ライナたちの頑張りによって、何とか無事に船に乗れたルイズたち一行は空を飛ぶ船の中でのんびりとくつろいでいた。
「それにしてもフェリスさんどうしたんだろう? 突然倒れちゃったけど……」
サイトはそんなことを言いながら、甲板の上でモゾリと動いた。
なんとあのフェリスが、船が出港した瞬間に、「気持ち悪い……」といって失神してしまったのだ。現在は船の医務室で静かに眠ってしまっている。
「いったいどうしたんだ? 変な病気じゃないといいんだけど」
この時サイトは知らなかったが、フェリスは重度の船酔いを患っているだけだったりする。彼女は極端に船に弱く船に乗った瞬間気絶してしまうのだ。ライナがその事実を知った時はいい話を聞いたとばかりに笑ったのだが、その直後に彼はフェリスを船に乗せたことをひどく後悔をすることになるのだが……今はそんなことは関係ない。
とにかく、そんな不安定要素を残したまま船はゆったりと空の旅を航行していた。
…†…†…………†…†…
「アルビオンが見えたぞぉおおおおおおお!!」
甲板に座り込むようにして眠っていたサイトは、そんな船員の騒がしい声によって眼を覚ました。
布団ではなく硬い甲板で寝たためか体のあちこちが痛かったが、体を動かすのに支障になるほどの痛みはなかった。
そのことを大きく伸びをすることによってたしかめたサイトは、船員たちが騒いでいたほうに歩いていき、のんびりと下を覗き込んだ。
そこに広がるのは、真っ青な海。今の日本では海洋汚染などでめったに見れなくなってしまった美しい海だった。
「って、陸地なんてどこにもないじゃないか……」
そういって、二度寝を決め込もうとするサイトをいつの間にかやってきていたルイズが蹴り飛ばし少し上のほうを指差しサイトの注意を促した。
「どこ見てんのよ。あっちよ、あっち!!」
「うえ?」
そして、サイトは見た。雲の隙間で黒々とそびえる巨大な地面の塊を。
その上には無数の緑の山々が起立しており、地面の淵からは無数の川の終着点が除いており、そこから大量の水を滝のようにして、空にばらまいている。
「……ラピュタはほんとに、あったんだ」
「突然なに言ってんのよアンタは……。アルビオンだって言ってるでしょ!」
若干とげとげしいルイズのツッコミにサイトはおびえるように肩をすくめる。昨日の決闘騒ぎが原因なのかルイズの機嫌はすこぶる悪い。
サイトが弁明するように口を開こうとしたその時!!
「船がこっちに近づいてきます!!」
「大砲を用意しろ!!」
見張り台で外を見張っていた船員の一人が大声を上げて船長に報告する。
「アルビオンの貴族派の船か? お前たちのために荷物を運んでやっているんだと伝えてやれ」
いたって平然とした口調で指示を出す船長を見ながら、サイトは感心した風に頷いた。
「この船、大砲なんて積んでいるんだな……」
「ここら辺は空賊の多発地帯だからね。用心するに越したことはない」
そう言って歩み寄ってきたのはサイトと同じように、甲板で眠っていたワルドだ。こちらは体が痛くなることはなかったのか、いつもと同じようにピッシとした姿勢で立っている。
ここら辺でも違いが出ているなぁ……と今更ながら実感したサイトは、悔しさを紛らわすために饒舌にしゃべり続ける。
「もしかして、あの船が空賊だったりして」
「どうやらその通りになりそうだ」
「え?」
そして、ワルドの言葉とともに船の上がにわかに騒がしくなり急旋回をはじめようとした!!
