「わ、ここからも弾幕ごっこの光が見える」
稗田の屋敷に戻り、信綱が用意した紅茶とクッキーをおやつに、阿求は縁側で妖怪の山にて繰り広げられている弾幕ごっこを眺めていた。
レミリアが幻想入りした頃から食文化にも変化が訪れており、主のために技術を磨くことに余念がない信綱はその方面も取り入れている。そのため洋菓子や洋食を作ることも材料さえあれば可能である。閑話休題。
「私も実際に誰かがやっているのを見るのは初めてになります」
阿求の隣に座り、信綱も弾幕ごっこの光を見る。
霊夢のスペルカードを見たことは何度かあるが、他のスペルカードを見たことはなかったため、ひどく新鮮に映る。
紫が主導し、自分と天魔、レミリアらで作ったルール――血で血を洗う暴力でなく、美しさを競うというそれは、誰の目も楽しませられるものになっていたようだ。
「……阿求様、楽しいですか?」
「うん、とっても! キラキラして、法則があって……見ていて全然飽きない!」
「それは良かった」
阿求が楽しんでいるなら何よりである。
かつて刃を振るい、血に塗れた光景をいくつも作って今の時代に至った信綱は、その光景を誰かに見せるべきではないと位置づけていた。
弾幕ごっこに目を輝かせる阿求を見てそれは確信になる。誰かが見て嫌悪を覚える光景を作り出すのが戦いだと言うならば、それはやはり今の時代には不要なのだ。
と、そんなことを考えていると信綱の隣に座っていた椛が紅茶に息を吹きかけて冷ましながら飲み、ふと気づいて顔を上げる。
「……あれ?」
「どうした」
「妖怪の山の異変なら、私もいないとまずくないですか?」
「今気づいたのか?」
「わかってたなら教えてくださいよ!?」
「別に良いだろう。後で何か言われたら天魔の指示を受けていたでも、俺に巻き込まれていたでも好きに言えば良い」
椛を動かす許可を出したのは天魔なのだから、彼の命令に従っていたと言っても過言ではないのだ。
それにいざという時は自分の名前も使えば良い。かつての騒乱の折、信綱の名前はただの天狗にも十二分な効果を持つようになった。
「……良いんですか? 君の名前を使っても」
「最初に巻き込んだのはこっちだし、その責任ぐらいは取る。第一、お前が行ったところで何ができるわけでもあるまい」
仮に彼女がスペルカードを用意していてなおかつ凄まじい実力者、ということはないだろう。今の幻想郷でスペルカードルールに強ければすぐ噂になっている。
「む……その通りですけど」
「だったら開き直れば良い。それに……」
信綱が視線を阿求の方に向けると、阿求は椛の方に笑顔を向ける。
そして空いている自分の隣を叩いて彼女を招く。
「椛姉さんもこっちに来てお話しましょう? こんな風にお話ができて、とっても楽しいの!」
「阿求様以上に優先すべきものなど何もないだろう?」
「いや、君の理屈に巻き込まないでくださいよ……」
至極真面目な顔で言い切る信綱に肩を落としながらも、椛は阿求の隣に移動する。妖怪の山に戻るのは諦めたらしい。
「でも君の言うことにも一理ありますから、今日のところはこうしています。私も阿求ちゃんと話したいですし」
「その方が良い。さて、紅茶のお代わりでも……む」
信綱が立ち上がり、台所へ行こうとすると不意に空を見上げて顔をしかめる。
釣られて椛も顔を上げ、その千里眼で誰が近づいてきているのかを察した。
信綱は台所に向かおうとしていた足を反転させ、中庭に立ってそれを待ち構える。
「……魔理沙、人の家には玄関から来るものだぞ」
「急いでるから大目に見てくれよ、爺ちゃん」
