幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 蟲患いの治療のため、ギンコは魔理沙と霊夢の力を借りて、温泉を目指す。

 ここから東方の世界観に寄っていきます。クロスオーバーらしくなってはくると思いますが、面白くなっているのかどうか。それでは。



幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第一章 骨滲む泉 漆

 妖怪の山の麓。木々を避け、山に立ち入らず、大きく外回りを迂回する獣道がある。道というにはあまりにもお粗末な、青々とした雑草が生えそろう荒れ野を、静々と進む一群があった。

 

「はぁ……はぁ……」

「お兄ちゃん、大丈夫?」

「頑張れよ。妹さんのためだろ」

「はぁ……ああ……言われ、なくても……!」

 

 少女を背負った若い男に、ギンコは励ましの言葉をかけた。緩やかな上り坂は、想像以上に体力を削り取っているようだった。青臭い湿気が鼻をつき、汗で張り付いた衣服が不快感を煽る。日も傾いてきたというのに、気温は高いままだ。背に太陽を背負い、ギンコは道無き道を進んでいく。

 ギンコの前には、人一人を負ぶって歩く男たちが列をなしていた。中には自力で歩いているものもいるが、蟲患いで一部の関節が曲げ伸ばしできない患者を背負い、山間部にある温泉を目指しているのだ。温泉に浸かれば蟲は体から離れ、症状は改善されるとギンコは言う。その言葉を信じ、患者の親族が中心となって、治療のための行軍を続けていた。

 列の先頭を歩くのは里の寺子屋に勤める教師、上白沢慧音である。温泉のある山間部を目指す以上、妖怪との遭遇は避けるべきことであり、慧音はその遭遇率を最も低くする道を知る者として、先導を任されていた。

 ちらりと慧音が後ろを振り返る。最後方にいるギンコが手を上げて、脱落者がいないことを合図する。その合図で慧音は再び前を向き、歩みを再開した。

 

「ギンコ。大丈夫か?」

「ああ。大丈夫だ」

 

 上空から、箒に跨った魔理沙がギンコの隣に降りてくる。ふわふわと宙に浮く魔理沙を眺め、不思議なもんだとギンコは呟いた。

 霊夢が飛べることは出発前に知っていたが、魔理沙まで飛べるとは予想外だった。飛べるなら、なぜ自分と徒歩で里を目指したのかと聞けば、歩くのは歩くので楽しいから好きなんだと答えが返ってきた。

 

「便利なもんだな。この世界は」

「ん? 飛べることがか? 結構簡単だぜ。ギンコも修行するか?」

「……いや、遠慮しておこう」

 

 魔理沙に持ちかけられた魔法使いへの道を、ギンコはやんわりと断った。過ぎたるものに手を伸ばすのは破滅への一歩だ。得体のしれないものなんて、自分の左目に抱えたものだけで十分だと、ギンコは思った。

 草の根を踏み分けて進み続ける。右手の方には緑の大山があり、太陽の光を飲み込む深い緑に覆われている。これが慧音のいう妖怪の山か、とギンコはあたりをつけた。

 空を飛んで警戒し、里の人間を守っているのは魔理沙だけではない。ギンコと並走している魔理沙に向かって、もう一人の用心棒が、上空で声を張り上げた。

 

「ちょっと魔理沙。自分だけ色男とお話ししてサボるんじゃないわよ」

「うるさいな。ちゃんと見てるよ」

 

 どうだかね、と霊夢は辺りを見渡した。

 空は青い。今の所人間の害になりそうな輩は確認できない。このまま何事もなく進んでくれれば面倒もなく、自分は一週間の贅沢を確保できると垂涎(すいぜん)した霊夢だったが、そう上手くはいかないのが世の常であった。

 一陣の風が吹く。荒れ野に伸びた草が風の形を描き出し、霊夢は妖気の到来を肌で感じた。

 一行の足が止まる。皆、風と共に現れた存在に目を奪われた。太陽に照らされて浮かび上がる。眩しさをこらえて目線を上げると、見えてくるシルエット。その姿を見て、誰ともなく、ぽつりと言葉を漏らす。

 

「……天狗様だ」

 

 ギンコも、目の前に現れたものが人ではないことはすぐに理解できた。外見は少女に相違ない。しかしギンコの考える少女には必要ない付属品が、そのものにはついていた。

 背中から生える一対のそれ。艶のある黒を呈する、空を翔けるものの象徴。距離があっても良く聞こえる、妙に響きのある可憐な声が、鼓膜を揺らした。

 

「おやおや。こんなところに人間がぞろぞろと。行脚(あんぎゃ)でも始めたのですか?」

 

 漆黒の翼を広げ、青空に影を作り、現れたのは鴉天狗。八手(やつで)団扇(うちわ)を持ち、底の高い一本下駄を履くその姿は、なるほど伝承に伝わる特徴は備えているようだった。

