慣れぬ暗闇、まだ真昼だというのに狭く暗い座敷牢は闇に閉ざされ、格子から漏れる一縷の光ならばいとも簡単に飲み込まれてしまうほどだ。
これだけ頑丈な牢屋に入れてあるから平気と思っているのか、流石に部屋の中では縛られることもなくて両腕はフリーだ。しかし外には監視の月兵もいて、彼女は座敷牢の近くにある机に正座して仕事をしている。
兵隊の女の子は黒く長い髪を持っていて、年齢も私と大して変わらないようだ。一度話してみたいが、今朝にお縄を頂戴して依姫さんに挨拶に行かせられたきり、彼女とは口も聞いていない。
今朝、私は正座で眠っていたところを彼女に起こされ、牢屋の鍵を開けられて外に出るよう命令された。
私が出ても何も言わず、私はしばらくの時を彼女に睨まれ続けながら過ごした。逃げようものならその場から逃げられたかもしれないが、ここは屋敷の中。ドラマやゲームでよくある「囚人が逃げた矢先で殺される」を思い出し、私は踏みとどまった。
それから数分後、私が何を要求されているのかを探っていると、急に彼女は私に話しかけてきた。
「どうしたの?お縄を頂戴します、でしょう?」
「あ…はい。じゃあ…」
「駄目。両腕の力を抜いて、身体の横に垂らしなさい。」
「…はい。」
…そっか。そうだよね。囚人が牢屋から出たら、逃げないように捕まえてなきゃいけないもね。彼女の命令に逆らうことなどできず、私は両腕の力を抜いた。
「…お縄を頂戴します。」
「よろしい。」
両腕が後ろに組まれ、そのまま私は昨日のように厳重に縛られた。縄の感覚が痛いほどに食い込み、キツいと言った表情をすると、これから毎日私か他の牢番が出したら、ちゃんとお縄を要求するのよと忠告された。
そしてそれからは、依姫さんに縛られたまま土下座をし、散々冷たい罵声を浴びせられた挙句にここへ引き戻され、少しばかりの朝食を食べて今に至る。
「…何?ちらちら見ないでくれる?」
「いや、その…」
彼女の冷酷な目線に、桃色の軍服が彼女の美しさを引き立てる。軍人にするなど勿体無いほどの美しさ。彼女は命をかける軍人などよりも、お見合いを待っている方がよっぽどそれらしい。
「あなたのこと、臨在の君はずいぶんと悩んでおられるそうよ。」
「臨在の君…?」
「帝の侍従よ。帝からの命で、貴女達囚人の裁判官もしているの。私や他の兵隊はせいぜい晒しと敲の後で永牢が妥当だと思っていたけれど…」
「晒し…敲…?」
「住民の前で縛りあげて一日中晒し、その後で数百回木の棒で血が出るほどに殴りつけた後で死ぬまで座敷牢が妥当、と置き換えてもよし。」
「そんな……」
彼女の説明を聞くと、恐怖で震えが止まらなくなった。炎天下の中で、私の醜態をいつまでも老若男女問わずにざわざわ噂などされながら見続けられることなど、私の自尊心が粉々になってどうにかなってしまいそうだ。
だからと言って、どうせ逃げようものならば殺されてしまうだろう。それならば、もう一生を檻の中で過ごすしかない。
「…お姉ちゃん。」
分かっている、きっと姉は助けてくれない。私がひたすら暗闇に身を堕としていく彼女を救ったことなど一度として無いから。自分が助けたこともない相手に助けを乞うなど、綺麗に作り込まれたシナリオの中でしかあり得ない。
そんなシナリオの中では主人公がか弱いヒロインを助けて救われるが、現実は非情なギブアンドテイクの世界。主人公のことを何一つ救わぬヒロインが主人公に助けてもらうなど、ヒロインの都合のいい空虚な妄想の中でしかあり得ない。
いや、あの世界の主人公とヒロインは、まだ互いが求め合っているだけ救う意味がある。しかし、主人公はモブキャラAを助けることはない。いかに正義を名乗ろうが、勇者はスライムやドラゴンの腕を掴むことなどないのだ。
相互関係であるか必要であるか、そのどちらでもないのならよけいな障害物であるとして無慈悲に消し去る。ならば、私はどうだろうか。
姉は助けを求めていた。あの時もあの時も。なのに、私は一切その手を取らなかった。
「ねえ、菫子のお姉ちゃんって今は何してるの?スミと3歳違いだから、今は高校一年だよね?」
「うん…普通のお姉ちゃんだよ?普通の…」
実際には姉は獄中だった。しかし、私は彼女に蓋をして面会にすら行かなかった。