魔法の箒に乗って凄まじいスピードで来たのは、黒白のエプロンドレスに身を包んだ霧雨魔理沙だ。
彼女は信綱の前に降りると、悪童そのものな笑みを浮かべながら妖怪の山の方を指差す。
「たまたま里に戻ってたらあれだ。どう見ても異変っぽいけど、目に見えるような騒ぎも起きてない。一体全体どうしたんだありゃ?」
「山の神社は知っているな? あれが信仰を独占するために博麗神社に喧嘩を売ったんだ」
信綱が異変の概要を話すと、顔を輝かせた魔理沙が再び魔法の箒にまたがる。
「へぇ。ってことはありゃ霊夢と妖怪の山が勝負してるってことか」
「そうなるな。異変という形を取っているから、お前が参加しても良いはずだ」
「ははっ――願ったり叶ったりだ。場所もわかりやすいし、今度こそ霊夢より早く異変解決してやるぜ!」
「その意気だ。まだ時間もそう経っていないから、十分追いつける」
「おうよ! 私が異変解決したら爺ちゃんも褒めてくれよな!!」
父親に褒めてもらえ、と言おうとする前に魔理沙の姿は妖怪の山に消えていた。
話を聞かない輩が多くて困るとため息をついて、信綱は台所へ戻ろうとする。
そんな彼の背中に椛が声をかけてきた。
「良いんですか、行かせちゃって」
「駄目だと言う理由もないだろう」
「無関係ですよ?」
「関係の有無で言うなら天狗も便乗しているようなものだぞ」
守矢神社についたとか言っていたが、天魔の率いる天狗が神頼みにすがるはずないと信綱は考えていた。
いきなりやってきた神を信仰するのと、千年自分たちを導いてきた実績のある首魁を信じるか、火を見るより明らかである。
彼にどうにもならないことがあったら、それは誰もがどうすることもできない類だろう。そう思えるくらい、信綱は天魔を評価していた。
「一種の祭りだ。誰が行っても問題はない」
「そういうものですかね」
というより目的自体が天狗のガス抜きであるため、信綱が語る以上の意味など本当に存在しない。
それにどのような形であれ異変が終われば宴会をやる。宴会をやれば大勢集まる。大勢集まれば守矢神社の宣伝にもちょうど良い。
天狗はおおっぴらに騒げて満足。守矢神社は知ってもらえて万歳。人里は宴会だけ参加すれば良いので八方どこにも角が立たない異変なのだ。
強いて言えば霊夢が根に持つかもしれないが、あれはそういった尾を引く感情とは無縁のため、宴会で上等な酒でも振る舞えばコロッと忘れてしまうだろう。
「そういうものだ。お前も義務感から戻るのはオススメしないが、騒ぎたいのなら戻るのも手だぞ」
「んー……やめておきます。私もこれ以上の騒動に巻き込まれるのはゴメンですから」
「なぜ俺を見る」
「いやあ」
椛に答えになっていない笑顔を浮かべられ、その意味が大体察せられてしまった信綱は憮然とするしかなかった。
「俺は阿求様のお側にいられればそれで十分だと言っているのに」
「もちろんお祖父ちゃんが一緒にいてくれるのは嬉しいけど、私はお祖父ちゃんが聞かせてくれるお話も大好きよ?」
「はっはっは私は生涯現役ですとも。どんな問題だろうと解決してみせましょう」
「いっそ清々しくなる身の振り方ですね……」
椛に心底から呆れた目で見られるものの、信綱は特に気にしなかった。
彼は阿礼狂いなのだ。御阿礼の子が黒を白と言えば白になるし、厭うべき面倒事も阿求が好きと言えば好きになるのが当然である。
「あ、お祖父ちゃん。紅茶のお代わり、頂戴?」
「かしこまりました。菓子はもう良いですか?」
「うーん……やめておくわ。これ以上食べると夕ご飯が入らなくなっちゃう」
「ではそのように」
