「…はあぁ…」
暁は嘆息していた。
霊華があまりにも簡単そうに空を飛ぶから、妖怪である自分にも簡単にできることだと思い込んでいた。しかし、現実はそこまで甘いものではなかった。
妖力の量としては、暁の体を浮かす程度であれば十分だった。妖力のコントロールは、少しのぎこちなさが残るが理解できていた。しかし、その程度では駄目なのだ。空中に飛ぶことは出来ても、上昇し続けてしまったり、また、下へ戻ろうとして勢いが付き過ぎたり…と。その繰り返しで、暁の体はボロボロだった。傷自体はすぐに治るため、あまり気にしていなかったが。
「難しいものだなあ…」
暁はそう言って項垂れた。すぐに挑戦することではなかったようだ。まずは妖力のコントロールの鍛錬から始めければならないようだった。
そんな暁が小さな手で肩を叩かれる感覚を感じた。広い森の中、わざわざ妖怪である自分に会いに来る知り合いなどいたか?と―――。一人だけ、居た。そう思いだして、少し不安になりつつも振り返った。
「やあ」
と、可愛らしい声で挨拶したのはヴィーテだった。いつか見た姿は少女だったが、なぜか今はあれから少しだけした姿だった。わかりやすく表現するのなら、小学生から高校生、くらいの変化だろうか。肩の下程度まである金の髪と、明るい赤色の瞳が暗い森のなかで目立って見えた。
「何だ?その姿は」
「私ほどの妖怪なら、ある程度姿を変えることぐらい楽にできるわよ」
「ある程度、なのか…」
「いちいちうるさいわ、折角色々教えてやろうと来てやったのに」
「教える?」
「ええ、流石にそこまで力が無いんじゃ折角繋げた筈の未来への道も潰えるかな?って思って、生き延びる方法とか」
「そうなのか…」
力が無いことは自分でも勘付いて来た所だったが、そこまでのものだとは思わなかった。暁は再び項垂れた。
「さて、貴方には確かアレを渡したと思うんだけど。ドロっとしたやつ」
「ああ、これ?」
そういった暁は手からあの赤黒いドロドロとしたものを出した。何時見ても気味が悪いが、妖怪になってしまったためかそれへの抵抗感は消えていた。
「ソレは…えっと…うん……………『赫子』っていうんだけど」
「かぐね?」
「うん。聞いたことある?」
「いや……無いよ」
「ならよかったんだけど」
「…?」
もぞもぞとした喋り方で暁にはよく伝わらなかった。とにかく、この液状の力の塊は赫子(かぐね)であるということがわかった。ちなみに赫子は本来幻想郷に存在する筈のない概念であったが、只の人間として生まれた暁はそれを知る由もなかった。
「うん。それで、手から出るっていう事はまだ貴方の物になっていないみたいね」
「そうなのか?」
「そう、普通なら『羽赫』か、『甲赫』か、『鱗赫』か、『尾赫』っていうタイプのどれかとして貴方の体の一部になるんだけどね」
「ふむ…」
「言ってもよくわからないだろうし…そうね」
ヴィーテは暁の体に馴染めていない赫子を無造作に飲み込むと、暁に接吻をした。
「!?!?」
ただ、それが愛情表現を目的にしたものではなかった。赫子の力が、暁の体の中に入ってきて、同時に、暁の腰辺りから赫子が放出された。ヴィーテは暁から離れると、ニヤリと笑った。
「それが鱗赫よ、暁。ちなみに私も――」
と、ヴィーテも赫子を出すと、その鱗赫は二人の傍にあった大きな木を貫いた。赫子が硬化、軟化を繰り返して自由自在にうねる様は、まるで『液状の筋肉』のようだと暁は思った。
「いい?私達の種族名は『喰種』。本来ならこの世界には存在しない筈の種族」
「…」
「そして、赫子の正体とは体内から放出される喰種特有の細胞。この細胞は喰種が体の再生をする時などにも使うの。この細胞を使って再生していくと、体中にこの細胞管が張り巡らされていく。細胞管が増えるほど身体能力が強化される、つまり……『傷付く程に強くなる』」
「…………」
「この幻想郷には、『霊力』『妖力』『魔力』『神力』って種類の力があって、その中で妖怪に属する私達喰種は、『妖力』を操る事ができる」