「あの船、旗がないぞ!!」
「くそ!! 空賊だったのか!?」
「面舵いっぱい!! 全速力で逃げるんだ!!」
悲鳴じみた声を上げながら甲板をあわただしく行き来する船員たちを見て、サイトはようやく事態に気付いた。あわてて隣に立てかけておいたデルフを手に取るが、ワルドにそれを止められる。
「なんで止めるんですか!?」
「よく考えてみたまえ。剣一本で大砲同士の戦いにどうやって介入する気だ?」
「う……。じゃぁ、メイジのワルドさんならなんとかなるんじゃないんですか?」
「あいにくこの船をうかべるために魔法を使ってしまったからね。今日は打ち止めだ」
「くそ!!」
サイトがそういうと同時に、空賊船から船の進路を阻むように大砲が一発発射される。
サイトたちが乗った商業船は停船を余儀なくされ、空賊たちの侵入を許してしまうのだった。
…†…†…………†…†…
船の中に強烈な揺れが襲う。
空賊に大砲を撃たれてしまったために急停止してしまった反動が来たのだ。
しかし、空賊もこの船もの船員も、この振動が一人の悪魔を呼び覚ますことになるとは思いもしなかっただろう。
その悪魔は医務室の中で目をさまし、白い布団をのっそりとどけて、しっかりとした足取りで床に立つ。絶世の美貌に流れるような美しい金髪を揺らし、ちょっと表情に欠ける端正な顔立ちのまま、その悪魔はつぶやいた……。
「き、気持ち悪い……何とかしなければ……やられる前に……やるっ!?」
その声は……なぜかひどく虚ろだったという。
…†…†…………†…†…
メイジも乗っていた空賊船にただの商業船たるこの船が勝てるわけもなく、空賊たちはあっさりと船を占拠して物資を強奪していった。その際に見つかってしまった魔力が打ち止めなワルドとルイズは、人質になるかもという理由で船に物資と一緒に運び込まれ今は船室の一つに軟禁されている。無論使い魔のサイトも一緒である。
「フェリスさんのことは言わないほうがいい。一人でも自由な人員がいたほうが助かる確率が高いからね」
「はい」
「わかっています」
ひとまずフェリスは見つかっていない。奥深くの医務室に運び込まれたのが幸いした。今はそこまで空賊の調査の手が及んでいないようだ。
「でもいつかはばれますよ?」
「なかなか強い剣士なのだろ? だったらこの事態にも気付いているはずだ。何とかしてくれるさ」
その時、船室の外がにわかに騒がしくなり空賊船があわてて商業船から離れる!!
「な、なんだ!?」
「一体どうしたんだろうね?」
突如として急発進した空賊船にサイトとワルドが不信の声をあげるが、一人商業船を心配そうに見つめていたルイズが悲鳴を上げる。
なんとその商業船が鋭利な刃物で切断されているかのように分解バラバラに解体され、海の藻屑ならぬ空の藻屑へと姿を変えつつあるからだ!!
「なんだ!? 一体何が起こっている!!」
「あ、悪魔だ!! 悪魔があの船に乗っていた!!」
「怖い怖い怖い怖い!!」
「全速力でにげろぉおおおおおおおおおおおおお!!」
船室の外からはそんな空賊たちの悲鳴が聞こえてくる。
「あの船、硫黄のほかにも何か積んでいたの!?」
「戦争で使えそうな魔法生物か何かを積んでいたんだろう。それの手綱を空賊が誤って解いてしまったんじゃないかな?」
「のんきなこと言っている場合ですか!? フェリスさんが!!」
その時、ひときわ大きな音を立てて船が完全に崩壊してしまった。まるで
「ふぇ、フェリスさぁあああああああああああああああん!!」
「そ、そんな。うそ!!」
ルイズが愕然とした表情で口を押さえワルドが厳かに帽子を外し黙祷をささげる。
泣きながら、床を叩くサイトをあざ笑うかのように船はゆっくりと地面へと落ちて行った。
こうして、フェリス・エリスは一時的にこの旅から退場することになるのだった……。
…†…†…………†…†…
ルイズは今の状況に少しついていけていなかった……。
空賊につかまったと思ったら、なんか使い魔は反抗的だし、ワルド様は役立たずだし(今はだけどね!!)、自分の護衛をかってでてくれた二人とは離れ離れになってしまうし、
空賊の統領が王子様だし……。
「失礼した。貴族に名乗らせるならこちらも名乗らなくてはな。アルビオン王国皇太子……ウェールズ・テューダーだ」
空賊の統領らしく見せるためにだろうか? カツラやら付け髭を取っ払った男の顔は、まごうことなき、現在《レコンキスタ》と呼ばれる貴族の集団によって国が滅びかけている、アルビオンの王子様のものだった。