 ギンコの隣で、魔理沙は苦虫を噛み潰したように眉を寄せて、吐き捨てた。

 

「出やがったな」

「なんだ、ありゃ」

「山の天狗。こういう時一番に飛んで来るんだ。実害はないけど、絡まれるとしつこいし面倒臭いんだよ」

 

 顔を上げて空を仰ぎ、上空の影を見つめる。天狗と呼ばれたそれは、浮いているのに羽ばたく素振りは見せない。あの羽は飾りなのかね。ギンコは目を細めた。

 

「そいつはまた、蟲みたいな気性のやつだな」

 

 羽を持たぬ人間たちは、地上で固まり、口々に不安の声をあげていた。中にはお経らしいものを唱えている者もいる。天狗という存在がそうなのか、あるいは、妖怪全部がそうなのか。人間たちの畏敬の念が、天狗という少女に向けられている。今までも自然に向けて祈りを捧げる人間たちは見てきたが、それと同じものをギンコは感じていた。

 空を行く天狗が霊夢と相対する。それを見て、慧音が皆を促した。

 

「みんな。あと少しの辛抱だ。もうちょっとだぞ。頑張れ!」

 

 慧音の声に背を押され、人間たちは恐る恐る歩みを再開した。天狗を伺い見てゆっくりと進んでいくその様を見下ろして、天狗は霊夢に語りかける。

 

「で? あれはなんです?」

「ちょっとした遠足よ。山に入る気はないから、気にしないでくれるかしら」

 

 天狗は山を支配する妖怪だ。他の妖怪はもとより、人間が山に立ち入る際も厳重な監視の目を緩めることはない。今回も山に近づく人間の存在を感知して、ここに現れたのだろう。気にするな、という霊夢の言葉に対し、天狗の少女はからからと乾いた笑い声をあげた。

 

「それはそれは。こんな炎天下の中、道ならぬ道を大の大人が人一人背負って遠足とは随分スパルタな行程ですね。あ、スパルタと言うのは外の言葉で、”拷問に近い修行”と言う意味ですよ」

「聞いてないし。興味ないわよそんなこと」

 

 嘆息する霊夢に、顔面にぺったりと作り笑いを貼り付けた天狗が続けて言う。

 

「こっちは興味津々ですよ。一行の先導は里の半獣。対空監視は博麗の巫女。そして後方支援に魔砲少女。これだけの面子を揃えておいて、まさかただの行楽なんてオチはないでしょう。最近話題の流行病についての諸々ですか? もしかして、感染源を廃棄するために死体を捨てにきてるとか?」

 

 だとしたらどうなるのか。そこまで考えて、霊夢は目の前の天狗を見据えた。

 相も変わらず、飄々とした雰囲気に、可愛らしい笑顔を浮かべている天狗。腹の底にはどんな思いが渦巻き、その笑顔の裏にはどんな本性が隠れているのか、今をもって霊夢に知るすべはない。ただ一つ言えることは、もしここで、そうだと答えれば、きっと肝が冷えることになるだろうとは思った。

 

「私も詳しくは知らないわ。こっちはご飯のために働いてるだけだし。詳細が気になるならほら、そこの白髪の色男に聞きなさい」

 

 霊夢が顎だけで示したのは列の最後尾。霧雨魔理沙ともう一人。天狗をして見慣れない白髪の男がいた。遠目からでもわかる異質さに、天狗は少々驚いた。

 

「これはまた。随分と妙な人間がいたものですね。ああいうのが好みなんですか?」

「悪くはないけどね。目を惹くことは確かだわ。それに、なんか”ズレてる”し」

「ははあ。それで色男と。なるほど納得です」

 

 次の瞬間、天狗の姿は霊夢の前から消失する。

 

「もし、そこの人間さん」

 

 瞬きもせぬ一瞬のうちに、天狗はギンコのそばに降り立っていた。

 

「うおっ」

 

 驚き、背を反らす。しかしギンコのそれより、妹を背負って前を歩いていた男の方が、大きく短い悲鳴を上げた。ギンコは立ち止まり、天狗の少女に焦点を合わせる。

 毛先に少し癖のついた、短い黒髪が風に揺れる。ギンコにとって、妖怪との遭遇はこの世界に来てこれが初めてになる。知識は曖昧だが、しかしギンコは確信していた。

 

「こんにちは。もうそろそろこんばんはですかね? とにかく、ちょっとお話よろしいですか?」

 

この少女は、今までとは一線を画す存在だ、と。




















 幻想郷の地理はあまり当てにしてはいけません。何しろあのスキマ妖怪が管理している幻想の庭なのですから(言い訳)。
 この休みで是非とも完結へ導きたいものです。頑張ります。



それではまた次回。よろしくお願いいたします。




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