うやうやしく頭を垂れて下がろうとすると、阿求の隣で異変を見物している椛が手を上げる。
「あ、私はもう少しお菓子をください」
「俺の分なら食っていいぞ」
やった、と躊躇なく信綱の残したクッキーを食べ始める椛を見て、相変わらず食い意地が張っている、とため息を吐くのであった。
台所に行き、紅茶の準備を
そして一人分のものだけ先に注ぎ、信綱は何もない空間にそれを差し出す。
「……話したいことがあるんだろう。出てきたらどうだ?」
「……本当、あなたには何が見えているのやら。視界を同期させればわかるのかしら?」
何もない空間から白磁の手が伸び、紅茶のカップを優雅に持つ。
そしてスキマに腰かけた八雲紫が現れ、淡い微笑みとともに紅茶を口に含む。
「あら、美味しい。丁寧に淹れてありますのね」
「阿求様が飲まれるんだ。当然だろう」
「今度、ご相伴に預かりたいわね。外の世界で使われている最高級の茶葉を持ってきますので」
「だったら歓迎しよう。紅茶もそうだが、この手のやつは基本的にレミリアのところからしか入手が難しい」
彼女がどうやって調達しているのかは本当に謎である。そもそもどうやって生活しているのかも知らなかったし、興味も持ってなかった。
「で、要件は何だ? 自分の代わりに守矢神社を見に行ってくれて感謝している、とかそういうのはいらんぞ」
「今ので私が言いたいこと全部言いましたわよ!! わかってて言ってるでしょう!?」
無論、と信綱は鷹揚にうなずく。
そもそも幻想郷に自分の意志でやってくるには紫の介在が不可欠であり、あれほど大きなものの幻想入りを紫が把握していないはずないのだ。
だというのに、守矢神社が来てからはめっきり大人しかった。信綱と天魔が接触に動いたのも、紫が不気味なまでに静けさを保っていたというのも一因にある。
「まあ原因は十中八九、あの祭神の二柱だろうな。今回は利害が一致したから良いものの、あれは相当なやり手だ」
今よりはるか昔、神とはそこに住まう人々の支配者だった。
人間とは比べ物にならない力もあるだろうが、それだけで支配というのは行えるものではない。支配し、維持し続けるには力だけでなく知恵も必要になるのだ。
つまり非常に長い期間、神としての力を保っていた神奈子と諏訪子は政治家としても恐ろしく優秀なのだ。
「まったく、俺だって得意だとは言えない分野なんだぞ。あまり俺を頼られても困る」
「あなた、得意でない分野はあれど苦手な分野はほとんどないでしょうに。天魔があなたのことをこの上ない好敵手と評価しているの、わかっていないわけではないでしょう?」
「行き当たりばったりで勝てる気がしないから、可能な限り準備を怠らないだけだ」
「その辺りまで含めて、政治というものの力量なんでしょうね。私はスキマがあるからか、どうにもあなたや天魔のようにはなれないわ」
境界を操る紫の能力は強力無比だが、同時に彼女はあらゆる物事にスキマを使用している。
スキマをどうにかできる状況、ないし場面さえ作れれば彼女自身の能力は――もちろん侮れないが、決してどうにもならない絶望的なものではなくなる。
天魔や信綱との対話にしてもそうだ。スキマを使えばほぼ確実に勝てるが、スキマを使われたと察した時点で二人は対話の席から離れるだろう。当然である、結果が見えたものに拘る理由はない。
「切り札は切り時を間違えるなということだ。俺と人里は今回の件にこれ以上の深入りは無理だ。残るは天狗と守矢神社になる。まあ……見る限り同盟はないだろうな」
「そこは同意するわ。天魔も八坂神奈子も、どちらも船頭みたいなものですし」