「先ほどまでの無礼な対応……深く謝罪させていただきたい。さて、ご用向きをうかがおうか? トリステインの大使殿」
先ほどまでの空賊の荒々しい態度とは違い、王侯貴族然とした優雅な笑みを浮かべルイズに話をするようにやさしく促してくれる王大使殿下。
いや……。そんなこといきなり言われましても……。
しかし、ルイズは完全にこの状況に乗り遅れてしまったため、正直いきなり話をしろと言われても無理だった。
とりあえず、隣に立ちながら『なぁ? これなんてご都合主義? なんてご都合主義?』と聞いてくるサイトの足を思いっきり踏みつけて撃沈させておく。
口をパクパクと動かすことしかできないルイズを見かねたのか、代わりにワルドがこちらの要件を応じに話してくれた。
「アンリエッタ姫殿下と、バーシェン宰相閣下より密書を言つかってまいりました」
「ふむ……。君は?」
「グリフォン隊隊長ワルド子爵。そして、姫殿下から大使の大任を仰せつかったラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の少年にございます」
本当は大使の任を受けたのはバーシェンなのだが、いろいろな不幸が重なって今はいないので便宜上ルイズが大使ということにしたらしい。
まさか「独断専行でやってきました!!」などと、王族の前でいうわけにもいかなかったのでルイズとしてはありがたかったのだが、素直に感心するウェールズ皇太子を見ると、少しだけ罪悪感がわいてくるのも事実だった。
ワルドと社交辞令を交わしながら、にこやかに会話を続ける皇太子殿下を眺めながら、ルイズは若干申し訳ない気分になりながらも、何とか心に整理をつけ声を出すことに成功した。
「あ、あの……」
「なんだね?」
「本当に皇太子殿下?」
訂正。どうやらいまだにここが現実かどうかの判別がつかなかったらしい……。
ウェールズはそんなルイズの態度に苦笑をうかべながら、仕方ないよね? といわんばかりに肩をすくめた。
「さっきまでの姿を見られてはそう思われるのも無理はない……か。では、こうしよう大使殿」
そういうと、ウェールズは自分の手から一つの指輪を取り外しルイズの手へと渡した。
透明な結晶をまるでルビーのように丸くカッティングした指輪。
ガラス玉? とルイズは一瞬首を傾げかけたが、その指輪から甚大な魔力が放出されていることに気づき顔を引きつらせる。
「こ、これは……まさか!?」
「そう。アルビオン王家に伝わる風のルビーだ。いまのところ僕の身分を証明できるものがそれしかなくてね……。不足だろうか?」
ブルブルブル!! と壊れた人形みたいに首を勢いよく横に振るルイズ。そんなルイズを見ていつの間にか復活していたサイトが「バカな……あれが質量をもった残像(顔だけ)かっ!?」とか言っていたので、再び踏みつけて沈めておく。
その光景を見てワルドや、皇太子の護衛についていた騎士たちが若干顔を引きつらせるが、ウェールズはにこやかな笑みを浮かべたままスルーする。
さすが皇太子。この程度の
と、内心でとんでもない暴言を吐きながらも、ルイズは恭しく指輪をウェールズへと返還する。
「も、申し訳ありません。十分にございます王大使殿下……」
そんなルイズの姿に「楽にしてくれて構わないよ。所詮亡国になる国の王子だ」と、ウェールズは苦笑をうかべながら手を振った。
…†…†…………†…†…
「ですが殿下に一つ……申し上げたいことがあります」
変わった子だな。ウェールズがルイズを見て初めていだいた印象はそれだった。
トリステインは歴史と伝統を重んじる国。それは十分に承知していることだった。だが、ここまで貴族らしい生きざまを見せつけてくれた貴族はそうはいない。
それもこれほど幼い少女が……だ。
自分の敵という設定にしておいた盗賊に向かって「私たちは王族派よ!!」と三行半をたたきつけたり、自分の前に引きずり出されても「大使としての待遇を要求します!!」と、言い放ったり。
傲慢ととるべきか、誇り高いと取るべきか……。いろんな意味で将来が楽しみな子だ。
ウェールズがそう思っていた時、ルイズは突然そんなことを言い放った。それもかなり怒りがこもった瞳で、ウェールズを睨みつけてだ。
「? なにかな?」