暁には、紫色の半透明な力がヴィーテの体からにじみ出てくるのが見えた。
「それと、人間、妖怪…種族に問わず発現する特有の能力がある。私は『惹きつける程度の能力』っていうんだけど…ま、どれだけの大妖怪でもパッとしない能力だったりっていうのはあるものよ…」
残念そうな顔をしつつ、ヴィーテは言った。暁が森におびき寄せられてしまった原因は、その能力にあったのだろう。暁は少し複雑な心境だった。
ヴィーテが表情をぱっと変え、口を開いた。
「ま、私からはこのくらいで。貴方に能力があるかは知らないけど、とにかく色々試してみてね?その内勝手に強くなるから」
「そんな適当な…」
「気にしない気にしない。じゃっ」
また適当な所で切り上げて、ヴィーテはさっさと消えてしまう。暁はこれまで妖怪は暇なものだとばかり思っていたが、意外に忙しかったりするのだろうか。
と、暁がふと振り返ると、巨大な狼の妖怪――妖獣が木々の間から姿を現していた。恐らく先ほど、木を赫子が貫いた時の音に惹きつけられて来たのだろう。
「……」
「…グルル」
妖獣は低く短く唸ると、急に暁に飛びかかってきた。大きく開かれた口から涎が暁の方に飛んだ。
暁は涎と妖獣を小さく横に飛んで避けると、お返しとばかりに妖獣の眉間を殴る。妖獣は最初のように低く唸りながら少しだけ仰け反る。暁の力が弱かったのか、妖獣が強かったということなのか?それはわからなかった。
妖獣はすぐに体勢を立て直すと、暁に向けて口を開いた。一瞬の溜めの後、そこから紫色の妖力弾が発射される。暁は驚きつつも、大きく跳躍して避け、同時に赫子を放出した。二つの鱗赫の鋭い先端は腹を狙ったが、予想以上に素早い反応を見せた妖獣は逆に暁に接近することでこれを躱した。
「!!」
驚きに目を見開く時には、暁の目の前に妖獣の牙が迫っていた。
現在空中にいる暁はうまくそれを躱すことが出来ない。
「……うおあああああああああぁーッ!」
暁は咄嗟に前に向けて妖力を放出し、その勢いで後ろに下がる。ろくに妖力操作の練習もしていない暁は妖力を調節しきれず、妖獣の牙は回避したもののかなりの勢いで後方の木々に向かって吹き飛んでしまった。牙が打ち鳴らされる音が間近に聞こえて寒気がしたが、そんなことを言っている場合ではない。木に衝突する寸前に妖力を調節して、どうにか空中に停止することに成功した。ほんの少し安堵して、妖力を消して地面に着地する。
そうして暁が妖獣に向き直る頃には、妖獣による次なる攻撃の準備が完了していた。数十個の妖力弾が妖獣の体の周りに生成されていた。
気のせいか、狼の表情が動いて笑ったような気がした。
妖獣が前足を地面に強く叩きつけるのを合図に、妖力弾が暁に殺到する。
ちなみに、この時点での幻想郷には『スペルカードルール』や『弾幕ごっこ』の概念が存在せず、当然その妖力弾は当たれば軽傷では済まない。暁はその妖力弾を必死に避けつつ、当たりそうになった弾は赫子に妖力を纏わせて相殺した。
「……まず…」
計算されてのことなのか、打ち消した妖力弾は煙のようになって、暁の視界の殆どを覆ってしまう。
暁が混乱している間に、妖獣は暁を喰らおうと右側から飛び出した。
「…ッ」
何故か少しだけ時間が遅く感じ、その中で生き残る方法を考える暁だったが、どう考えてもこの牙から逃れる策が無かった。
と、暁が死を覚悟してしまったその瞬間、複数の人形が妖獣から暁を守る形で出現した。人形達は一人一人、槍や剣などの武器を持っていた。まるで生きているかのように動かされている人形に見入る暁に目もくれず、人形達は圧倒的な速度で妖獣を叩き伏せる。それと同時に、何か呪文を唱えるような声が聞こえた気がした。
最後に暁の後ろから現れた細く美しい白い手が握りしめられると、妖獣の死体が粉になって消えていった。
「…貴方、大丈夫?」
その透き通るような綺麗な声に振り返ると、そこには無表情で金髪の女性が立っていた。
