これは、社畜が社畜になる前よりもずーっと前のお話
――――『機械』が、『人間』になったお話
「ほら、早くこの項を覚えなさい!あなたならこの程度のモノは直ぐに覚えられるくらいの『性能』がある筈よ!」
とある家の中、そこで怒号に似た強要の声が響き渡る。その声を発しているのは身なりの良い恰好をした一人の女性。そして、その声を受けているのが机に向かっている一人の子供が居た。
子供は、女性と同じ様にそこそこ品の良い恰好をしており、貴族の子供が着るような服を着ている。髪もよく手入れされているのが分かるほど艶があり、肌もまた同じだった。綺麗に、完璧に、そう『着飾られた』子はまるで人形のようだ。…目の前にある机に向けている虚ろな目が一層それを思わせる。
「わかりました…」
怒号のような声を受け小さく、子供とは思えない言葉遣いで机の上に広げられたノートの内容を見る。すると、そのノートを数秒しない内に近くに居た女性はそれを取り上げてしまった。
「それじゃさっきの問題の答えをこっちに書きなさい」
「…はい」
きっとこの場に誰かいたら無理に決まってると二人をいや、そんな馬鹿な要望をした女性を笑うだろう。出来るわけがないと、きっと万人がそうするはずだ。…だが、そんな考えは見事に打ち砕かれる。
子供はサラサラと、差し出されたもう一つのノートに数字だけ書いた。それを再び女性は取り上げ満足気に笑った。
「…出来てるじゃない!それでこそ我が『子』だわ!」
――出来ていたのだ、子供はあの数秒の間にノートに書かれた問題を覚え、そしてそれを頭の中で解を導き出した。そして、女性が我が子と言ったことからこの子供は自分の息子なのだろう。
子供は、自分の母親が褒めてくれたことに全く反応をせずにただ黙っていた。
母親は、「今日はここまで」という言葉を残して部屋から出て行った。その後、子供はノソノソとベッドの方に近づきその中にもぐる。そしてスー、スーとやや薄い寝息を立てて寝始める。
穏やかに眠る姿は純粋な子供…などではなく、『人』の姿をした『機械』を思わせた。
朝、子供が六時ぴったりになるとその目をパチリと開けた。開いた目には眠気は一切なく、子供はいそいそとベッドから出るとクローゼットの中から服を取り、それに着替えた。普通、朝起きたなら多少は微睡むものだが子供にはそれが無かった。
子供は着替え終るとスタスタと歩いて部屋を出て行った。
子供が向かったのはリビング、そこには昨日部屋に居た子供の母親と更にもう一人、父親が居た。母親の方はキッチンにて料理を作っており、父親は難しい顔をしてデバイスの画面を眺めている。そんな二人に子供は「おはようございます」と抑揚の無い声で言う。それに対して二人は軽く視線を向けただけですぐに、再び元の作業に戻ってしまった。しかし、子供はそれを気にした素振りもせずに父親が居る机の方に向かい、その対面に座る。
「ん…」
「……」
子供が座ると前に居た父親が何かを差し出してきた。差し出してきたものはカプセルだった。が、普通に見るような色ではなく、一方が灰色、もう一方が赤色と怪しい色をしている。それを子供はためらいなく飲んだ。…飲んでから数秒後、子供の顔が一瞬歪むがそれも直ぐに無表情に戻った。
しばらくして、母親が朝食を運んでくる。それを子供は食べた後に、再び部屋に行き一つのカバンを持った。これと言った特徴がなく、精々がカバンの隅にマークがある程度のカバン…学校のカバンだ。子供は中身を確認したのちにそれを背負い玄関に向かって歩く。そこでは母親が待っていた。
リビングの方に父親は既に居なく、子供がカバンを取りに言っている間に家を出たようだった。
子供は、靴を履き玄関を開ける――のではなく、すぐに母親の方に振り向いた。母親は、そんな子供に向けて口を開く。