要は私は、「自分の身の回りがお花畑ならそれでアンパイ」というタイプなのだ。臭いものには蓋を、面倒ごとには背を、それが私のライフスタイル。
まさかこんな形で責任を取らされるなんて。気がつけば私の顔は涙で汚れている。霊夢さんと関わって、幻想郷に幽閉されて、龍也に命を狙われて…
解っていたはずなのに。今頃私を見て、天国の霊夢さんはどんな顔をしているのだろう。
「…黙って。仕事ができない。」
格子に腕をかけ、私を睨む月の兵隊。私はそれに気づき、ごめんなさいと頭を地につけて謝る。
「まったく、あなたみたいに逃げ回ってる奴は大嫌い。悲観的に考えることは当たり前でも、残酷だからと現実から逃避することだけはやめなさい。まだ極刑かどうかなんて解らないのだから。」
彼女に宿るブラウンの瞳。その瞳は何故だか辛い過去を映し出しているような気がした。
「…春秋。」
「えっ?」
「刻灘春秋。私の名前。汚れ物に名前を名乗るなんてしたくなかったけれど…何も言わなくて良いわ。黙って胸の奥にしまっておきなさい。」
「…分かりました。」
何も知らない。自分には関係ない。やはり、まだどこかで私は現実から逃れようと必死になっている。
非情な現実から目を背けてはならない。口で言うことは簡単だ。しかし、トウキョウの世界に現実逃避をしない人など、本当に一握りだろう。
だからこそ、人々は「遊び」の文化を生んだのではないか。時を忘れたのではないか。
だが、それはあくまでその一握り以外の一般人の話。私は、逃げっぱなしだ。
そして運命は、彼女と酷似する人間の情景を別の少女に見せつける。街の一角、そこにリネアとにとりは身を寄せ、弓の名を持つ少女に巡り合う。
「…そうですか。それはお気の毒に…」
少女は綺麗な着物を着て、ひたすらに茶筅を回して抹茶を作る。私、河城にとりは別にお茶をすすりに来たわけでもなく、くつろぎに来たわけでもない。しかし、居合わせる客は、私達に彼女の茶は一回飲んでみた方が良いと勧める。
抹茶ならば、幻想郷では阿求のお茶が美味しいと評判だ。彼女は、人生はこのお茶と同じで、暖かいのは刹那の一時のみと話していた。長く生きることは、お茶を放っておくことに同じ。だからと、幾度も死して生まれ変わることは、お茶が無くなる悲痛さを幾度も経験するに同じ。
刹那だからこそ楽しい命であるのに、何故彼女は私と同じになることを望むのか。
…死を知りながら生きるほど、つまらぬ生き方はないと、何故彼女は解ってくれなかったのか。
「彼女」って、誰のことだったのかな。
「…ごめんなさい。私には手伝えることは何もありませんが、ご友人の罪が軽くなることをお祈りします。」
着物を着た少女は、私の前に抹茶を差し出す。せっかく淹れてもらったのでと口に含むと、なんとも言えぬ美味しさと適度な熱さが口を支配する。
「いかがですか?」
「…結構なお手前で。」
「ありがとうございます…宜しければ、甘味などないかがですか?」
「ああ…うん。ありがとう。でも、良いや。」
お茶の良さもあるかもしれないが、他のお茶とは比べ物にならぬほどの美味しさだ。何より、彼女の手さばきが良いのだろう。
「…何?この青汁。」
「青汁って…お茶だよ。」
「お茶……?こんな碧いのに?」
この街に似合わぬ金髪の天使がお茶をマジマジと見ているので、何かと聞いてみたら、初めて見る液体に戸惑っているようだ。
私が教えてあげても、しばらく彼女は目の前の液体と睨み合いをしていた。それから数分経って彼女は液体を飲み干し、彼女は一言美味しいと答えた。
それにしても、彼女はこのお店を一人で切り盛りしているのだろうか。いや、まだ彼女は未成年だ。流石に両親はいるだろう。
ならば、両親の方々にも挨拶をしておきたい。私は複層的にこの街の人で通せるし、リネアに関しては外国の人、で通るだろう。
「そういえば、このお店はご両親がやってるの?お手伝い?」
「いえ、私のお店です。母のお店を私が継ぎました。」
なるほど。と言うことは、彼女のお母さんも認める腕なのか。年齢からしてもまだ生きているだろうし、今は他の仕事をしているのだろう。
「そっか。お母さんは?是非お母さんにも挨拶を…」
「母は…亡くなりました。月の兵隊に処刑されたのです。」