「わたくしたちの仲間を……不慮の事故とは思いますが、あなた様が殺めてしまったことについてです」
そういわれてウェールズはルイズが何を言いたいのかを悟った。
あの船の落下事件のことか。と、悲しげに眉をしかめながらウェールズはため息を漏らす。
どうやらあの船の中にはまだ彼女のツレがいたらしい。それは……申し訳ないことをした。
「確かにあれは不慮の事故だった……。正直私たちもあの船に化け物が乗っているとは知らず無茶をしてしまったことを悔いている……。というのは、言い訳だな。申し訳ない。すべては指示を出した私の責任だ。煮るなり焼くなりスキにしてくれて構わない」
もっと慎重にやるべきだった。そうすれば、あの船の崩落に巻き込まれたウェールズの部下も、彼女のツレも死ぬことはなかっただろう。
だからこそウェールズは潔く頭を下げた。
椅子から立ち上がり深々と……亡国になりかけているとはいえ、一国の王子がただの一貴族の娘に頭を下げたのだ。
さすがにそこまでは予想していなかったのか、驚きのあまり怒りが引っ込んだルイズは慌てふためいた様子でウェールズに話しかける。
「あ!? え!? い、いや……べ、別にそこまでしていただきたいといったわけでは」
「……他になんか謝罪の方法があるのかよ?」
「黙りなさい!!」
床にぐったりと臥せっていたサイトがボソッとつぶやくのを聞き、ルイズは再びサイトを踏みつける。
あの少年ホント大丈夫なんだろうか……。と、内心で顔をひきつらせながらそのことを微塵も表情に出さずウェールズはルイズのほうを向きながら顔を上げた。
「いや……。人の命にかかわる問題だ。軽々しく扱うことはできない……」
ウェールズはそういうと、少し泣きそうな顔になりながら再び椅子に座った。
「何せ僕の部下も数人……あの船の崩落に巻き込まれてしまったからね」
「っ!!」
ウェールズの言葉を聞き、ルイズは目を見開き、そのあとすぐに申し訳なさそうに顔を伏せた。
そんな顔をする必要はない。悪いのはすべて僕なんだから……。
内心でそうつぶやきながら、ウェールズは船に巻き込まれた部下から最後に上げられた報告書をルイズに渡した。
「私の部下が命がけで届けてくれたあの船の崩落の原因だ。なんでも、部下の話では崩落は医務室から始まったらしい」
「医務室……ですか?」
どうしてそんなところから……。問いたげに眼を見開くワルドに、ウェールズは首を振る。
「なんでもそこには凶悪な亜人が捕えられており、部下の一人が医療品略奪のために不用意にそのドアを開けてしまったせいでそれが解き放たれてしまったらしい」
そして、ウェールズはその亜人の姿を詳細につづったもう一枚の報告書に目を落とし、その詳細を読み上げた。
「その亜人は……まるで女神のような美しい顔立ち、立ち姿をしておりながら、その性はとても凶悪で残忍。『やられる前に……殺るっ!?』と虚ろな表情で呟きながら、右手に持った剣のような武器で船を切り裂いていったらしい。流れるような金髪に、青い瞳……そのことから私はこの亜人がエルフの亜種ではないかと……どうかしたかね?」
そこまで言って、ウェールズはようやくルイズとサイトの異常に気付いた。
さっきまでの怒りはどこえへやら……。二人とも顔を真っ青にしながらガタガタと震えている。まるで何か……気づいてはいけないことに気づいてしまったような。
いや……そういえばワルドもなんだか苦虫をかみつぶしたような顔をしているきが……。
「あ……あぁ……いえ。こ……皇太子殿下。所詮死んだ亜人の話ですし、これ以上の詮索は無意味かと……」
「しかし、もしこの亜人がほかにもいるようなら我々アルビオンはともかく、トリステインやほかの国は甚大な被害を受けることに……」
「ああ!! ウェールズ皇太子殿下!! そういえば姫様の手紙とやらはいったいどこにあるのですか!?」
「わ、ワルド子爵? いきなり何を……」
「どこにあるんですか……ウェールズさん!!」
「ど、どこって……今向かっているニューカッスルの砦において……というか少年。あれほど踏みつけられていたのに元気だね?」
突然何かに慌てた様子で話題の変更をしてくる三人に、ウェールズは少し戸惑いながら「まぁ……客人たちも混乱しているみたいだし、この話は後に回そう……」と、渋々とその報告書を机の中にしまった。
皇太子殿下でしょうがァアアアアアアアアアアアア!! ギャァアアアアアアアアアアアア!!
