「…あなた達、知り合いだったの?」
「うんうん、全然知らない。」
彼女はそう答えるが、どうもそのようには見えない。妖夢は彼女に身を任せて眠り、優しい素顔を見せている。こんな彼女の表情は、今までの報告にあった彼女とはかけ離れている。
それに、この表情になる前、彼女は確かにユユコの名前を呼んだ。まるで、今までずっと探していた相方を見つけたような表情。
ひょっとしたら、彼女の記憶が無いことに何か関係があるのかもしれない。とりあえず、このデバッグの中で傷つき侵食された彼女の治療をせねば。私は彼女の身体に手を当て、治癒魔法をかけようとする。
しかし、彼女の身体は既に怪物と一体化しようとしている。右腕に侵食した物体は魔法によって彼女の肉体の一部と見なされ、治癒することができない。
「…とりあえず、このデバッグを早く抜けた方が良いんじゃ…」
「そうだね。とりあえず、ここから…」
彼女をTKGの医務室で治療しようと試み、先ほどの男が残した計算式に、私達の世界の座標を当てはめて計算する。しかし、まるで彼女がこの世界を離れることを拒むように怪物達は姿を表す。
先ほどは二匹だけであったが、今度は十匹近くいる。赤い液体の塊や、半分が白骨化した牛。いつ見ても不気味なその生き物達は、みるみるうちに私達に近づいてくる。
初めて行う計算式に、私はひたすら立ち向かい、そのような怪物の相手をしている暇などない。
「畜生…!結衣、この娘を!」
ユユコは私に妖夢を預けると、一人で怪物達に立ち向かっていく。
彼女の出現によって、怪物達はその牙を剥く。牛はツノから彼女に向けて赤い光線を放つ。
「超時空の弓矢!」
彼女から、再び紫色のオーラが噴き出す。今度は先ほどのナイフではなく、弓矢をオーラから作り出す。彼女が怪物を引き寄せているうちにと、私はその腕で計算式を必死に解く。
「…ニューヨークの方が近い。まあいいや、ニューヨークから深海列車で帰れば。」
8桁歩かねばならない東京への進路を捨て、ニューヨークへの進路へ切り替えて計算する。
本当に意味不明な計算式。ニューヨークのx.y.z.dim座標を方程式に当てはめて、それとこの場所の座標を足し引きするだけなどとはよく書いたものだ。実際、この式はそんな単純なものでは無い。
これでは、計算している間にユユコや妖夢が死んでしまう。ユユコは迫り来る怪物を相手に矢を放ち、怪物はそれに触れるとその場所から姿を消し、その怪物が居た場所からは先ほどのように紫色の光が伸びる。
しかし、怪物達の勢いは収まらない。一匹倒せばまた一匹、その忌々しい姿を現し、私達に攻撃を仕掛ける。
「ねえ!まだ時間がかかるの!?もしかして、駅の近くに出なきゃ金かかるとか考えてるなら大丈夫だから早くして!どうせTKGにつけとけば、バスもタダで…」
「…違う!あと4分稼いで!できる!?」
「…ギリギリ持つか、死ぬか。」
「…死んだら、ごめんなさい。」
彼女が稼いでいる間に、必死に慣れない計算を繰り返す。しかし、やっと歩数を完成させたと思いきや、これでは帰るまでに日が暮れてしまう。
東に23562345890556234歩、太陽の狭間から658259432120846歩…いや、日が暮れるどころの問題ではない。でも、今の計算方法であっているとするならば、これしかない。
本当に、これが現実世界への最短ルートなのか。私は愕然し、ただひたすら項垂れる。
怪物達はユユコを突き抜け、私の心臓をえぐる。しかし、振り向いて戦うなどと言うことは許されない。
「…もう、私死ぬのかな。」
動きを止める心臓。徐々に力が抜けて行き、更には脳内にノイズの音がする。しかし、もう終わりであると言わんばかりの体内の音を感じているのに、私の中からは何かが湧き上がってくる。
…何かが聞こえる。デバッグの中で座りながら死んでいておかしくなったのか、走馬灯のようなものまで見える。
「どうして、何も答えてくれないんだよ…」
「ごめんね、本当は私、こっちに戻ってくる気は無かったんだけど…でも、想真なら助けてくれるって思ってるから一回…戻って来たの。」
「そうか、でも…あの諏訪子様や神奈子様でさえも敗れるその覚妖怪って奴は何なんだよ。」
…いや、これは私の記憶じゃない。走馬灯ならば自らの記憶を見ているはずだが、こんな場所に、こんな時間に来た覚えなどないのだ。