仮に同盟を組んだとしても方向性やらなにやらで揉める未来しか見えないのだ。
むしろそうなって共食いをしてくれた方が人里に所属する信綱としてはありがたいのだが、さすがに天魔も神奈子も一筋縄では行かない。
「俺としてはいつも通り――面倒な相手が増えた程度にしか思わん。人里の勢力を維持するためにも俺が生きている限りは知恵を巡らせる」
「そうしてくれると助かるわ。私も幻想郷全体を守るものとして、人間たちも保護しなければならないけどあなたがいれば安心して任せられる」
「そうだな。だから俺としては俺にできない部分でお前が力を発揮してくれるのを期待しているんだが」
今回のこともお前が上手くやれば俺の面倒はなかったんだよ、という嫌味も含めた言葉に紫はぐっと言葉に詰まらせた。
「……あなたと天魔が頑張るだろうからちょっとぐらい楽しても――あぁっ、冗談です冗談! だから頭を握らないで痛いぃぃぃ!?」
「俺は、阿求様に、仕えていたい、だけなんだ」
細かく言葉を区切って言い聞かせるように、信綱は自分の手に頭を掴まれながら騒ぐ紫に告げる。
全く、と気が済むまで頭を握ってから解放すると、紫は痛そうにこめかみをさすりながら自ら開いたスキマにずるりと半身を潜り込ませる。
「――さて、人間にここまでさせておいて私は動かない、というのは不義理に過ぎますわね。ここから先のことはお任せなさいな。宴会の段取りから守矢神社への説明、あとあなたの脅威を教えることまで全てやっておきますわ」
「頼んだ。俺はもう事情がない限り剣を振るうつもりはないのでな」
「その事情があった時が恐ろしいですわ……」
具体的には御阿礼の子に危険が及んだ時だろう。そしてその時に抜剣した信綱は御阿礼の子の脅威となるものを全て物理的に取り除く。
脅威の説明というのは実際に見せた方が早いのだが、見せる時が来たら相手の生命が終わる時である以上是非もない。
紫は最近痛むことの多い胃をこっそり押さえながら、スキマへと身を投じるのであった。
それを見届けて、信綱は手元の紅茶に視線を落とす。
だいぶ話し込んでいたにも関わらず、未だ暖かな湯気と芳しい香りを漂わせているのは、きっと彼女が気を利かせたからだろう。
それをある程度予測していた信綱は驚いた様子もなく、新しい紅茶を用意して阿求たちのもとへ戻るのであった。
「あ、お帰りなさい。ずいぶん時間がかかりましたね?」
「少しな。阿求様、お代わりになります」
「ありがとう、お祖父ちゃん。そろそろ異変も終わりそうよ」
阿求に新しい紅茶のカップを渡すと、彼女は妖怪の山の方を指さした。
視線を向けると弾幕の光が徐々に守矢神社の方へと推移していた。妖怪の山で絡んでくる妖怪を撃退し、霊夢が順調に進んでいる証拠だろう。
「やっぱり霊夢さんって強いのね……山の妖怪たちを相手に一歩も引いてない」
「ことスペルカードルールの範疇では相当でしょうね。異変もいくつか解決していますし、経験も積んでいる」
霊夢の話していた早苗という少女では少々荷が重いだろう。あれの才覚は間違いなく自分に匹敵する領域であり、なおかつ経験もすでに重ねつつあるのだ。
同年代で勝ち目を見出すとなれば、同じく弾幕ごっこで頭角を現している霧雨魔理沙か、能力自体が破格な十六夜咲夜ぐらいである。
「……しかし、こうしてみると争いも祭りの一つですね。形で言えば妖怪の山が博麗神社に勝負を仕掛けるという異変なのに、穏やかに見ていられる」
一昔前だったら間違いなく血で血を洗う戦争である。
そうなったら先代は確実に自分を巻き込むだろうし、自分は手札を増やすためにも紅魔館を巻き込んで大事にする。こちらも死なないために手段は選ばない。
