「パスワードは、ZERO-infinity!」
聞き慣れた声が聞こえると、私を眠らせようとしていた何かが溶け始める。次第に身体も動くようになり、自由がきくようになった。
その声の主は目の前にいた。トアと同じ服を着た碧髪の少女はトアの前に立ち、彼女をじっと見つめる。
しばらくの沈黙が、月の温度を更に黒く染める。全く同じ服を着ているにもかかわらず、思うことは全く別。その光景は、何も知らぬ人間が見れば、歪な光景と思われて仕方ないだろう。
「何で、こんなことするの?」
彼女の質問の前で、呆れたというような顔をするトア。自由が利くようになったのか、リネアや鈴仙も立ち上がって、碧い髪をした彼女のことを見る。
「…ガキには解らないのよ。」
鼓石の問いに対して、トアは苛立ちとも取れる表情で彼女を睨みつける。
聞けば、悪用防止の為にスリープ・ジェイルはパスワードの変更が効かないように設定されているらしい。元々、侵入者に対して使うための防犯アイテムであり、相手側にメトロポリスの人間がいては、スリープ・ジェイルは使えない。
鼓石はそれを知っていた。まあ、メトロポリスの人間ならば当たり前だが。
彼女を前にして、トアは苦虫を噛むような顔をして城の中へと消えた。鈴仙はすぐに負わねばと言って立ち上がるが、先ほどの傷が応えたのか、その場ですぐにしゃがみ込む。
鼓石が手を差し伸べると、彼女は誰が侵略者の手先なんかに、と手を振り払った。
「…あのバリア、本当に破る手段はないの?」
しばらくの沈黙の中、鈴仙は鼓石に質問を投げかけるが、彼女は無いよ、と申し訳なさそうに即答する。
彼女の返事に対して鈴仙は舌打ちをして、どちらにせよ彼女達を止めねばならないと言って立ち上がる。
街には、もうロボットは居なくなっていた。代わりに、城の方で誰かの悲鳴が聞こえる。
生まれ変わっても許さない。彼女の瞳はそんな色をしていた。どこまでも赤い血色の眼差し。月での生活が幸せであるかという質問を私はしたが、それは愚問であったようだ。
だが、それは鼓石も変わらない。彼女も、自分の故郷を愛していて、また彼女の愛しい人がその世界にいることは変わらない。
それを彼女は解っているようで、別にあなたの仲間の全てがこんな風という訳ではないのでしょうと、彼女は顔を見せずに呟く。
「もういいや…あなたのことは。早く行きましょう。」
「うん…ごめんね。」
鈴仙の捨て台詞に反応する鼓石を背に、鈴仙は月の都へ駆け出した。負傷状態のリネアを背に、私と鼓石も共に走り出す。
しかし、私達のそんな努力は無駄と化すことを、私達はまだ知らなかった。
トアは既に兵隊長である依姫に接触していた。依姫はトアのアビリティ・ライフを前にして挫折し、彼女は依姫に手を伸ばす。
「さて、手荒なことをしたことは謝ります。しかし、これも我々の科学の為。不死の薬さえ頂ければ、他の物は結構です。」
「…不死の薬?不死など、メトロポリスにとってはもはや不要であると聞いたけれど。」
「口答えは結構。良いからさっさとよこせ、ぶっ殺すぞ。と言い換えてもよし。」
「うっ……」
トアは刃物を依姫さんに突きつけ、始めにと彼女の右腕を切り裂く。あれだけ強がっていた依姫さんがいとも簡単に涙を流すシーンを見て、月の兵隊達は皆凍りつく。
彼女のか弱い姿を見て、もう渡してしまおうと言う月の兵隊の声が次第に強まる。別に帝の命を要求されている訳でもないし、そんなものは腐るほどあるからと言った理由らしい。
「そんな…!ダメよ!あなた達、月の兵隊としてのプライドはないの!?敵の要求を呑むなんて…」
「…これでいいか。さっさと帰れ。」
投げ込まれる小さな袋。トアはそれを受け取り、腕輪を通して解析する。
「ふふ、ありがとうございます。不死の薬、確かにいただきました。」
街からロボットが消える。ロボットと共に消えるメトロポリスの人間達を何も言わずに見送るその男は、どこかあの物語の男を思わせる雰囲気がある。
「ふん。帝や城内を騒がせる割には、大した物を欲さないな。いや…まだネズミは紛れ込んでいるか。」
彼が指を鳴らすと、私は再び春秋に縄で縛られた。始めから言ってあるから、あまり悪く思わないでねと彼女が呟くので、私は彼女に対して何も言えない。
「ねえ!メトロポリスが消えたからって、いくら何でもそれは!」