「――いい?学校までは最短距離で歩いて行くのよ?途中、人に話しかけられても決して着いて行っては駄目。学校では先生の話を良く聞きなさいね。ノートも絶対取るのよ。休み時間になったら次に授業の準備を済ましてから予習をしておきなさい」
ここまでなら、変に口うるさい母親に見える。だがここからが問題だった―――
「決して他の子に休み時間に誘われたからってソレに乗っちゃいけません。あなたに『エラー』が起こる原因になるからね。次に、テストがあった場合は必ず百点をとるように。それとお昼食べ終わったら渡してある『薬』を必ず飲むこと。帰り道はお父さんが居る研究所に寄りなさい、そこでお父さんの指示に絶対従うのよ。今日はお母さんも居るからね?その後はお家に帰って昨日の続きをやるわよ。続きが終わった後に今日は暗算問題もやるからね、その後は魔法理論の解説…分かったかしら?」
「分かりました」
狂気さえ感じる注意…いや、これは『命令』だろう。息子に気を付けなさいと言うような手軽さで、この母親は子供に向かい『命令』していた。そして他人から見たら間違いなくその気を疑うようなそれを子供は当然の如く受け入れ、間を置かずに了承の返事をする。
親子の間にあるのには酷く歪んでいる関係。
――道具と使用者のような、無機質な関係がそこにあった。
子供が学校に着く。直ぐに教室に向かい、自分の机に座った。
時間は少し早く、先生が来るまでまだかかる。そんな時間帯でも教室に子供はそこそこ居た。他の子供たちは昨日のテレビが面白かった、放課後に遊ぼう、そう言った話題で盛り上がっている。何処までも純粋な子供たちの姿がそこにあった。
だが、そんな雰囲気から子供は隔絶されていた。子供の周りだけ人が寄り付かず、子供もそれを全く気にしないと言う風にカバンから引っ張り出した本を読んでいた。
子供の読んでいる本はまだ彼の歳では習う事の無い魔法理論の本。それも、ただこうすれば発動する、のようなものではなく膨大な計算式が書かれているタイプのモノ。大人でも読む人間はそう居ない。それを子供は絵本を呼んでいるかのように見ていた。
時間になり、先生がやってくる。他の子供たちは席に着かずバラバラに散っているのを先生に咎められながら席に着いた。子供は先生が来たため本をカバンにしまい、その様子を景色でも眺めるかのように見る。
先生が居なくなり、別の先生が入ってきてから始まる授業。子供はそのどれもこれもを表情一つ変えずにこなしていた。最後の授業も全く変わらずに終え、帰り自宅をする。すると、子供は他の子供に呼び止められた。
子供を呼び止めた子はニヤニヤと笑っており、その後ろにも同じように別の子供が居た。
不意に、いきなり子供の後ろから誰かが襲い掛かる。そして、子供が背負っていたカバンを奪っていった。奪っていったのは別の子。先ほど子供を呼び止めた子たちと共に笑っている為計画的犯行なのだろう。子供はそれを躱らず無表情で見る。
そんな子供の態度が気に入らなかったのか、子供を呼び止めた子が子供の胸ぐらを掴みベチンと音を立てて子供を殴った。その様子を周囲の子供は囃し立てる。囃し立てられたことにより増長した子は子供に蹴りも入れた。
幼いが故に起こる問題、本来なら年上の者の誰かが止めるべきもの。しかし、この場には子供たちだけしかいない。故に誰も止めることはなかった。普通なら、このまま子供が酷い目にあって終わりだろう。が、それは子供が『普通』だったらの話だ。
「正当防衛…」
ボソリと小さく子供が呟いた。殴った子が「何か言ったか」と言う…いや、言おうとする前にその口は強制的に閉ざされた。子供による下からの掌底をもってして塞がれたのだ。
