糖蜜がキラキラと輝くあんみつを前に、少女は戸惑った声を出す。
「あの、本当に良いんですか?」
「もちろん。話がしたいと持ちかけたのは私たちで、場所を変えようと提案したのも私たちです。おもてなしをするのは当然でしょう」
恐縮しきりな緑の少女に対し、白狼天狗の椛が柔らかく微笑む。
「椛姉さんの言う通りです! ここでは外から人が来ることなんてめったにありませんから、あなたは貴重なお客様ですよ」
椛の隣に座る、子供らしく頬を赤らめた少女が胸を張る。
その可愛らしさと微笑ましさに緑の少女も頬が緩む。
いきなり妖怪と人間のコンビに絡まれた時はどうなるかと思ったが、友好的で良かった。あまり歓迎されなかったらどうしようかと不安だったのだ。
「ではご厚意に甘えまして……美味しい!」
「それは良かった。外の世界から来た人の舌に合うかはわかりませんでしたから。阿求ちゃんもどうぞ?」
「あ、はい。……ところでお金は」
「後で彼にツケます」
爽やかな笑顔で言い切る椛に、阿求は困ったように笑うしかなかった。
「えっと、お祖父ちゃんがこんなことをする相手というのは信頼している証拠ですから……」
「それがわかっているから、なかなか怒る機会も来ないんですよ。こうしたささやかな仕返しくらい彼の無茶振りに比べれば可愛いものです」
それに彼自身は山の神社に座す神との会合に向かっているのだから、信綱が一番危険な役割を背負っているのは変わらない。
だからなんだかんだ怒りづらいし、大体何でもできる彼が頼ってくるのなら応えようという気になってしまうのは――そこまで含めて彼の困った部分であり、魅力なのだろう。
ともあれ三人はとりあえず甘いものを食べて場を和ませ、一息ついたところで互いの自己紹介が始まった。
「私は山の神社――守矢神社の方から来ました。風祝の東風谷早苗と言います。厳密には違いますが、巫女のようなものだとお考えください」
「稗田阿求と言います。ここ幻想郷における妖怪や彼らに抗う英雄を記す本――幻想郷縁起の編者を代々務めています。本当は私の家族で従者が一人いるんですけど、今日はちょっと席を外しています」
「その代理で来ました。白狼天狗の犬走椛です。阿求ちゃんの話す従者の人と個人的な付き合いがあって来ましたけど、所属自体は妖怪の山です」
とりあえずの自己紹介を終えて、緑の少女――早苗は不思議そうに首をかしげた。
「えっと、稗田……さんはわかりましたけど、犬走さんは……?」
「事情があって、と言いましたが人里では騒ぎを起こさない限り妖怪も普通に入れて、人間と仲良くする者もいる、とだけ覚えてくだされば大丈夫です」
そして仲の良い人間のためであれば所属する組織を越えて協力し合うこともある、と言って椛は微笑む。
実際のところはちゃんと天魔から椛を動かす許可を信綱はもらっているが、許可が降りずとも椛への協力は要請していただろう。そして椛はどちらの場合でも彼の頼みを断らない。
「それと名前で構いませんよ。公の場でもない限り、そういったことは気にしません」
「じゃあお言葉に甘えて。お二人はどうして私に?」
「はい。今回は私が早苗さんのお話を聞きたくて、こうして声をかけさせてもらいました」
そう言って阿求が使い慣れた手帳を片手にニッコリ笑う。
椛も笑いながら、信綱がどこまで読んで自分に今の状況を押し付けもとい頼んだのかを考えていた。
一応の保険とは言っていたが、こうして人里に早苗がやってきたのを見ると、会合に合わせて誰かが人里に来ることまで読んでいたのではないかと思ってしまう。
……まあ多分、最悪の可能性まで諸々考えた上で椛に頼んで、そして彼の中で考えていた可能性の一つが実現したという形なのだろう。常日頃から自分の願い通りに物事が上手くいった試しがないとボヤいているのだ。
椛が思索にふけっている間に阿求は好奇心に輝く瞳を隠さず、早苗に質問を投げかけていた。
「じゃあ早速――幻想郷に物や人が流れ着くことはたまにあるんですが今回みたいに土地ごと、というのは初めてです。事故とかではなく、意図的に幻想入りしたのですか?」
