ヱヴァンゲリヲン異聞譚   作:沖田十三郎

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序 1

●S‐0 ???

 ―――それは、静かな夜だった。

 昆虫の様に無機質な視線を、ただぼうっと放り投げている。

 視線を、斜め下に下ろして体を支える腕――というか手、その左側に向ける。

 そこには封の解かれた茶封筒がある。

 中にあるのは召喚状だった。

 好意的に捉えれば招待状と見て見れない事もないのかもしれないが、しかしそれには相当な無理と異常な努力を要求されるだろうことを、自身の脳髄は自信を持って弾きだしていた。

「やれやれ、全く面倒なことだよ。これだけの期間放っておいたんだ。このまんま野垂れ死ぬまで放っておいてくれればいいものを」

 唇の端から洩れた声に力はない。

 ともあれ未成年の身としては、親権を持った親なる存在の意向に逆らえるわけもなく、また世話になっている宮錠家の中でも孤立している身としてはどうせどこに居ようと行こうとさしたる違いもないと思えば移動の面倒さ以外に行くことを拒む理由もない事に些かゲンナリせざるを得ない。

「あゝ、一つあったっけ。」

 ――ここからの夜の眺めは嫌いではなかった、と。やはり力なく呟いた。

 生まれながらに色素の薄い髪が、夜風に揺れた。

 

 

ヱヴァンゲリヲン異聞譚:序

 

 

●S‐1 神奈川県 小田原市 旧根府川付近

 行きて返す(さざなみ)の如き波の群はテトラポッドに当たって砕け、それを飽きもせずに繰り返している。

 今日の赤い海は異様に静かだ。

 鳥のさざめきが、異様によく聞こえる。

 

 否、それは海岸線を埋め尽くす無数の鉄塊――戦車の群を見れば思考を要することもなく容易に察することができよう。

 凛冽(りんれつ)する砲口の先、広がる海には群島の様にポツリポツリと(ふね)が浮かぶ。

 その様は(まさ)しく臨戦態勢。

 戦闘に臨む前の戦陣のそれである。

 

 稜線を背景に水平線を臨む位置に構えた一両の戦車、その砲身の切っ先に泊まった鳥が、チチチと鳴いて翼を広げ、青空を舞った。

 その瞬間、それを開戦のラッパとしたか海が湾の中腹で底から爆ぜた。

吹き飛んだ海滴は大きく中空へと伸び、十字の形を伴って更に内側から爆ぜ、爆発の正体が空より降る水のヴェールの中から現出した。

 

 過去、極めて高い塩分濃度ゆえに沈んでいた何もかもがほとんど劣化することもなく現代へと引き継がれた湖がある。高すぎる塩分濃度ゆえ生命活動は許されず、()ってその名を死海と名付けられ、そこに沈んだ聖典をして『死海文書』と言う。

 

 海より来たる歓迎せざるその客を、死海文書に曰く〝使徒〟。

 

 遥かな過去の予言が成就した瞬間だった。

 

●S‐2 日本 某所

 常夏が状態となって幾星霜――などと言うほどに月日の積み重ねはない。どうという事はない。それは人類の犯してきた過ちと比べれば、比較することすら腹を抱えて笑ってしまうほどに可笑しく、そして軽い。

 神の気紛れか、或いは予定調和だったのか。

 覗き見る街の様子は突き刺さった電車の車両のせいで墓地の様だった。

墓標の様に林立する車輛の影、傾くビルヂング、抜けるような、吸い込まれてしまいそうな恐怖すら覚えるほどに鮮烈な、青、蒼、藍―――碧昊(アオゾラ)

 禿山の如きなだらかな丘は真紅に染まり、まるで殺人事件の現場検証の様に白い枠線で人の輪郭の様な物が焼き付けられている。

 印象として語るなら、それは人類という種の終わりを予感させる死の匂いのきつい刺青(しせい)に他ならない。

 或いは、台地に刻印された聖痕(スティグマ)だろうか。

 どちらにしろ、碌でもないという共通項目に変わりはないのだが。

 紫雲が(なび)いて逝く。

 痛いほどの青空を背景(バック)に流れていく。

 どこかで音がする。

 空気を引き裂いてゆくような、悲鳴のような音が、連なって歩いてくる。

 未だ、世界に死は訪れていないらしかった。

 

●S‐3 神奈川県 足柄下群 旧箱根湯本駅

 

 ぽつんと一人。

 電車の中には自分一人しかいなかった。休日の午後だというのに都会というやつは随分と裏寂れたものだと儚さすら感じる。

 もっとも、いつもは全く歯牙にも掛けないそんな事を考えているのは自覚できるレベルでただの現実逃避だ。

 カランカランカランと、過ぎていった踏切の音が虚しく響いた。

《終点、第3新東京市 終点、第3新東京市》

 まだ日は高いというのに異様に静まり返った人気のないホームに降り立ち、振り返ると扉は閉まって無人運航の電車はホームを出ようとしていた。

 ホームから降りて改札を抜け、手元の――召喚状とは別の――手紙に同封された地図を手に歩き出す。

 何処か遠くから、何かが聞こえたような気がしたが、気のせいだろうと歩き出した。

 取り敢えず、待ち合わせの場所には急がなければ。

 間に合わなければ元も子もないというものだ。

 そうして駅舎から出て広がる景色は、無機質でいて生活感があった。

 だからこそ、人の姿がない事がとても不思議だった。

 一言で言うならばそう、違和感というヤツだった。

「なんなのだろうね、これは」

 ―――これじゃあまるで街まるごとマリー・セレスト号にでもなったみたいじゃないか。

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