規則正しく上下する胸。酸素が鼻から入り、そしてまた抜けて行くを繰り返す。呼吸が正常に戻ってからおおよそ五分程度経ったところで、未来はホッと胸をなでおろす。倒れた時には荒かった呼吸も、今は計測された高熱と共に落ち着きを見せている。少しテンパっていた思考がクリアになって思うのは、彼女のこれまでの経緯。何かに追われるような、そして縋るような目。倒れる直前、この少女が見せたほんの刹那の瞬間を、未来は思い出す。
何があったのか。何が起きているのか。自分には、知らないことが多すぎる。
「漸く眠ったか」
エプロンを付けたまま、少し油の臭いを纏っている奏太が部屋の襖を開けて入ってきた。看病を相手が女子だからという理由で未来に任せて今までアルバイトを続けていたが、どうやら業務から解放されたようで隣に腰掛ける。その手には、おにぎりが。
「悪いな、こんなのしかしてやれない」
「ううん。ありがとう・・・ねえ、奏太君」
「知り合い・・・つっても、敵だけどな」
聞かれる前に返答する奏太。未来の言いたいことはだいたいわかっていた為、先に応える。サラッとクリスを敵と言い切ったことに、未
来は表情を曇らせた。
「この子も、響と同じなの?」
「わからん。コイツが使ってたのはアイツや俺とはちょっと違うもの・・・らしい。詳しい事は俺にもわからないし、知っていたとしても口にできねーからな。俺が言えることは何もないさ」
おにぎりと一緒に持ってきたペットボトルの中身のお茶を一口煽る。同じものを未来にも渡し、視線を再び布団で寝ているクリスに戻す。聴こえてくる彼女の〝音〟は先ほどまでの物とは違い、静かで穏やかなものになっている。
見てはいけない物をみてしまった、その自覚はある。だが奏太自身この体質を制御して観ないようにするなんて事が出来ない為否が応でも観えてしまうのが事実。あの時知ってしまった雪音クリスという一人の女の子の、壮絶な過去。それが、頭の中に焼き付いて離れない。
こうなるのも、やむなしってことか。そう思った時、瞼がゆっくりと開いて行く。
「・・・ここは・・・」
何も考えずに、ただ純粋な疑問を口にするクリス。まだ意識がおぼろげなのか、此方に気付いてすらいない。
「えっと、大丈夫?」
恐る恐る未来が声をかけた。それを認識し、漸く自分が布団に寝かされていることに気が付いた。飛び起きると、今度は奏太を見つけて指さしながら声をあげ後ずさる。
「よっ」
「何がよっ、だ!お前なんでここに居る!?あたしをどーする腹だッ」
矢継ぎ早に質問するクリス。しかし急に立ち上がって声をあげたせいなのか、まだおぼつかない足に力が上手く入らず膝からガクン、と落ちそうになる。それを奏太が受け止め、再び寝かせる。
「ギャーギャー騒ぐな。捨て猫でも、そんなことしないぞ」
「あたしは猫じゃねぇ・・・クソ、敵に拾われた揚句、こんな施しまで・・・」
「黙って大人しくしてろ。それにお前を看病してたのは俺じゃなくてこっち」
親指で自身の後ろを指す。その方向に目を向ければ、自分と同い年程の女の子が正座して座っているのが見えた。どうしていいかわから
ないのか、苦笑いを浮かべて此方に手を振っている。
「んで、こっちとしては色々聞かなきゃいけないんだろーけど・・・俺はそういうの面倒だからあえて聞かないでおく」
「ハア?・・・なんで」
「知りたくなくても勝手に知っちまうっていう迷惑極まりない体質なもんでな。アンタがどうしてこの雨の中ボロボロだったのか、どうしてそうも揺れているのか・・・別に、言いたいわけでもないだろ」
立ち上がって、閉め切っていたカーテンを開ける。外では未だ雨が降り続けており、止む気配がない。ポツポツと窓を叩き、風が少しあるのか時折カタカタと揺れる。
「この雨じゃ客足も遠のくわけだ・・・」
「・・・なんでだ。なんであたしを助けた。あたしは・・・おまえにとって敵じゃねーのか!?」
かけ布団をギュッと握りしめ、奏太に訊くクリス。理解が追いつかずに感情のまま吐き出された言葉に、奏太は少し溜息をついて振り返った。
「何度も言わせんな。助けたのは俺じゃなくてそこにいる小日向未来だ」