と賑やかに喧嘩を始めた、ルイズとサイトの様子に首をかしげながら、ウェールズは部下に「ニューカッスル砦へと急げ。客人が疲れて混乱されているようだ」と告げておく。
こうして……とある団子バカの化け物剣士の罪はうやむやのうちに揉み消されることになるのだった。
…†…†…………†…†…
白の王国……アルビオンの上空ならぬ、下空。
そこには、不自然な薄い緑色に彩色された風をまとう……いや、緑色の風によって作られた巨大な竜が翼を広げてとんでもない速度で飛行していた。
疲れも知らず、限界もない。ただただまっすぐ飛ぶためだけに作られた意思無き風の竜。
それに騎乗するのは三人の人物。
「もっとスピードは出んのか……。これでは間に合わないかもしれんだろうが!!」
完全な鉄面皮でありながら、かなり焦った雰囲気を声ににじませる真紅の宰相。
「いや……そんなこと言われてもこまるって。大体俺ってさ……『めんどくさい』の『め』っていうのも『めんどくさ!!』って思うような怠け者なんだぜ。それを完徹で竜操らせるとかどうなのよ?」
やる気というものが死滅しきっているとしか思えないだらけきった雰囲気を放出する、異国情緒あふれる鎧をまとった黒目黒髪の男。
「ふむ」
そして、その男に対して軽く頷いた後、目にもとまらぬ速さで剣を鞘から引出し、男の頭部に向かって遠慮なく剣の腹を振りかぶる、女神のような美しさを持つ美女。
「おっと……。これはまいった。あと二時間ぐらいでつかないとお前の体が大空をお散歩することに……」
「全力全開で頑張るから剣をしまってフェリスゥうううううううううううう!!」
しかし、今日の美女はいつもとは一味違ったようだ。
いつもは寸止めされるはずの剣はとんでもない速度で男の頭部に吸い込まれ、
「え、あれ? うそ? 止めてくれなぎゃぁあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
男の頭部を剣の腹でジャストミートした美女は、数秒の間大空を舞った後、絶叫とともに重力に従い落下していく男を見て、ひどく無表情なまま剣を鞘におさめ腕で額をぬぐった。
……まるで「いい汗かいたな」といわんばかりに。
「……おい。あれ死んだんじゃないのか?」
さすがにこの光景は宰相も看過できなかったのか、鉄面皮だった顔を少しだけひきつらせながら美女に向かって問いをぶつける。
「この程度で奴が死んだら……世界はとっくの昔に平和になっている。そういえばお前には奴の本当の正体を教えていなかったな。奴は、普段はだらけきった雰囲気を垂れ流して、人を油断させているが、夜になるとその本性を現し、夜な夜な王都を徘徊しては婦女子を襲って孕ませるという変態色情狂なのだ!!」
「ほぉ……。そういえば最近トリスタニアでそんな変態が出没しているという噂が流れていたな……」
「そう! 奴こそが現在トリスタニアを震撼させている変態色情狂王……『ライナ・エロュート』なのだ!!」
「どうでもいいが……その名前どうやって発音した?」
表情を再び鉄面皮に戻しつつも、目だけにあきれきった雰囲気を乗せながら美女を見つめる宰相。
彼らが乗っていた竜の下ではもう一頭竜が生み出されており、『そんなことしてねぇええええええええええ!! っていうかフェリス……マジでぶっ殺すぞぉおおおおおおおおおおお!!』と、その竜に騎乗していた男が叫んでいた。
彼らがアルビオンにつくのは……いったいいつになるのだろうか?
…†…†…………†…†…
ウェールズは結婚式に立ち会うのにふさわしい礼服を着こみ、新郎新婦の準備が整うのを砦の自室で待っていた。
昨夜、最後の客人として迎えたとある二人の貴族――トリステインの公爵家三女ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵の結婚式の立会人を、ワルドがウェールズに求めてきたのだ。
なんでも、自分たちの結婚を、戦場を死に場所と決めた勇気ある王子殿下に見守ってほしいとのこと。
本来なら片方が公爵とはいえ一貴族……それも他国の貴族の結婚の立会人をするほどアルビオン王族の名前は安くはない。しかし、今の自分はあと数時間もすれば戦場に立ち、そこで命を散らせる予定の男だ。
そのため今の彼は王族の名に縛られていないに等しい状態。だったら、これからも生きていく前途もあり、勇気もある貴族たちを祝福して送り出すことができるのは彼にとっては幸福なことだった。
嬉しそうに自分に立ち会いを頼んできたワルドの顔を思い出しながら、ウェールズは少しだけ微笑みを浮かべ……そのあと、悲しみをその顔ににじませた。
私も……祖国がこんなことにならなかったら、アンリエッタとあのような結婚式を挙げられたのだろうか?