「そうですね。守矢神社の祭神であるお二柱――八坂神奈子さまと洩矢諏訪子さまの意向で幻想郷にやってきました。ただ、幻想郷がどういったものとかはわかっていなかったので、出てきた場所はあのようなところになってしまいました」
阿求の質問に対し、早苗もあらかじめ聞かれることを予想していたのかハキハキとした口調で答えていく。
しかし出てきた場所については不安に思っているところもあったようで、その表情はやや暗い。
「……確かに色々と問題がありそうですけど、何とかなりますよ。そのためにあなたも動いているんでしょう?」
「そう言っていただけると嬉しいです。神奈子さまはお前が気にする必要はないと仰ってましたが、やはり気になるものは気になりますから」
今まさに守矢神社で会合が行われているであろう今日、人里に来たことから見るにこの少女は二柱の祭神から意図的に政治的な舞台から遠ざけられているのだろう。
別段、自分の家に被害があったわけでもなく、すでに天魔と信綱が事態の収拾に動いていると知っている椛は実に気楽に早苗を慰めていた。
どんな形で会合が終わるかはわからないが、あの二人なら悪いようにはしないだろうという信頼があるのだ。早苗の語る祭神がよほど非友好的な態度を取らない限り、彼らはやってきたものたちを無下にはしないはず。
阿求は早苗の口から語られる二柱のことを熱心に聞いており、手帳に書き記す手が止まらない。
「ふむふむ、私もあまり神さまに詳しいわけではありませんが、二柱ともにかなり長い年月を活動してきた方のようですね」
「はい。正確な年数は私も知りませんけど、千年とかではきかないでしょうね」
「なるほどなるほど。そちらは後日お祖父ちゃ――私の従者と一緒に改めてお話を伺うとします」
「お祖父ちゃん?」
「この子が生まれる前からこの子の一族に仕えている人なんです。人間でかなりの高齢ですが、色々と凄まじい人ですよ」
あらゆる意味で、という言葉は飲み込んでおくことにした。
はぁ、とまだピンと来ていない早苗に椛は曖昧に笑うことでごまかす。
妖怪のはびこる幻想郷で最強の一角に至り、政治にも長けた紛れもない英雄であり――阿礼狂いと呼ばれる狂人であるなど、上手く伝えられる自信がこれっぽっちもなかった。
早苗の反応を見る限り阿求をむやみに害することもないはずなので、今のところ伝えなくても問題はないと椛は判断していた。
「私も今日は代理ですし、そちらには慣れている人が向かうのが良いでしょう。今、阿求ちゃんが聞きたいのはそのお二人ではなく――」
「はい! 早苗さん、あなたのお話を聞きたいです!!」
「わ、私ですか?」
早苗の話は先ほどから自分の神社の祭神に終始していた。
巫女のようなものと語っていたので正しい姿なのかもしれないが、阿求が聞きたいのは早苗自身の身の上や境遇だった。
「うーん……幻想郷で暮らしているお二人の御眼鏡に適う話かは保証できませんよ?」
「そんなことありません。外の世界で暮らしていたあなたのお話は全て貴重なものです!」
「あまり肩肘を張らなくても大丈夫です。茶屋での茶飲み話程度にあなたの話を聞かせていただければ、と」
阿求、椛の言葉に早苗も何を話そうか悩んでいたものの、やがて力の抜けた笑顔を浮かべてうなずいた。
「えっと、はい。これも一つの布教の練習だと思います。では――」
「――という絵面を引いている。お二人にゃぜひとも協力して欲しい」
場所は変わって守矢神社。人間と天狗、神との会合場所である。
神奈子と諏訪子が謝罪をし、それを受け入れた天魔が現状の説明を行い、不満のガス抜きと彼女らを幻想郷に受け入れるわかりやすいイベント――要するにこれから起こそうと画策している異変の話をしていたところだった。
「……おい、天魔」
「良い手だろ? オレらが抱えてる問題も、そっちが抱えてる問題もいっぺんに片付けられるし、人里に害は行きにくい」
「断ったら?」
「その時はこっちが主導でやるだけだ。そっちに被害が行かないよう配慮はするが、オレも天狗の隅々まで指示を行き渡らせるのは難しい。どうなるかまでは保証できんね」
運悪く勘違いした天狗がそっちに行くかもしれない、と暗に言っている天魔の言葉に諏訪子が頬を引きつらせる。
乗らなくても致命的な状況にはならないが、後々を考えると絶対に得策ではない。