「そーいうことじゃねぇ!なんであたしをそのままにしておくんだよ!お前、アイツらの仲間なんだろ!?」
じゃあどういうことだよ、と言いかけてその先を矢継ぎ早に言われたので押し黙ってしまう。
「仲間、ね・・・正直俺もわからない。一緒に戦いもするし、会えば話だってする。でも仲間って言いきっていいもんなのかどうか、そんな曖昧な感じでさ」
「じゃあ、響は・・・?」
それまで黙って聞いていた未来が口を開く。語られた名前を聞いて小さく笑った後、その質問に答える。
「手のかかる・・・・ペット?」
人ですらないのか。頭の中で犬のコスプレをした響を想像して、それが可笑しかったのか思わず吹き出してしまう未来。「ちょっと似合うかも」なんて零して笑う。なんだかんだで、彼女の中での響との関係は変わってはいないらしい。しかしそれだけにじれったいと思う、こればかりは本人達にどうにかしてもらうしかない。
話が逸れた、と元の位置に座る。
「助けた、って思ってるならそれでいい。アンタが好きなように思ってればいいさ。これから先、どうしたいか、どうするべきかは自分で
決めろ。もし、どうしても困ったらここに来い」
そう言って地図の書かれたメモをクリスに渡す。それだけ残して、奏太は部屋出た。強引に持たされたメモに視線を落とし、ジッと見つめるクリス。ややあって、ボソッと呟いた。
「ヘンな奴」
♪
まったくもって理解できない。この男の事も、今となっては自分自身さえも。渡されたヘルメットを抱えながらクリスは未だ尖った視線を奏太に送りながらじっと見つめる。
「さ、行くぞ。・・・・不満なら、おばちゃんに言ってここに住まわせてもらうが?」
「・・・・いい。関係ない人間まで巻き込むのは、あたしの流儀じゃない」
「一応そーいうとこはしっかりしてんだな。なんか意外」
「わっ、悪いかよ!」
「一々リアクションがオーバーなんだよお前・・・別に悪いとは言ってないだろ?ホラ、早く乗れ」
自身の後ろをポンポンと叩く奏太。それに渋々ヘルメットを被り、後部席にまたがる。それを確認した後、スタンドを蹴り上げエンジン
をスタートさせアクセルとギアを操作して発進。時刻は夜19時を過ぎた頃。車の通りも人通りもまばらになりつつある道路を、風を切って走る。生まれて初めての感覚にどこかドギマギするも、心地いいと感じるのは、クリス自身こういう物が性に合っているのかもしれないと、浮かれそうになる心を抑える。
が、それとは対照的に自制しようとしてもできないモノが一つだけある。ぐぅ、と低く音を鳴らす。口で言葉にしたのではない。思わず腹部を手で抑えるが、もう遅い。
《・・・何かちょっと食ってくか。近くの公園に屋台があるらしい。そこに行くぞ》
《・・・くそったれ》
ヘルメットのスピーカーから聴こえてきた相手の声に、悪態をついた。素直じゃないと小さく笑う奏太。ややあって、目的の場所までたどり着き、バイクを停車させて降りる。
「買ってくるから、ちょっと待ってろ」
そう言われ、ベンチに腰掛ける。ヘルメットを取れば、どこか少しひんやりと頬を撫でる夜風が気持ちいい。深呼吸。少し落ち着いたところで、今までの事を振り返る。フィーネに拾われ、育ててもらった。彼女との繋がりが、ずっと支えだった。そして世界から争いを無くすという目的の為戦い続け・・・最後には、親も同然に慕っていたフィーネに捨てられた。
―――おまえはもう、必要ない。
必要ない。そのたった一言がクリスの心を壊していく。度重なる失敗と一向に成果をあげられなかった自分。彼女が失望するのも無理はない。何もない・・・・もう、何も残ってはいない。沈んでいく思考。そこへふと、少女の鳴き声が聞こえた。いつの間にか俯いていた顔をあげれば、泣きじゃぐる女の子とそれを見て目を吊り上げている男の子が。
「おい、何やってんだッ」
無意識に近いような感覚で、クリスはそう声を荒上げながらベンチを立ち、2人に歩み寄る。
「こんな小さな子をイジメてんじゃねぇ!」
「イジメてなんかないよ。・・・ただ、泣き止まないからちょっと困ってただけだ」