内心に浮かんだ未練の言葉を、埒もないと苦笑交じりに切って捨てウェールズは力なく首を振った。
もとより、アンリエッタとの結婚は、ウェールズにとっては数年前に諦めてしまっていたことだった。
あれは……確か、アンリエッタと永遠の愛を誓った数年後のことだったか。
皇太子として空軍の大将を任されたウェールズは、名実ともにアンリエッタの夫となるにふさわしいと思いトリステインに大使として訪れたのだ。
表向きは国同士の友好を深めるための定期訪問。だが、ウェールズにとってそれは、まだ生きていた先代トリステイン王国国王にアンリエッタとの婚儀を認めてもらうための訪問だった。
この当時トリステイン国王はアンリエッタのことを猫かわいがりしており『たとえ始祖がやって来ようがうちの娘は絶対にやらん!!』と豪語していた。どうやらそれは嘘でも冗談でもなかったらしく、アンリエッタに求婚した貴族たちはことごとく黒い笑顔を浮かべた国王の手によって蹂躙され、今までアンリエッタとの婚儀に至ったものはいなかった。
だからこそ、ウェールズは一定の階級を手に入れるまでアンリエッタとの婚儀報告を待っていたのだ。アルビオン皇太子+その空軍の大将だ。階級的にも実力的にも十二分だろう。彼はそう考え、喜び勇んでトリステインへと訪れた。
そして結果は、
ウェールズは真紅の炎によってみじめったらしく城の外に叩き出され、アンリエッタとの結婚を叩きつぶされた。
『この程度の実力で『トリステイン』と『アルビオン』の二国の名を背負おうというのか? 身の程を知れ、小僧』
当時は国王の右腕として活躍していた……宰相バーシェン・フォービンの手によって。
あの時のバーシェンは国王の右腕としてその辣腕を振るっており、今後のトリステインの将来を担うアンリエッタの結婚に関してはかなりシビアな態度をとっていた。
それこそ、国王とは違うベクトルで、アンリエッタの結婚を一切認めないほどに。
『な……なぜだ。なぜなんだ……』
炎で焼かれボロボロになったウェールズは、泣きながら自分に向かって駆け寄ってくるアンリエッタを見ながらバーシェンにそう問いかける。
バーシェンはそんなウェールズを睥睨しながら、平然とこう吐き捨てた。
『トリステインと同じように貴族主体を貫き、弱体化の一途をたどっている貴様らアルビオンとこれ以上友好を深めていったい何の得があるというのだ、バカバカしい。お前たちの国を丸ごとくれるというのなら考えてやらんこともないが、貴様にそんな権限はないだろうウェールズ。だったら、こいつの結婚は現在勢力を伸ばしつつあるゲルマニアか、遥かな昔から大帝国を築き上げそれを維持し続けているガリアの有力者たちのほうがまだベストだ。そのほうが……国のためになる』
自分やアンリエッタの気持ちなど一切無視したバーシェンの言葉に、ウェールズは思わず絶句した。
そして彼は悟ったのだ。バーシェンが立っている政治的ステージは、自分やアンリエッタとではいっさいとどかないほど高いところにあるのだと。
一見すると、それは人の心を踏みにじった非道な判断に見えるだろう。だが実際、アルビオンもトリステインも、長年の貴族の封建社会によって領地は縮小し借金も溜まっている。トリステインは先代の王になってから、有能な副官であるバーシェンやマザリーニ枢機卿の手によって若干持ち直しているらしいが、アルビオンはそうではなかった。
だからこそ、彼はウェールズとアンリエッタの結婚を認められなかったのだろう。
これから数十年……数百年と、トリステインという国を続けさせていくためには今の弱小のアルビオンとの同盟では弱いのだ。
国のため、未来のため、民のため……そして、何より今代の王を『賢王』と歴史に刻みつけるために、バーシェンは若き日のウェールズ達の夢を叩きつぶした。
正直……当時はかなり恨んだ。国際問題にも発展させようとしたが、さすがに政治的に百戦錬磨のバーシェンといったところか、ウェールズがたてた火種程度、彼は指一つ動かすことなく簡単に消して見せた。