「なあ人間、この天狗タチ悪くない?」
「それには同意する」
実質的な脅迫である。諏訪子の言葉に信綱も首肯して同意を示す。天魔はケラケラと笑うばかり。
「おいおい、そっちに配慮もしてる。人里にも配慮をした。そんでこっちは美味しい思いができる。良いことずくめだと思わないか? 旦那」
「最初からこの絵面を引いていたな、お前」
「さて、どうだろうね」
無論、神奈子と諏訪子が友好的な関係を結ぶことすら突っぱねるなら躊躇なく殺すつもりだっただろう。
しかしそうでないのなら、早速巻き込んで嫌でもこちら側に引き込む算段だったようだ。
さっきまでは本気の殺意を見せていたのに、今はこの態度である。どちらが本心なのか? 間違いなく両方だ。
相反している考えをさも当然のように持ち、どちらに転んでも自分たちが得をする方向に舵を切る。これを千年続けたからこそ、彼は今なお天魔の座にいるのだ。
こいつの後継者とか一生現れないのでは? という自分を棚に上げた疑問を覚えながら信綱は口を開いた。
「人里としては害がないなら積極的に止める理由はない。巻き込まれる博麗の巫女には同情するが、妖怪どもが好き勝手するのは宿命だから諦めてもらおう」
「……なんか重さがある言葉だね」
ついさっきまでお前にも絡まれていたんだよ、という嫌味は諏訪子の同情的な視線を見て引っ込めることにした。自分の身の上を語ったところでなんの意味もない。
「で、乗るか乗らないか。おたくらが決めるべきはそれだけだ。返答は如何に?」
「……ま、長い付き合いになるんだ。最初くらい仲良くやっていこう。――次はこうは行かんぞ」
「ハッハッハ、長生きしている神さま相手に知恵比べができるなんて天狗冥利に尽きるね」
全く応えた様子のない天魔に神奈子は頬を引きつらせながら握手をする。
あれはきっと怒りだろうな、と彼女の内心を推し量りながら信綱は話が終わったので立ち上がろうとする。
と、そこへ諏訪子が割り込んできた。
「じゃあこっちの事情も全部話しちゃおう。神奈子もそれでいいよね?」
「異論はないし、一応躊躇いはあったけど今ので消えた」
要するに天魔に巻き込まれたのだから、自分たちも巻き込んでしまおうという考えである。
信綱は特に関わりがないはずなので逃げたいのだが、神奈子と諏訪子の視線は天魔ではなく信綱に向けられていた。
「なんだかんだ悪いようにはならないと思うよ。それに巻き込まれるのが私たちだけというのも面白くないじゃない?」
「さて、話もまとまったし俺はこれで――」
「逃がすと思う?」
面倒なことになりそうだと経験則で理解した信綱が逃げようとするものの、背後から諏訪子の気配を感じて思いとどまる。
多分、逃げたら本当になにかしてくる。呪詛か、あるいは神威か。どっちにしてもロクなことにならないのは確実だろう。
渋々座り直すと、神奈子と諏訪子は神妙な顔で何から話したものか、と思案し始める。
「最初から全部言った方が良いでしょ。事情を知っていれば何か協力してくれるかもだけど、知らなきゃ協力も何もない」
「ふ、む……」
「ねえ二人とも。今から話そうと思う内容はあまり軽々に話す類じゃない、というのは理解してもらえる? あの子の道はなるべく狭めたくないのよ」
人を食ったような態度だった諏訪子が真面目な顔になり、彼らに口を開く。
その様子に、どうも本当になにか事情がありそうだと考えた信綱と天魔は顔を見合わせてうなずいた。
「内容次第だが、公表するような真似だけはしないと約束しよう。話の中身も多少は予想がつく」
「右に同じく。おたくらを陥れるのは大歓迎だが、そこはバチバチの知恵比べでやりたいんでね」
両名の言葉を聞いた神奈子は少しだけ表情を和らげ、少女らしい笑みを浮かべた。
先ほどまでは神徳とも言える威容にあふれていたが、こちらが素の表情らしい。
「ありがとう。そう言ってもらえる人たちが最初の人間でよかったわ」
「そっちが素か」
「これも公表はしないで頂戴。フレンドリーな神さまってのも悪くはないけど、やはり神はその威光があってこそだから」
今の情報を話して彼女らの地位を落とす必要性があるとも思えないため、信綱はうなずく。天魔は軽く笑い、確約はしなかった。