「……うん、そうだね。私が覚えている阿七や阿弥の記憶にも、お祖父ちゃんが戦っていた姿ってほとんどない」
「阿七様はお体の都合で、あまり外に出られませんでしたから」
大半を家で過ごす阿七の前で剣を振るう機会など、あったら信綱は側仕え失格である。
狼藉者を瞬く間に排除した後、自身も側仕えの資格なしと判断して消えるだろう。
主に降りかかる危険は降りかかる前に除去しておくのが基本だ。
「これは従者としての持論になりますが、主の前で戦うこと自体が好ましいものではありません。それは危険を未然に排除できなかった従者の失態になります」
「そうなんだ? 私はお祖父ちゃんが戦ってる姿も見てみたいって思うけどなあ」
「そこの勝敗に阿求様のお命がかかっているとあっては、私も死に物狂いにならざるを得ません」
「君の死に物狂いとか誰が止められ……いえ、なんでもないです」
冬が終わらなかった異変の時はギリギリ未遂だったため、彼も完全ではなかった。
では完全に彼が阿礼狂いとして狂気に身を委ねていたのはいつかとなると、百鬼夜行の時まで遡る必要がある。
あの時でさえ、伊吹萃香をほぼ一方的に屠っていたのだ。今、彼が阿礼狂いとして本気になったらどうなるのか、椛には想像もつかなかった。
いずれにせよ、これまで関わってきた人たちが総出で止める必要があるのだけは確かである。
「阿求様が私の剣を見たいと仰るのであれば、場を都合いたしましょう。ですが、そこで御身が危険にさらされることがあってはいけません。ご了承ください」
「はぁい。うふふっ」
信綱の言葉を受けて阿求は素直にうなずき、同時に嬉しそうに微笑む。
なぜか、と信綱が首を傾げると阿求は笑顔のまま信綱の手を取った。
「お祖父ちゃんは私のことを大事にしてくれるんだなって実感できて、嬉しかっただけよ」
「当然のことです。さて、私の剣が見たいとのことでしたが……」
チラリ、と信綱が隣にいる椛に視線を向ける。
これ駄目なやつだ、と色々察した椛の瞳が死人の如く濁るが、信綱は特に気にしなかった。
「ちょうどよく彼女がいることです。どれ、ここで一つやりましょうか」
「椛姉さんが良いの?」
「私と剣で打ち合える、となるとかなり限られてしまいます」
剣以外も良いのであればレミリアや勇儀、萃香なども入ってくるが、剣術の領域での打ち合いとなると信綱が知る中で可能なのは天魔と目の前の白狼天狗ぐらいである。
天魔は単純に彼自身の磨き上げた剣技が信綱に追従する域に達している。白兵戦の領域でも、お互い万全の状態で始めて三割は天魔が勝つだろう。
椛は信綱の剣技を最も長く見て、打ち合った存在ということが大きい。信綱の好む剣筋や間合いは全て体が覚えている。
……天狗を千年率いて文武双方に長けている天魔をして、剣術の領域では信綱を相手に三割の勝率しか確保できないというのがどう考えてもおかしいのだが、誰もがそこにはあえて触れなかった。妖怪を殺す人間ってそういうもんだと思考を放棄したとも言う。閑話休題。
「天魔はおいそれと人里には来ませんし、相手としてはこいつが的確かと」
「へえ……椛姉さん、やっぱりただの白狼天狗じゃなかったんだ」
「彼と一緒にいて無茶振りばっかりでしたからね……」
「あ、打ち合えることは否定してない。じゃあお願いしようかしら。私、お祖父ちゃんと椛姉さんが打ち合っているところを見てみたい!」
「仰せのままに。御身の安全のためにも木刀を使いますが、そこはご納得ください」
万に一つも鋼の刃で打ち合い、破片が阿求の方に飛んではことである。