バツが悪そうに呟く男の子。自分と同じように怒ったような顔をしていたクリスの気迫に圧されてしまった為視線も逸らす。さらに泣きじゃぐる女の子。
「・・・・何やってんだ、お前」
そんなカオスな状況は、タイ焼きを買ってきた奏太が戻ってくるまで続いた。
「―――なるほどな。わかった、ならそのお父さんを探そう」
まともに話せる男の子の方から事の顛末を聞いた奏太が言う。しかしそれにクリスが噛み付いた。
「ハァ?なんでンなことしなきゃなんねーんだよ」
「元はと言えば、おまえが絡みに行ったからだろ。それに、ほっとけないんじゃなかったのか?」
「なわけねー―――」
「俺に嘘は通用しない。〝音〟を聴ける以上、何考えてるかはある程度わかるからな」
何を根拠に。そう言ってやりたかったが、不思議とその言葉に言い返せない。グヌヌと唸るかのように黙るクリス。
「こんな時間に子どもだけでうろつくには危ない。ノイズでも出たら、大変だろ?」
その一言で完全に論破されてしまい、なくなく承諾する。気が進まないが、この子達にもしもの事があったら家族が悲しむ。それを思っただけでも、こんな壊れかけた心はまだ痛みを感じるくらいには平気らしい。少々納得がいかない点を除けば、自ら撒いたことだと納得する。
「・・・・しっかし、中々人通り多いな」
思い返せば、今日は週末。街中にまで来れば人の流れも多くなる。この中からこの子らの父親を見つけ出すのは骨が折れると、奏太は言われた特徴を頼りに辺りを見回しながら歩く。そんな時でも、女の子の方は中々完全に泣き止んではくれない。今にも、また大声で泣きだしそうだ。こういう時、どうしていいかわからない奏太は見て見ぬふりをしてしまう。目線を泳がせ、さも親を探しているような風を装う。クリスは自分と同じく、人付き合いが下手なんだろうと思いつつも、あからさまな態度に小さく溜息をついた。
さて、どうしたものか。そう考えを巡らせていると、思考とは逆に体が動いていた。無意識の内に湧き上がるメロディに自然と乗る声。曲が歌になり、少女の美しく優しい、それでいてどこか哀しさを感じさせる音が聴くもの全てを魅了し、癒していく。心に静かに染み渡るかのような感覚に浸る奏太。しかしクリスはハッとなって我に返り歌うのをやめてしまう。どうしてやめるんだと視線を投げると、その理由がすぐに理解できた。
「あっ、パパ!」
クリスの右手から小さな手が離れて駆けて行く。途中、危なっかしく転びそうになるものの、なんとかバランスをとって父親の胸へと飛
び込んだ。その後から少し遅れて、もう一つの小さな背中が歩いていく。少し遠慮がちに、顔はいたって平気を装ってみるものの、兄である彼もまた父親との再会を内心で喜んでいるのがわかった。親子の再会を見届け、二人は父親に軽く会釈をかわしてその場を後にする。元いた公園へと向かいながら、奏太は隣を歩く迷い猫にチラリと視線を送った。
「・・・案外いい歌じゃん、さっきの」
「なっ、アレは別に・・・」
「歌が嫌いって言ってた割には、いい顔してたぜ。少なくとも、俺は聴き入ってた」
思わぬ感想が飛び出たところで、クリスは顔を真っ赤にして口をパクパクと開閉を繰りかえす。恥ずかしい部分を見られてしまったことへの羞恥がジワリとイヤな汗となって背中を伝った。
「アタシは歌が嫌いだ!それは変わらない」
「でもお前はその嫌いな歌で他人の心を癒した。それは事実だ」
「・・・歌だけで、争いはなくならない。何も救えない。だからあたしは・・・」
そこから先を言うことはなく。俯いて唇をかみしめ、まるで何かに耐えるかのように肩を震わせる。そんな彼女を見て、奏太は夜空を見上げてクリスを視界から外した。
「・・・・じゃあ聞くが、その歌を使って動くシンフォギアを纏ってまで、おまえがやりたい事ってなんなんだ?」
「・・・・」
奏太の問いに、クリスから返事が返ってくることはなかった。
「ま、ゆっくり考えればいいさ。そうそう、答えがでるようなもんじゃないしな。それよりも今は・・・・とりあえず、帰ろう」
少なくとも、今は。そう言葉にすることはなかったが、クリスは小さく頷いて少し遅れる形で奏太の隣を歩いた。