私が男と共に列車に乗っている頃、遙か遠く離れたデバッグの世界には、ユユコは白髪の剣士と相見えていた。
「あなたが、私のことを呼んでいた人?」
彼女は、刃すらも赤い刀を手にして、黒いワンピースを身にまとっている。彼女の姿すら見ないまま、彼女はユユコに対して帰れの一言を突き立てる。
白髪の少女は、一切ユユコの方を向こうとしない。背中から感じる彼女の怒り、悲しみ、それはユユコにもはっきりと伝わっていた。そのせいからか、この世界の住民たちは彼女をあまり歓迎していないようである。
彼女の肉体は、既に怪物に侵食されつつあった。刀を構える右腕の親指以外は赤く鈍い光を放ち、その眼の結膜は黒く染まっている。
それを彼女は知っている。事実、彼女の眼を貫く痛みは人間ならば死んでしまうほどであり、右腕は電車に轢かれたような痛みがある。
眼は彼女からは見えていないが、ユユコがその腕を気遣うと、彼女は腕を隠した。
その空間には限りなく青い空が漂い、地にはどこまでも白い画用紙を散りばめたような純白の空間が広がる。
どこまでも広がるデバッグの空間。しかし、トウキョウやブラッド・ワールドのような完全な世界のように無限大に広がっている世界ではなく、歩き方を間違えてしまえばまったく別のデバッグへ飛んでしまうような脆さも併せ持つ。
「でも…聞こえたもの。あなたの、私を呼ぶ声が。」
「煩い!帰れって言ってるでしょ!もう二度と、あんな場所には帰りたくないの!」
メトロポリスの敷いた身分制度に奴隷のように従って、弱い妖怪は強い妖怪や人間に言いくるめられ、強い妖怪はメトロポリスの手先に消される。あんな馬鹿みたいな集落で一生を過ごすのはうんざりだ。
確かに、彼女はそう言った。自分の故郷をそのように話す彼女は正に狂人の沙汰。しかし、ユユコはそんな彼女の話を一言も漏らさずに聞いていた。
彼女は一瞬でその言葉の表情を読み、彼女のそれが本当であることを察した。ユユコは優しく、彼女がそう言う言葉を受け入れようとした。
しかし、彼女は帰らねばならないということも彼女は察していた。きっと、彼女の帰りと明るい笑顔を待っている人は必ずいる。どうも、ユユコには彼女の故郷の人間が冷酷非道な人間であるとは思えなかったのだ。
「…でも、きっとあなたの世界には、あなたの帰りを待っている人がいる。」
「勝手なことを言わないでよ!その帰りを待っている人は、メトロポリスの手先に殺されたのよ!…それで、あいつらは私に何をしたと思っているの?もう嫌だ!私はあんな世界に身を委ねるくらいなら、この場所でもう死んでしまいたい!」
「…妖夢。」
ユユコがわずかに口にした名前。ユユコは彼女自身の名前を口にした後で、その言葉に驚いた。
何故、自分は知りもしない相手の名前を知っているのか。そして、彼女はその名前と共に僅かなビジョンを見た。
自分の記憶ではない。しかし、人間ではない自分はその場にいる。目の前には紅白の服を着た、茶髪な綺麗な髪を持った美人。そして、自分はその反対側で扇子を手に持ち、彼女を見て笑っている。
今の彼女に、少女の名前は解らない。しかし、彼女はその名前を無意識のうちに呼んだ。妖夢はそれに気づかずに、彼女に背中でひたすら語りかける。
このデバッグの世界は時間の流れも不完全なようで、落ちるはずの枯葉は空で止まり、蝶は蛹に帰り、また蛹はすぐにそのドロドロの中身を吐く。
そして、その蝶であったドロドロの中身はそのままの姿で蛇のような形を成して空を舞う。こんな世界にずっといればどうなるかなど、まるで世間知らずの彼女にさえ解っていた。
そして、それと時を同じくして、私は彼女達と同じ時空に到着した。
気がつくと、男は姿を消していた。彼は他のデバッグと比較して安全な世界を見つけ、私に降りるように叫んだ後に別れた。恐らく、まだ彼はあの列車の中にいる。