下からの、ジャンプするかのように足の筋肉まで使われた掌底は殴られた子の意識をその衝撃でもって断った。きっと、脳が大きく揺れたのだろう。そんな子供の様子を他の取り巻きの子たちが呆然と見ていると子供は自分のカバンをもった相手からカバンを直ぐにふんだくり、その場を後にした。
その間際、最後にこう言葉を残して
「…仕組みが分かっているなら実行に移すだけ」
子供は、朝母親に言われたとおりに父親が勤めている研究所に向かう。
着いたのは、何研究所にしてはやや小さい建物。建物の入り口の前には警備員が居たが警備員は子供が通るのを機にもしなかった。
子供は勝手を知っているのか、スイスイと道を進んでいく。最後にエレベーターに乗り、そのまま地下へ降りていく。エレベーターが止まれば再び歩き出し、一階よりもやや薄暗い道を歩くと一つの部屋に入っていく。
入った先に部屋には、今朝ぶりの父親が白衣を着て立っていた。子供はそんな父親に自分が来たことを知らせる為声を掛ける。声を掛けられた父親は、返事をせずに視線だけを寄越すと顎で自らの先にある椅子に座れと命じた。命じられた子供は椅子に座る。椅子は子供の小さな体には少し大きいようで足は僅かに地面に着いていなかった。
そんな子供に父親の方は何処からか持ってきたのか、ヘルメットのようなものを子供の頭に被せる。そうすると、子供の目は細くなり昨夜と同じ様に小さな寝息を立て始めた――――
子供が目を覚ますと、机で何かを打ち込んでいる父親とその傍に子供が眠る前までは居なかった母親の姿が目に入った。二人は何かを話しあって夢中になっており、子供が目を覚ましたことに気付いていない。
ボソボソと、声は小さいながらも二人の話内容はしっかりと子供の耳に届いていた。
「…『薬』はしっかり飲ましてるのに『ナノマシン』の浸透率が悪いな」
「そればっかりはしょうがないわ、アレは本来の予定だったら脳の発達が強くなる時期に行う予定だったもの。別にしっかりとした数値は叩きだしてるでしょ?」
「ああ、その辺は問題は無い。今の数値だったら質の悪いデバイスよりは上ってところだ」
「魔法理論については今夜基本的な計算式を『入力』させるわ」
「…そう言えば、まだ完璧に『エラー』は消えないか」
「流石にね、もっと時間を掛ければ落ち着くはずなんだけどまだ数値に揺れ幅があるわ」
「その揺れ幅が演算の遅延化をさしているんだ」
傍から見れば、何について言っているか分からない言葉の応酬。しかし、それを見ている子供はしっかりと理解していた。自分について語っているのだと。
ただ、子供の思う通りだったとするならば些かおかしい表現がある。我が子に普通の親は『エラー』や『ナノマシン』、『入力』などという単語は使うことが無い。が、そんな疑問は次の発言で消し飛ぶ。
「あの子の―――『デバイス』にしたとき性能は未だ最低ラインまでしか行かない。シングルタスクまでが限界になっているんだ」
「マルチタスクを強制させる信号を送ってみたらどうかしら?幾ら『デバイス』にしようと思っても生物のそれなんだし復習させれば覚えるかも知れないわ」
…この二人に、我が子を、子供を『人間』としてみる視点は存在していなかった。あくまで、生物の形をしている『機械』、そう判断しているのだ。とてもじゃないが、正気とは思えない。
そして、そんな二人の会話を聞いても何も思わない子供もまたオカシイ。いや、子供の中ではそれが正常なのだろう。何せそれ以外を知らないのだから。
――これが、子供の『日常』
―――これが、『デバイス性能を持つ人間の研究』の『試作型』
――――これが、十一歳の『人間』になる前の『ピース・ルナセル』
本物の正常に生まれ落ちることが出来なかった。正常に育つことも許されていない、『人間性』を切り取られたどうしようも無い程に哀れな子供の姿だった。