ひょんなことから信綱との稽古が始まりそうな椛は遠い目になっていたが、逃げる気配はない。ここで逃げて阿求を悲しませた方が、後で信綱に何をさせられるかわかったものではないと考えているのだろう。正しい判断である。
ただ、と気になっている部分もあったので椛は中庭に立つ信綱にそっと耳打ちする。
「いつも通りの稽古にするんですか? こう言ったらあれですけど、私はほとんど逃げてるだけになりますよ?」
「わかっている。阿求様が見てわかる程度に加減もするから俺に合わせろ」
普段と同じ内容だと確実に阿求の目がついていけない。火継の戦闘術と天狗の兵法が混ざった信綱の戦い方は三次元の動きが多い。
多少でも武術を嗜んでいる者なら良いが、阿求はそういったこととは無縁の生活を送っているため、そんな彼女に信綱の動きを見せても混乱させてしまうだけである。
信綱の懸念をある程度かいつまんで話すと、椛は合点がいったように首を縦に振った。こういう時、少ない言葉でも自分の意図を読んでくれるのがありがたい。
「だったら安心ですね! いやあ、君が普段と同じように私の手足を飛ばしてきたらどうしようかと!」
「阿求様の目が穢れるからそんなことはしない」
それはそれとして椛の言葉に腹が立ったので、阿求の目が慣れてきた辺りで稽古の時と同じ攻撃もいくつか混ぜようと決意する信綱だった。
「君がいつもやってることですよ!?」
「血が出たり四肢が飛んだりすることはないから安心しろ」
「安心できませんよ!? え、というか木刀でも妖怪の手足って落とせるの!?」
難易度も高く神経を使う上、実用性は皆無だが可能か不可能かで言えば可能である。
懇切丁寧に説明してやる義理もなかったので椛の疑問には答えず、向き合って木刀を構える。
「それは体で確かめてみればいい。――始めるぞ」
「あ、なんか急にお腹が痛くハイ無理ですねごめんなさい!」
痛む場所を叩いて痛みで上書いてやろう、とでも言うような信綱の視線を受けて椛は即座に姿勢を正す。
阿求も見ている前だし、そこまで恐ろしいことはしてこないだろう、してこないはず、してこないといいなあ、と椛は諦観の眼差しで迫りくる木刀を防ぐべく、自らも武器を振るう。
この日、稗田邸では木刀の打ち合う乾いた音と、それを楽しげに見る阿求の喝采が絶えない一日となるのであった。
博麗霊夢は妖怪の山を上へ上へと飛んでいた。
妖怪の山への侵入を阻んだ連中は全て倒した。一応、話して下がるなら見逃すつもりだったのだがどいつもこいつも人の話を聞きやしないため、容赦なく弾幕の海に沈んでもらっている。
決闘なんていう奇天烈なものを申し込んできた東風谷早苗も倒した。守矢神社の祭神である八坂神奈子と洩矢諏訪子も倒した。強敵ではあったが、まだ弾幕ごっこに慣れていないため倒すこともそこまで苦ではなかった。
向かってくる輩は全員倒したのだ。博麗神社に戻って良いというのに、霊夢はまだ飛んでいる。
予感である。博麗の巫女としての直感が霊夢にささやくのだ。
異変はまだ終わっていない。いいや、異変そのものはすでに終わっているが、まだ黒幕を倒していない。
「大体、守矢神社は私の神社のこと、誰から教えてもらったのよ。それに妖怪の山がそんなホイホイ新参者の神社になびくわけないじゃない」
詳しい事情は知らないが、妖怪の山は霊夢が生まれてからずっと大きな騒ぎを起こしていない場所だ。
大きな騒ぎが起きていない――言い換えれば絶対的な支配者のもと、極めて平穏に統治されていた場所とも言える。
