「ふうん。そんなに私と死別するのが嫌だったの。」
彼女、稗田阿求はそれならばと私から自身の握らせた鍵を奪い取り、私を檻の向こう側に突き飛ばして鍵を閉めた。
「…ダメなの?それほどに、あなたとの日々が楽しかったから…」
「そう。私が早く逝くことなど、解っていたはずなのに?…私の血を飲むなんて、あの女を思い出すことを平気でするなんて。あなたには失望しました。」
檻越しに伝わる彼女の冷たい視線が、ただでさえ暗い檻の中を更に冷たく染め上げる。記憶だけが残っているだけで、今の阿求は当時とは別物。あの頃の阿求など、もうどこにも居ない。そんなことまで思えてくる。
「そこで、もう一年もせぬ内に訪れる幻想郷の終末を見ているが宜しい。本来ならば百年ごとにしか産まれぬ御阿礼の乙女、この時代に生まれた理由こそ、幻想郷を終末に導く宿命を成すため。本当に私の友人を名乗るというのならば、そこで一年の間座敷牢の住人をしているが宜しい。」
阿求は私に冷たく吐き捨てた後、その場から身を退いてしまった。この暗い空間は私の幼い身に応え、その足の感覚を攫っていく。幻想郷が滅んだら、私達はどうなるのだろうか。
「運命の刻」のことならば、遥か昔の書物で目にしたことはある。延々と繰り返す歴史の中で、それを改変不能にする人力による歴史の修正。
その世界にいずれ訪れる終末。物語に必ず終わりがあるように、世界にも必ず終わりが存在する。終末を描くことによって世界という名の物語は完成する。タイムパラドックスなどが起きないのは、この「運命の刻」によって定められた終末が一定であるため。
その物語の著者にあたる人物こそ、御阿礼の子。世界の終末を予定通り訪れさせ、書物を完成させることが阿求の宿命。
「……あれ?」
私なそのような考えを張り巡らせた中で、一つの疑問を打ち立てる。
もし幻想郷が滅んだら、その終末を描き切ることで彼女の…10代にまで続いた御阿礼の子の役目は終わる。ならば、役目が終わった彼女は一体どうなるのだろうか。
読んだことがある。御阿礼の子が早死にするのは、転生の契約をするせいであると。その契約をし続けることによって、その契約者の血を体内に持つか取り入れた人間には多量の負担がかかるのだ。
ならば、もし幻想郷が予定通り滅んだら、彼女はもう契約する必要がないから生まれ変わらない?
つまり、もう阿求は早死にをしない…死ねば魂を浄土に召される代わりに長く生きることができる?
ひょっとして、阿求があれほど自らの宿命に前向きな理由って…
「ごめん……」
なんだか、心の底から常闇の罪悪感が湧いてきた。
考えてみれば、私が彼女の為にしてやれたことなど、何があっただろうか。せいぜい本を読ませてあげることだけ。それも貸本屋をしていただけで、そうでなければそれすらもできていない。
「おまたせ。何が食べたい?」
阿求は、階段をその軽い身体で降りてきた。私の身の中を貫く感情、それは紛れもなく誰かのための感情。私はそれを口にしようと、阿求の前で声を出す。
「阿求!あのね…その!」
…違う。
…何が違う?私のこの感情は、阿求の為の自己犠牲心からではないのか?私はただその問いに答えを見つける為、彼女の前で口籠る。
「何?あなたが選んだ選択なのに、不満でもあるというの?」
あなたのためならば、私はどうなってもいいよ。その言葉を口にしたくて話しかけたのに、その一言が口に出せない。
違うからだ。私の中の本当の私は、そんなことを蚊ほども思っていないのだ。確かに稗田家の宿命は大変なものであり、彼女のしていることは仕方のないこと。
でも、それと私が絶命することはまた別のこと。私が小町さんと契約したことも、転生できることが分かりきっているからだ。もしあれが五割などと言われていたら、自ら絶命など誰がするものか。
私は意気地なしだ。臆病者だ。命を張って誰かを守ることなど、誰がするものか。
「何かしたいことがあるなら言ってごらんなさい。私のできることならば、できる限りでしてあげるから。」
「…したい。」
「ん?」
「阿求と、阿求と一緒に生きていたい!ずっと一緒に本でも読んでいたい!稗田の宿命なんて、運命の刻なんて私にはよくもわからないけれど、それでも…」
ダメみたいだ。やはり、ここぞという時にロクな言葉が出てこない。私はやはり、八犬伝のような勇者達になどなれやしないのだ。ただ自分の身の回りがお花畑ならばそれでいい、ろくでなしだ。
