?」

 

 鏡合わせの向こう側。そこに自分自身の姿を捉えた。二人の自分が対立する構図を、なぜか俯瞰的に理解する。白黒の山の風景が平面にされ、円筒状に自分たちを取り囲んでいた。

 得体の知れない自分自身の顔には三つの黒い穴が開いていた。縁の澱んだ、泥でも詰まっていそうな穴。それらはどうも、口やら目を模しているようだった。そうとしか思えない。でなければいったい、その穴から感じる視線の正体はなんだと言うのか。

 花の香りがする。意識の混濁が激しく、まともな平衡感覚が保てない。頭がおかしくなりそうだ。花の香りがする。

 にちゃり、と目の前の自分が笑う。それが合図になって、背後から無数の腕のように伸びてきた陰の塊に、視界も、意識も、すべて飲み込まれた。

 

 

 

 

 

 

「……え?」

 

 ドレミーが異変に気が付いたのは一瞬だった。しかし、それより早く、異変は起こり、そして跡形もなく完了してしまった。

 

「妖夢ちゃん? あれ?」

 

 さっきまで側にいた、その名前を呼ぶ。しかしその声に応える者はいない。もうどこにも見当たらない。

 

「え? ちょ、ちょっとどういうこと?」

 

 疑問の解消を誰に求めたらいいのか。それすらわからない。とにかく一つ、わかること。それは。

 

「ぎ、ギンコさーん!!」

 

 魂魄妖夢が、一瞬のうちに影も形もなく目の前から消え去ったという事実だけだった。

 

 

 

 

 

「……何があったんだ」

「わからない……ほんとうよ! 気がついたら、もう……」

 

 すぐさまギンコと合流したドレミーは事の経緯をギンコに説明する。その説明というのも『気がついたら妖夢が消えた』という言葉以上の情報を与えられるようなものではなく、説明を受けたギンコ以上に説明をした本人のドレミーが困惑しているような有様だった。

 悲嘆し、取り乱すような真似こそしないものの、ドレミーはだいぶ動揺しているようで、意味もなくギンコの周りをふわふわと浮遊して、行ったり来たりを繰り返している。ギンコは妖夢が立っていたらしい地面にしゃがみこみ、落ち葉を一枚、手にとって考えを巡らせていた。

 かさかさに乾いて、葉脈が浮き出たそれを見つめる。具体的に観察を行っているわけではない。その証拠に、ギンコの視線は葉に注がれていようと、焦点は別のところに結ばれているようだった。

 

「……きっかけはなかったか。何か、特別な行動を起こしたような何かだ」

 

 目線を動かすことなく、静かに、ギンコはドレミーに尋ねる。せわしなく宙を彷徨っていたドレミーを捕らえるように、重くにじり寄ってくる響きに、動きを止め、少し考えたドレミーはそっと答えを口にした。

 

「妖夢ちゃんが剣を抜いてみようしたわ。腰に刺してあった方」

「白楼剣を?」

「うん」

「……やはり白楼剣には廻陋に対するなんらかの作用があるのか」

 

 白楼剣を危険視する廻陋が、妖夢が行動を起こす前にそれを封じるために襲ってきたと考えれば一応の説明はつく。ギンコは目を凝らし、周囲を観察したが、廻陋と思しき蟲の気配を辿ることはできなかった。

 

「お前さんにも、どこに行ったかわからないのか? ここは一応、お前さんの管理する夢の世界でもあるんだろう?」

 

 立ち上がり、辺りを見渡しながらギンコは問う。ここは廻陋とドレミーが支配権を争う夢と記憶の世界。ならば妖夢の行方を、ドレミーならば探れそうなものであったが。

 

「……残念だけどわからないわ」

 

 返ってきた答えは期待に応えるようなものではなく、目を伏せ、ゆっくりと首を横に振りながら、ドレミーは申し訳なさそう呟いた。

 

「そうか……」

 

 蟲の気配もなく、ドレミーにも妖夢の気配は探れない。そうなるともう、ギンコにできることは何もなかった。

 悔しさ、焦燥感といった感情は不思議と湧いてこなかった。ただ、どうすることもできない無力感だけがしとりしとり、と全身を包んでいる。風に揺られ、ついには枝から脱落する一枚の葉のように、いつまでも青々しく、息をし続けられることもない。いずれは地に還り、解けるように終わる。それは必然で、そこに喜怒哀楽は介在しない。どうにもできないことは、往往にしてあるものだ。例えるなら、そんな気分だった。

 見捨てたいわけではない。諦めたいわけでもない。だがどうしようもない。廻陋に対する唯一の手段と考えていた刀も、それを扱える人物も、もういない。手詰まり。冷たい質感の岩石が、行く手を塞ぐ洞のように、試みは八方塞がりの様相を呈していた。

 

「どうしようか……」

「……今、考えている」

 

 それでもギンコは思考を止めずにいた。それだけが現状できることだった。何か、まだ何かないのか。しかし、空転する。想いがはやり、確かな何かが導かれることもなく、ただ重苦しい沈黙だけが、ギンコとドレミーの周囲を満たしていた。

 そんな沈黙を破るように、大きな音が鳴り響く。

 硝子を砕くような音、錆びついて立て付けの悪くなった扉をこじ開けるような音。唐突に始まったそれらに、確かな絶望をもって反応したのはドレミーだった。

 

「まずい! 世界が崩れ始めた!」

「なんだと?」

「ここは私と蟲の領域に橋渡しされていた灰色の世界よ。妖夢ちゃんという要石が無くなった今、この世界は完全に廻陋によって閉じられようとしている!」

「閉じられるとどうなる」

「強制退場よ。貴方は眠りから覚め、私は自分の領域に戻される。そしてもう二度と、廻陋の世界に干渉することはできない……」

「! ……くそっ!」

 

 ギンコは歯噛みする。世界の崩壊は明確な音の洪水となって、押し寄せてくる。

 いつか見た終わりの光景。世界が一枚の写真のように引き延ばされ、破れていく。そうして剥がれ落ちた風景の向こう側から、全てを飲み込む闇が顔を出す。

 そうしてギンコの感情が追いつき、やっと悔しさらしきものを感じ始めた時。全ては終わり、世界は外れ、夢の世界は閉じていった。

 後には何も残らない。べりべりと引き剥がされた精神は一瞬、引き延ばされるような不快感を覚えた直後、ろうそくの明かりを吹き消すように、呆気なく、舞台から降ろされた。



















 はい、皆様お久しぶりです。言ったことを守らない人間、柊 弥生です。……お待たせしてしまい、本当に申し訳ありません。十月に入り、仕事が佳境に入ったのでなかなか執筆の時間が取れず、更新が遅れてしまいました。(……今度こそ更新頻度上げられるかもです。小声で言っておきます)




 さて、この第七章ですが、おそらく後二話(もしくは一話)で完結できるかと思います。長く、本当に長くかかりましたがお付き合いいただけている皆様には感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
 次章の案もすでに考えており、最近は幻想郷に呑まれ、順応力と万能感が増し増しなギンコさんですが、次は初心に帰り、蟲師寄りの演出と雰囲気に主眼を置いた回を書こうと思っております。神霊廟の面子が出てくると思います。たぶん。



 それでは、また次回お会いしましょう。

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