「さて、お互い気も楽にしたところで話しましょうか。私たちが幻想入りしてきた本当の理由を」
「信仰が廃れた外の世界を捨てたのではないのか」
「一番大きな理由はそれだけどね。少し意味合いが違ってくるの。――時に人間、神が死ぬ条件って何だと思う?」
「……忘れられることだろう。妖怪は畏れ。神々は信仰。どちらも言ってしまえば人々の記憶に留まることだ」
幻想郷に長く暮らしている妖怪にはその辺りを適応し、あまり畏れや信仰を獲得せずとも生きられるようになっているものもいる。先日会った雛はその一例になるだろう。
だがそれは幻想郷での暮らしに時間をかけて徐々に性質を変化させていったということであり、目の前の神奈子と諏訪子には適用されない。
信綱の答えが正しかったのか、諏訪子はニンマリと笑う。
「その通り。だけど現代の外では本当に信仰が薄れつつあってね。昔は一廉の権勢を誇った神々でさえも存在の維持が難しくなりつつある」
「今日明日、という話ではないけれど、間違いなく私たちも消え去る時が近づいていた」
神々の話だ。実際にいつになるのか、信綱には想像もできない。
しかし彼女らは間違いなく終わりが見えていたのだろう。近づいていた己の死期を語る神奈子の瞳に、信綱は自身と同種のそれを感じ取る。
「……初めに言っておくと、私たちはそれで良いと思っていたの」
「長いこと生きたしねえ。人間たちに祝福を授けることもあれば祟りをくれてやったこともあった。神奈子と本気の殺し合いもしたし、手を取り合って協力もした。……まあ、やりたいことは一通りやったからもう良いかなって気分だったんだ」
神奈子と諏訪子は自身の死に前向きだった。どれほど生きたのかはわからないが、終わりが近づくのならそれもまた良しと受け入れられるだけの時を生きたのだろう。
「そんな時だよ。――あの子が生まれたのは」
「現人神、ですか?」
「ええ、そうです。人のまま神の資格を得たもの。それが私になります」
「ふむ……極めて珍しい事例ですね。私の記憶をたどっても阿礼の時代にそういったことがあったらしい、程度しかわかりません」
現人神という言葉に対し、阿求は興味深そうに自身の記憶をたどり、椛は深く考えることなく感嘆の息を漏らしていた。
「これもひとえに守矢神社の御威光が為せる御業。どうですお二人も? これを機に宗旨変えというのは」
「祭神さまを見てから考えさせてもらいます。しかし、現人神というのは人が人のまま神になる――信仰を獲得することのはずです。早苗さんは外の世界でも活動を?」
「いえ、一応能力と呼べるものはあるのですが、お恥ずかしながら自分だけでの発動が難しいものです。ですが守矢神社への信仰が私にも影響を与えた――と神奈子さまは仰ってました」
「……早苗さんはあまり詳しい状態をご存知でない、と?」
「あはは、そういうことになりますね」
照れたように笑う早苗に阿求は情報を書き留める手を一旦止めて、穏やかに笑う。
その顔が先ほどまで見えていた、子供らしいそれとは一線を画する空気を帯びていることに早苗は気づかなかった。
椛は敏感にそれを察したのか、早苗が読み取る前に口を開く。
「今日のところは早苗さんのお話が聞けたことが大きな収穫ですよ。これからも人里で布教活動を?」
「そのつもりです。あ、もちろん公序良俗に反する真似はしませんよ!」
「そんなことしたらさすがに放置できませんから!?」
人里の守護者でもある信綱が彼女を容赦なく追い出すことだろう。彼は人里と御阿礼の子に害をもたらさない限り非常に寛容だが、害を与えた場合はその限りではない。
「あ、でも一つだけご注意を。三十年ほど前から、人里は人妖の双方が入れる場所となっています。あまり片方に肩入れした布教などをするといらぬ軋轢を生むかもしれません」
「そうなんですか? あ、言われてみれば椛さんは何も言われてませんね」
椛の場合は人間と妖怪の交流が始まった黎明期の頃に、人間の自警団に十年ほど所属していた時期があったのだ。その時間が彼女を人里に受け入れられる下地を作っていた。
「あと、博麗の巫女の存在が大きいですね。人間と妖怪の天秤を傾けすぎないようにする調停者です」
「むむ、巫女ですか。つまり……私の商売敵?」