この場所は、確かに私の高校。今となっては別の高校と併合されたが、私や想真、それに早苗と過ごした高校。
しかし、こんな時間に学校へ登校し、尚且つ屋上などに来た覚えなどないのだ。そもそも、確かこの日、2020年の8月9日は確か、私は吹奏楽部の合宿で東京には居なかったはずだ。
となると、これは想真の記憶?わからない。だが、私の記憶でないことは確かだ。何故だか知らないが、まだ身体の自由が効く。
…生きているの?死んでいるの?それすらもわからないままだが、何故だか先ほどの計算方法で、尚且つ現実的な距離で元の世界に帰ることができることにも気づく。
「…そっか。別の世界を経由すれば、現実的な方法で行けるんだ。さっき太陽の狭間が出たから、まずは太陽の狭間への道を探索すればいい…その前に、まずはこいつらを!」
…え?何言ってるんだろ、私。口調に乗り、思っていること全てを話してみたが、改めて話してみると、おかしな箇所がたくさん見つかる。
私の身体の中から、何かが湧き上がってくる。そして、はるか昔には思い出そうとすると脳ミソが裂けそうになるような記憶も、その全てを昨日のように思い出せる。
《…あの穴に行けば、お前は二度とこちらには帰れなくなるんだよ。良いのかい?それでも、ランやワイを追いかけるのかい?》
《行くよ。例え何回死んでも、必ずおばあちゃん達を救い出すんだ。大丈夫!この霧雨タイが、そんなことでビビる訳ないでしょ!》
《ああ…》
これが、あのときに思い出せなかった記憶。霧雨タイって、私のこと?
いやいや、私は生まれてこのかた血郷結衣だ。恐らく、これも誰かの記憶なのだろう。そうでなければ、本当に訳が解らない。
「剣術を操る程度の能力…」
私の口が勝手に言葉を放つ。その言葉に反応したかのように、片手には細い剣が握られている。その剣はプラスチックのように軽く、薄い桃色をしている。
怪物達の動く先が見える。どのように振れば仕留められるかが分かる。私はその思いのままに剣を振るい、怪物の命を奪う。
「殺剣、未来返し!」
形なき怪物を切り裂き、一見ダメージが無いように見えた怪物は数秒差で血を吹いて崩れ落ち、動かなくなる。
それが終わると、私の元から剣が消え、身の回りが見えるようになった。
私が盾となったのか、彼女達は無事だ。こうしてはいけない。早く妖夢や私達を治療せねばならないと感じて、私は彼女達の元へと向かった。
「結衣…フェンシングでもやってたの?」
「いや…よく解らないや。それよりも、これを元にデバッグを抜け出しましょう。」
東に945歩、太陽の狭間から18歩、奈落の都市から45歩。奈落の都市は、天文学的な数字で現れない乱数に組み込まれた場所。よって、この計算で出ることはほとんどない。
しかし、ここへ行く方法を割り出し、そこからニューヨークの座標へ行けば、その奈落の都市を経由した方法を割り出せる。
私達がその場所から歩くたびに、世界はその姿を変える。どうやら、あの男の言っていたことは本当ということらしい。
緑色の公園、地も天も星空の世界、夕方の団地。気味の悪いような世界を抜ける。目を覚ます白髪の少女を背に、帰って病院行ったら、その後ファミレスで尋問だからねと話す。
「…あんたの好きなもの奢るからさ。」
「あなたも…TKGの人間なのですか?なんだか、そうは見えません。あそこの人間は、みんな利己的で…」
「TKGの人間どころか、そこの総帥やってるんですけど。まあ、TamagoKakeGohan連合だからね。みんな卵かけご飯しか食べないから単細胞なんだよ。」
「ねえ結衣、その卵かけご飯連合っての、みんなに言ったらまた怒られるよ?」
「ったく、卵かけご飯連合で良いじゃん。みんな厨二病だねえ…」
私達のいつも通りのやりとりに、妖夢は変なの、と言ってクスッと笑い、また眠りだす。
そんなやりとりをして抜けた先、太陽の狭間には、あの男が座って本などを読んでいた。
「…もう少し遅いと思ったよ。」
まるで私達がこの計算をしてここまで来ることを知っているようなその姿に、私は少しばかりイラつきを覚えた。
自分達が精一杯で何かを成し遂げて、その結果が大成功でも大失敗でも、まるでその軌跡の全てを知っていたかのよう、いや、それに加えてその先の自分達の全てを知っているかのような人って必ずいるような気がします。