天界など、存在しない。
空には雲があり、オゾン層があり、その上には宇宙がある。雲は血などは吸わないが、天界を作りもしない。
しかし、この世界は違う。黄金の雲を抜けると、普段なら天使達が飛び交う都市がそこにあった。
金色に輝く街の景色、その中心に位置する大天使が住まう神殿。しかし、徴兵を受けている天使が多いのか街を繋ぐ通路に天使の影はなく、神殿を守る天使のガーディアンがいるくらいだ。
大天使への守りは固く、まるで天界全ての圧力が大天使の側近に固まっているようだ。リネアに誘われ大天使の所へ向かおうとすると、天使のガーディアンが行く手を阻む。
「待った。ここから先は通さない。」
「なんで?私の招待客なのにダメなの?」
「ダメ。別にリネアが通るのは自由だよ。でも、人間なんか通す訳にいかないよ。どうしてもなら、私達を倒してから進みな。まあその時は、リネアが堕天したってみんなに知らせるけどね。」
「は!?何で私が堕天したことになるのさ。そんなのフライの勝手な戯言じゃん!じゃあどうすればいいの?」
「だから、通っちゃダメだって。」
「………。」
リネアと、門番の天使であるフライが揉めていると、辺りの天使が何事かと集まってきた。
戦わずして勝つ。元々フライという少女は戦う気などない。彼女を上手いこと言いくるめるのに慣れているんだ。そんな気がする。
とにかく、このままではラチがあかないので私が間に入る。というか、元々頼んだのは私だ。私が出ないで誰が出るのだろう。
「…あなたは?」
「宇佐見蓮子。ごめんなさい、彼女に頼んだのは私なの。私達は今怪物探しをしていて、その怪物を探さなきゃ、私達の世界に災いが起きるかもしれない。それで彼女に聞いたら、大天使様のところへ行けば何か知っているかもって…」
私が釈明し始めると、彼女は私達に、下等生物がと言わんばかりの冷酷な眼差しを向けた。冷たい眼を前にして恐れをなしそうになるが、そんな眼は浴びせられ飽きているはずだ。勇気を振り絞り、話を続ける。
「私が神殿へ入れぬのなら、あなた達が聞いてきてください。答えが得られれば、私達はそれで帰ります。」
「…何?つまり、人間の分際で私に命令しようって言うの?死にたいの?」
フライは氷のような冷たい瞳で、私を睨みつける。彼女は見ての通り、人間と天使で随分と態度が違う。天使にとって人間など、そんな哀れみの眼で見られるような存在でしかないことはよく分かった。
でも、引き下がるわけにはいけない。これもにとり達のため。彼女の故郷の終末など、黙って見過ごす訳にはいかない。その為にはなんとしても、大天使に会わねばならない。
「…もういい。私一人で交渉してくる。大天使様が良いと言えば、フライも納得するでしょ?最悪、怪物のことだけでも聞いてくるよ。」
リネアが私達にちょっと待っていてと城内へ足を運ぶと、フライは必死になって彼女を止めた。
「…何?リネアはあんな下等の連中の言うこと聞くわけ!?あなた、人間達が何をしてきたか知ってるの!?同族を殺してまで紙きれを集めて、その紙きれ一つで何もかもを捨てちゃうような連中だよ!?」
フライは凄い形相をしていた。天使とは思えぬ彼女の怒り、それは私達にもひしひしと伝わってくる。
リネアは彼女が後に吐く人間に対する罵倒を、ひたすら黙って聞き続ける。天使に対する人間のイメージはどれもこれも図星すぎて心が痛くなってくる。
そして最後に彼女は、そんな愚行をしてきた人間を信じるなど、堕天などの方がよほど潔癖であると吐き捨て、もう勝手にすればと涙を流す。
なんとなく、私が悪いことをしているような気になる。私も、あまり無理をしてまで人から物を聞くのは好きではないので、大人しく引き下がることにする。
「…もう良いよ。」
「え?」
「だから、もう良いって。別に拷問してる訳じゃないし。もう行こ。」
フライに背を向け、天界への出口へと向かう。なんか門前払いにされちゃったねと言うスミの声に、彼女達には彼女達の都合があるのだから、つべこべ言わないと注意する。
リネアも、なんだか悪かったねと私に笑いかけてきた。
「なんかさ…天使って、あんな奴らばっかなんだよ。人間と悪魔が大嫌いで、頭も固いしさ。ほら、私もそうだったでしょ?」
「うん、そうだね。」
天使と言えば、誰にでも笑顔で優しいと言うのは人間の空虚な妄想にすぎないらしい。リネア曰く、彼女やフライは「キューピッド」と言う狙撃隊らしく、扉の奥の大天使達に仕えているらしい。