青を基調とした服装に、青い瞳。頭にヘアバンドのように赤いリボンが巻かれている。白い肌も相まってその姿は人形のようだった。
「ええ、大丈夫です…助けてくれて、ありがとうございます」
「私が好きでやったことだから、感謝なんていいわ。…それにしても、珍しい…貴方、外来人じゃないわよね?」
「……はい、最近生まれた半妖の『暁』と言います」
「…暁、ね。私は『アリス・マーガトロイド』。最近魔法使いになった者よ」
そこで一瞬、アリスは何か考えたようだったが、何も訊かずにいたのは彼女なりの配慮だったのだろうか。とにかく、暁は心の中で彼女に感謝した。
アリスが僅かに右手の人差指を動かしたのを合図に、妖獣を叩き伏せた人形たちがアリスの許へ戻っていく。
「それはそうと、貴方最近生まれたって言ったわね。この森に住むつもり?」
「住む場所…………ですか……そうですね、とりあえずはこの森に住むつもりでいます」
「あら、そう?私もこの森に住んでいるから、それならまた会う機会があるかもしれないわね」
「ええ、その時は…まぁ、よろしくです」
と、握手してからそんな会話を交わして、元々どこかへ行く予定らしいアリスは背を向けて飛んでいった。アリスの操る人形たちも暁を一瞥した後同じように飛び立った。
「…やっぱり、飛ぶのかぁ」
暁は空を仰いで、豆粒ほどに見えるアリスの姿を見て、そう呟いた。
▼▼▼▼▼▼
アリスという人形遣いに出会ってから、五日間ほど経った頃だろうか。
暁はあれから新しい出会いなどももなく、特にする事もないため、修行の日々に明け暮れていた。修行の過程で何回も体が傷付き、再生した。そうしている内に、特有の細胞によって身体能力が強化されていく感覚がわかった。ヴィーテは『暁は弱すぎる』などと言っていたが、暁はそうは思っていなかった。喰種という種族の特性上、死なないかぎりはぐんぐんと身体が強化されていくためである。
そうこうしている内に、アリスと出会うきっかけとなった妖獣のような下級の妖怪達は、暁の力で圧倒できるようになっていた。
「……ふッ!」
そして現在暁が交戦するのは、人間程度の知能を有した中級の妖怪である。
人間の姿をベースに、所々恐ろしい妖怪としての特徴が現れた姿をしていた。
「……無駄だッ!」
少し格好つけた様に感じるその掛け声とともにその妖怪は暁を吹き飛ばす。
暁は大木に体を打ち付けそうになったが、無理矢理に体をひねって、逆にそれを足場として妖怪に飛びかかる。
一直線に飛んでいって、赫子を左から叩きつける。
「あぐっ…原作にこんなキャラ…いたか…?」
暁にとって意味不明な事をぼやきながら右腕で赫子を防いだ妖怪は、それでも赫子に弾かれて吹き飛ぶ。
「いねえな…なら…殺してもいい、よなァ!?俺にはそれだけの力があるんだッ」
妖怪はそれまで本当の実力を隠していたようで、中級どころかそこらの上級妖怪よりも強大な妖力を放つ。
そして、狂ったように笑い出す。
「まずは空間転移魔法だ!てめぇみたいに強いやつは、特別に――」
「…………はぁ」
「と……く…………………」
妖怪からにじみ出た強大な魔力と妖力が辺りの空間を歪めてみせたが、隙だらけで本当に楽しそうに語り出すその妖怪を一瞥した暁は、自らの赫子を地面に突き刺した。目の前の馬鹿な妖怪はそれに気付かない。
――そして、妖怪の背後の地面から二本同時に突き出た赫子は妖怪の腹を貫き、一本をもう一方とは反対側に動かすことで、その妖怪の体を引き裂いた。ぶちぶち、と嫌な音が聞こえた。
「…………死んだ相手に言うのもなんだけど…………すまない、何がしたかったのかよく…」
暁は少しだけ申し訳無さそうにそう言った。
それと同時に、制御を失った空間転移魔法が暴走し始める。
ぎぎぎぎぎぎ…と何かが歪むような音の後、暁の周りの景色ががらりと変わった。本来であればあの妖怪が作った空間に呼び出されるのであろう魔法は、中途半端な所で制御を失って、暁を一人、ぽつりと上空に転移させた。