「まったく、往生際の悪いガキね。命乞いにしても随分と下手な命乞い。」
「そうだよ、命乞いだよ…何でもしますから命だけはってあれだよ。」
「まあ、あなたの場合は命だけは、じゃあないけれど。」
鼻を服の袖で拭き、もう濡れてしまった服でも鼻水を拭くので、もはやその動作には意味がない。そんな私を見て、もう抑えきれないと言わんばかりに笑い、憐れみの目で私を見る彼女。
「…はぁ、お腹痛い。馬鹿じゃないの?あんた状況解ってる?」
「解らない、そんなの解らないよ!ただ…」
また、上手い言葉が出てこない。代わりに私は檻越しに彼女の懐に潜り込み、その灰色の香りに身を寄せる。
「興醒めね。もういいわ、あなたみたいなクソガキのお守りなんてしたくないもの。」
「…えっ?」
「命乞いを聞いてあげるって言ってるのよ。どうも私は悪にはなりきれないわ。」
阿求は私を一度自分から離すと、鍵を開けて自らも檻の中へと足を踏み入れ、一つの畳をずらした。
畳の中には、紫色や碧色で濁った渦が、音を立ててうねっていた。
「これは…?」
「博麗神社への近道。私と一緒に生きていたいのでしょう?…とりあえず、ここで話していると「彼女」に聞き耳を立てられるかもしれないからね。」
「彼女…?阿求の血を飲んだ人のこと?」
「違うわ。とにかく、彼女にこの話を聞かれると厄介なの。早くこの中に…」
「ねえ、本当に幻想郷を滅ぼすことがあなたの使命なの…?そんなことをしたら、今の私達のお母さんも、みんな死…」
「良いから、早く!どうせ私達が何もしなくても幻想郷は滅びる。でも、もしかするとそうならずに済むかもしれない……やはり、夢は終わらせなければ!我々は幻想から醒めねばならない!」
阿求は私を鷲掴みにし、自分もろとも渦に身を投げる。渦からわずかに見えた姿、彼女の言っていることが分かった気がした。
誰とも知れぬ者の腕、その腕は私達の言葉をトリガーにするように目を覚まし、私達をさらおうと手を伸ばす。
危なかった。そう思った数秒後には、私達は神社の鳥居の側にいた。
神社は外部からの攻撃を遮るように結界に覆われ、その結界のせいで、もはや外の景色など見えはしない。
まるで、この神社だけ別の世界にあるようだ。この神社に居るだけで息苦しく、少し歩くだけでその場に倒れこんでしまう。
「…さて。まずは深月に遭わなきゃね。腐っても、今の巫女は博麗深月一人だけだし。」
「深月?深月に遭ってどうするの?」
「…外の世界に出て、結界を破壊する為に人手を募る。そして、博麗大結界を…メトロポリスの置き土産を破壊する。」
「……は!?」
てっきり、幻想郷の中でどうにかすると思っていた私は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったような顔つきで彼女を見る。
まるで訳が解らない。確かに、博麗大結界を破壊すれば幻想郷の歴史はその終わりを告げる。私の家族も助かり、誰も傷つけることなく事をなせる。
だが、そんなことをしたら幻想郷のあらゆる妖怪が黙ってはいない。特に幻想郷を古くから守る妖怪や、それを見てきた…
「妖怪が騒いで、私達は処刑だって?元々、博麗大結界はこの世界のものではないのよ?誰が文句を言う者ですか。」
「処刑だよ!特に、博麗大結界を大事にする八雲…紫…なんか…あれ?」
「ん?どうかしたの?」
「いや…そういえば、どこの妖魔本にも隙間妖怪のことなんか書いてなかったなって…」
そういえば、昔から阿求が書いてきた幻想郷の史記を読んだことがある。その史記に、隙間妖怪の文字が現れたのは、丁度幻想郷が外界から閉ざされたのと時を同じくしていた。
そして、その昔から存在する妖魔本に、隙間妖怪などというものは一切記されていなかった。閻魔や悟、それに土蜘蛛などは描かれていたのに、隙間妖怪を記したものだけは私のコレクションになかった。
いや、一つだけあった。しかしそれは、外の世界の技術でも、幻想郷の技術でも決して確立できぬ技術を用いられた、言わばオーパーツ。
そういえば、私達が幻想郷からここに来るときに飛び出た腕の先って…
まさか…いや、そんなはずは…
「そう。「彼女」は、運命の刻を引き起こす異変の犯人こそ、メトロポリスが幻想郷の監視として送り込んだ人造の妖怪。」
「八雲…紫…」
腕を見ると、汗で腕がぐしゃぐしゃになっていた。
まさか、いや、彼女に限ってそれはありえない。でも、彼女しかあり得ない。
真実は、残酷なその姿をついに表した。