そこで、ウェールズはバーシェンの鼻を明かすため必死に政治を学んだのだが……学べば学ぶほど、出てくる出てくる、自分とアンリエッタの結婚によるデメリットたち。
結局政治家としての彼が出した結論は……バーシェンと同じく『アンリエッタとの結婚はあきらめるべき』という、悲しくも絶対的なものだった。
まぁ、それでもアンリエッタとの誓いの手紙をしつこく持ち続けていたのは、やはり未練があったからだろうな……。と、軽い自嘲を浮かべながらウェールズは昨日ルイズに渡してきた手紙のことを思い出す。
アンリエッタの……涙の痕跡がついた、亡命を進める手紙を。
おそらくバーシェンに気づかれないように急いで書いたのだろう。アンリエッタの可愛らしい字は、まるで内心の焦りを映し出すかのように乱れていた。
正直、この提案にかなり惹かれたことをウェールズは否定しない。だが、バーシェンと張り合うために鍛え上げた政治力が、彼のぬるい願望を容赦なく消し飛ばした。
たとえ亡命に成功したとしても、自分は亡国の王子。聞こえはいいかもしれないが、所詮国を持たねば王はただの人へと成り下がる。いや、自力で生きるすべを知らないため、もしかしたら人以下の存在かもしれない。
おまけに今のアンリエッタはゲルマニア国王との婚儀を控えた身。いくらアンリエッタが泣きわめき懇願したところで、バーシェンが決して許さないだろうし、政治家としてもアンリエッタの元恋人としても、そんな誰もが幸せになれない選択肢を取ることはウェールズ自身が許せなかった。
「だから……これでいいんだ」
自分の眼もとからあふれる涙をそのままに、ウェールズはそうつぶやいた。
「ゲルマニアの婚儀がうまくいけばトリステインは確実にかなりの力を取り戻すことができる。下手をすればゲルマニアに吸収されるだろうが、政治的に見ても現状維持よりかはかなりましな結果になるはずだ。あの非情なゲルマニア国王も、まさか自分の妻が今まで守ってきた民を冷遇することはないだろう。ましてや、今のトリステインにはあのバーシェン卿がいる。吸収されるにしてもただで吸収されることは決してないはずだ」
これでいいんだ……。何度も何度もそうつぶやきながら、ウェールズはそれでも涙を止めることはできなかった。
情けない男だと自分でも思う。これから死ぬ覚悟もできているのに、最後に最後で愛しい女性のことを思い出し、涙を止めることができないのだから。
それでも、彼は願わずにはいられなかった。
結婚したいなどという贅沢はもう言わない。愛しているといってくれなくてもいい。ただ……最後にもう一度だけ、あの愛しい顔を見てみたかった、と。
そのとき、ウェールズの自室のドアがコンコンと軽くたたかれる。
ウェールズは慌てて涙をぬぐい、皇子の顔としての綺麗な微笑みを浮かべ声を絞り出した。
「用意ができたのかな?」
『はい……。新郎様、新婦様は礼拝堂前でお待ちです』
「わかった……。君は戦の準備に戻ってくれ。手を煩わせてすまなかったね」
『いえ……。アルビオンに栄光あれ』
この程度の些事で皇太子殿下を煩わせるわけにはいきません。どうか暫くの間だけでも、英気を養ってください。そういって、ワルドとルイズの準備が済んだら報告する役を買って出てくれた副官に礼を言いながら、ウェールズは座っていた椅子から立ち上がった。
扉に向こうで報告をしてくれたウェールズの副官の気配がきえる。顔も見せなかったということは、どうやらかなりギリギリのスケジュールで動いていたらしい。
まったく、いい副官を持ったものだ。と、苦笑をうかべながらウェールズは礼服をひるがえしながら自室を出る。
向かう先は礼拝堂。これから死にゆくものが……これから生きていく者たちのために、最後の祝福を行う場所。
最後の最後であんなすばらしい夫婦の結婚に立ち会えたのだ。王族の名前も……捨てたものではなかったかな? ウェールズはそう笑いながら、今まで心の中を占めていた悲しみをすべておしこめ、微笑みを浮かべたまま足を踏み出した。
この数時間後……自分がほめたたえた新郎に裏切られるとも知らずに。