「それに異変の話だって誰かから聞かないと知りようがないし、外の世界から来た奴らがいきなり弾幕ごっこするってのもおかしな話よ。――絶対、仕組んだやつがいる」
自身の直感がささやく答えをもとに、霊夢はこれまで特に目を向けていなかった疑問を改めて口に出して、思考を整理していく。
この考え方も信綱より教わったものである。直感によって答えには到達できるのだから、次に必要なのはその答えに道筋をつけて人に説明する方法だ。
それは必要なのか? と信綱に聞いたことがあった。必要である、と即答が返ってきたのをよく覚えている。
「お前が何らかの事情で他者の力を借りた方が楽だと感じた場合――俺を頼る場合でも良い。そうなった時に必要となる」
「私が放置しちゃ不味いと思うから、じゃ駄目なの?」
「少なくとも俺は動かないな。人を動かしたければ理由が必要で、理由とは答えに到達する道筋だ。お前だって特に根拠はないけどこの修業をやれ、と俺から言ったら嫌がるだろう?」
「根拠があっても修行は嫌!」
「そうかそうか、やりたくて仕方がないか。可愛い奴め」
「やだーっ!! まだ死にたくなーい!?」
「細心の注意を払っているからそこは安心しろ」
……ちょっと余計なところも思い出してしまったが、霊夢は忠実に信綱の教えを守っていた。
だからこそ――今、後ろに追いついてきた魔理沙を見て立ち止まる選択を取れた。
「――魔理沙」
「やっと追いついたぜ! 後追いにはなっちまったが、私もあの神社の奴らは倒してきたぜ」
「ちょっと私に付き合いなさい。私の勘と推測が外れてなければこの先に黒幕がいるわ」
「へ? そうなのか?」
霊夢は自分の感じている疑問とそれに対する自分なりの推測を魔理沙に伝え、未だ雲に覆われて見えない妖怪の山の頂上を睨む。
「アテが外れたら弾幕ごっこでもなんでも付き合ってあげる。だから来なさい」
「良いぜ。へへっ、霊夢の勘が外れれば霊夢と戦えて、外れてなければ黒幕と戦えるんだろ? どっちにしろ私に損はない」
力を貪欲に求める魔理沙の姿勢は嫌いではない。霊夢は異変の最中ということもあって厳しい顔になっていた表情を僅かに緩め、再び上を目指し始める。
雲間を抜けるとそこには、天に最も近い頂があった。
天を衝く、という言葉が当てはまるような山の頂点。そこに目的の人物がいると霊夢の直感が叫ぶ。
ふと後ろを振り返ると、魔理沙以外は何も見えなかった。あまりにも高すぎて、幻想郷の全てが雲海に呑み込まれてしまったらしい。
今、霊夢と魔理沙の幻想郷は雲海から僅かに顔を覗かせる山の頂点のみ。そしてそこに、一人の天狗が立っていた。
霊夢たちに背を向けて、艶のある黒翼をはためかせる若い男性の烏天狗。
魔理沙はそれを見つけた時、不思議そうに眉をひそめた。
「ん? 烏天狗か? 妖怪の山で散々落としたのに、まだいたのか」
「――魔理沙」
さっさと落としてしまおうとミニ八卦炉を構えた魔理沙を、霊夢が制止する。
そう、霊夢の直感は確かに叫んでいたのだ。
――目の前の天狗に喧嘩を売るな。死ぬぞ、と。
「霊夢?」
「……全く、勘が良いのも良し悪しよ」
うかつな行動を取れば死ぬ、という相手を前にして霊夢はため息一つで恐怖を横にやる。
レミリアや幽々子、萃香を前にした時も感じたものだ。今更怖気づくものでもない。
確かに勝負を挑んで自分が勝てる可能性は少ないだろう。――だからどうした、人間が妖怪に挑むとはもとよりそういうものだ。
それに自分はその妖怪を相手に勝ち続けてきた人物から鍛えられているのだ。妖怪を相手にする際の心得など骨の髄まで叩き込まれている。
「――そこの天狗!」