スミが、人間の会社で言う上司と部下だねとどきつい言葉をぶつけてきて、とても気が悪くなる。レイクロクは、魔界兵の二等兵と中尉くらいの違いかな?と似たようなことを言ってくるが、そちらはあまり気にならないのは、多分リアリティの違いだろう。
「…ま、待って!待ちなさい!」
私達が天界の門をくぐり、天界から地上へ降りようとすると、フライは私達を呼び止めた。
「解った!通せば、通せば良いのでしょう!それで満足したら、さっさと帰ってくださいね!」
「いや、別にいいよ。リネアを堕天させたくもないし。」
「もういいんです!そんな親友を売るような真似、できるわけないでしょう!?」
天使は、とんでもないツンデレ集団のようだ。こんな天使に恨まれる人間が普段何をしているかは、恐らく見ての通りだろう。
彼女が塞いでいた先は、限りない白が埋め尽くす美しい空間になっており、彼女らには失礼だが、リネアやフライの何倍も美しい羽根を生やした天使が玉座に座っていた。
天使が放つ、暖かい瞳。その美しい表情は私達への許諾。リネアやフライの認めた人間ならばというような許しの瞳。
しかし、私達が置いてきた世界ではそんな瞳を許さぬ少女の冷え切った眼差しが辺りを包んでいた。
「…あなたは食べても良い人類、ですか。逆に聞きましょう。あなたは殺しても良い妖怪ですか?」
夜の闇が辺りを包む、神々の愛する世界。夜の温度すらも冷やす鋭い瞳に、赤く幼気な瞳が冷える。
その瞳の主の胸ぐらを掴む、冷たい瞳の主。ルイズの目は私を拘束したときと同じ色に染まっていた。
「ごめんなさい、私が悪かったから…こんなに強いなんて…」
「飛んで火に入る夏の虫、ですね。あなたはさぞ幸せな人生を送ってきたのでしょう。戦い方が甘すぎます。」
冷えた眼に冷まされる紅の眼には、一筋の涙が流れる。先ほど排除しにきた妹紅という妖怪の方がよっぽどマシと吐き、冷たい瞳のままで彼女を睨みつける。
「も…妹紅を倒したの?じゃあ、妹紅は…」
「殺しちゃいませんよ。と言うか、不老不死のバリアで守られた彼女の命を奪うなど不可能に近いことです。気を失わせただけですよ。さて…そろそろ本題に入りましょうか。あなたは、この世界に蠢く影を…人造の妖怪のことを知っていますか?」
彼女の胸ぐらを引き寄せ、逆らえば殺すと言わんばかりの冷たい声を彼女に浴びせる。月は強く輝き、彼女に迫り来る闇を塞ごうと必死になるように光る。
彼女は殺されるかもしれない、と言う淡い絶望を秘めながら、必死に口を動かす。
「人造の…妖怪なんて知らないわ。そもそも…この世界の人間にそんな技術はない。紫さんなら知ってるかも…あと、そういえば寺子屋でけーね先生が…幻想郷が外の世界から完全に切り離されると危険だから、そんな予兆を見つけたら教えてって…」
彼女のライフラインになる証言。その一言を前に、冷たい瞳はさらに赤い瞳に氷を溢れんばかりに注ぐ。彼女の赤い瞳は氷が溶けて水かさが増し、とうとう外に漏れ出した。
終いには、本当だってと嗚咽交じりの声を混ぜ、彼女は妖怪にあるまじき醜態を見せる。そんな彼女を前にして、ルイズは一つの古い思い出を追憶する。
瓦屋根の家が建ち並ぶ住宅街、街の雑踏と、駅から聞こえる汽車の汽笛。彼女は女学校の帰り道、これからの時間に希望を抱いていた。
母親には、帰りに人参とトマトを買ってくるように言われ、ついでに好きな物を買って良いと、少しばかりお小遣いを貰った。
彼女はそのお小遣いで、帰りに駄菓子屋にでも寄り道しようと思っていた。明日にはトウキョウへ旅行に行く予定であった。
しかし、その次の日に悲劇は起こる。彼女の旅路は一瞬で血祭りへの参道と化した。
血の装束を身につけた殺し屋。台詞は、ついでだからお前も殺す。その声の元、彼女は女学校の制服を血で染めた。
彼女は、まるで自分が殺し屋のそれをしているように錯覚し、彼女の手を放す。普段は息を吸うように冷酷に処刑を行う彼女であったが、この瞬間だけは違った。
「そんな話、妹紅という妖怪からも聞きました…くだらない。妹紅とあなたの話を聞いている限りでは、その紫という女も信用に欠けます…やはり、人造の妖怪はもう幻想郷にはいませんか。もう一つだけ聞きましょう。メトロポリスと魔界以外で、幻想郷と関わった異世界は知っていますか?それを答えれば、神綺様の命令なくしてあなたを殺すようなことはしません。」
妖怪、ルーミアは怯えながら、彼女を優しく照らす月に手を伸ばす。ルイズはそれを見て、ルーミアの胸ぐらから手を放す。胸ぐらを押さえて過呼吸になる彼女を差し置き、ルイズはわかりましたと呟き、腕時計を使って幻想郷から離脱した。
幻想郷の綺麗な夜空には、黒い雲がゆっくりと、しかし確実に近づいていた。