にとりの声がする。見ると、にとりと鼓石は鈴仙に捕まって縛り上げられている。彼女はしばらく騒いでいたが、神妙にしなさいと鈴仙に頬を平手打ちされると、大人しくなった。
「さて、そいつらは今日裁こう。ある程度の刑罰は覚悟しておけ。一年は牢から出られんぞ。」
「…待ってください。」
彼が元の場所に帰ろうとすると、不意に影から一人の少女が姿を現した。
少女は桃色の髪を持ち、メトロポリスの人民服を身につけている。彼女の姿に月の兵隊達はざわつき、またあのロボットが迫り来るのかと騒ぐ。
しかし、明らかに先ほどのトアとは様子が違う。彼女は月の人々を脅すような様子がではなく、むしろ月の人々への非礼を詫びるような雰囲気を持っている。
「…また、メトロポリスの住民か。これ以上何が欲しい。」
「妹達を引き取りに来ました。先ほどは、私の世界の者がご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。」
「お姉ちゃん!」
鼓石が彼女の姿に反応して叫ぶ。そうか、ということは彼女が鼓石の…
「…そうか。だが、囚人を簡単に引き渡す訳にはいかんな。」
「承知しております。ならば、こういう条件はいかがでしょう。」
それにしても、彼女達は本当に姉妹なのだろうか。彼女の雰囲気は、鼓石とはまるで違う。まさに「メトロポリスの人間」と言ったような雰囲気だ。清楚な空気に、どこか冷酷さが見え隠れする。
「私とあなたで、一人ずつ戦士を出して決闘をさせましょう。日時は一時間後。私の軍が勝てば、彼女らの身柄は私が引き取ります。あなたの軍が勝てば、彼女らは処刑して頂いて構いません。」
「…は!?」
彼女の理不尽な取引に、男は面白いと呟いて承諾する。そんな条件聞いていないとにとりが叫んでも彼女は何も言わず、私達はそのまま座敷牢に連れて行かれた。
座敷牢は華やかな城とは異なり、木と畳だけで作られた殺風景な作り。鼓石の姉とはいえど、性格も何も知れぬ少女に身を委ねるのは生きた心地がしない。
「…お姉ちゃん。」
「スミ!」
春秋さんが鍵を閉める前に、スミにごめんねと抱きつく。あれほどにまで連れて行かなかったことを後悔した妹が、今ここに居る。それだけで、もうどうにかなってしまいそうである。
「ちょっと、暑いから離れてよ。」
「…ごめん。」
流石私の妹なだけあって、監獄慣れしてるのか、スミは案外冷静であった。全員が青い囚衣を着た私達の座敷牢の前では、メトロポリスの服を着た先ほどの少女が哀れむような目で見る。
「…誰だか知らないけど、流石にあんなやりとりはないんじゃない?もし負けたら、私達みんな死ねって言うの?」
「大丈夫です。死にませんから。」
「死にませんって!勝負なんだから、負けるときは負けるでしょ!?」
「…70%。」
「は?」
「あなたを戦士として出して、あなたが負ける確率です。」
「70って…あなた、確率の計算もできないの!?じゃあ、やっぱり死ぬしか無いじゃないの!」
「…そうですか。じゃあ、ポ◯モンの70%の技は?」
「…ほとんど外れる。」
「パワ◯ロの三割は?」
「…当たる。」
「そういうことです。頑張ってください。」
「それはあくまでゲームの話でしょうがぁ!!」
ああ駄目だ。やっぱりこいつは鼓石のお姉ちゃんだ。社交力があるだけで、頭の中は空っぽなんだ。
獄中で死ぬ。高校時代ならば当然と思っていた死に方も、ルイズのおかげで冴えた頭だと絶望的になる。
「ちなみに、お相手の臨在様は鈴仙さんを出すようです。使って良いものは、拳銃一本だけ。事前に装着しておく鉄盾を撃った方の勝ち、だそうです。」
「鈴仙さん!?春秋さんなら何とかなったかもしれないのにぃぃ!スミ、ごめん!こんな最期ならもっと……え?」
ちょっと、何とかなったってどういうこと!?と口を挟む春秋さんをよそに、私は彼女の説明を思い返して沈黙する。
待てよ、使う道具は…拳銃だけ…?
「ようやく、あなたの足りない頭が冴えましたか?」
「…わかったわ。よくそんなベストな条件つけられたわね。」
「ふふ、あなたの手を見ていれば分かりますよ。では、ご検討を。」
鼓石のお姉さん、感謝するよ。私は檻を出され、城内の闘技場まで引っ張られる。
勝てるかどうかはわからない。だが、おそらく鈴仙さんに勝つにはこの条件しか無いだろう。
いや、これで月の兵隊や帝達と和解できるのならば、お釣りが来る。