霊夢はいつでも攻撃に移れる状態で鋭い声を発する。
すると烏天狗はゆっくりと振り返り、その顔を愉しげに歪める。
「……へぇ、博麗の巫女様に異変解決で引っ張りだこの魔法使いさんか。よくここまで来たな」
「御託はどうでも良いわ。――あんたが今回の異変の黒幕でしょう」
「なるほど、巫女の勘を侮っていたか。――そうとも、その通り! オレが今回の絵面を書いた張本人さ!」
黒翼を広げ、烏天狗は霊夢たちと同じ高度まで飛び上がる。
腕を組み、不敵に笑うその姿に霊夢と魔理沙は無言で戦闘態勢に入る。
「おっと、意気込ませて悪いが、オレは戦う気はないぜ?」
「はぁ!?」
「スペルカードルールは女子供の遊びだ。男が入ったらおかしいだろうが」
「じゃあ大人しく私たちに撃ち落とされてくれるのか? それはそれでこっちが面白くないぜ」
「まさか。黒幕に気づいて、ここまで来たお前たちを手ぶらで帰すつもりなんてないさ」
烏天狗が指をパチンと鳴らすと、彼の後ろに見覚えのある烏天狗がやってくる。
「あんた、新聞の……」
「ブン屋じゃないか。どうしてここに? ってか、私たち両方とも勝ったぜ?」
霊夢の魔理沙の驚愕の声に、やってきた射命丸文は答えずに男の烏天狗の側に控えた。
「お呼びですか」
「ああ。年若く前途洋々な異変解決役の少女たちがここまでやって来た。――文、丁重にもてなしてやれ」
「ええ、了解です。――本気を出しても?」
「良いぜ、許可する」
男の言葉を受けた瞬間、文から発せられる妖気の圧が桁外れに強まる。
ビリビリと肌を粟立たせるそれに霊夢と魔理沙は目を見開いた。
「あんた、それ……!」
「こんな強かったのかよ!? いっつも人里を飛び回ってるのに!」
「ええ、ええ、もちろん。私――これでも結構強いんです」
間違いなく大妖怪に匹敵する威容。それが付き合いのあった新聞屋の烏天狗から発せられているのが信じられなかった。
しかし今目の前にあるのが現実である。射命丸文は本来、大妖怪に勝るとも劣らない実力の持ち主なのだ。
そしてその彼女が恭しく絶対の忠誠を示している天狗はつまり、そういうことになる。
「オレの代理として文が戦おう。文が負ければ潔く負けを認めるさ。煮るなり焼くなり好きにしな。と言っても――黒幕を相手に挑むんだ、拍子抜けじゃつまらないだろ?」
「さっきは手加減してあげましたけど、今度は正真正銘の本気です。無論、二人がかりでどうぞ? さあ、本気で行くから死に物狂いで抗いなさい、人間!!」
黒い線。そう形容するしかない速度で縦横無尽に空を駆ける烏天狗を相手に、霊夢と魔理沙はそれぞれスペルカードを握り、挑んでいくのであった。
当然ながら異変解決はダイジェストです。だってノッブそこにいないし(小声)
次のお話で後日談的なあれをやって風神録は終わりになります。それ以降はあったら別のお話として独立させる予定なので、今度こそこちらは完結になる……はず(小声)
Q.ノッブと打ち合えるのって誰がいるの?
A.剣術に限らなければレミリアや勇儀、萃香に幽香も当然入ってくるが、剣術に限ると作中では天魔と椛の二人だけになる。
Q.じゃあ椛って白兵戦だと相当強い?
A.割と。鬼の一撃喰らえば死にますし、レミリアの再生力には普通に押し負けますけど、防戦やらせたら相当鬱陶しいレベル。火力はないけどとにかく防いで粘ってチャンスに繋げられる。
ちなみに関係ないですけどノッブは攻撃全振りで攻撃こそ最大の防御を地で行くスタイルで、なおかつワンチャンスあれば一気に勝ちにいけます。だからこの二人が組むとヤバくなるわけです。