だが、心配をしている暇などない。彼が命を賭して私を逃してくれたのだから、私は早くユユコの所へ行かねばならない。
「あれ…?」
ユユコを探して歩こうとすると、急にジャージのポケットに違和感を感じた。その違和感の正体を掴もうとしてポケットの中をガサガサと探ると、一つの手紙が見つかった。
あの男のものであろうか。手紙の中には、あの男が言っていた妙な歩数…いや、dim座標を横断する裏ワザだったか。それが一つと、その裏ワザを計算する為の計算式が載せられていた。
見たこともない計算式だ。一応、遙か昔に受験地獄を乗り越えただけの数学力はあるはずだが、こんな計算式は見たことも聞いたこともない。
「…やるしかない。」
どちらにせよ、元の世界に戻るためにはこの公式を理解せねばならない。階乗、コントロール、シグマ。様々な計算式を更に計算して求め、そこで更に「四次関数」を利用する。
訳も分からぬこの式によって、一つ目の手紙の歩数が一体どこへ向かうための裏ワザかを私は理解する。
まず、一つ目の式はユユコの元へ行くために彼が残してくれたものと見て良いだろう。
東へ3009歩、西へ25歩。ユユコが口ずさんでいた歩数よりもずっと単純だ。歩数を数えることが面倒臭いが、これで確実に彼女に会うことができる。
…早く帰ってお風呂入りたい。私が数を数えながら歩いている間、ユユコと妖夢はデバッグに潜む魔物に巡り合っていた。
「何これ…」
「ここの住民たち。出て行けって言われてるんじゃない?」
片方は、獣の出来損ないのような形をした水の塊。もう一つは、人間の下半身だけを模したような怪物。時間の概念すらあやふやなこの世界では彼らもいびつな形で生まれ、狂った形で育ったのだろう。
水の怪物はその一部を鞭上に伸ばし、彼女を攻撃する。
「痛っ…!」
水が彼女に触れると、彼女の身体に激痛が走った。その痛みに喘いでいる暇もなく、人間の下半身を持つ怪物はその足を巨大化させ、攻撃を仕掛ける。
勤務中ではなかった彼女の元に銃はない。彼女はひたすらに怪物の猛攻を避け続け、何か反撃の手段は無いかと辺りを探る。
しかし、ここは世界のデバッグ。普通の状況など通用しないその世界は、彼女に牙を剥く。
「…縛られるくらいなら、こんな場所で一生を過ごすって言うの!?」
ユユコのそんな言葉を妖夢に聞かせる暇もなく、怪物達はユユコを追い詰める。怪物の鞭が彼女の腹をえぐると、彼女の身からは紅の液体が噴き出す。
妖夢は、彼女の悲鳴を背にして、彼女を一目も見ずにデバッグの更に底へと歩き去る。待ってとユユコは叫ぶが、彼女は答えない。
「…仕方ない。」
ユユコの体内から、紫色のオーラが噴き出し、彼女の身を守る守護霊のように漂い始める。怪物達が仕掛ける容赦のない攻撃を交わしながら、彼女はそのオーラを、二つの蝶の短剣に変化させる。
「超時空の双剣!」
彼女は創り上げた双剣を巧みに手中で回し、再び握り直すと、オーラで創り上げたその双剣を、二匹の怪物に向けて放つ。
怪物はオーラの短剣を止めることなく、短剣は怪物に直撃した。どうやら、怪物達は温度を通じて生き物を見分けて攻撃こそできるものの、彼らに武器を感知する力は無いようだ。
「解放!」
直撃した短剣は怪物を貫き、二つの紫の光線が無限に伸びる。怪物はこれの前に真っ二つにされ、その場で命を失った。
その光は、私にも見えている。既に歩数での移動を終えた私は彼女を見つけ、彼女の名前を叫ぶ。
「ユユコ!大丈夫!?」
「うん!ありがとう!」
怪物は、その光線を受けて倒れた。彼女の勝利を祝福し、私は紫の光線を目印に走り出した。
ようやく会えた。私は、そんな思いで私が彼女に抱きつこうとした。しかし、妖夢は私のユユコ、という言葉に反応してユユコに近づき、その眼をマジマジと見始めた。
「嘘……こんな…こんなことって…」