「どうでしょう。確かに神社ですけど、祭神もわかりませんよ?」
本当に。阿求は博麗の巫女と個人的な親交を持っているが、彼女の口からそういった宗教的な話を聞いたことはない。彼女の父親代わりである信綱も知らないはずだ。
しかし早苗は阿求の言葉を額面通りに受け取らなかったようで、こうしてはいられないと慌てて席を立つ。
「神社に住んでいて、巫女で、しかも幻想郷において長い歴史を持つ! これは新参者の私たちには大きすぎる障害です……!」
「そういう見方もあるんですね。私や阿求ちゃんはあって当たり前のものだと思ってました」
「その考えこそ私の敵なのです! あって当たり前と言われるほど根付いているものに対抗することの難しさが想像できますか!?」
なにかスイッチが入ったのか、熱弁を振るってくる早苗に二人はとりあえずうなずいて話を合わせることにした。下手な反論は話を面倒にするだけだ。
それに言っていることがまるっきり理解できないというわけでもないのだ。外の世界から来る人は新鮮な考えを持っているなあ、とむしろ楽しんでいるくらいである。
「こうしてはいられません! 神奈子さまと諏訪子さまにご報告を……あ、でも今日は大事なお話があるから外で待ってろと言われてました。ならば敵情視察を!!」
「あ、ちなみに博麗神社の方角はあっちです」
「情報感謝です!!」
気分も高揚していたのか、椛の言葉にシュパッと敬礼のようなポーズを取ると、あっという間に博麗神社の方向めがけて飛び去ってしまった。
阿求と椛はそれを茶屋で見えなくなるまで眺めた後、不意に阿求が椛に聞いた。
「……椛姉さん」
「なんでしょう」
「……楽しんでたよね?」
「ええ、まあ、はい。阿求ちゃんもちょっとは楽しかったでしょう?」
「う、否定できないけど……」
はぁ、と阿求は困ったように笑うしかない。早苗の反応が見ていて楽しかったのは事実である。
しかし飛び立っていった彼女を思い返すと、巡り巡って誰か――具体的には今日も守矢神社に赴いて話をしているどこかの誰かが面倒事に巻き込まれる予感しかしなかった。
「……お祖父ちゃんなら大丈夫よね」
「もちろん。彼ならきっとなんとかしますよ」
あはは、と笑い合って二人はお茶のおかわりをもらうことにしたのであった。
「……?」
「どうかしたの、人間?」
「いや、ちょっと悪寒が」
「風邪? ダメだよ不摂生は。どうせ死ぬんなら私の祟りで死んでもらわないと畏れてもらえないじゃない?」
「お前の祟りで死ぬ予定もない」
本心から心配している風にこちらを見ている諏訪子に憮然と言葉を返し、姿勢を正す。
妙な寒気――具体的に言うならこの後絶対に面倒なことが起こるという、理解したくなかった感覚を覚えた信綱は一つ咳払いをして、話の腰を折ってしまったことを謝罪する。
「すまない、話がそれた。……現人神、というのが話の焦点だったか」
「そうだね。確かに人の肉体を持ちながら、神に至る資格を得たもの」
「……力の大小で誰でもなれるものなのか?」
「いんにゃ、神に至る才覚というのもあるんだろうけど、何よりその人間への信仰が不可欠だ」
「ふむ」
信綱が見る限り、神奈子と諏訪子は両方とも混じりっけなしの神に見える。厄神と出会ったことで彼の感覚は神のそれを正しく覚えていた。
「……今日、この場にいないもう一人か」
「そうだね。早苗と言う子なんだけど、あの子が私らに幻想郷へ行くことを決断させた」
「……なるほど、意外と子供思いだ」
神奈子の言葉を黙って聞いていた天魔が全て納得したようにうなずきながら、口を開く。
「わかったのか?」
「旦那もちょっと考えればわかるよ。その現人神とやら――最終的にはどっちになるんだ?」
「……人間としての寿命を終えるか、信仰が溜まれば神に至るのでは――そうか」
天魔に遅れて信綱も神奈子たちが話す内容を正しく理解する。
そう――信仰の廃れた現代において現人神に生まれるということの残酷さを。
「理解が早くて何よりよ。もう外の世界では私たちの姿を見ることも声を聴くこともできない人が大半だった。徐々に消えていく信仰に寂しさはあったけど、それが仕方ないと思えるくらいに人間は繁栄を謳歌していた」
「だから私たちの役目はもうおしまい。後はのんびり消えるのを待とう。……そう思った矢先にあの子が生まれた」
生まれ落ちた時から、その少女は神奈子と諏訪子が認識できた。声だけでなく、姿かたちまでハッキリ認識できるほどの力を所持していた。
「声を聞けるだけならともかく、姿まで見えるとなると相当昔の人間じゃないと難しかった。本当――生まれる時代を間違えるにも限度がある」
世が世なら稀代の巫女として名を馳せていただろう。二柱の神が太鼓判を押すほど、その少女の才覚は抜きん出ていた。
「ただ、それが今の時代だと悪い方向に働く。考えてもご覧よ、摩訶不思議な術やら何やらが一切駆逐され、科学という誰でも扱える便利なものが台頭した世界に、摩訶不思議な術の適性がメッチャ高いどころか、無意識の行使すら可能な子が生まれたんだ」
「……ひどく息苦しいだろうな」
「息苦しいだけなら良いさ、
彼女の話を聞く限り、人が神に至るには資質と信仰の両方が必要になる。
資質は十分。ならば信仰があれば神に成れるのだろう。
それが何の問題もなければ、彼女らはこうして幻想郷になど来ていない。つまり――穏やかな死をかなぐり捨ててでも幻想郷に向かうだけの理由がそこにあるのだ。
「恨んだよ。何を恨めば良いのかもわからないけど、とにかく恨んだ。あの子は私たちが何もしなくても神に成って――そして、信仰に依らないと生きられない神になった時点で、信仰のないあの子は消えてしまう。輪廻転生の輪に入ることすら許されない、本当の消滅だ」
「待て。神に成るには信仰が必要なのではないのか?」
「信仰ならあったさ、彼女の生家である守矢神社への信仰がね。ただ、これはあの子個人に向いた信仰じゃない。神に成ることができても、神に成った後の信仰にはなりえない」
「……タチが悪い」
つまり、彼女は何もしなくても神に至り、そして神になった瞬間に存在を維持できず消え果てるというのだ。
これこそ理不尽としか言えまい。神として生き、人間たちに理不尽を振りまいた側である守谷の祭神ですら、何かを呪わずにはいられなかったほどの。
「わかってもらえたかい? 私らはともかく――早苗はここでしか生きられないんだ。外の世界にあの子の居場所はない」
「新しいものだからこそ、過去の栄光にすがることすら許されない、か……」
推測になるが、神奈子と諏訪子はその気になればどうにかなっただろう。相当昔から活動していたのであれば、その伝手を使うなりすれば二人が生きていく分には問題なかったはずだ。
「ここでなら私らを見える人間もいるように、信仰もかつてみたいに得られるはず。そうして得た信仰で早苗が神になっても大丈夫な基盤を作りたい。これが私たちが幻想入りを決断した理由よ」
「……天魔」
「嘘じゃないだろ。嘘をつくんなら外の世界に現人神が生まれたなんて荒唐無稽な話は入れない」
「嘘だと思ったわけじゃない。お前がどうするか聞こうと思っただけだ」
「別になにも? そっちの問題はそっちの問題だ。オレたちがどうこうしようってのが筋違いになる」
「同情して欲しくて話した……わけだけど! 覚えてもらえるならそれでいいよ。早苗のためってのが一番大きいだけで、どうせなら私たちもセカンドライフってやつを楽しむ予定だし」
子供のためという理由だけで終わっていれば美談になったかもしれないのに、なんて奴だと信綱は嫌そうな顔になる。自分勝手な奴らばかりという点では妖怪も神も大差はない。
諏訪子と神奈子は話も終わったと再び神としての威厳をまとい始めた。
「――さて、話はこれで終わりだ。お前たちはこれにどんな反応を見せてくれる?」
早苗さんと神奈子さまの知っている事情と知識には違いがあるという意味で、視点を飛び飛びになっています。基本的には神奈子さまの話が真実と見て良いです。
Q.早苗さんが幻想郷に行かずに現代で暮らしていたらどうなるの?
A.ある日唐突に神になり、その直後に彼女自身への信仰が足りず消滅。セルフバニシュデス。
ちなみにタチが悪いことに神として消えているため、魂が輪廻転生の輪に行かず本当の意味で消滅します。
神奈子さまが言っていたように、生まれる時代を完全に間違えてしまった少女です。ある意味ノッブ以上に。